中央公論10年9月号 富野由悠季「戦争を語る言葉がない時代を憂う」

以前、さわりだけ紹介したものです。

今村均役で出演したワケ

終戦時、僕は三歳でほとんど記憶はないのだが、正直「負け戦」のことなど聞きたくもないし、語りたくもなかったというのが本音である。現在、公開中の映画『日本のいちばん長い夏』に、今村均役で出てくれと言われた時、「嫌な企画だな」という思いが胸をよぎったのは事実。曲りなりにも、映像の企画、製作に携わる人間としては、「このつくりでいくのかよ」という違和感を、覚えもした。
しかし、「戦後世代は、実際に戦地に赴いた父親の話を聞きたがっているのではないでしょうか」という若いプロデューサーのひと言に、心は動かされた。確かに、今、そういう父親たちの言葉は忘れ去られようとしている。ふと気づけは、戦争を語る言葉がないのである。ならば、我々の年代の人間が、あえて愚直に「語りたくないことを語る」べきなのかもしれないと感じた。
『日本のいちばん長い夏』は、昭和38(1963)年に行われた、終戦時に政府の要職や軍部の中枢にいた28名が一堂に会した座談会をもとにした作品だ。38年といえば、僕は大学の3年生だった。あの頃の時代感覚も、リアルに残っている。
詰まるところ、69歳という年齢が、僕の背中を押した。10年前だったら、即座に断ってたと思う。
実際に撮影に入ってみると、「違和感と期待」は見事に的中した。演者の回顧録は、なんだか“とっ散らかって”、焦点が定まらない。そもそも70年近く前の話だから、戦争の諸表層の表現ですら、実際の言葉として聞いている人間は少ない。頭にあるのは、たとえば戦記ものの世界であったり、スピルバーグイーストウッドが自らの作品に閉じ込めた文言なり論理なりであって、それで戦争論を交わすなど、本来無理な相談なのだ。
だが、それでも断らなくてよかったと、思っている。恥ずかしながら、この話をもらわなければ、今村均という人物のことを深く知ることもなかっただろう。同じように、作品を目にした若い人たちに、とっ散らかったなりに、あの戦争について考える切り口を提供できるかもしれないと感じるからだ。
それにしても、日本の映画界は何をやってきたのだろう? スピルバーグにしてもイーストウッドにしても、戦争映画をつくりにくい時代に、きちんとそれをやった。特に、イーストウッドの作った二部作『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』が日米双方の視点から硫黄島の戦争を描き、話題を呼んだことは記憶に新しい。
一方、わが日本映画界にそれはなく、彼らから何ものかを学んだ形跡もない。彼我の差を埋められるだけのプロデューシング能力もマネジメント能力も、日本のエンタメ界は欠いたままでいる。
今回の映画への出演というチャレンジは意味あるものだが、「これでしかできないのか」という、限界をもあぶり出した。その無残な体験は、日本のエンタメにおけるインテリジェンスの脆弱さを再認識させてくれたという点で、僕にとって決して無意味なものではなかったのだけれど。

軍部と官僚の相似、その理由

知りたくもなかった「敗戦」のことだが、演者として語るために、さすがの僕も何があったのかを勉強した。今村均のことも調べた。彼が軍政面で優れた指揮官だっただけでなく、部下や占領地の住民からさえも愛される、当時の軍人としては例外的な人格者であったことも知った。
そうやって、ある意味一から勉強してみて、改めて確信したことがある。太平洋戦争を仕掛け、国民にこの上ない辛苦を経験させた軍部の参謀たち、その組織は現代日本の官僚機構とピタリ重なるのだ。
日清・日露の「成功体験」で頭でっかちになり、現場を無視して無茶な作戦を命じ続けたあげく、国を破滅に導いた東京の参謀本部。僕には、かつての高度経済成長の夢に酔いしれるばかりで、アメリカにいいようにあしらわれ、台頭著しい中国には打つ手なしといった風情の官僚たちが、その生き写しのように見える。
両者がかくも似た精神構造を持つ要因を調べると、そこに教育の問題が横たわっていることが分かった。
吉田俊雄氏の『日本陸海軍の生涯』という本を読んでいたら、戦争末期に海軍大将だった沢本頼雄が戦後に語った「ニ・ニ六事件は実に後進の国家体制になったことを、現実に示したもので、世は滔々として奈落の底に向かおうとする大勢となった」という言葉が出てきて、心底驚いた。大将といえば、軍の最高位。そんな認識を持つ人物が、中枢にいたのである。にもかかわらず、あそこまで無謀な戦争を止められなかったのは、なぜなのか? その疑問を調べていくうちに、日露戦争以降の軍人養成システムに行き着いた。
陸軍の場合、高等小学校卒業者を幼年学校に迎え入れていた。まだ12、3歳の子どもに、軍人「エリート」教育を施すのだ。やがて彼らは、優先的に陸軍大学校に入学を許され、幹部になっていく。参謀たちのキャリアを調べると、ほとんどがこうして「純粋培養」されたエリートだったのである。
いずれにせよ、そうして軍の中しか知らず、日露戦争以後、実戦経験がなく、かつその「成功体験」だけを刷り込まれた連中が、中央にデンと座って命令を下していたのである。方針は過てど組織は磐石で、異を唱える人間は徹底的に排除された。破局は、起こるべくして起こった。
現代の官僚たちの育成過程は、そこまで閉鎖的ではないだろう。しかし、ちょっと勉強して東大に入り、すんなり上級試験に合格し……というコースをたどる人間たちが、視野狭窄に陥りやすいのもまた事実。そうでなければ、たとえば「ゆとり教育」のような誤りを犯すはずがない。
ある意味、軍部の暴走は反面教師となりえた。しかし、検証はあまりにも不十分だったと言わざるをえない。ただ、東京裁判で連合国によって戦犯は裁かれたが、国内から「日本をメチャクチャにした軍部のエリートを、きちんと断罪しよう」といった声は、ついぞ聞かれなかった。統帥権をおおいに利用した幹部が被告にすらなってないという問題もある。そうした自己検証なしに、いきなり靖国合祀ウンヌンに、話は飛んでしまっている。戦後も官僚のミスリードをほとんど裁けないまま現在に至っている。
第二次世界大戦から70年、日本は自己検証、自省なくここまできてしまった。眼前の風景はその当然の帰結だと、認めざるをえまい。ただし、そろそろ何とかしないと、次の50年は本当にひどいことになるのではないか。僕は、それを危惧している。

貴族の戦争、市民の戦争

当然のことながら、戦争にも歴史がある。かつて、ファースト・ガンダムを構想中に出合った言葉が、僕は今でも忘れられない。誰の文章だったのかは失念したが、そこには「貴族が主導権を握っていた時代の戦争に比べ、市民が始めた戦争のほうが、より残虐で、死者もけた違いに多くなった」と書かれていたのだ。
触発されて調べてみると、欧州でも日本でも、封建時代には「戦の規範」とも言うべきものが、確かにあった。日本では、百姓が田畑を耕すすぐ脇で一戦交えても、敵も味方も決してその生活圏に進入することはなかった。戦争というよりは合戦。「敗軍の将」の首を刈るのは一見残酷に見えるものの、いわば終結の合図だった。雌雄を決したら、負けた側は大人しく引く。勝者もそれを深追いはしなかったという。
実は、第一次大戦までは、こうした中世風の規範が、まだ生きていたようだ。当時の戦闘機のパイロットは、貴族など選ばれた人。金持ちでなければ、パイロットにはなれない時代だったのである。だから、戦いで死んだ兵士の葬儀を敵国がやり、本国へ送り返すというようなことまでしたらしい。こんな「美風」は、第二次大戦の時には、薄れていたようだ。市民が前面に立ち、武器の性能も飛躍的に向上した戦いは、凄惨を極める。
こうした事実に衝撃を受けた僕は、この「市民の戦い」を、『機動戦士ガンダム』に存分に投影させた。主人公の敵役にあたるジオン公国が、主人公の所属する地球連邦に挑んだ独立戦争は、開戦1ヶ月で人類の半数を死に追いやる。中世的な規範など微塵もない、殺戮に次ぐ殺戮の結果、である。
余談ながら、ジオン公国の中枢に位置するザビ家に、僕はある意味でシンパシーを感じている。小国にもかかわらず、極めて性能のいい武器を手に入れたがために、世界に楯突く。そんな“成り上がり”でありながら、一族の矜持を保とうとし、しかし自らが起こした戦争のあまりの急展開の中で、徐々にそれを失ってしまう。
ジオン公国の王であるデギンは、急進的で独裁志向の強い長男ギレンと対立を深めていくのだが、この関係性をリアルに表現するのには苦労した。戦争終結を望み始めた公王デギンが、さらなる激戦に兵を駆り立てようとする長男ギレンをたしなめるシーン。単に「独裁はダメだ」では、おもしろくない。ふっと頭に浮かんだのが、「ヒットラー」という固有名詞だった。「前世紀」の独裁者を引き合いに出すことで、息子を批判させればいい。ところが、「ヒットラーは」と書いて、筆が止まってしまった。当時の僕には、ヒットラーのことさえ、小中学生レベルのイメージしかないことに気づいたのだ。
今さら調べ直す時間はなく、さりとて「知りもしないでセリフにしたな」とは、死んでも思われたくない。ならば、ごく一般的な言葉でありながら、それを重ねることで劇中の存在感を際立てるしかない。七点八倒の末、「世界を読みきれなかった男」というフレーズがひらめいた。デギンは息子にこう言うのだ。「アドルフ・ヒットラーを知っているか」「世界を読みきれなかった男だ」「貴公はそのヒットラーの尻尾だな」――。セリフができた時には、本当に床を転げまわって喜んだものだ。
いい加減な、と言うなかれ。意味は後からもっと勉強した人間がそれぞれに解釈し、埋めてくれればいいのだ。そのための、言葉のアンカーを打ち込む。それが僕の仕事だと承知している。

お台場の等身大ガンダムに怒る

ジオン公国が手に入れた最新兵器は、人間のパワーを驚異的に高めるモビルスーツだった。個人の戦闘能力が何十倍にもなるから、人口の少ない小国が全世界を相手にできたのである。ところで、このモビルスーツ、兵器として開発されたのではない。そもそもは、宇宙に浮かぶ人工島であるスペースコロニーを建設するための作業機械だったのである。民生用だと思っていたからこそ、地球連邦政府は、それを武器に独立を目論むジオン公国の、モビルスーツ増産を見過ごしてしまった。作中の戦いを「市民の戦争」に仕立てたのと同様、この「新兵器の導入」も偶然の産物ではない。
人類の戦争を大きく変えたのは、鉄砲の発明であろう。槍で突き刺しあったり、刀で斬りあったりというのは、しんどい。気味が悪い。しかし、銃器を使えば、血の臭いを嗅ぐこともなく、それこそゲームのように、敵を殺すことができる。爆弾だったら、人間の姿さえ見ずに、街ごと焼き尽くせるのだ。本来、人類の幸福に寄与するはずの科学技術の進歩が、より悲惨な戦争を招来する結果となった。
科学者は、大量殺戮兵器を開発しようとして原子力の研究を始めたわけではない。しかし、それはできてしまった。できてしまってから、アインシュタインをはじめとする人たちは、その使用を封印しようと奔走したが、いったん軍人の手に渡った技術を反故にすることは、かなわなかった。
人知のコントロールが難しいもの、人を不幸にするものまで、人間は作り出してしまう。そういう、道具と人間の認識力との乖離が最も露骨に表れるのが、戦争なのである。
ただし、それは日常にもある。インターネットの開発者は、まさかそれがエロを目的に活用されるなど、露ほども思わなかったであろう。実際には、市民が手にした瞬間、ネット上にはエロが蔓延し、皮肉なことにそれが推進力となって爆発的に普及したのである。
僕が怖くて目次にしか目を通せない本に、『グーグル秘録』がある。そこに登場する「天才」たちは、たとえば我々は全世界のすべての書籍をデジタル化できるなどと豪語する。だが、彼らの頭の中には、「著作権」の概念がまるでない。一冊の本で暮らしを成り立たせている人間が、世界中にゴマンといることに、思いが至らない。いや、そんな人々は、彼らにとっては消えてもかまわない存在なのだろう。聞きたいのだが、いったいそれで何をするのか。自分たちが手に入れた最新の技術、道具を使って、世の中をどうしようというのだろう。僕にはまったく分からないのだ。
話を戻せば、『ガンダム』には、そうした道具と人間の怪しい関係も、意識して盛り込んだ。モビルスーツもロボットも、そういう背景を背負った、あくまでも殺戮や破壊を目的とした“兵器”なのである。ガンダムは単なるアニメの中のシンボルではない。
そんな思い入れのある僕にとって、テレビ放映から30年たった昨年、東京・お台場に「等身大のガンダム」が立ったというニュースは、驚くべきものだった。果たしてお台場というのは、兵器を展示するのにふさわしい場所なのか? 事前に企画を知っていたならば、僕は潰しにかかっていたと思う。

ポピュリズムと戦争

役人や軍人だけで、戦争はできない。そこには必ずその方針に従い、あるいは煽り立てる市民がいる。
戦争を知るために、ここ一年ほどで読破した書物の一つに、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』がある。ひとことで言えば、人々がなぜナチスなどの全体主義を支持するに至ったかの論考だが、彼女はその中で、「人々」のことを「モッブ(mob)」と表現している。日本語にすれば「群衆」。「大衆」にもなれない、ただ蠢いているだけの存在といったニュアンスだ。
考えておく必要があるのは、基本的に、私たちはいつでもモッブになれる存在であるということだ。アーレントが指摘するように、個々人が独自の判断基準を持っているかどうかは、極めて怪しい。
人間は基本的に「信じる」生き物である。自然と剥き出しで対峙しなければならなかった時代、宗教の誕生は必然だった。明日、洪水が襲ってこようが、日照りに見舞われようが、絶対に大丈夫だという精神的な支えなしに、人は生きられなかったであろう。今の時代の社会規範や制度のようなものも、ある種の「信心」によって成り立っていると言っていい。
問題はここぞという時には、そうしたもろもろの「信心」のたがをも外して、理性的なジャッジが下せるのかということだ。世の中のトレンドにつき従うべき局面なのか、それともそうすべきではないのか。そのランク分けのインテリジェンス、「知の自覚」を持っていなければいけないのに、人間はどうもそうではないらしい。
たとえば、日露戦争終結後の1905年、野党が民衆を扇動することで起こった日比谷焼討事件を考えてみてほしい。大衆がモッブに落ちた時の熱気、その怖さをまざまざと見せつけるものだった。走り出したら、中途半端なインテリでは止められないのだ。
戦後、パラダイスのような資本主義をつくり上げてしまった結果、現代の日本はポピュリズムに覆われ尽くされた観がある。言葉を換えれば、民衆のモッブ化である。こうなると、本当に国のことを考える、ハードインテリジェンスを持ったインテリは、重要な部分から半ば自動的に排除されていく。誰も「難しいこと」など、聞きたがらないのだから。代わりに幅を利かすのは、「マンガ好き」をアピールして票にしようと考えるような政治家である。だが、麻生太郎さんは、モッブが急に走る方向を変えた時、自分が真っ先に後ろから刺される怖さに、気がついていない。
公平を期して言えば、菅さんだって、ポピュリズムに本気で警鐘を鳴らすような言葉を発進してはいない。むしろ逆である。
モッブが増殖し、居座れば、これを排除するのは難しい。それを基盤にした全体主義の恐ろしさを、もっと歴史から学ぶべきだろう。

理想論で終わるな! 志を掲げよ

たびたび他人を引き合いに出して恐縮だが、僕はピーター・ドラッカーの「人は、理想の社会ではなく現実の社会と政治を、自らの社会的行動、政治的行動の基盤としなければならない」という言葉は、まさに真実だと感じている。
たとえば、「いつか恒久平和が実現する」と真顔で言う人が、今でもいる。冗談ではない。人間がそんなに賢くないことは、それこそ現実を見れば火を見るより明らかだ。そんなきれいごとを、特に子どもたちに吹き込んではいけない。それが『ガンダム』を企図したモチベーションの一つでもあった。
大事なのは、バラ色の未来を夢想することではなく、現実に不都合な部分があったら、たとえ高い壁に見えても、それを乗り越える“志”を持つことだと思う。
ドラッカーは、これ以外にもあまたの名言を残している。ただ、僕は彼の本を単なる経済書として尾読むべきではないと思っている。世の中のベースに経済があるから、そこにスポットを当てているのであって、実は社会全体を機能させるためのマネジメント論を、語っているのだと思う。
特に、日本の経済、社会を担う立場になった「ガンダム世代」には、ドラッカーの一読をお勧めする。ただし、経済的に成り上がるための指南書のような読み方は、やめてもらいたい。彼の本質は、そこにはない。
冒頭で、日本のエンタメ界を批判した。「じゃあ、お前はどうなんだ?」という声が聞こえてきそうだ。今村均を演じるうち、僕には座談会で語られていることが過去の回想などではなく、現代が抱える問題そのものなのだということに気づいた。50年、100年後の日本のために今どうするべきかの答えは、ある意味そこにあった。
気づいた以上、僕の立場として、アニメ作品としてそれを伝えたい。絵を記号として駆使できるアニメは、たとえば日本を危機に導いた表層の真犯人を断罪して終わってしまいかねない実写に比べ、メッセージ化がしやすいようにも思える。
だが、具体的にどのような作品に落とし込んでいくかという段になって、基礎学力のない僕は(謙遜しているのではない)、頭を抱えるしかない。さんざん偉そうなことを口走っておきながら、まったく歯が立たないでいる。
死ぬまで映像化できないかもしれない。別の誰かが気づいて、作品にしてくれるかもしれない。いずれにせよ、現実に対処する志だけは捨てず、アンカーを打ち続けるしかないのだ。