- 富野由悠季監督次々々回作『ヒミコヤマト』情報まとめ
- まとめ
- リーンの翼 オフィシャルガイド Road to Byston Well 富野由悠季×福井晴敏対談
- 富野由悠季の世界 兵庫会場限定展示
- 東京新聞 ガンダムの「生みの親」が語る戦争「ミリタリーは妄想、かっこよくない」「小さき者の視点、自覚を」
- グレートメカニックG 2020年秋号 富野由悠季監督インタビュー
- 富野由悠季の世界 静岡会場 清水銀行Presents 富野由悠季×藤津亮太 静岡に語る in サンライズ
- 「ガンダム」富野監督が、コロナ禍の子どもに放つ過激なメッセージ
- ガンプラEXPO2020 ガンダムカンファレンスステージ
- 富野由悠季の世界 富山会場 卑弥呼大和追加展示
- 『ヒミコヤマト』前の富野監督新作2本について
- 『Gのレコンギスタ』TV版直後のまとめ
- なら国際映画祭
- 御大・富野由悠季が“脱ガンダム”にこだわる理由「作り手は安心したら最後」
- 富野由悠季監督:次回作を語る 「極めて独善的」 「風と共に去りぬ」に負けない自信も
- NHK ニュースウォッチ9 12/18放送分
- 公研 2020年8月号 ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】
富野由悠季監督次々々回作『ヒミコヤマト』情報まとめ
まとめ
- 富野、福井、角川春樹の企画『卑弥呼大和』がベース。アニメ版『リーンの翼』のベースでもある。
- 劇場版『Gのレコンギスタ』後の富野監督新作3本の3本目。おそらくサンライズ1st制作。
- もし戦艦大和が兵器でなかったらものすごく素晴らしいものになったのではないか、という夢を描く物語。卑弥呼は富野監督考案和名「弥生姫」として登場する。
- 海底のバラバラになった戦艦大和を卑弥呼が再生させるところから始まる。復活した大和が東京に来る。
- 現代的な登場人物としてYoutuberの女性やブロガー、小保方晴子氏の様な女性が大和に乗り、ヒミコを通して語られる。
- ラストシーンは決まっていて、『Gのレコンギスタ』の様な内容。福島原発の処理論をやって終わらせる。
以下時系列順にソース。
リーンの翼 オフィシャルガイド Road to Byston Well 富野由悠季×福井晴敏対談
福井 『卑弥呼大和』っていう企画を、監督と角川春樹さんと僕の三者で動かしかけていたじゃないですか。戦艦大和に卑弥呼的な、源日本的な何かが取り付いて、現代の東京をしかりにやってくるって話。『卑弥呼大和』っていう企画自体は、諸々あって頓挫したけど(ブログ注:おそらく角川春樹氏の服役)、でも我々三者の間ではくすぶっていたんですよね。それが僕の『ローレライ』や、角川さんの『男たちの大和』、そして『リーンの翼』の源流になっている。
富野 うん。実は『卑弥呼大和』を思いついた時に、バイストン・ウェル的なものをもう少し、今の言い方で言うとリアルなモノにしたかったという思いはありました。バイストン・ウェル的なものが僕の中にあって、そのバイストン・ウェル的なものっていうのは土着の精神なんだろうと。ならば、僕ももうちょっとだけファンタジーの世界を触ってもいいんじゃないかと思う。小田原って罵られようが(笑)。もう少しだけ、日本の風を吹かせたいっていうのはありますね。
富野由悠季の世界 兵庫会場限定展示
富野由悠季の世界展@兵庫県立美術館 ちら見せ。『卑弥呼大和』の監督によるイメージボード、これは必見です。スペースの都合でおそらく兵庫のみの特別展示です。 pic.twitter.com/gK73GDGxP9
— 富野由悠季の世界展 (@tominoexhibiti1) 2019年12月6日
のちに富山会場で12枚に倍増展示。
グレートメカニックG 2020年秋号 富野由悠季監督インタビュー
- 富野展神戸で展示された「卑弥呼大和」がベース(福井氏関与には言及せず)。卑弥呼大和は東京に向かう大和と自衛隊が戦い、ラスボスの都知事を倒す物語だった
- 死ぬ前の作品になる。まだ作らせてくれるかわからない
- もし大和が兵器でなかったらものすごく素晴らしいものになったのではないか、という夢を描く物語。卑弥呼は富野監督考案和名「弥生姫」として登場
- 太平洋戦争当日の軍人や軍事技術者の考えが大和に凝縮されている。帝国主義の次の発想の答えを入れたい
- 参考文献「最終結論「邪馬台国」はここにある」
このインタビューでは話題が振られなかったが、『この世界の片隅に』の戦艦大和作画の影響も大きかったと思われる。
富野監督が挙げた参考資料(もしこのAmazonのリンクがアフェリエイト入りのものになっていたら、それははてなの仕様です)
まだ未読ですが、検索してみた限りトンデモ本なのでは? という疑念が……。『教えてください、富野です』の様に、学会のトップランナーにも取材してほしいところ。
富野由悠季の世界 静岡会場 清水銀行Presents 富野由悠季×藤津亮太 静岡に語る in サンライズ
- 昨日は3本目の新作の企画を考えていて。Gレコ後の2本とは別。ヒミコヤマトこそ今考えてる3本目なんです。2本のタイトルは言えません。2本のタイトルのシナリオが終わったんで、かかり始めてる。まだ形にならない。ラストシーンだけは決まってる。Gレコみたいなもん。福島原発の処理論をやって終わらせる。
- 20年前の卑弥呼大和は北九州から大和朝廷を作った礎が卑弥呼なんだというルートを想定。卑弥呼が大和朝廷を精神的にコントロールしていたら戦艦大和を作った話。
- ヒミコヤマトは邪馬台国みやま市説で決めた。敵は畿内説の歴史学者。こいつらを黙らせたい。場合によっては中国も敵にしなくちゃいけないことも劇中で起こっている。こう来たか、と思うだろう。現在の日本政府や官僚を全否定しないといけないかも。菅首相は嫌うだろう。
- ヒミコヤマトにロボットは出ないが卑弥呼と戦艦大和をドッキングさせるから巨大ロボットものみたいなもん。『2001年(宇宙の旅)』みたいに作りたい。ヒミコヤマトは海底のバラバラになった戦艦大和を卑弥呼が再生させるところから始まる。復活した大和が東京に来る。
- ヒミコヤマトには現代的な登場人物としてYoutuberの姉ちゃんやブロガーを出すことから始めようと思ってる。小保方さんみたいな人も乗せようかなと思ってる。ヒミコを通して彼らを語る。
- はじめはヒミコヤマトも卑弥呼大和の様な話でやるつもりだったが、兵庫展示のおかげで大転換した。考え方が変わったのかもしれない。
- ヒミコヤマトを形にしてみせることで映画界のバカどもに「好きに映画作ってるんじゃねぇよ!」って言いたい。そういう映画を作りたい。乞うご期待。
「ガンダム」富野監督が、コロナ禍の子どもに放つ過激なメッセージ
次回作につながるかどうかはわからないが、最近調べているのは「邪馬台国はどこにあったのか」ということだ。辺境の女王である卑弥呼からの使者は、男社会である中国の文官たちからどのように見られていたのか。その文官たちが記した歴史書は、どのくらい信用できるのか。
そういうことを考えて、「トミノが作れるものは、まだあるな」と思っている。
ガンプラEXPO2020 ガンダムカンファレンスステージ
小形P 「『閃光のハサウェイ』を早く作って俺の新作を作れ」と。富野監督自身はガンダムに留まらず、『G-レコ』にも留まらず、最近もう漏れちゃってるんで皆さんご存知の方もいらっしゃると思うんですけど、『G-レコ』の後は3本やるつもりで新作を既に用意してますんで。こないだも「来週一緒にロケハン行こうか」という話をしてたんですけど、いろんな準備が必要なんで、もう少しちゃんと準備をしてからロケハン行くって話をしてました。戦々恐々としてます。
いつの間にか動画非公開に。
富野由悠季の世界 富山会場 卑弥呼大和追加展示
- 「大和の航路、広島より呉をかすめる」戦闘機のボード
- 「継卑弥呼 大和浮上に 立ち合う」
- 「朝日、富士、大和は 絵になりすぎ、、、」
- 「硬化実体化しつつ三浦半島へ 99/9・4 大和ここより面舵をとる。右舷へ。転進(面舵の必要なし!)」
- 「継卑弥呼 国家論、官僚論、組織論を承知の上で、 東京都知事に国家改造論を語る。 先進の技術を駆使する頭脳者は、忠臣を 死に至らしめた!! 米国は日本の国粋主義化を恐れた」大和とヘリのボード
なお『卑弥呼大和』は内容から星野之宣『ヤマタイカ』と類似する点があり、元々はその映像化企画だったのでは? と思わされる。
『ヒミコヤマト』前の富野監督新作2本について
『Gのレコンギスタ』TV版直後のまとめ
なら国際映画祭
なら国際映画祭 富野監督トーク
— シャア専用ブログ (@Char_Tweet) 2017年9月2日
もし今後死ぬまでに新作をやらせてもらえるなら、もっと恋愛映画っていう構造を持たないと、メカものでも戦闘ものでも映画としては成立しないんだなということを今日学習させてもらってる実感がある。後進には知ってもらいたいがどうしても恋愛が添え物になってしまう
御大・富野由悠季が“脱ガンダム”にこだわる理由「作り手は安心したら最後」
――現在『G-レコ』劇場版を鋭意制作中というお話をしていただきましたが、そんな中、監督には次回作の構想なども既にあるのでしょうか?
富野由悠季 『G-レコ』はもうコンテが1年前に終わりましたから、あとは基本的に現場をフォローするだけです。まだ構想段階ですが、実をいうとこの1年は新作の脚本を書いていて、今は二回目の書き直しに入っています。
――それはアニメですか?
富野由悠季 もちろんです。この歳になって今さら実写なんてできねえよ! という言い方もありますけど、もう一つ重要なことは、もう僕は手描きのアニメでいいと思っているわけです。だから、オールCGに切り替えるなんてことはしません。というのは、手描きのアニメの媒体というのは、無くならないような気がしてきているからです。
――手書きアニメの新作は、一体どんな内容になるのでしょうか。
富野由悠季 この前、WOWOWで放送されたメトロポリタン・オペラを観て気づいたんです。「あ、巨大ロボットアニメという枠って、オペラなんだよね」と。どうしてオペラという言い方をしてるかというと、オペラは大舞台で、音楽も役者も使っています。そして、巨大ロボットものという大枠のなかで、ロボットが出てくると“戦闘シーン”があります。最近、映画『逆襲のシャア』(松竹系・1988年公開)を振り返る機会があったんですが、あの作品は戦闘シーンが多すぎるんです。だけど、戦闘シーンはなくちゃいけない。じゃあ、ロボットものの戦闘シーンはなんなんだろうと考えた時、いわゆるオペラでいう“歌うセリフ”のブロックなのだ、ということに気づきました。
――なるほど、分かりやすいです。
富野由悠季 だから、オペラ歌手と同じように、堂々と戦闘シーンをやっていいんだ、と。問題はその中のお話です。つまり、オペラってでかい話をやっているか? と考えると、結局、オペラは男と女が寝るか寝ないかだけで、ほかのことは何もやっていないでしょ(笑)? そこでニュータイプだとか、社会の革新だとかを言ってたら、そりゃ誰も観に来ないと気づいたんですよ。
――今のお話を伺って、新作のシナリオはとてもシンプルなものなのかな? とイメージしました。
富野由悠季 ところが、シンプルにはならない。だって、歌を歌うシーンが多いんだよ(笑)。その寝たか寝ないかの話はどこでやる? まさにそのロボットものの枠の中でやるしかないんですが、そんなロボットものがあるんですか? あるわけない。だって今まで誰もやっていないんだから。今まさにその寝たか寝ないかっていう、つまり体感的なフィーリングを物語の中に入れている最中で、これはこれでとんでもなく難しい。
富野由悠季監督:次回作を語る 「極めて独善的」 「風と共に去りぬ」に負けない自信も
「Gのレコンギスタ」は全5部作で、第1部の上映が始まったばかり。制作中だが、富野総監督は次回作を考えているという。「現実問題として制作できるのか? という問題がある。制作の了解がとれなければ、希望でしかない。だから、今の段階で構想があるとは言えません」とも話す。
もちろん、作品は監督一人で作るものではない。一方で、富野総監督は経験から「合意で進んだものがあんまりうまくいくと思っていない」とも考えている。
「あのバカ、やっているよね……と一人が強行突破しなければ作品は大成しない。映画史を見てもそう思う。名作とされている『風と共に去りぬ』は、それほど名作じゃないけど、あの時代にあれができたのは、プロデューサーの強権発動があって、総意があったわけではない。作品はそういうもの」
実は「映画一本分のシナリオを書いちゃったんです」とも明かす。
「3時間を超える映画で、1時間40、50分にまとめられるかな? 極めて独善的なんです。きっと分かりにくいんでしょう。僕はいけると思っている。今、頭の中にある企画は『風と共に去りぬ』に負けない自信があります」
NHK ニュースウォッチ9 12/18放送分
ニュースウォッチ9 12/18放送分
— シャア専用ブログ (@Char_Tweet) 2019年12月18日
以前から言及していた次回作が動かないため、それとは別の次回作について考え始めている富野監督。@Char_Tweet pic.twitter.com/G7ZP4iASmT
公研 2020年8月号 ガンダム監督の「敗北者宣言」【富野由悠季】
富野 ロボットものというのは、一つのジャンルでしかなかった。それにもっと別のありようがあるんじゃないか。そのありようを表現するのに、ロボットものが最適なのかと言った時に、そうではないよねと思います。ロボットものは、好きなやつに好きなように作ってみせればいいだけのことであるし、今もう僕にはその興味がないから、単にロボットものをやることは一切考えないという言い方をします。今シナリオを2本持っています。2本ともロボットらしいものが出てきます。それはどうしてかと言うと、富野という映像作家の持ち駒が少ないために、要するにガンダム系のものしか作れない人間になってしまったということで、僕の「敗北者宣言」なんですよ。それでも、ロボットものという枠にハマらない作品もあるんじゃないのということで、できたら人型ロボットが出てこないものを作るために新しいホンを書いています。新作を作りたいと思っても、恋愛ものも作れないし、悲劇も作れない。書く気がしないのではなく、書けないんです。物を作ること、創作とはそういうものなんだ。絶対に自分の色合いを広げられないんだ──ということがわかってしまった。