NT 10年12月号 冲方×富野 最終回(第6回) マジックを生む力

経済活動と言ってるけどこれは戦争と同じなんです

富野 夢を追うということは、自分の中に目的設定をするということだと思うんですね。目的といっても、そんなに明確でなくていい。ぼんやりとでも自分はこんなことがしたいんだというのが中高生くらいの間に設定できると、それが職業に直結しないとしても、ものを考えるベースにはなりうるんですよ。
冲方 そうですね。短期的な目的と長期的な目的の両方をきちんと設定するというのは、生きていくうえの基本だと僕は思っているんですけど、そこから教えていかなきゃいけない人が増えているのかもしれない。そのことに愕然としてしまいます。だって、そんなことは日常生活を送っているうちに自然と学ぶことじゃないですか。
富野 今の日本のように社会や文化が爛熟期に入り、その環境に安住してしまうと、明確な欲望というのがもてなくなってしまうんでしょうね。自分が飢えたり、国がどん底の状態にあれば、そこから抜け出そういやが応でも目的意識はもたざるを得なくなる。今の日本って、確かに景気はどんどん悪くなっているし、失業率も高いけど、飢え死にする人が出るほどではない。真剣にものを考えなくても食いっぱぐれないのなら、目的意識も育たないんですよ。
冲方 まず食い扶持を稼ぐとか学費を稼ぐとか――。
富野 というストレートなところから入らないと人間は目的意識をもてないのでしょうね。極論すれば、餓死者が1000万単位で出るところまでいかないと日本はダメなのではないだろうか。
冲方 でも、そうなると今度は恐ろしい目的意識が生まれそうです。こうなったらあっちの大陸に攻め込むしかないっていう。
富野 そういう考え方も生まれるでしょうが、現実にはそうはならない。なぜかというと、どの国も人口過剰になっている状況では、侵略戦争は成り立たないんですよ。侵略先にも食わせなきゃいけない人があふれているんだから。考え方を変えると、外国人労働者を受け入れている時点で、実は侵略されているんですよ。一方で日本の企業も安い労働力を求めて中国や東南アジアに生産拠点を移すというやり方で侵略している。その結果、日本の技術を学ばれて向こうの企業に追い抜かれているわけだけど……。
冲方 侵略したと思ったら、されていたわけですね(笑)。攻め込まれたほうが目的意識はもちやすいもんね。やり返してやろうって。
富野 そういうことです。さっき1000万人の餓死者と突拍子もないことを言ったけど、それを失業者と言い換えると現実味は増すよね。今の状態が進行して、中国や韓国の企業に全部やられてメイドインジャパンがなくなってしまった瞬間に、日本は全面降伏です。経済活動という穏当な言い方をしてるから、さほど深刻には感じないけど。ということは、あと4、5年くらい徹底的に敗北を味わえば、自動的に目的意識は設定されるようになるかもしれない。
冲方 そこからの、復興ですね。

今は世界レベルの明治維新 おもしろい時代なんです

富野 不景気になったら戦争して、消費を増やして、生産を活発化させて、産業を立ち直らせる――ベトナム戦争までの戦争にはこういう経済構造がありました。でも今は、全世界が戦争状態になっているくらいのエネルギー消費を行っていて、改めて局地的な戦争なんかしても意味がないんですよ。これはデータでもはっきりと示されています。この10年のエネルギー消費量は、第二次世界大戦時の40、50倍です。つまり、もう人類は消費活動をしてはいけませんというレベルにまで来ているのかもしれない。そんな緊急事態にもかかわらず、政治家も経済人もまったくそういう認識をもっていない。これは異常なことだと思わない?
冲方 そういう考えに至るのは、まさに応用を積み重ねた結果ですよね。短期目的と長期目的を設定すれば、社会全体が何を目的に動いているのかを見ようという意識も働きます。それが欠如しているんですね。
富野 もちろん、戦争ということばのもつ危機的なにおいが消費ということばにはないということも理由のひとつでしょう。でも地球の有限性を考えると、今の状態は明らかにヤバいわけです。じゃあ今後どうすればいいかというと、もう新しいものの考え方や価値観を獲得しなきゃいけないのは自明の理なんだけど、実際に政治をやってる人たちのことばに、そんなものはひとかけらも入っていない。経済活動をやめることはできないけど、右肩上がりをめざすのは間違ってる。それを基本認識としたうえでの国家経営をなぜ考えられないのか。若者としても気が滅入るでしょ?
冲方 いやぁ(苦笑)……でも、監督のお話を聞いていて、だからこそ今、この時代はおもしろいんじゃないかなとも思いました。言ってみれば未曾有の時代じゃないですか。本当の戦争なら、相手から消費活動が返ってくるなんてことはないですよね。破壊しちゃうわけですから。でも経済活動なら与えたらその倍返ってくることもある。そういう究極のエネルギーの行ったり来たりの果てに何があるかというのを、まだ人間は経験してないと思うんです。誰にとっても未経験なことを、これから全世界の人間は例外なく新たに経験していかなきゃいけない。それが今という時代で、そのおもしろさを見落としちゃうのはもったいないことですよね。
富野 環境活動家の枝廣淳子さんが同じことをおっしゃってます。これからの環境問題は旧来の考え方では突破できない。つまり人類がニュータイプにならなきゃいけないわけで、こんなスリリングでおもしろいことはないって。そして、それこそがまさにこれからの人類のテーマなんですよ。それがこんなにくっきりと現れているんだから、若者たちの目的意識の発動につながってもおかしくはないですよね。
冲方 明治維新でものすごい国家エネルギーが充満した時代に、文学も根こそぎ変わり、日本語自体が激変しましたよね。今は世界レベルでの明治維新みたいなものなので、逆にチャンスなんですよね。もしかしたら、あなたが今後100年の日本語をつくるのかもしれない。そういう時代に目的意識をもたないというのはもったいなさすぎます。世界を見て、日本を見て、自分の立場を見て、日本を生き抜く。エンターテインメントだって、そういう中でつくられていくんです。それを無視して、世の中と自分は関係ない、と好きなことばっかりやっていては何も生まれない。安定した生活も夢を追うことも、毎日の地道な努力とそれが何になるのかという意識の積み重ねでしか得ることはできないんですよ。

アニメやコミックにはマジックを生む力がある

富野 編集部から提示された最後のテーマが、アニメで100年残る作品をつくるにはどうすればいいのかというものですが、冲方さんはどう思われます?
冲方 リアリズムをもって作品をつくりつづけることで切り開かれていく、としか僕はいいようがないですね。そういう意味では、自分自身も含めて、リアリズムがまだまだ足りない、という気はします。
富野 アニメというのは絵空事ではあるけど、全部が嘘八百かというとそうではない。そこに根ざしているものに、観客とも時代性とも共有するものがあるからヒット作になりうるわけで、かなりリアリズムに支えられている部分があるんですね。これだけ市民権を得るような媒体となった今、アニメはかつて文学がやっていたことまで手を広げてもいいんだと考えていいわけです。だとしたら、アニメで歴史や政治や経済や哲学を扱うということも本気で考えるべきで、逆にアニメ的な視点を加えることで、リアリズムだけでは浮き彫りにできない問題点が分かるかもしれない。これは非常に重要です。なぜかというと、リアリズムだけで考えても表に出ない本質的な問題というのがたくさんあると思うからです。
冲方 それは、アニメの記号性という利点ですよね。
富野 そうです。だから僕は、アニメという媒体がもっている性能は、かなり高いという確信をはっきりともっています。そんな未来のあるアニメだからこそ、アニメが好きという理由だけで入ってもらいたくないんですね。違うジャンルのものをたくさん勉強したうえで、それをアニメなりコミックを使って表現するということをやってもらいたい。アニメやコミックというのは、今後そういう間口の大きなものになっていって、皆さんが一生をかけてやっていくに値する仕事になるかもしれない。それを信じてほしいんです。
さきほど経済活動=戦争なんだから、こういう戦争を未来永劫続けていけば地球はつぶされてしまうという話をしましたが、リアリズムだけではこれを納得させることはできないのです。ロジックで説明できないものにはマジックを使うしかない。アニメやコミックはそのマジックを生み出せると僕は信じているんですよ。
冲方 アニメの性能をとことんまで追及していくと、アニメを通してみんなが時代を理解するようになり、後世の人が、ある時代を理解するにはアニメを見るのがいちばん早いというようなことになりうる……。
富野 そうそう。
冲方 それがいちばん早いし正しいということになると、作品がものすごく大きな時間を生きることになる。まさに100年残る作品になるというわけですね。
富野 僕はそう思います。アニメだけを語っていては、それは媒体論にしかならないのだから、それでは未来は開けません。結局、自分が語るべきものをきちんともっているのかということが問われるわけで、アニメをつくるというのはあくまで手段でしかない。
冲方 つまり、語るべきものをもたないのに、手段に参加することを最終目的にしちゃいけないということですね。そして、何を語るかを見つけるためには、体を使い、あまねく広く学ぶ必要があるんだ、と。
富野 最後に、お上手にまとめてくれて、ありがとうございます。