FLYING HEART 9月1日・9月8日放送分 ゲスト 富野由悠季

FLYING HEART 9月1日放送分 ゲスト 富野由悠季

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石井竜也 よろしくお願いいたしします。
富野由悠季 こちらこそよろしくどうぞお願いいたします。
石井 富野監督は「ガンダムの生みの親」というよりも、日本のアニメ界を作ったという、そういう立役者のひとりだなって。
富野 うん、そういう意味では第一世代の人間です。どういう風に食べていこうかと考えて、アニメの仕事しかできないからやったわけね。アニメの仕事をやりながら何を覚えたかというと、「映画的にものを作ることはどういうことか」ということを覚えたわけね。そうすると、「スポンサーの言いなりに作る」とかってことをやってみせるわけね。まだ始めは自己主張がないんです。そういうことろから始まっていく仕事をしました。こんな話してて良いんですか?
石井 良いと思いますよ。やっぱり今これからアニメをやりたんだ、監督なりたいんだ、っていう人も聴いてると思いますし。自分を最初からドシドシ出していっても、世の中って上手くいかないんだな、って。
富野 絶対にいかない、絶対にいかない。だから本当、涙を流してこらえるっていうのは、スポンサーがいてくれるから、我々フリーランスの仕事師が仕事をできたんです。50年近く。そういう意味では本当にありがたいと思ってますんで、スポンサー様様だと思ってますが、が、利用させてもいただきました。
石井 あー、ただただ飼い犬のようにそれをやってもしょうがないですからね。ある程度自分の主張とかあるわけですからね
富野 あるときは嘘ついて『ガンダム』を作るようにしました。どういうことかと言うと、「全長22mのロボットは巨大じゃないだろ、マジンガーZ80mなんだぞ」「巨大なんですよ、それは分かってください。どういうことかと言うと、5階建てのビルと同じ高さは小さいですか?」っていうことでスポンサーを黙らせました。
石井 成程ね。「5階建てのビル」って出してくるところがまた商売人臭いですよね(笑)。
富野 だって商売やってるんだもん(笑)
石井 プロですからね。
富野 はい。そういう口の利き方をして、スポンサーを騙すわけ。
石井 言葉遣いも使い方次第で、プロかアマチュアになっちゃうよ、ということですね。
富野 そういうことです。だから僕の場合はいつも視聴率の取れない番組を作るようになっちゃったんで、ほとんどの僕が「総監督」というかストーリーを握ってると、途中打ち切りになる。ということで、打ち切りになると次の仕事が来ないわけじゃないですか。そうすると生活に困窮するという歴史がずっと続いていた。現在までも。
石井 確か富野監督は虫プロに在籍してたこともありますよね。
富野 勿論。
石井 あのときはおそらく相当火の車でやってたんですよね
富野 火の車ですよ。だけどそれは日本で初めて毎週「テレビまんが」を作んなくちゃいけないわけだから。こんなひどい作品でもオンエアしてくれてたという意味では、命拾いしたし。手塚治虫が原作で手塚治虫のプロダクションでやってるのに、いつの間にか手塚治虫はいなくなるわけですよ。我々で作らなくちゃいけない事態にも追い込まれたりもしてたって時代もあったので。
石井 手塚先生って3人くらいいたんじゃないかって思うんですよね。連載4本くらい持ってたじゃないですか。
富野 そう。
石井 しかも毎週『アトム』もやってるわ。
富野 全然違うものやってるわけ。気の持ち方にものすごく胆力があった。て言うか気力が途切れませんでしたね。
石井 医学の知識とかものすごい。
富野 そういう意味では大変な勉強家だったし、その上で一番びっくりしたのは「この人は本当にやきもち妬きなんだ」ってことを知った一番の局面は、永井豪って漫画家が出てきてて。『ハレンチ学園』みたいなのをやってるときとか、白土三平みたいな漫画家が出て。要するに時代劇をリアルな絵で描き始めたときに、嫉妬するんですよ。それであれと同じものを描くです。
石井 あるドキュメントを見たときに、手塚先生が「何か俺は下手なんだよね絵が」って悩みこんでいた画を見たときに僕はショックだったんですよ。こんな巨匠が「俺の絵は下手だ」って悩み込んでいる。どういうことなんだろうって思って。
富野 そのことは僕も入社して三か月後くらいのミーティングで、ご本人から聞きました。打ち合せしている途中で突然ね、「俺絵描けないんだよね」って。は?
石井 (笑)
富野 本当なんですよ。確かにね、漫画絵しか描いてなくてリアルな絵を描くと下手なんだよねこの人、というのはあった。だからリアルっぽい絵を描くと、何とか白土三平を負かしたいと思ってるわけ。
石井 『アラバスター』とかね。
富野 そう。本当にむきになってやってやるという意味の、なんて言うのかな、敵愾心を持つことが、あの人にとっての創作の原動力みたいになってたな、ってのは身近に見てちょっと驚きました。

石井竜也『RIVER』(『機動戦士ガンダムSEED』ED2)

富野 実を言うと僕はあまり考えることをしないでアニメの仕事をやってきちゃったんですよね。というのが一番根本的なとこにある。どういうことかと言うと、スポンサーの言いなりに作るとか、作らせてもらったら無条件でその仕事をやらくっちゃ暮らしていけないからやってたにしか過ぎない、という言い方があるんです。だからアニメの作品のことを自分が関係したもののことをあんまり覚えていない。なんの仕事でもできるようにしようと思う、そうすると、前にやった仕事を全部忘れる。そうしないと『オバQ』のコンテは描けない。ロボットものをやった直後に『オバQ』のコンテを絵が描かなくちゃいけなくなったとき、とても辛いわけです。だから前のものは全部忘れる。『オバQ』みたいな作品はそうなんだけれども、作品を作る肝みたいなものがあるわけです。そういうものをきちんと自分が演出することができるのかな、ってことをやると、「『オバQ』ってなんなのだろうか」から始まる。漫画をこちらに置いておいて、こんな風に藤子不二雄がやっているのだからそれを真似れば良いだけのことなんだけども、真似で済んでられないんですよ。「紙芝居みたいなテレビまんが」だと言われてる時代でも、やはり時間を追って変化するという意味で映画的なんです。映画的なリズム、見せ方というのを考えていかなくちゃいけないときに、オバQのアップを描くのと、巨大ロボットもののロボットのアップを描くのはものすごく抵抗感が違うわけ。抵抗感の違いをどういう風に理解して、オバQのアップが使えるのかというときに、コンテ用紙に描いたときにこんなの画じゃないとも思うわけね。だけど子供たちが見るものなんだからこれで良いらしい。そうすると、オバQのアップをどういう風に動かすのかというのと、巨大ロボットものアップをどういう風に動かすのかっていう意味性が発生するんです。
石井 子供の頃にものすごく秘密が知りたかったことがあるんです。『オバQ』観てて、めくったらどういう風に足がなってるんだろうと思って。それで眠れなくなっちゃったりとか。『あしたのジョー』の髪の毛がどっちを向いてるのかとか。
富野 (笑)
石井 アトムの髪型、どこにくっついてるんだろうとか。シャンプーで親父にやってもらうと、親父は真ん中に付けるんですよ(笑)
富野 (笑)。あれね、まさに髪の毛の位置とかっていうの、本当に不思議に思うんだけれど、実を言うと、オバQの演出もやったからなんだけど、あそこを捲ろうって思わないんです。絶対に。
石井 子供は思いますよ(笑)。
富野 いや、石井さんはそういう風に考えたわけね。僕そういうこと一度も考えてませんでしたよ。瞬間でも考えなかった。
石井 間違ってる?
富野 間違ってるんじゃないんです。アニメの仕事やる人、そんな風にものを考えるとか、感じることは一切しません。絵にあるものをそのまんま受け入れるんです。まんが絵の記号というのがあって、それを迂闊に変えてしまうとアトムに見えなくなる。それだけのことです。
石井 ああ、マークなわけだ。
富野 そうです。一番分かり易いことで言うと、アニメに出てくる登場人物というのはファッションが絶対に変えられないんです。
石井 毎日ね。同じ格好して。
富野 昨日着てたものを続けて着てる、もう一週間着ている、みたいな話に気が付いちゃったら最後、アニメの仕事ってできなくなります。
石井 トリトンが海からバーッって揚がってきて、急に風になびいている。マントとか(笑)
富野 うるせーよ。
石井 なびかねーだろ。
富野 うるせーよ。
石井 すいません(笑)。
富野 うるせーよ。『海のトリトン』やったの私ですからね。
石井 『海のトリトン』は音楽素晴らしいですね。歌えますね。
富野 だけど、仕事師としてメインテーマの曲とBGM、テープ初めて聴かされたとき愕然としましたよ。どうしてかと言うと、あんなタイプの曲って今までアニメで使ってなかったんです。
石井 そうですね。
富野 『海のトリトン』にこの曲合わないんじゃないのかな、って正直はじめ絶望感があったの。
石井 『海のトリトン』はお話も素晴らしかったんですけど、男の子も女の子も観れちゃうっていう、はじめてのユニセックスな漫画だなって今思うんですけどね。
富野 それに関して言うと、『海のトリトン』で僕が初めて経験したことがある。トリトンとピピの関係っていうのは、当然実を言うとセックスのことを考えたわけ。人魚のセックスとトリトンの関係ってのは本当にあるんだろうか、ということが実を言うと、あの演出で生まれて初めて思春期のセックスのことを考えざるを得なかった。それを無視するわけにもいかなくって。それで敵味方の、つまり怪獣をやっつけていくだけの話にしたんだけども、いやこれだけで終わられたらマズいんだよね、っていうことで最後にどんでん返しをやっちゃったということで、原作にないことをやっちゃった。それはどういうことかと言うと、ある民族が根絶やしになった、根絶やしにされたのはトリトン族がいけなかったんだ、ということで、トリトンが今まで追いかけられていたモンスターたちというのは実を言うと恨みを晴らしに来て最後の生き残りのトリトンを殺しに来た、という事実をトリトンが見ちゃった、という。僕自身『トリトン』の仕事で手塚原作にないそういう要素を入れていくことをやったおかげで、その後高畑監督の仕事を手伝わなくちゃいけなくなったときに、『アルプスの少女』が始まるんだけども、ものすごく抵抗感がなく高畑監督のお仕事を手伝わせてもらえるということになってきた、というのがあります。
石井 富野監督の音楽のチョイスが素晴らしいですね。
富野 僕は選んでないんです、一切。音楽ディレクターが別にいるんです。
石井 音楽ディレクターがいるにしても、それをOKと言うのは監督の仕事でしょ?
富野 勿論そうです。初めて『ガンダム』のときに渡辺岳夫先生の素敵なBGMを聴かされたときに、正直げんなりもした。げんなりもしながらも、すごさも分かった。
石井 僕はガンダムの形ってのは、ガンダム世代はみんな車のデザインに入ったりしてると思うんですね。車の形がどんどんガンダムの形になっていくんですよ、日本車が。それが売れたことによってヨーロッパ車が、あれだけにゅるんとした形が好きなヨーロッパ車ガンダムの形してるんです。
富野 そういう目線があるんだ。へぇ~。とても面白い視点なので参考になりました、っていう褒め方しかしてないんだけども、成程ね。言われてみればそうですね。『ガンダム』のときのデザインで僕が一番好きなのは、「一つ目でやってもらわなくちゃ困るんだよね」ってオーダーを出したのは僕なんですよ。それで作られたのがザクなんです。だから僕はザクの方が好きなの。なのにガンプラでザクよりもガンダムの方が売れてるってのは気に入らないわけね。
石井 しょうがないですよね。主人公ですから。
富野 しょうがない。だけどデザイン論的に言えばザクの方が良いんだけどもな、何故なんだろうな、っていうのはもう45年間の疑問です。
石井 ザクは東洋人ですよね。
富野 (笑)
石井 ガンダムは白人ですよね、確実に。
富野 へぇ~。そうだね。そう聞くの初めてだから。
石井 肩幅があって手足が長くって。
富野 白いもんね。
石井 そう考えたらハッキリしてるなって。おそらく日本人が思うところのカッコいいって美学が外国人の、僕らが言う白人、北欧の綺麗な9頭身みたいな人たちを思うようになっちゃってから出来たアニメが『ガンダム』なんですよ。その『ガンダム』に影響された人たちが色んな業界に入られていて。
富野 そうそう。
石井 それで『ガンダム』に影響されてからその美学になっちゃってるから。だからどんどんそういう形になってったんだろうなと。
富野 だからワールドワイドに広がってったんだ、成程ね。へぇ~勉強になりました。
石井 富野監督が目指していたところとは?
富野 基本的にポリシーがあって。子供に対して嘘をつかない。絶対に嘘をついちゃいけない、っていうのはどういうことかと言うと、その場限りの理屈で物語を展開する、ってことだけは絶対にしちゃいけない。ということをやりました。それだけのことです。そうしていったときに、なんとなく「トミノカラー」的なものっていうのは巨大ロボットものでもあるよね、みたいな評価を受けるようになったりして、40何年経つとガンダム第一世代が50代に入ってるわけです。そうするとあらゆるジャンルにファンがいるんですよ。
石井 と言うか文化ですよね。
富野 そういう事態を見たときに、やっぱり嘘をつかないで良かったな、っていう回答を全部視聴者からいただける。という経験が特にこの20年くらい。この場合の20年とはどういうことかと言うと、僕はもう80過ぎてますから、60代70代になってからそういうことを教えられえるんです。本当に命拾いをしたな、っていう風に思ってるので、テレビまんがの仕事をやってきたということを恥じないで済む、という意味ではとてもありがたいなと思ってます。
石井 僕そのお言葉を聞けただけでちょっとウルッときましたよね。今週はありがとうございました。来週もですね。
富野 お呼びいただければ翔んで行きます!

石井氏の番組に富野監督が出演するのは2006年12月10日の『MUSIC ALIVE』以来か。
その際石井氏は「富田監督」「ゼットガンダム」の迷言を残している。

FLYING HEART 9月8日放送分 ゲスト 富野由悠季

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石井竜也 少年時代はどんな? ちょうど戦後すぐって感じ?
富野由悠季 戦後すぐじゃないですね。すぐではないけれど、とにかく僕は漫画を本気で読み始めたのが『鉄腕アトム』なんですよ。僕が小学校5年のときに『少年』っていう雑誌に連載が始まったのが『鉄腕アトム』なんです。それでその『鉄腕アトム』の1回目を読んで「ゲッ」と思っちゃって。「こんな近代的な漫画が出てきた」。初めてなんです、ファンになった。漫画家にもファンになったし、作品にもファンになったの手塚治虫が初めてなんです。だから『鉄腕アトム』があったおかげで、それから手塚治虫という漫画家が変なもので、世界名作ものみたいなもの漫画で単行本で描いてくる。貸本屋で借りられたんです。だもんで、ドストエフスキーの作品(『罪と罰』)というのは手塚漫画で教えられた。中学1年2年のとき。そして『鉄腕アトム』もあるんだけれど、ロシア文学の作品というのがこんな風なものがあるんだ、というのも教えられて。『罪と罰』なんて人殺しの話なわけです。そういうのを漫画に描いちゃう、という手塚治虫って何なんだろうか、という風にその瞬間に漫画家って文学者と同じレベルにポンと上がっちゃったのね。
石井 確かにそこは手塚先生のすごい大きな功績ですよね。
富野 そうそう。それでおっかけちゃった中学3年間というのがあって。中学3年まで『少年』って雑誌を僕は買えないので、弟二人いたので弟たちに買わせながら『鉄腕アトム』は高校3年間ずーっとフォローしてた。その上で大学に行って4年経ったら虫プロでしょ(笑)? っていうようなことで「あれ? 俺ってこんなに一本線で幅が狭くって良いんだろうかな」っていうことをちょっとだけ、ブレたんだけれども、ひとつだけ『鉄腕アトム』の仕事をやって「やはりこれで良かったかもしれない」ってのは、日本で初めての仕事だった、っていうことがあったので、地獄の忙しさだったんだけれども、あの『鉄腕アトム』僕の場合は3年間です、『鉄腕アトム』を作るということをやって。その後で端で『ジャングル大帝』が始まったときに、次は『リボンの騎士』をやるってときに、「『リボンの騎士』を手伝わせてもらえるかな」って思ったんだけれども、思ったんだけれどもで重要な話があるの。『リボンの騎士』もそれほど嫌いな作品じゃなかった。先週のお話のモノセックスの話。
石井 ものすごい早い取り扱いですよね。
富野 『リボンの騎士』でいわゆる「少女」というものと、「男と女がいるんだな」ということを教えられたのが『リボンの騎士』なんだよ。それの反映があるから、『海のトリトン』をやるときに「人魚のピピの問題とトリトンのセックスの関係って何なんだ」っていうのを考えたんだけども分かんなかった、っていうので終わっちゃった。だけど、まさに僕にとっては手塚作品があったおかげでこういう風な、つまり手塚以後のアニメ作家ということでトミノみたいな変な奴が出てきた、ということは手塚先生がいたおかげでこういう風になったんだな。今こうやって初めて、こういうストラクチャーで話したの初めてなのね。自分でもびっくりするもん。
石井 僕は逆に富野監督の人間の大きさを感じますよ。
富野 ありがとうございます。だけど、それは僕の問題じゃなくて手塚っていう漫画家が本当に僕にとっては文芸作家でしかない、という意味でのやっぱり巨匠だった。それで実際に虫プロに入ったおかげで先生とも直に話ができるようにもなって。むしろ僕の名前を手塚先生が覚えてくれたのは虫プロを辞めてからなんです。『海のトリトン』をやって手塚原作を全否定した。ということをやった後で、手塚先生に好かれるようになった(笑)。って経緯があるんです。僕は『リボンの騎士』も2本ぐらいコンテだけをやったんだけれども、その後で虫プロ辞めちゃった人間なんですよ。辞めたのにもいろんな理由があるというよりも、『ジャングル大帝』があって『リボンの騎士』をやって、この後手塚原作で虫プロでやってく仕事っていうことが、っていう風にお仕事として見ていったときの虫プロダクションの体制とか、そこに集まったスタッフ、いわゆる想像力がない人の集団なんだ、ってことが判ってきたときに、本能的に「この空気に染まったらフリーでやってくときに食ってけない」っていうのは嗅ぎ分けることができた。事実、虫プロ辞めて3年目くらいのときに別のプロダクションに行って「仕事ください」ってもらいに行ったときに、一番始めに言われたのが「あっ、あんた虫プロ出ね」。つまり虫プロ出の演出家というのは使えない、使いものにならない、っていう。
石井 おお~。
富野 他のプロダクションから見たときの目線があるんですよ。
石井 何だろう、お金使いすぎる、みたいなのがあるのかな。
富野 違います。基本的に演出能力がない。それだけのことです。
石井 そうですか(笑)?
富野 そうです。そういう風に言われて「ヤバいな」と思って「内部で頑張りますのでこちらの仕事やらせてもらえませんか」って話して。ムキになってコンテ切りましたもん。それってどういうことかと言うと、映画的に演出するとはどういうことか、っていうことを悪口を言われたプロダクションに対してムキになってやって。そこの仕事がコンスタントに取れるようになってきたときに「虫プロ出をバカにするんじゃないよ、舐めるんじゃないよ」っていう意味をぶつけるプロダクションが3つくらいあったんです。その4つ目くらいに高畑(勲)監督がいるプロダクションの仕事をもらいに行って。「え? 『アルプスの少女ハイジ』をやれる自身ある?」って言われて。「やります」。無条件です。そのときにいきなり高畑監督が出てきて。「あの、このシナリオ。はい。コンテよろしくね」って。何にも言いませんからね。逆に言うと高畑監督の場合手塚とは全然違うタイプの方で。何にも説明しないんですよね。シナリオ読んで「何か問題あります?」「それなりに形になってるシナリオだと思います」「はい、けっこうです。あとはコンテ上げてきてください。一週間後にコンテください」。それだけなの。
石井 『ハイジ』から日本のアニメーションの形が変わってきたなと僕は思うんですよ。それは何故かって言うと、蝋燭の火を持ってる顔の影が変わったんですよ。『ハイジ』から。
富野 (息をのんで)そういう見方をするんだ。すごいね。
石井 それまでのアニメってのは蝋燭がただ光ってるだけで。顔の影も何もないんですよ。
富野 それともうひとつ。影が動かないの。
石井 『ハイジ』はちゃんと動いたんですよ、おじいちゃんの顔の。
富野 あれは宮崎(駿)監督の仕事です。
石井 すごいですよね。俺あそこから日本のアニメーションは一段上がったと思いましたね。
富野 そう。
石井 例えば新海(誠)監督とかも名作いっぱい出してるじゃないですか。
富野 うん。
石井 ああいうのを観てると、やっぱりすごく現実的なところから出発する話じゃないですか。
富野 はい。
石井 僕らの世代で言うとスポ根ものですよね。
富野 僕の場合スポ根の話で『巨人の星』かなりやってるんです。
石井 そうなんですってね。俺それ聞いてびっくりして。
富野 『巨人の星』のときの総監督ってのは長浜(忠夫)監督って人で。この人がまた変な人なの。どうして変な人なのかと言うと、なまじ人形劇をやっていて、アニメの演出を始めてシリーズの仕切りを任せられたの。そのために映画的に演出をするってことをものすごくムキになって全部説明してくるんです。『巨人の星』は野球の話じゃないですか。「グラウンドの広さの中でもホームベースとベンチの距離から何から含めての歩数まで気にしてるようなコンテを切ろ。梶原(一騎)原作をとにかくきちんとアニメにしなければいけない。だけど星飛雄馬なんだぞ」っていう仕事なので、やっぱりかなり擬人化的にアニメっぽい、漫画っぽい大魔球を投げなければいけない星飛雄馬みたいな、あんなピッチングなんか誰ができるの? ってことを要求するわけ。じゃあ漫画的にやれば良いのかというと、長浜って監督は実写を目指しているんですよ。それこそちゃぶ台返しみたいなことをやったときに「これ四畳半だろ。四畳半の広さを八畳にしてもらっちゃ困るんだよね」っていうようなことをぶつけられるわけ。『鉄腕アトム』の時代にね、八畳の部屋で芝居をするっていう観念なかったんですよ。
石井 未来の話ですからね。
富野 『巨人の星』初めてね、「三畳間と四畳半と八畳の広さ、意識してコンテ切ってくれ」。っていう縛り。だからしょっちゅう直しをくらってました。「富野君、このコンテおかしいから直して。ここでやってってね。一時間経ったら取りに来るからね」っていうような仕事のさせ方をしてもらって。
石井 でもあれがきっかけで『あしたのジョー』が出てきて。
富野 そう。
石井 いろんなスポ根ものが広がっていくわけですよね。
富野 そう。
石井 富野監督が手掛けたものってのは、必ずそこから花が開いていく感じがしますね。話聴いてると。
富野 それは違うの。僕はその当時フリーになって生活をなんとかしなくちゃいけない。いろんな作品をやってただけの話なの。作品を選ばず。だからそういうことをやってたんで、たまたま。まだあの当時は今ほどアニメの本数も多くなかったから。それはこうやって波及効果ありますわな。だからそういう意味ではなんだかんだ言うけど恵まれた環境の中でいろんな人とお付き合いさせてもらって。何より高畑・宮崎みたいなああいう監督、つまり現在まででアカデミーで特別賞もらっちゃうような人と仕事させてもらった。っていうオーラは感じましたもんね。
石井 自分の前に与えられたものをどういう風に料理していったら良いんだ、ってのをたぶん富野監督は常に考えてた人なんじゃないかなと思うんです。
富野 いや、考えたんじゃなくて、そういう人たちに教えられました。だから受け入れるということをどうするかとか、オーダーに対してどう応えるか、っていうことをかなりムキになってやらされた、っていう結果があったんで、やっぱり『ガンダム』みたいなものが作れたんだよね、っていう自覚がありますね。ひとりでは作れません。だからそういう意味では仕事というのは選んじゃいけない。「俺はアーティストだからこれをやります」じゃなくてね。やっぱり「オーダーに対して応えられる、っていうのがプロなんじゃないのかな」っていうのは僕の意見(笑)。
石井 僕もそう思います。僕もラテンでもなんでも歌っちゃいます(笑)。
富野 (笑)
石井 「何でも屋」って言われてますけどね(笑)。ここで曲行きたいんですけど。僕の好きな『海のトリトン』で。きっと『海のトリトン』って言うと「GO! GO! トリトン」を発想する人が多いと思うんですけど。
富野 そうです。
石井 今日はですね、『海のトリトン』のED曲を知ってる人ってもうそろそろいないんですよ。
富野 はい。
石井 僕はこの曲は素晴らしいと思って。
富野 (拍手)
石井 うちの妹が大好きな曲でもあったし。
富野 (笑)
石井 僕もすごくクラシックを感じるというか。
富野 はい。
石井 高い音楽を使ってるなというイメージがあったので。みなさんに聴いていただきたいと思います。
(須藤リカ、南こうせつかぐや姫海のトリトン」)
石井 オーケストラとガンダムを流して、観客が観る、そういう形式(シネマコンサート)がひとつのジャンルに。
富野 なりつつありますね。
石井 そういうの考えてると、アニメの世界っていうところを飛び出して、音楽の世界とかファッションとか、車の顔がガンダムになってるとか。そうやってアニメっていうたったひとつの媒体がいろんな媒体に影響を与えてる。これはすごいことだなと僕は思うし。それだけインパクトもあったんだなって気がします。
富野 発祥の地である日本、つまりJapanの持っている、何て言うのかな、意外とワールドワイドに対応できるだけのセンス? みたいなのを持っているという意味での日本人のマインド、っていうのはこれは我々自己卑下する必要ないんじゃないのかな。現に今、音楽の世界でも日本発信というのを持っている。つまり極東から出てるものがこういう風に世界中をぐるっと伝わってくってのは、何かとても素敵な感じがしているな、というのもあるし。だからなんです。ちょっと今嫌なのは、自分がこの歳になっちゃって、「え、俺様は何を発信したら良いのか分かんない」。時代のギャップが(笑)。
石井 もう発信したんですよ!
富野 したいの! これからもしたいの(笑)!
石井 これからもしていただきたいですけども。相当すごいものをしてるんですよもう! 既に!
富野 そうか。
石井 世界中の人は「Mr.Tomino」っていう世界で生きてるんですよ、みんな。
富野 あんまりそういうね、褒めてくれないよ周りは。
石井 それは言わないでしょう、面と向かって(笑)。
富野 (笑)
石井 俺だから言うんですけど。そりゃそうですよ、だって逃げられないもん。
富野 うん、だから僕は逃げるつもりはないんだけれども、誰もそういうの教えてくれないの。
石井 いやいや、監督が作った世界でみんな生きてきたんですよ!
富野 はい、成程ね。分かった分かった、分かった!
石井 是非そんなことは言わないでいただきたい。
富野 だけどこれからも発信したい!
石井 はい、是非もうガンガンやっていただきたいと思いますけども。
富野 だけどガンガンやるだけの体力がなくなってるっていう問題があるわけね。
石井 でも富野監督だったら「そこを横に行って右に行って(酔っぱらいっぽく)」って。
富野 いや、いや。
石井 それで良いんじゃないですか(笑)。
富野 ほんとすごいね。
石井 もっと暗くして、うんうん、ガンダム入れないから……。
富野 (笑)。あなたはトミノじゃないんだから(笑)。
石井 あ、すいません(笑)。そろそろお別れの時間なんですが、二週間に渡って貴重なお話ありがとうございました。
富野 とんでもございません。
石井 これからアニメを志す人間がいっぱいいると思うんですよ。今の若い奴らの夢のひとつだと思うし。そういうものの根っこを作ってくださった。とてつもなく偉業だと僕は思いますよ。
富野 ありがとうございます。
石井 やっぱり木が大きく成長できるのは、根っこが深く地中にあるからこそ、高い木が作れるんですよ。
富野 偉いねぇ。そういうの言えるってスゴいねぇ。
石井 いやいや。
富野 本当大人になったねぇ。
石井 ありがとうございまちゅ(笑)。
富野 (笑)
石井 というわけでございまして、二週間に渡ってゲストは富野由悠季監督でございました。ありがとうございました。
富野 本当にお呼びいただきましてありがとうございます。
石井 これに懲りずまたどこかで。
富野 全然懲りてない(笑)。