FSS ISSUE 対談 富野由悠季 錦上添花

永野 僕ね、僕が最初に監督と会ったころと同じ年代になりましたよ。
富野 あ、そう?
永野 でも僕が監督と対談するのって、じつは初めてなんですよ。
富野 そう、それを聞いて「ウソだ、一度や二度はしているはずだ」と思ったんだけど、どうもしていないみたいなのね。でもそれにかんしていえばみんな永野くんがいけないんだよ、対談をしてほしいというオーダーはサンライズ周辺でいっぱいあったはずなんだから。
―― 監督は、永野さんを「エルガイム」でキャラ&メカのデザイナーとして大抜擢したわけですが、注目していたのはいつごろから?
富野 彼が描いた小物の設定画を50枚程度見たことがあって、それで「彼を呼んでください」とお願いした、それが初めてだったと思います。ただ、いまでもわからないのが、何を見て彼にキャラクターまで頼んだのか、ということ。彼と会う前に彼が描いたキャラクターを見たことがなかったの。
永野 あ、そうですか。僕は当時、メカだけ描いても仕方ないんでキャラとか、いろいろと出していましたよ。
── 最初にメカデザインで決定して、その後にキャラクターも描くことになったという話を聞いていますが。
富野 永野くんがキャラクターを描けるというイメージはなくて、企画を進めているなかで、なし崩し的にキャラまでお願いしたんだろう、という記憶しかなかったが、それはやはり正しいのね。
── では別のデザイナーを考えていた?
富野 いや、それも考えていない。僕は基本的に情報不足の人間なんでしょうね、いつも周囲にスタッフがいないという状況から始めているから。あまり意識はしていませんでしたがサンライズ・テリトリーがあったんだろうし、自分のフットワークが悪くてどこかで「自分は仕事師である。その自分の周囲にアーチストやクリエーターは集まってくれないだろう」という妙な思い込みもありました。ですから実際に作業を進めていくうちに「これなら永野に頼もう」という、よくいえば現場主義、手の届く範囲でお茶を濁していたということです。高名な誰某を連れてきて、こういう仕事をしましょうというのは一度もやらせてもらえなかった(笑)。
永野 それはしょーがないですよ、サンライズ自体に人材が少なかったし、「ガンダム」という作品を見て「こういうものをつくれる人がいるんだ」と監督に寄ってきたのは僕が最初の世代なんですから。
富野 永野君が初めての世代という意識はあります。だけれど“さばき屋”だというのが嫌ではなくて「それでいいんだ、でなければこんな日銭仕事はやっていられない」という意識もあった。いまの現場の人にもつながるけど、自分をアーチストだとかクリエーターだと思っている人ほど、ものをろくにつくれない人たちがそろっている。アーチスト、クリエーターというのは自分がそうだと意識していない人のほうが多いということです。天才に近いところにシフトしている人以外はクリエーター、アーチストっていないんじゃないか、と最近わかってきた。永野 「俺はアーチストだ、クリエーターだ」って言っている人に、「じゃ、芸術家なの?」と聞いたら大半の奴がことばにつまってしまう。つまり芸術家っていうのは周囲がそう言ってくれるものなんです。
富野 まったくそのとおり。ことばを大切にしたいから“クリエーター”“アーチスト”てことばは使ってほしくないです。自分自身が経験しているから言えるんですが「自分にも何かがつくれるのではないか」と思いたいとき、そういう自分にしがみついていないと自滅していく気分があって、そうしたときには「自分はクリエーターなんじゃないか」と思ってしまうことはありますね。
永野 (富野)カントクは監督で、それ以外のなにものでもないんですよ。
富野 ……あのさ、これって僕の話をする場所ではないでしょ(笑)?
永野 いいの、監督をサカナに話そうという企画なんだから(笑)。でね、富野さんの監督には「カントク」という愛称、そして監督、ディレクターという職業、それが全部入っているんですよ。でもそれって類まれなことですよ? だって宮崎駿監督も押井守監督も、“職業としての監督”だけど富野さんは単純に“監督”(笑)。アニメ業界の中で「俺が監督だ」と言いはじめたのは富野さんが初めてで、それまでは誰もいなかったんだから。
富野 意識的に言ったというのはあります。それは「職業として確立させる」ということではなくて、アニメ業界の中で自分の居場所を見つけていこう、ということでした。自分は作家にも絵描きにもなれない、それで“監督”しかないというのはあったね。
永野 富野さんが「ガンダム」で出てくるまでのアニメ雑誌って、作品イコール作画監督、あるいはメカやキャラのデザイナーっていいう雰囲気がすごく強かったんだよね。「このキャラは誰某が描いたからすごい」とか。それがね、「ガンダム」は安彦良和さん、大河原邦男さんという強烈なキャラクターがいたにもかかわらず、放映が始まってしばらくすると「これは富野の作品だぞ。話を聞くなら富野だ」って雑誌側もシフトしていった。
富野 うん、自分のことでいうと、だから悔しい。そのあとに自分がそういう部分に乗れなかったというのがあって……。
永野 まぁた、何言ってんだろうなぁ。それは結果論で、あの当時は半年で「『ガンダム』は100パーセント富野の作品だ」ってみんな認識したんだから。
富野 でもね、「ガンダム」のとき、迂闊に「何年後の世界が舞台」とやったら物語の世界が全部崩れるかもしれないと感じたから、「宇宙世紀」という年代をもち出して“らしく見せる”ということをやった。その程度のことは考えたしテクニックもあるのだけれども、仕事の仕方の問題で「弱虫で神経質なヨシユキちゃん」の部分が40歳になっても50歳になっても払拭できなくて、そのあとに自滅したのかな、という思いはあります。永野くんに「エルガイム」の世界をあげたあとも、実は何年かして「あの世界を取り戻したい」とも思いましたもん。
永野 がーーーん(笑)!!
富野 つまり「Ζ」までをバタバタとつくっていって、そのあとスポンと時間が空いたときに「自分はもう何もつくれない」という心境になってしまった。サンライズと僕の関係も良好とはいえませんでしたから、その程度には狂うよな、というのはあります。それは狂気というほどではなく、正常値に中のいちばんマイナスのところにダーッと走っていった。それが「Vガンダム」の直前のころですね。
── 「エルガイム」で永野さんを起用した理由というのは?
富野 アニメ全体、それ以外の部分も総合してビジュアルの仕事は変わっていくだろうし、変わらなくちゃならない。変わるためには永野くんのような才能を拾い上げなくては、という意識があった。それが15年たって、サンライズの外にはいくつか出ているようなんだけれどもサンライズ内に明快に後続が出てこなかったというのは問題ですね。
永野 ロボットアニメの寿命が尽きてんだから仕方ないですね。
富野 いや、ロボットじゃなくて“ものをつくるという回路”そのものまで変えなくては、と思ったんだけれども、それはできなかった。いまもビジュアルの世界でCGが増えてきたけど、その回路そのものは変わっていなくて本当にゲッソリしているところがあるの。ヘタなアニメのサンプルをCG化しているだけで20年前のビジュアリストの感覚なんだよね。僕はCGってよい道具だなと思いはじめているんだけど、手抜きのアニメレベルのCGをやって気持ちいいという感覚がわからない。それでいうと、この2〜3年で自分が意識するようになったのは「僕は動く絵がすごく好きなんだ」ということ(笑)。いままでそれほど好きだと思っていなかったんだけどね。だから「こんなにCG使ったぞ、金がかかってるぞ、すごいだろ、見ろ」と言われても僕は見ない。
永野 もうCGの時代は終わってるんだよね。CGを使ってどうするか、でしょ。道具を手に入れて、それをたとえばアニメ業界はどう使っていくのか。いまは彩色や撮影をコンピュータに置き換えているだけであって、どうやってCGを取り込むかは考えていないところが多いからね。
富野 僕はそれも含めて、ビジュアルをもう一度つくっていくという仕事は絶対にあるって思いはじめてます。4〜5年前は打ちのめされてて「もうやることはない」と思っていたけど、この2〜3年は違うのね。これから始まるぞっていうのがあって、ひどく困ってる。なぜ困るかというと、具体的なハウツーが見えてこないからなんだけど。
── 話は変わりますが、永野さんのデビュー当時のアニメ界には永野さんのようなスターがいた。でもここ数年、アニメ界にそういうスターは出ていないですよね。
富野 ニュータイプアニメージュのようなアニメ誌はパラパラとしか読まないからよく知りませんが、でも何人かはいるはずですよ。
永野 いたとしても、それってゲームから来たり、アニメとはぜんぜん違うところから出てきているわけでしょ? たとえば「∀ガンダム」の安田朗くんだってゲームなんだし。安田くんは“スト?”であれだけの絵を描いて、いまの若いゲーム好きの子にものすごい影響を与えているのに、名前は表に出てこない。それはゲームのある意味の弱さですね。で、どうして出てこないかっていうと、アニメーションはハリウッド・スタイルで作品をつくる、つまりプロダクションとして人を集めて1本つくって終わったら解散、という形に対してゲームは会社だからお互い足の引っ張り合い、企画のつぶし合いなんですよ。
富野 初めに資本ありきだとそうなってしまうんだよね。ということはゲーム会社は官僚になっていくし、いまがそうだものね。
―─ 「Ζガンダム」以降、永野さんはサンライズ作品からしだいに離れていく、という形になりましたね。
永野 「エルガイム」のあとは、監督には「これでやってください」という要求で僕がすごいデザインを出していたの。それは「僕のモビルスーツはこうだ」とか「こういうものをやりたいんだ」というものでもなかったんだけどね……。
── でも、それは採用されなかった。
富野 そのころ、僕がいちばん心身症にかかっていた時期だったんです。「これはヤバイな」というのがわかってきたころで、考えはじめてしまって、単純な言い方をすると守りに入ってしまって前に行くことを止めてしまったんだろうね。それが僕だけならまだよかったが、サンライズ自身も同じ方向に走っていたために、全部がそう流れてしまった。僕はさばき屋だから受注される仕事がなければ話にならない、だから適当なところで手合わせをするようになってしまったというのがある。そのころに本当の意味でうぬぼれることができて「俺は作家だ、アーチストだ」と思えていたほうがよかったのかもしれません。自分は作家だという自信がもてないまま「Ζガンダム」をやるぞ、と決めたときに僕の敗北が始まった、と。そういうことです。
永野 それ反論していい? 監督が敗北だという「Ζガンダム」が、実はいま唯一のタネとして残っているわけでしょ? 「ファースト」ではなく、なぜか「Ζガンダム」が。
富野 でも、いまはその残り方が気になってて「こういう残り方はいけないんだ」という意識がある。自分の心身症も含めて業界全体へのカウンター的意味合いで「Ζガンダム」を出して「本当はお前らがこうなんだぞ」ということを言いたかったけど、その部分が15年たって、また同じ状況が回ってきて「Ζガンダム」が浮上しちゃってるのね。
永野 だったら監督は新しい「Ζガンダム」をつくっちゃえばいいんですよ。「Ζガンダム」はシャアの内ゲバみたいな話だったけど、いまの子たちはゲームの影響で「サイコガンダムのパラメータは強すぎ。こんなの反則だ」とか、そう思っているわけ。見方が当時のファンとは全然違うんですよ。そういう子供たちの話を聞いて「Ζガンダム」はこういう話だったのか、と確認してつくる(笑)。
富野 なるほどね、はいはい。
永野 たとえば「宮本武蔵」の物語はオリジナルの小説を読んでいる人はいなくて、マンガ家がかみ砕いた焼き直しの「バガボンド」(原作=吉川英治/画=井上雄彦)を読んでいるわけ。監督も自分の「Ζガンダム」を忘れて新しい「Ζガンダム」をつくっちゃえばいいんです。そしたら僕はタダで最新版ナイチンゲールを描きますよ(編注:永野メカの中で最もスゴイと言われるモビルスーツ。いまだ未発表)。
富野 うーん、いいのよ、新しい「Ζガンダム」も。いいんだけどね、僕は余命いくばくもないのよ(笑)?
永野 監督は10年前からそう言いながら「ブレンパワード」をつくったり、いろいろやっているんだから、まだまだつくれますよ。監督というのは作家と同じで、つくれる本数とか活躍できる年数は限られていることが多いけど、富野さんは長い間活躍してるでしょ。これってすごく希なことですよ。
富野 希だというのはわかるし、そこで自分の力を信じてもいいはずだし、もっと乱暴にいうと「富野は天才で特別なのよ」という気持ちもある。でも前例がないから、どこにすがればことしと来年を生き延びられるか、というのがわからない(笑)。
永野 まぁた、なんでそーなのかな(笑)。監督はそれだけのネームバリューがあるんだから、たとえばハイブリッドな映画をつくったりもできるでしょ。“ハイブリッド”てのは、このキャラは安彦さん、こっちのキャラは安田くんがつくるってゆーさ。監督は脚本とコンテを統括していれば映画はできるでしょ。
富野 それはそうね。
永野 監督はサンライズの中に弟子や子供はつくらなかったけど、監督が思ってもいないところで子供が大勢生まれているんです。僕は鬼子だけどいちばんの子供で「ブレンパワード」のときもけんかしたけど、あれは親子げんかなんだから、そういうレベルでけんかできる子供がいることを誇りに思いなさいよ。僕は富野さんをボロクソに言うけど、でも富野さんをバカにするヤツがいたら、僕はマジギレしますよ。そういう子供たちを集めて次の作品をつくったらどうですか、と僕は言いたい。
富野 自分の中でわかっていることがあって、友達とか僕を応援してくれている人、目の前にいる永野くんのような人を忘れてしまうのね。いつもその向こうを探している。いま、いっしょに仕事をやっているスタジオの連中が言ってくれているのは「富野の周りにものをつくれる人間がいない。それにどうしていままで気がつかなかったのか」と。それはうれしいんだけど僕は現場では極端なものを求めてしまうから、すぐにネクストを探してしまう。
永野 それは「エルガイム」のころからそうだったね。こっちは「エルガイム」の話をしているのに監督は次の「Ζ」のことしか考えてなくて「『エルガイム』の話ふってんのになんで『Ζ』の話するんだよ」って怒ったことあったじゃない(笑)。でね、話を戻すと「Ζ」や「ΖΖガンダム」の当時、雑誌とかで「これが俺のガンダムだ」という企画がいっぱいあったじゃないですか。ああいうのを見て僕は「ふざけんじゃねぇぞ、お前ら!」ってのがあったの。僕にとって「ガンダム」は富野監督がつくったものが「ガンダム」であって、それ以外の人間がつくったものは、どんなによくできていてもパチモンだっていう大前提があるわけ。そんなふうに思っている子供がたくさんいるんだから、いろんな業界にいる富野の子供たちに向けてニュータイプで「興味のある人は連絡してくれ」って告知すりゃいいじゃん。そうすればゲーム業界からも人が来るし、優秀な原画マンだって集まってくる。原画マンが15人いれば映画を1本つくれるでしょ。
富野 できるけど、そういうことをよく平気で言えるなあ(笑)。
永野 でもそれはやらないとね。そうやってサンライズではないスタッフをつくっていけばいい。子供がいるなら、その子供を使いなさいよ。富野監督だったら、何をやっても許されるんだからやっちゃいましょう。
富野 僕はねぇ、それがダメなの。みんなに好かれたいから(笑)。
永野 若い女の子から好かれればいいんですよ、サンライズから嫌われてもね(笑)。


(2001年2月20日

現在のアレな原画マンじゃ15人ではとてもとても…(当時も大して変らん気もするが)。