SPA!98年03月11日号 「ガンダム」という巨大な山脈を越えて… 富野由悠季

――『ブレンパワード』は『Vガンダム』以来、久しぶりのTVシリーズですね。そのせいか、とても元気そうに見えます。
富野 本当に去年の夏ぐらいと気分が全然違うんですよ。
――体調が良くなかったんですか。
富野 ええ。簡単に言っちゃうと鬱病ですね。一番ひどいときは家を中心にして500m以上外に出られませんでした。理由はわかりませんが怖かったんです。
――でも、ビデオで『ガーゼィの翼』を制作したり……。
富野 元気が出なかったころの作品は、自分で見るとなんか“間違い”みたいなのが匂ってきて、いまはあまり見直したくないんです。仕事はしているので、外から見たときに僕のことを病気だと信じている人は、ほとんどいませんでした。一昨年ぐらい、本当に2階から飛び降りそうになったという話を一生懸命したんだけれど「いやあ、富野さんがそんな馬鹿なことするわけがない」って。俺は生身の人間だぞ(笑)。
――すると、伊丹十三監督の事件では、特に感じることがありますか。
富野 おおむね全部わかります。あの事件の意味は、クリエイティブな才能が1人いたら、それをサポートする1人か2人の親身になれる人を配置して、本当の意味でのクリエイティブなシステムを構築する。この仕事が日本時は苦手で、まだできないことだとすごく思いました。愛人問題などで伊丹さんが飛び降りたりしませんよ。プロダクションの問題がお一人にかかっていたから飛び降りちゃうんじゃないか。それがわかるから、それはもう、息をのむぐらいエッて思いました。本当に人ごとじゃないと。
――でも、富野さんはこうして元気になった。
富野 ある時期から、元気になるようにしたんです。自分自身、家から一歩も外へ出られない気分であったときには、ツラだけ頑張って見せてもどうもおかしいっていうのが常にありました。やはり『Vガンダム』以降、ガンダムがはやりのキャラクター扱いされ、僕の手を離れて継続し、付き合いきれない、と思っていたころが一番過酷だった。そこで、何にしてももうなりふり構わずにやっていこうと思ったんです。それはサンライズを否定することでもなければガンダム路線を否定することでもない。むしろ、サンライズとかバンダイとかの外界にある事実関係をもっときちっと受け止め、積極的に自分が参入していく形を取って、サンライズがつくらせてくれないなら、その気にさせるような企画を提供するしかないんだと気づいたということです。
――それが『ブレンパワード』ですね。ただオンエアが、地上波でなくWOWOWと聞いて驚いたのですが。
富野 サンライズは二十何年前に創業した出発点では『ザンボット3』というメカロボットもので、名古屋テレビという地方局発の番組しか取れなかった。それが20年間生き延びていまのロボット路線になりました。インターネット時代のWOWOWというポジションは、あのとき以上に、改めて出発なんだ、と思わせてくれます。時が巡ってきたと。
――原点回帰ですか。
富野 回帰路線じゃないですよ。変に過去を継承してガンダム20周年記念事業みたいな一年きりのイベントという発想のほうが、違うと思ってます。その辺を少しわかってきて再構築するキーパーソン、プロデューサーたちが30代の中頃に出てきて、いま繋ぎ役をし始めていますね。時代が違ってきたんです。その中で安心できる自分がいれば、やはり自分は鬱になって死ぬことはないだろう。死ぬことを想像しないですむ安心っていうのは、やはり、僕、これは作品に出ると思います。『ブレンパワード』はいまつくっていて面白いんですよ。
――新作『ブレンパワード』はどんな作品になるのでしょうか。
富野 大仰な言い方をすれば知の再生をもう一度考えていくべきだと。企画時はロボットものの行き着く先、新しい方向性を見つけなくちゃいけないと思い、生体的なロボットっていうのはありうるんじゃないのかと思ってスタートしました。ところが、現実に起きた中学生のナイフ事件でも「殺人」とナイフを持つっていう全然違う問題を混同している報道ばかりで、中学生にもおかしいと指摘されている。そういういまの知、ブレインっていうのは、怪しいですね。だから、知的ワークをもう一度鍛え直してハードインテリジェンスとしてしっかりさせなくちゃいけない。今年になってからそんな願いを作品に塗り込めることを始めました。時代が『ブレンパワード』という言葉を欲しがっていると感じます。
――すぐれた作品をつくるには、そういうテーマ性、メッセージ性が欠かせないということですか。
富野 逆です。そういうコンセプト、はっきりしたテーマ性がなければ、ポケモンのようなヒットキャラクターを見つけられない限り、作品以前に商品にもなりえないと思っています。ガンダムだけは、そういう商品性を持ちえたキャラクターだったから、20年間現役でもったんだとは思います。また、ガンダムには独自の世界観があったから、それなりに続編、リメイクもできた。でも、じつはそこに一番問題があって、僕も含めた制作側を堕落させたのかもしれない。だから『Vガンダム』のときには、ガンダムの商品価値を本気で潰そうと思ってつくってました。
――潰すとまで……。
富野 キャラクターをベルトコンベヤーの大量生産方式で生んでいくシステムに対して、それを止めるには、もうガンダムをダメにするしかない、そんなつもりでした。だから視聴率的にも惨敗。
――でも、『ガンダム』はその後3作が作られ、一方で監督は病気になってしまった。調子が悪くなったときに引退を考えたことはなかったのですか?
富野 引退という言葉は、人が生きている限りありえません。死ぬまで元気であるということは、作品づくりによらず何らかの形で仕事をし続けられる自分を確立していなければならないということだからです。若い人に「あなたは生きていてもいいんだ」言われるような尊ばれる老人になること。このテーマだけはきちっと持たなくてはいけない。老いて社会に対してハイリスクな存在になったとき、謙虚でありたいと思っています。……あと10年したら自分は青酸カリが本当に欲しくなるでしょう。そういうことで身だしなみを整えていたいと思います。青酸カリを持つことに“身だしなみ”という言葉を使える、こういうところにもハードインテリジェンスがある気がするんです。俺は年寄りだから生きていていいだろうっていう顔してる奴は殺せ(笑)。
――まるで『逆襲のシャア』のシャアのようですね。ところで、圧倒的にオリジナルの作品ばかりですが、他の人の作品には興味がないですか。
富野 正直、いままで忙しくって他の方の作品を見るヒマがなかったのですが、最近やっと余裕が出てきました。漫画は『バイクメ~ン』を1時間半ぐらいの映画にしてみたい。あのような作品は、映画としてとても面白い素材だと思っています。それに、僕にない切り口が気にいっていますから。
――ちょっと意外です。
富野 アニメをつくるということは、実写の演出理論を徹底的に利用していかないと、映像上でガンダム程度のリアリティさえ生めないんです。作り物のアニメ的な映像や展開は、映画のフィクションワールドとしての空気、映画の何たるかとは根本的に違う。映画っていうのは詐欺で、何でもできるんです。アニメ的な手法が逆に“何もできない”ところまで落としたのが、この20年間のアニメの世界だと思います。『バイクメ~ン』て思ったのは、映像っていうのは変化する楽しさがある。それを、この漫画は、物語空間として持っていて、(映画化すれば)え、ここまでやれるか? 嘘だろうって極度に映画的な手法を駆使できると思うんです。これは目茶苦茶にそそります。裸の姉ちゃんより面白い。
――もっとハードでシリアスな作品はどうでしょうか。
富野 シリアスっぽくつくってるのは僕の才能がないからです(笑)。才能があったらチャップリンをやって、ミスター・ビーンをやって、ミュージカルをやってるんです。映像のエンターテインメントっていうのはそういうものです。はっきり言っておきますけれども、王道でシリアスっていうのは一番楽なの、つくるのに。だからそれをつくって作家だと思ってる奴は、ほとんどバカ(笑)。エンターテインメントを目指しているのは、映画はお楽しみでなければならないからです。そんな理屈はいらないよ、っていう力を持てない物語のフォルムというのは、やはりそれは、いい作品ではないと思います。
――そこまで映画が好きになったきっかけは何だったんですか。
富野 小学校4年だかのときに見た一番初めのモノクロの『キングコング』なんです。忘れていません。上等な映画だなんて思っちゃいけないけど、やっぱり好きですもん。こうだった、こうであるべきだっていうことをずっと思って、そんな映画を誰もつくってくれないから、自分でつくりたいのですが、それができないので腹が立ちます。映画はエンターテインメントです。その上で初めてテーマがあり、メッセージがあり、監督の主義主張がある。面白い映画は見せるんですよね。この年になってようやくそこに落ちつきました。
――そういえば『キングコング』もリメイクされましたっけね。
富野 あれ見たときは真っ青になったもんね(笑)。ああいうふうに技術が進むと間違えるんだよねえ。同じような間違いは、僕もしてきたかもしれないけど……。


インタビュー後、制作スタジオに戻り写真撮影。若いアニメの現場。活気の中心にして、てきぱきと指示を出している富野監督は、20年前に『ザンボット3』をつくったときと変わらぬ輝きを放っていた。

「引退」についての注釈

昨年、“引退”宣言をした宮崎駿監督は富野監督と実は同年齢。富野監督は宮崎監督の立場を理解しつつも「引退を言われたのはかなり疲れていたからじゃないでしょうか。あの労働量を考えたらよくわかります。疲れが抜ければ気分も変わられるのでは……」と引退説そのものには懐疑的な様子。