SPA!94年07月27日号 “子供向け”の水準を超えたリアルな設定の戦争アニメ

ボクたちは戦争兵器であるガンダムを巡る人間ドラマの中に、それまでの単純なロボットヒーロー物とは違った新しいロボットアニメの方向性を感じ取っていた。しかし、当の富野氏はこれをキッパリ否定する。
ガンダムは必ずしも理念やテーマ性にこだわって作ったわけじゃありません。反戦や友情、愛といったテーマを織り込んだつもりはないし、個人的にはそれはすべきじゃないと思っていた。たとえば反戦と言った瞬間に、それは一種のプロパガンダになってしまいますから」
富野氏にとって、ガンダムのあらゆる設定は、あくまでエンターテインメントとして成立させるための要件でしかなかったのだ。物語のコアになった“ニュータイプ”の概念にしても、子供がロボットを操縦する非現実感に整合性を与えたかったにすぎないという。
「ただ、子供相手だからこの程度でいいだろうという考え方、それだけは持つまいと思っていました。だから戦争の不条理な部分もリアルに作った。ところが本来ならボクをサポートする立場のスタッフさえ、そのことがわかってたかどうか……。考え方の基本にあるのは、絶えずコマーシャルベースに根差した視聴率。だから作品を高めようとすつ声は一切出てこない。そういう現場の寒々しさ、貧しさは1作目の15年前も今も変わってませんね。だからロクなものができない。そういう状況下で、宮崎アニメだけが健闘しているというのが僕の現状認識です」
昨年、富野氏はテレビシリーズとしては7年ぶりに『機動戦士Vガンダム』の総監督を担当した。
「仕事を引き受けた1番の理由は、それこそセーラームーン以上の作品を誰一人作らなくなってしまったアニメの状況をなんとかしたかったから。そして2番目の理由は、あまりにもレベルダウンしていたスタッフに本来のフィルム作りのあるべき姿をもう一度教えたかった。結局、教えることに終始して演出家を怒鳴り散らすばかりで、自分のメンタルなパワーの50%しか作品に向けられなかった。その意味で申し訳なく思ってます」
視聴率崇拝が変わらぬまま、レベルダウンしたアニメの制作現場。そのどこに、ボクたちはアニメ復権の希望を求めればよいのだろう。
「僕はアニメの没落をむべなる哉とも思っている。古くは演劇が映画に取って代わられたように、あるいは映画がテレビに取って代わられたように、古い媒体が新しい媒体に凌駕されるのは時代の趨勢として仕方がないこと。僕はゲームソフトが市場を形成した数年前から、アニメでできることは今後狭められると覚悟していた。アニメのマンパワーが激減した理由の半分は、15年前にいたスタッフがゲーム媒体に流れたからですよ」
だが、凋落著しかった演劇に、ファンが戻って今は活気づいている。同様に、いわばアニメ帰りといえる揺り戻し現象が起きるのもまた歴史の必然ではないか。
「そのとき、新しい世代の作り手によって媒体の中でのアニメの存在感を示せるような素敵な作品が出るんじゃないかと信じています」
アニメを復権させるのは“巨匠”ではなく若きクリエイターなのだ。