攻略の帝王 97年5月30日号 富野由悠季氏ガンダムゲームを語る

僕自身、ゲームというものに全く興味がなかった。だから今までリリースされてきた「ガンダム」系のゲームは見たことも触ったこともなくて、チェックは他に任せてしまっていた。それでもゲームメディアの台頭にしたがって、目をつぶっているわけにはいかなくなってしまい、ついに自分で「ガンダム」ゲームといわれるものをやってみた。そこで感じたのが「ガンダムゲームは限界を超えた」という言葉。ギレン・ザビが演説で人類は地球の限界を超えてしまったという下りがあるが、まさに「ガンダム」ゲームもゲームとしての限界を超えて、僕の考えているのとは違う方向に進んでいると思ったのだ。一言でいえば、このままでは「ガンダム」ゲームはツブれてしまう、ということだ。
映像演出家としての僕が生み出し育ててきた「ガンダム」がゲームとして再生したとき、なぜこんな見せ方しかできないのか、と疑問を感じ、くやしくもなる。例えばMS同士の戦闘では相手を爆発させてはいけないというのが大前提。そんな前提すら再現されずに、進化していくのはシーン間のビジュアルばかりだ。僕がゲームをやったときに一番感じたかった「MSに乗り込んでアムロになりたい」という感じが、ゲーム画面から伝わってこない。極端にいえばきれいすぎるビジュアルなど「ガンダム」ゲームには必要ない。それは「ガンダム」をマニア化させ、世代を超えたファン層を限定することになりかねない。潜在的には100万をはるかに超えるファン層がいる「ガンダム」だからこそ、作り手側が限定するような真似はしてはいけないし、「ガンダム」でゲームを作るなら100万以上売らなくてはならない。そのためのアプローチがビジュアルの強化というのなら、あまりにもお粗末な考えであるとしかいいようがない。
いま僕は真剣に「ガンダム」ゲームのプロデュースを考えている。いままでサボッてしまった分を取り戻すために猛勉強の最中だ。そのなかで思うのは、「システムはシンプルに、長く遊べるものを」ということ。映像としてのガンダムをゲームに落としこんだとき、何が足りず何を加えればいいのかを模索している(※)。そしてそれはビジュアルではなくシステムにあることまで見えてきた。あと数歩でMSらしさをゲームで表現することも可能だろう。映像演出家としてどこまでアプローチが可能かどうか、僕自身もとても楽しみである。


※監督自身が構想しているスタイルは「シンプルなシステムのシューティング」または「一見映像主体と見えるようなRPG」だそうである。