ザ・スニーカー03年06月号 富野由悠季に聞く! 小説ガンダム全解説

「一般小説」を目指し書かれた小説『機動戦士ガンダム

当時のぼくはTVアニメが市民権を得るってことをすごく意識してやってたんだよね。いまでは信じられないことかもしれないけれど、当時はそんな時代だったから、市民権を得たいと思ってノベルスを書いたんだよね。でも『ガンダム』ってアニメで少しずつ“市民権を得る”ってことの芽のようなものが出始めていて、そうした状況のなかでぼくより先に作家の高千穂遙が『クラッシャージョウ』というSF作品を朝日ソノラマという出版社あkら出していて、それで編集者を紹介してもらって「『ガンダム』を小説にしたい」って話をさせてもらった。そのときの編集者が石井進という朝日ソノラマ文庫を育てあげていった方なんだけど、彼の反応が「……ロボットモノなんですよね」っていう、つまり嫌々な気分が濃厚なものだったのをよく覚えています。ぼくはTVアニメ、ましてロボットアニメという子供向けの作品が少しだけ市民権の芽のようなものを手に入れられつつあると思ってたから、石井さんのネガティブな気分は正直ショックだった。その石井さんが原稿を見終わったあと「この程度のものになるんだ」って言われて、それは嬉しい反面、やっぱりショックだった。ぼくは純文学が書けない人間だってのもわかってたし、芥川賞にも直木賞にもならないのもわかっていた。だからといってジュブナイルノベルスを渡した気はさらさらなくってジュブナイルでもSFでもない“一般小説”を書こうと思っていたし、ここに自分の存在を作るしかないと思っていたのに、石井さんの評価は厳しかったんだよね。でも、結果的にその1巻が幸か不幸か売れちゃったもんで、今度は続きを書かされるはめになった。『ガンダム』のノベルスは1冊目で終わっているのに(笑)。「嬉しいんだけど冗談じゃないよな」って思って2、3巻を書いたんだよね。「これが仕事ってものなのよね」なんて思いながら(笑)。物書きとして売れることの喜びと辛さを経験させてもらったのがこのい冊目の記憶です。

「お仕事」とプライドの狭間で――『機動戦士Ζガンダム

ガンダム』の小説を書いたことで、その後も『イデオン』を朝日ソノラマからやらせてもらって、小説家、物書きとしての自分の「程度」がわかってきた。それは小説が書けないっていう自分の才能を自覚することだったし、小説を書くための基礎学力が欠けているっていう事実に直面することでもあった。それは本当に過酷だったから、もう小説は書けないと思っていた。なのにTVで『Ζ〜』を始めるときに小説を、しかもTVの監督と同時に書かなきゃいけなかったってのは、これはもう本当にアニメ制作会社の営業的な理由でしかないんだよね。それでも書いて下さいって言ってくれる人がいるんだし、忙しかろうがやるのがお仕事よねって思ってやった。だから本当に苦痛だった。だって小説家になりたかった由悠季ちゃんとしては、アニメ監督という立場で『ガンダム』って作品を手がける立場がないと小説を書かせてもらえないんだな、っていう事実を一冊一冊突きつけられている感じがあるわけですよ。辛いのよ、これが。だからこの間も「『Ζ〜』のノベルスって何冊書いたんだろう? 確か自分で書いたんだよな」なんて思ったくらい覚えてない。それでも5冊も書いた理由? そんなの、言い方は悪いけど流して書いたからに決まってるじゃない。でも“そうしてでも書くんだよ”ってプライドがあったのも事実だよね。

下り坂で差し伸べられた2つの手。『〜逆襲のシャア

TVで『Ζ〜』を始めるときに、なぜかわからないけど『ガンダム』がこれから先も続いていくのがわかってしまった。それは個人の力ではなくて体制としてね。それにすごく嫌悪感を覚えた。でも嫌っていてもしょうがないんだから、それに乗っかってやろうじゃないのよ、って思った小説家としても実力がないことはわかっているから、ビジネスライクにやっていかなきゃいけない。それが当時のぼくの覚悟でした。でも『Ζ〜』の5部作がさほど売れなかったのはビジネスライクだったぶん挫折感は大きかったですね。だから『Ζ〜』以後、インターバルが空いてるんです。もう書くのがイヤになってたから。『逆襲のシャア』の映画をスタートさせる段階で、ぼくは当時自分が下り坂にいる自覚があった。そうしたときに徳間書店角川書店の2社からノベルスのお話を頂いて、書ける書けないではなくて、仕事としてきちんと書いてやるしかないと思いました。下り坂にいるんだからもうひとふんばりしなきゃいけないということだよね。その言葉が『ハイストリーマー』と『〜逆襲のシャア』っていう2種類の小説になったんです。『ハイストリーマー』で自分がやったことってのは、当時の気分を書いただけにすぎないと思っていて、だからとっちらかってるし、僕の考える『小説』にはなってはないんだよね。これもまた敗北感は大きかった。本当の意味でのマスターベーションだと思った記憶があります。

小説に近いところにたどり着けた『閃光のハサウェイ

『〜ハサウェイ』の経緯は覚えてないし、とくになにもなかったと思います。映像とのタイアップみたいなものもなにもなかった。ただひとつだけ、これは10年経ったいまだからこそいえるのは、少しだけ物書きの要素が自分のなかにあるなら、っていう思いの道楽で書いたということです。道楽っていうのはすごくイヤな言い方なんだけど、ビジネスライクではなかったということね。それが結果的にノベルスとしてはそれなりのものになったってあたりで、まだ捨てたもんじゃないなあ、と思うことができた作品です。ストーリーに関しては衝撃的だなんて言われるけど、あれくらいのものがなければちゃんとした小説にはならないでしょ? そういう意味では小説に近いところにまでたどり着けた気がします。ブライトの息子を主人公にして、ああいう結末を迎えるってところに当時の自分の心境、信条論はないし、とにかく少しでもちゃんとした小説を書く、ってことしか意識してなかったですね。確かに道楽だったかもしれないけど、ビジネスライクでやってたらああいう作品にはならなかったし、結果として、売れ行きもそこそこ良かったはずで、救われましたよね。だから自分ではきっと好きな作品なんだろうね。むしろ売上ランク上位のなかに『逆襲のシャア』が入ってくるほうがイヤなんだよね、すごく(笑)。

次世代に向け、用意された新たなるガンダム――『F91

やっぱり『〜ハサウェイ』を書けたことは自分のなかですごく大きかったんですね。『〜ハサウェイ』で息継ぎができた気分になって、なにかができるんじゃないかと思えるようになった。それでこれから死ぬまで『ガンダム』を作り続けなきゃいけないのならば、新しいシリーズ(F91シリーズ)」を立ち上げられないかなと思い始めたんでしょう。それで劇場で『ガンダムF91』をやってみたんだけど、いまいったような発想自体が間違いだった。それはちょうどその頃、サンライズっていう会社が町の制作プロダクションから大会社へと転換しようとしていた時期にも重なっていて、うまくいかなかった。この理由はその後の『Vガンダム』でよくわかるんだけど。本当は『F91』を第1作目として、その次に『クロスボーン・ガンダム』という作品をTVでやろうとしていたんです。でもサンライズの中でやる必要がないという判断が下って、それですべて終わってしまった。そういう意味でこの小説はビジネスだし、それ以外のなにものでもありません。そういう理由で書かれています。

外へ向けて吐き出された個人への怒り――『Vガンダム

Vガンダム』を始めるときに、ぼくはバンダイに呼び出されたのね。それこそ『Ζ〜』のときもでさえも呼び出されたことはなかったのに。そこで言われたのが「今回は玩具との連携をもっと濃密にした作品にしたいからこちらの方針に合わせてくれ」ってものだった。そのたった1回の担当重役との話し合いですべてが決まったし、ぼくも体力的にも精神的にも弱ってる時期だったから、TVに関してはいうことをなんでも聞いてやろうと思った。そのかわり、いままでなんとか小説らしきものを書いてこれた由悠季ちゃんとしては、バンダイに口出させないノベルスってものを書こうと決めた。ぼくは具体的な他^ゲット――『打倒○○!』みたいなものがないと外向的になれないっていう性癖があって、『V〜』のときはそれが当時のバンダイの重役だった。『あの野郎には絶対この内容をやる意味がわかるわけないよね』って思いをぶつけたんです。彼への気持ちだけで書いた5冊。これでガンダムは終わりなんだと思ったし、ぼく個人としても生活者としても絶望的なところに行っちゃうだろうなって自覚はありました。それくらいの勢いだった。ただ、いまだからこそ思うのは、そんなことしたらそりゃあ(精神的に)キレるよね(笑)。そして実際『V〜』のあと、ぼくは切れちゃった。ぼくは才能論がすごくイヤで、固有の才能があったら物が書けるってのは大間違いだと思います。バカでも頑張りようでこの程度のものは書けるんだよってことにみんな気づいて欲しいんです。ぼく程度の才能、器量しかない人間でも、システムワークと個人プレイの兼ね合いをちゃんと自覚してやっていければ、これくらいのことは書けるんだよ。それは自分で好きなものを作ってるよりよっぽど面白ぇぞってことに気づいて欲しいんですよね。

ガンダムからの乳離れを目指した『ガイア・ギア』

ガイア・ギア』ねぇ……。あれはヘンだよ(笑)。全然覚えてないもの。(いまもっとも再販が待たれている本である件に関して)待たれてないよ(笑)! だってやっぱりさ、『ハイ・ストリーマー』と『ガイア・ギア』はちょっと狂ってるよね(笑)。でも本当に覚えてないんだよなぁ……。たしか『ニュータイプ』って雑誌の形をもう少し綺麗にしていきたいんだよねぇって思って始めた気はする。担当は良悦(佐藤。NT初代編集長)さんだっけ? そうか、良悦は『ガイア・ギア』を立ち上げてすぐに角川辞めたんだ。それで角川は大丈夫なのか? って心配した記憶がある。自分の中で、サンライズから離れて、角川映画に接近したいっていうスケベ根性がすごく重かった時期であるのも確か。ただなんにでようまくいかなかったわけだからね……。え、文庫5冊分もあるの! あらやだ(笑)。嘘でしょう? なに書いてるの? なんだろうね、それ。もういま言ったことくらいしか思い出せません。ガンダムって作品の権利から離れたい、サンライズ離れしたいっていう意識で書いてるのは『ガイア・ギア』ってタイトルからもわかるし、同時に『ガイア』っていう当時使われていた言葉のアナログ的なニュアンスをロボットに取り入れていきたいって思ったのも事実。でもそれも頭で考えている部分でしかなくて、作品ってのはそうやって頭や理念だけでは決して作れないから、『ガイア・ギア』はすごく敗北感が強かった記憶はかすかにあります。結局、ガンダム的な世界を使っている作品だから、ガンダム離れ、サンライズ離れができなかったし、乳離れができないっていう感触しか手に入れられなかったんですよ。

いま書かれた本当の「1st」ノベルス――『密会』

『密会』は最初、角川のミニ文庫って体裁で出てるんですよね。その話をもらったときに映像の、1stガンダムの原形になるノベルスはないんだから、だったらダイジェスト版みたいなかたちでまとめておこうと思ったわけです。小説のガンダムは映像のノベルスではないからね。当初に井上伸一郎(NT2代目編集長)からの御ファーだった『ララァとシャアの外伝的なエピソード』ってことには、ひっかかるものがぼくのなかにはあんまりなかった。それよりもダイジェスト版として、10年後に読んだ人が、これが映像の1stガンダムの原作だろうって錯覚をおこすように書いたつもりです。たかがアニメ、たかがロボットものの原作ってのはあれくらいのボリュームであるべきだって思いもあったし、むしろミニ文庫のサイズを聞いたときにこれならやれるなと思った。これは勝手な言いぐさだけど、ぼくはミニ文庫をすごく見下しているのよ。見下しているのに宝石箱みたいに思っていた。バカにしてもらっちゃ困るのよねって。ダイジェストって言い方をしていながらも『これ1本できっちり読ませるぞ!』って意識はすごくあったから『密会』はすごく楽しい作業だったですね。

村上天皇(すっとぼけ)?
クロボンの件は、当時発言の「F92」との相違がやはり気になる。