Ring of Gundam 設定資料集

『リングオブガンダム』の企画に向けて

原作・総監督 富野由悠季

まず『リアルG』

時代が変わるということは、人の気質が変わるということだ。当事者は生まれたときから変わっていないつもりでも、人は、それぞれの時代性による違いというものを背負っている。
30年といえば、二世代である。その時代の波にのって存在しつづけるタイトルは珍しくはないが、だからといって当たり前というものでもない。
2009年にガンダム生誕30周年にあたって、シリーズに新たな物語がないか、という提案を若い世代からいただいたときに、時代はめぐると実感した。
しかし、リングオブガンダムにたどりつく前は、実写版のガンダムを制作したいという意味で『リアルG』というコードネームで企画作業にはいったのは、ぼくに欲があったからにすぎない。

ガンダムの実写映画

かつての子供たちが親になって、次の子供たちが夢とロマンを抱いてもらう作品は、デジタル技術がコスト面でもスタジオ・ワークレベルで使えるようになったのだから、実写映画でやるべきだと考えるのは、ぼくの世代が背負ったものだ。
そのために、企画協力者として本広監督にも参入してもらうことにした。
つまり、劇場用映画をつくるつもりで、そのスタジオワークを検証する作業にしたのだ。ぼくには、ショートショートのためだけの画像をならべるセンスはなく、それではCM以下になってしまうということを知っていたからでもある。

ファースト・ガンダムの採用

新たに作るものであれば、新しいデザインのガンダムを考え、物語も00やユニコーン以後の物語を考えなければならないのが、ぼくの立場でもある。
だから、まず劇場用映画のストーリーの構想をはじめ、そのプロットを書き出すことからはじめたのだが、その一ヶ月間、ガンダムのデザインが決定しないまま構成をつくることの難しさを感じ出していた。
そんな状況のなか、本広監督から実写版でガンダムを動かすとなれば、ファースト・ガンダムでなければならない。CG化のためにデザインはリファインする必要があるのだから、その作業を今回はやるべきだと提言された。
どうじに、ユニコーン以後の新しいガンダムのデザインを2008年の中期までには完成させることができないという予測も、作業的にはっきりしてきた。
ゲーム関係の仕事や別件作品でも、ガンダムもしくはそれに類するモビルスーツやキャラクターのCGワークを見るにつけて、CG用のデザインのリファインはやるべきであるという感覚もあったので、本広監督の提言を受け入れることにした。
その時の物語構想は、次のようなものだ。

実写版『リアルG ガンダム』の提案 2008年4月期

基本ストーリー

ガイア・センチュリーの333年頃、旧世紀であるユニバーサル・センチュリー末期に、戦争犯罪人と目された人びとは、最後にのこったスペースコロニー“エクスペイレイトランド(expatriate land)=エクス”に“島流しの刑”に処せられ、そこの人びとが地球に帰還しようとした。
その作戦が実施される兆候をつかんだ国連戦争博物館アンハウムの職員たちは、エクスの武力行使を予測して、ユニバーサル・センチュリーの時代に埋葬された核兵器モビルスーツを発掘して、これを阻止することにした。
その戦いに巻き込まれた少女ナスターシャは、アンハウムの職員の青年との恋が破綻してでも、エクスの侵攻を止めるために戦うことになった。
彼女は、かつてのララァの再来のように見えた。
ナスターシャは、エクスの本拠地であり、かつての戦犯の流刑島であったスペースコロニー“エクス”を破壊するまでの戦士に育つのだが、その戦いのなかで戦死する。彼女も兵器を使った代償を払わなければならなかったのだ。
しかし、ナスターシャの戦死の代償として、人類は最後のスペースコロニー“エクス”の崩壊を目撃することができ、おだやかの刻の流れる人類史が幕をあけた。

年号G.C.(ガイア・センチュリー)とは

西暦でもユニバーサル・センチュリーでもないのは、人類が滅ぶ寸前にまでいって、また歴史を刻むことができる地球にしようという決意の証明として、ガイアという名称をとりいれることにした。
それ以前、西暦末期、人類の存在は地球の容量を超えてしまい、その解決策として、宇宙エレベータが実用化され、小惑星ルナツーを地球圏に牽引できるようになれば、人類はユニバーサル・センチュリーを標榜することになった。
しかし、宇宙は、人類にとって無限の活躍の場をあたえられたと錯誤することができ、そのために、人類はまたも戦争史をきざむ知的動物に堕落した。
それが宇宙世紀であり、宇宙戦争がつづけば、宇宙での大地であるスペースコロニーのインフラ整備がおろそかになり、スペースコロニーは自己崩壊をして、地球もソーラ・エネルギーの無節操な消費が地球温暖化と大気汚染を促進させて、人類は、心底、疲弊した。
それが自覚できるようになれば、人類は自らの戦争史に終止符をうつことを決して、戦争をしようとする意図なり、その準備が露見した瞬間に、それらを“戦犯”と断罪することになった。すなわち、武器狩り(アームレス化)の実施である。
その認識はもはや法律というようなものではなく、滅亡寸前の人類の認識としてコモンセンスにまで昇華されて、ニュータイプ・コンセンシャスが定着したといっていい。
そして、自発的な武装解除が風潮として定着して、人類は、地球の年齢を数えるガイア・センチュリーを採択することになった。

なぜガイア・センチュリーにしたのか?

ぼくの立場でいえば、この時代構想は、すでに『∀ガンダム』でつかっていたために、今回提案することは避けたかった。
しかし、現実の世界での核兵器解体運動と新興国核兵器保有願望というギャップが露呈し、テロも終息することなくつづけば、実写という機能によって、諸々の問題をアピールする必要を感じるようになった。そのために、アニメ的発想で現実的な生臭さを中和させることによって、広く、長くアピールできる作品になるのではないか、と考えたのである。
これらを元にした先のストーリーから、少女ナスターシャが住むシベリアは、ガイア・センチュリーの地球の典型的な村というように設定して、過去の遺跡が埋葬してある“古墳”、エクスから飛来するモビルスーツ、アンハウム(国連歴史戦争博物館)の私的防衛隊チグップなどを登場させて、シベリアから日本を横断して東京までたどりつくまでのシナリオを書いた。
しかし、その草案を提出したところで、本広監督から、続編予定になってしまうのは良くない、ファースト・ガンダムのコンセプトを受け継いだものなのだから、新しい世界観を提示したものでなければならない、という注文がついた。
単にガンダムのデザインがファーストのものだけでは物語は成立せず、そこには、ファースト・ガンダムのイコン、たとえば“アムロの遺産”といったものが埋め込まれたものではなければならない、というものだった。
「ファンというものは、自分たちが思い入れできるものが封印されているものにシンパシーを感じる」
さらに、現在子供である世代を取り込む魅力を付け加えたいと再考すれば、『リアルG』の構想では、ぼくの趣味からだけ出発しているように感じられるようになったので、軌道修正をすることにした。
『リアルG』で設定した世界観をベースにして、そのうえに、本広的要素を組み合わせていく作業が、ぼくにとっては、“巡る”作業、“めぐり合う”作業になって、『リングG』という新たな概念になっていた。

アムロの遺産とビューティ・メモリー

物語的には、アムロの遺産であるガンダムを使うことで、今回の主人公たちが、ニュータイプに覚醒できるだろう、という予兆をかかげ、その機体を再生し建造したのが、宇宙戦争の戦犯であった“エクス”の人びとであろう、と組み上げたのだ。
そのような設定が生まれるにつれて、現在のコンピュータの“データ”の確実性、不確実性、といったものをメタファーとして現すものとして、“ビューティ・メモリー”というキャラクターを思いつくことができた。
これは、データのインターフェイスの媒体なのだが、SFチックにするつもりはないので、単に“ひとりのキャラクター”に見えるようにした。なぜなら、今後十数年間は、SF的要素がマーケットの引きになると思えないから、美少女ヒキでいい、と覚悟したということである。

過去の記憶の語り部

データをキャラクターにしてでも、過去を語らせなければならない、と考えるようになったのは、ぼくが2007年12月ごろに、ハンナ・アーレントという社会哲学者の著作『全体主義の起源』を知ったことによる。
人類が地球を滅ぼすまで増殖したというだけでは、あまりに物理的であるし、また、ギレン・ザビに象徴されている独裁的な政権の実力行使だけでも、地球は滅びるものではないだろう、という予感がこの20数年間ずっとあった。
そんなぼくに、アーレントが解説してくれる全体主義の考え方とあり方は、おそろしいほど地球を食い尽くす人の所業という問題を解説していると思えた。
これを劇中で解説できるキャラクターをたてたいと考えるようになって、ようやく、メモリー媒体そのものが生み出すキャラクターとしてビューティを創出することができたのだ。
これによって、ファースト・ガンダムが登場してもいい状況と物語の背景を語ることができると考えている。

『リングオブガンダム』のストーリー

この物語は、宇宙世紀に隣接する物語である。
地球連邦軍は、根絶した前世紀から再生して、開発から建設、第一次産業を復興させた。地球上の自然環境と太陽エネルギーによって、ようやくモビルスーツを中心とした軍事力を整備することができた。
戦犯を最後のスペースコロニー“エクス”に流刑しながらも、またも地球連邦が軍を整備したのは、“エクス”からの侵攻が予見されたからである。
そして、もうひとつの理由はリング・コロニーの争奪戦でもあった。
リング・コロニーとは、ナノロボットによって基礎がかためられて、この数百年で、直径五百余キロメートルのリング状のコロニーに成長をしたものである。
これは宇宙世紀の遺跡であり、その巨大さは、過去のスペースコロニーの比ではなかった。
そんなときに、地球の高山の一角から前世紀の人類の記憶の象徴である“ビューティ・メモリー”が発見された。
それは強固な岩石に守られていて、地球上で開くことができなかった。
グレン大佐とエイジィたち“髑髏部隊”が宇宙エレベータで静止衛星軌道に上がり、そこに係留されてあった“タツノオトシゴ”戦艦で、リング・コロニーに急行することになったのは、エイジィが“アムロの遺産”という一語を、メモリーから聞き出していたからである。
リング・コロニーは、すでにエクスの駐留軍がはいって、“アムロの遺産”の修復にはいっていた。
タツノオトシゴ”艦から発進したグレン大佐たちの“髑髏部隊”は、そこに潜入して、アムロの遺産と遭遇するのだが、ファースト・ガンダムそのままに見えるそれをエイジィが強奪しようとしたとき、エクスの監視員の一人、ユリアが阻止しようとする。
しかし、二人が乗り込んで稼動したガンダムは、グレンたち“髑髏部隊”を駆逐して、“タツノオトシゴ”艦にもどる。エイジィは、エクスから派遣されていた密偵だったのだ。彼は、地球連邦軍にもぐりこんで、“ビューティ・メモリー”を探していたのだ。
タツノオトシゴ”艦に収容されていたメモリーは、ガンダムに呼応した。発掘した岩の塊は、ガンダムと共振するデータと自己検索できるメモリーだった。
そんな岩とガンダムの挙動を見れば、“髑髏部隊”のモビルスーツたちも見守るしかなかった。
ガンダムが触れた岩がくだければ、メモリー・カプセルが現れて、そこには“ビューティ・メモリー”が眠る姿があった。そして、彼女は語った。
「人はいつか、アムロの遺産とリンクして、地球の記憶のすべてを新しい地球に送り届けられます」と。
しかし、“ビューティ。メモリー”はさらに語り継いだ。リング・コロニーは、太陽系以上に若い太陽系に航行するための“舟”だというのだった。
「人は、ひとつの太陽が死滅しても、まだ生きられます。なぜなら、宇宙という容量は無限なのですから……無限を目指す……神を目指すのではありません。命の繰り返しというのは、無限大の宇宙と共存するものですから、それに挑戦するということが、命に課せられた業でもあるのです。良きように、と……そうでなければ、自滅するのもまた命なのです……」
しかし、グレン大佐たち“髑髏部隊”は、リング・コロニーは、地球に覇権を確立しようとするエクスの前進基地になると恐れて、それを破壊しようとする。
それをエイジィ、ユリアたちの少ない戦力で阻止しようとするのだが、アムロの遺産であるガンダムの驚異的な機動力で、それらを駆逐して、ついには、“髑髏部隊”の地球での基地を攻撃するまでになる。
その間にも、リング・コロニーは、宇宙エレベータ軌道に接近して、宇宙エレベータのウェイト・バランスと交換される。
太陽系離脱のための作業である。
“髑髏部隊”の拠点になっている連邦軍の基地内には、リング・コロニーの存在を人類の刻印を新しい地球にむけて発信するものになると信じる人びともいた。
エイジィとユリアは、そのような人びとと接触することができて、“ビューティ・メモリー”が語る悲惨な人類史も理解してくれるようになる。
そうなれば、暴走する“髑髏部隊”を殲滅することができて、エイジィとユリアは、宇宙エレベータをつかって、リング・コロニーに戻ることができる。

キャラクターの問題

初期の計画では、実際の役者の顔をはめこむこと、役者の芝居はそのまま合成することを考えたのだが、どの人種を使うのかという問題が浮上して、結局、手書きのキャラクターの汎用性、シンボル性というのが、作品を長く行き続けられるのではないかという結論に達した。
それにともなって、デジタル・スタジオから提案された3Dのキャラクターの検討にはいったのだが、実写的キャラを現在のデジタル処理、もしくは、手書きキャラを創出しようとすると、“今の時代を反映しているだけ”という結論になり、作業的にも時間切れになって、現在の形で制作するしかなくなった。
すなわち、漫画的でないキャラクターで、デジタル作業に対応できるものはどういうものか、ということについて、解答をだせなかったのである。
この結果をうけて、現在、新たなスタッフ探しがはじまっている。
アバター』の考え方は、デジタルに対応したひとつの回答なのだが、あれではキャラクターが作品内に偏ってしまって、作品が外に出るためのモメントにならないのではないかと考えている。

芝居と名前の問題

演技については、役者の芝居をそのままに近い形で画像に取り込めることが確認できたのだが、制作費とスケジュールの問題がまだあることも判明した。しかし、この技術を採用できることで、映画的な表現が豊かになるという感触を得ることはできた。
キャラクターの造詣が成功して、あの演技が画像に取り入れられれば、アニメ的な機能をフルに採用できる映画になり、実写とアニメの区分けの意味がなくなるだろう。
つまり、『アバター』は実写映画でなくアニメである、という偏見的な言い方が、すでに時代錯誤の時代になっているのだ。
このような感覚をもてれば、“ビューティ・メモリー”の名前は変更しなければならないという意見も採用する。あの名前は外国人には漫画チックに聞こえるので、ビューティフルというフルネームがあったうえで、ビューティと呼ぶのなら分かるというものなのだから、次のような説明が正式なものになる。
「ビューティフル・メモリーが出現するカプセルは、地球の記憶そのもののデータで、出現するキャラクターは、呼び出された瞬間にその時の状況を読みとって現れるので、そのキャラクターは特定されない」

動かして見えてきた欠点

ガンダムのリファインされたデザインは、何度となく3D画像上でチェックしてから、動画にする作業にはいってもらったので、問題はないように見えた。
しかし、完成した画像に近くなるにつれて、違和感をもつようになった。すなわち、動かない画“トメ”で見る分には問題がないのに、背景があり、他の被写体が入ってくるとデザイン的に妙な違和感を醸し出すようになったのだ。
よくできたデザイン、もしくは、キャラクターは、この問題を解決していても、動いていても、格好良い、のである。
この原因は、完成した直後に分からなかったのだが、2010年になって、その原因は分かるようになった。それをここに書くわけにいかないのは、複雑すぎるし感覚的な問題だからだ。が、トメ画が気にいってしまうと見分けることができない性格のものである、と書くことはできる。
そのことはキャラクター・デザインにもいえることなので、ここで身につけた感覚でなんとか解決したいのだが、解決策が具体的にわかっているわけではない。

アニメ戻りをする

前記までの作業をとおして、アニメの持つ記号性は、物語(メッセージ)をクールに伝えられる機能をもっていると確定できた。そうなれば、われわれは、改めて、メカ物のアニメ離れをしている子供たちにたいして、アニメや映画が、お兄さんたちが好きなものだけのものではない、というものを発信したいと願うようになった。
もともとアニメは子供のものであったはずだし、映画が上等なエンタメでもなかったのだから、そのようなフィーリングを取り戻したいのだ。そのほうが長く商売ができる、という意味もある。
そのために、『リングオブガンダム』は難しいテーマを抱えながらも、ロボットに乗れたら凄いよね、格好いいよね、と思ってもらえるものにしたいのだ。
ビーム・ライフル戦もいいのだが、チャンバラもいいだろう、(映画なんだから!)という作品を作りたいのだ。
現在、SFは見向きもされなくなっているのだから、ガンダムを利用してでも、ぼくらは、太陽系の外まで見ていて、新しい地球へ行きますよといったメッセージを掲げることは、悪いことではないと信じている。
そのことが、逆説的に地球の大切さをアピールすることになると思うのは、人はそれほどバカだと思っていないからだ。
ぼくらの次の世代に、もっと真剣に地球の未来を考えてくれる才能と感性があらわれているのだから、その彼らに希望という華をもたせてあげたいのだ。
地球の終末論をもっともらしく描いて、みんなで欝になるのは良いとは思えない。
白状すれば、企画当初では、宇宙エレベータを想定していなかったのだが、これを物語世界に導入することになっらのは、工学だけではなく、自然の力を利用するという視線も必要だと学んだからである。
そのために宇宙エレベータを採用することによって、リング・コロニーが地球から発進するときに、宇宙エレベータの慣性力といったものも利用するようになるだろう。
そのことの意味は、すべてが人智で解決されるものではないのだが、生かされている環境を学べば、人智以上のことができるのではないか、といったメッセージも次世代に送れるのではないかと信じるからでもある。


【2010年4月11日】

Design Works

エイジィ/AG

企画当初は声を演じる役者さんの顔をそのまま使うという案もあって、西村キヌさんには衣装デザインをメインにお願いしていました。試行錯誤の結果、キャラクターもすべてCGで表現することになったんですが、西村さんのキャラクターデザイン画のイメージも採り入れられています。キャラクターのイメージについて、アニメと実写の間のどのあたりのバランスをとるのかについては、かなり議論がありました。最終的には富野監督からCGクリエイターの藤田潔さんのやっている方向性が近いということで、藤田さんに今回のプロジェクトに参加していただくことになりました。(河口)

エイジィのパイロットスーツ

パイロットスーツ関連のデザインは、すべて剛田チーズさんによるものです。剛田さんには当初から髑髏モビルスーツのデザインをお願いしていて、その流れでパイロットスーツ(ノーマルスーツ)も、ということになりました。このデザインはいろいろと苦労して、富野監督からは「もっとリアルに」というオーダーが来るんですが、我々はどうしてもアニメ感覚で考えてしまう。連邦軍側のヘルメットにゴーグルがついていたりしますが、そういうデザイン的な特徴は、リアルに考えると邪魔なだけのものです。「もっとシンプルに」という富野監督のオーダーは実写的なCGになると説得力があるのですが、デザイン段階ではそんなに削っていいのかな、という不安の方が強かったですね。(河口)
富野監督がこだわっていたのは「これで動けるか」とか「このスーツに人が入れるか」ということでした。リアルになればなるほどデザインとしては特徴のないものになっていくわけですが、首の長さであるとかスーツのボリューム感といった部分こそが最終的な映像のリアルさに繋がるわけです。その結果が見えていればもう少し違ったアプローチもできたのでしょうが、我々も手探りでしたから苦労しました。(佐々木)

ビューティ/Beautiful Memory

外界の事象を記憶して、その環境に合わせたインターフェイスとして出現するキャラクターがこのビューティです。設定はともかく、このキャラクターで富野監督の狙いはいわば「コスプレキャラ」とでもいう役割で、周囲の環境に合わせて姿を変える=衣装を変化できるキャラクターです。空気を読めずに変な格好で出てくることがあっても面白いし、演出的にも使えるキャラクターですね。ヒラヒラした衣装が特徴的ですが、これは単純にファッションとして見せたいのと、高いところにいることを視覚的に表現するために風になびく衣装にしたい、という富野監督からの演出的要求でもあります。(河口)
エイジィやユリアは作品性を重視したデザインで、既存のCG映像に対する技術的なアプローチの面が強く出ているんですが、ビューティは見た目や衣装から発想したキャラクターです。ファッション面でいえば「ゴスロリ」のようなキーワードがあって、それを西村さんが衣装デザインの段階で白を基調とした衣装にしたんです。(佐々木)

ユリア/Yuria

今回の「Ring of Gundam」におけるCGキャラクターの方向性を決めたのが、このユリアです。というのはデザイン面ではなくて、アニメと実写の間のバランスをどこに設定するか、という問題です。富野監督の意見で藤田さんに参加いただいたときに、見せてもらったCGの女の子があって、ユリアはそのイメージをかなり引き継いでいます。髪型や表情などは西村さんのデザイン画に近づけていますが、富野監督曰く「色気を感じさせるCG」という藤田さんが作られた部分はそのまま使わせていただきました。(河口)
設定的な部分で言うと、ユリアは「アムロの遺産」のひとつであるガンダムを維持・改良し続ける組織の一員です。いわゆるヒロインとしてのキャラクターですね。(佐々木)

  • 拳銃のCGも掲載されているが、元デザインはM-71A1?→追記:クワトロの銃でした。
グレン/Glenn

体もごつくて、いかにも職業軍人という面構えですが、富野監督からの指定はニッカポッカです。これもビューティと同じで服をヒラヒラさせたいという演出上の要求でした。(河口)
地球連邦軍の軍人で、物語の冒頭では、エイジィの上官でもある人物です。ただしガンダムが登場して以降は敵対するという展開は、あの尺の中では説明が少なくて伝わりにくかったかもしれません。(佐々木)

RX-78-2ガンダム/GUNDAM

安田朗さんによるコンセプトデザインをベースに、早野海兵さんがディティールを加えてCG化するという作業を経て完成したデザインです。設定としては、基本的に「アムロが乗っていたガンダム」と同一の機体ということで、宇宙世紀のあの頃からずっと維持されてきたものという設定です。ただし機能的な部分は常にアップデートされていて、関節の可動システムなどはずいぶん変化しています。安田さんのアイディアでは可動に関連する装甲はすべて連動式になっていて、ガンプラ的な可動の発想と、安彦さんがアニメでやった軟質素材的な発想の中間ができるのではないかということでした。しかし、本編中では早すぎてよくわからないことになってしまい……もう少しアップでわかりやすく見せるカットがあれば良かったんですが。(河口)
ひとつの機械が維持されていくときに、機能や中身がアップデートしてもデザインは変えないという考え方は、ビンテージカーやバイクなどの世界ではよくある話です。このガンダムもそういう過程を経てこの姿かたちを得たのだと思うわけです。また一方でこの色や質感は今の工業製品のようで、ある種の時代性を表現できたのではないかと思います。(佐々木)

髑髏モビルスーツ/SKULL MOBILE SUIT

剛田チーズさんによるデザインです。デザインコンセプトとして面白いのがベルト状の装甲板(?)で、手足と装甲が繋がっているので、機体の動きと連動するようになっています。映像中では早すぎてうまく伝わらないのが残念ですが、通常の作画だったらやれないようなことに挑戦できるのはCGならではと言えるでしょう。もうひとつデザイン的な特徴として尻尾があるんですが、これも母艦であるタツノオトシゴ艦のカタパルトシステムに連動させるためのもので、理由があっての意匠です。コロニーの外壁につかまるのに使うとか、今までのモビルスーツからは少し離れた有機的なイメージも持たせています。(河口)
この機体のデザインの過程で、頭の形が「マラサイ」に近くなった瞬間があったんです。それを見たときに、「あ、プラモが売れるな」と思ってしまった自分がいます(笑)。最終的なデザインはこのようなかたちになったわけですが、それが良いとか悪いとかではなくて、今回の「リアルとアニメっぽさのバランスを取る」という考え方に基づく仕事は、僕にとって非常に新鮮な経験でした。(佐々木)

タツノオトシゴ艦/Sea horse(Space Ship)

山根公利さんによるデザインです。富野監督からはガンダム世界の宇宙戦艦における基本形から脱したいというオーダーがありました。基本形とは、「宇宙戦艦ヤマト」のような水上に浮かぶ船のような形という意味です。基本コンセプトとして外輪を持っている船ということだけを山根さんにお伝えして、こういったデザインができたわけです。連邦軍の船っぽくない形ですが、富野監督はシルエットに特徴を持たせたいと考えていたので、うまく表現できたのではないかと思います。(河口)

ビューティのカプセル

安田さんにコンセプトではいくつものガラス管が回転していて、その中のひとつにビューティが封印されているというものでした。比較的コンセプト通りに実現したのですが、映像中では岩の中に埋もれているため、その形状はよく見えません。(河口)

美術設定

宇宙世紀から隣接する世界ということで、コロニーといえば、まず円筒形が浮かびますよね。でもそれでは面白くないし、宇宙世紀以外のガンダムでは色々な形のコロニーが出てきていますから、少し変わったものでもいいだろうと考えました。それで富野監督が出してきたのが、この巨大なリング型のコロニーでした。富野監督のアイディアを池田繁美さんに形にしてもらいましたが、中央の小惑星に繋がるスポーク状のパイプは最終的に省略しました。それと、本編ではわかりにくいかもしれませんが、冒頭のビューティのカプセルが見つかった山は、地球上での出来事です。ここでカプセルを回収したエイジィとグレンは、宇宙エレベータで宇宙へと上がることになります。(河口)

  • ボードには「資源用隕石」「M3で移動している静止宇宙港」と書かれている。
コロニー内部

コロニーの内部は、ピラミッド型の建築物が向い合わせに立っています。これはリング中央から運ばれる資源(土砂など)を漏斗状に集約し、コロニー内に取り入れるためのものです。また十分に巨大なコロニーではあるものの、空間の広がりがなければ人は暮らせないという観点から、山々などの背景が「描き割り」になっています。よく見ると風景が反映されていない剥き出しの壁があるのがわかるはずです。(河口)

  • ボードには「MS台」「ホリゾント」「川」と書かれている。



今回のブックレット(と下のダムA)を読んで感じたのは、すべての制作がグダグダだったことが映像のマズさに繋がっているんだろう、ということ。
御禿のコメントを読むと感じるグダグダ感、はっきりと書かれた時間切れということ、デザイン解説でも「実は○○」というような、モデリングと実際の映像のカロリーのバランスが取れていないことが読み取れる。
個人的に、この失敗は制作にROBOTを使うという前提があった時点で決まっていたと思う。
その縛りがなければ、サンライズ側に過去にリーンなどを経験したブレーンを置き、シナリオ段階からカロリー的に仕分けられたはずであり、CGオペレーターにも過去作品の経験者を置けたはずだ(EDだけDIDの人だし。余談ですがこの人もブレン以降の御禿作品常連だったりします。また、アニメ撮影界隈的にはAEプラグインで著名な人で、一度も世話になっていない撮影はいないくらいらしい)。下のダムAで語られているモーションキャプチャーの撮影も「あれ? IGLOOと同じじゃね?」と気づいた人もいるはずだ。
風の噂では「富野作品に馴れていないオペレータだった為、富野コンテや彼の演出支持の読み取り方・あしらい方がわかっていないのが画に現れている」「V編前までモデリング修正があった」とか。