現代81年5月号 富野喜幸「われらが機動戦士ガンダムは行く」

宇宙植民地が地球を攻撃!

「ヤングだって辛抱強いよ。アニメ映画に600人が行列」3月14日付の朝日新聞は、「機動戦士ガンダム」が封切られる新宿松竹の初日前夜の“騒ぎ”をそう報じていた。
映画「機動戦士ガンダム」の前人気は上々で、前売り券は、60万枚が売り切れた。これは前売り70万枚の記録を持つ「八甲田山」に次ぐ。アニメ映画でいえば、「宇宙戦艦ヤマト」の50万枚を突破した。「機動戦士ガンダム」の原作、総監督に携わっている者として、これほど光栄なことはない。
ただ製作側の人間として言わせてもらえば、こうした事態はある程度、予想できていた。需要と供給のバランスを考え、送り手としてターゲットを絞っていたのである。
テレビアニメが放送されて、すでに19年の歳月が流れている。目を開けた時からアニメがそこにあるという世代が、20歳になろうとしているのである。日本のテレビアニメは「鉄腕アトム」によって始まったが、テレビアニメも19年の間に、新しい表現ジャンルとして質的に次第に変化していった。かつて映画が、ただの動く写真から、芸術というジャンルに育っていったと同じように。
私が子どもだった頃は、マンガ映画といえば、ウオルト・ディズニーだった。やがて日本でもアニメが放送されるようになるが、それは画質も粗悪な、リミテッドアニメ(コマ数が少ないためにセリフと口の動きが合ってなかったり、動作がギクシャクしているアニメ)だった。対象は、3歳児から小学校中学年まで。
出発点がこうだったので送り手は、「アニメは子どものもの」という既成概念で眺め、ある時期からアニメ支持者の底辺がティーンエージャーまで拡がった、という事態に気がつかなかった。アニメが新しい表現ジャンルとして一人歩きしかけているのを、当の製作者たちが知らなかったのである。私はそのへんの状況を考え、「機動戦士ガンダム」では、アニメを理解するティーンエージャーを強く意識して、製作に当たったのである。
映画「機動戦士ガンダム」は、54年4月から翌年の1月まで、名古屋テレビをキー局に放映された“ロボットもの”のアニメを映画版に作り直したもの。ストーリーの骨子は、地球の人口が膨張して新しく開発されたスペース・コロニー(宇宙植民地)に移住した人たちが、自治権獲得のため地球に戦争を仕掛けてくるという近未来戦。戦争は、武器を装備した“機動宇宙服(モビルスーツ)”を操縦して行われる。「ガンダム」とは、高さ16メートルのモビルスーツであるロボットの名称。主人公のアムロ少年(15歳)が操縦する。
日本のアニメは、“ロボットもの”とともに育ってきたと言っても過言ではない。だから私としては、“ロボットもの”のアニメを製作するのにそれほど、抵抗はなかった。事実、私自身、これまで20本以上の“ロボットもの”アニメに携わってきた。

白兵戦の発想がヒットの秘密

私がアニメと接触を持つようになったのは、日大芸術学部映画学科を卒業して、昭和38年に虫プロダクションに入社した時から
。本物の人間を撮りたいと思ってはいたが、卒業する前年から、映画会社大手5社が新人採用を見合わせていたので、映画界への進路はあきらめていた。
就職するところもなくどうしようかと思っていたところ、虫プロがたまたま面接試験だけで採用するという話をきいたので、受けてみた。アニメをやりたかったわけでも、手塚治虫さんにあこがれていたのでもない。それが、今こうしてアニメの世界にすっかりのめりこんでいるのだから、不思議といえば不思議だ。
虫プロに入った時は、「鉄腕アトム」のテレビ放送2年目で、アトムブームが起こっていた。私はもっぱら演出を担当した。その後、フリーのアニメディレクターになったが、担当した番組は、“受けないもの”が多かった。「海のトリトン」という作品のときは、視聴率があがらず、2クール(26週)で引きあげたほどだ。その後は“ロボットもの”オンリーで今日まできたが、どれも視聴率は、散散だった。つまり私は“当てる”方法を知らなかった。
ところが「機動戦士ガンダム」は、“当たった”。当たったのは結果論だが、私なりにいろいろ“計算”したことがあった。「機動戦士ガンダム」の前のロボットものアニメが、2本とも順調だったので、スポンサーが、「少し好きな話でどうぞ」と言ってきた。放送時間は、5時半から6時までの30分。“ロボットもの”という枠は、そのままだった。
“ロボットもの”に長年携わってきた私としては、“やられメカ”や“やられ怪獣”のデザインやノウハウはほとんど出つくされているのを知っている。だから続きものとして、20本、50本、将来的には、100本の製作を見越すと、ロボットが何をやるかというきちんとしたテーマがないと、とても持たないと思った。ロボットが解体されるのを毎週、毎週見ていられるのは、幼児だけ。それも面白がって見るのではなく、単に映像が次から次へ目まぐるしく変化するから見ているにすぎない。
ロボットの動きだけで毎週、毎週、画面にひきつけるのは限界がある。そこで別の方法を考えなければ、長期の放送には耐えられない。これが新しい番組を始めるに当たって、私が置かれていた状況だった。
この限界をつき崩すために、私は近未来戦という設定で、リアルな兵器を使用する、ストーリー中心の“ロボットもの”を頭の中で想定した。
“ロボットもの”の戦争を考える場合、今までの戦争映画の技術や手法が参考になる。私は大衆にアピールした戦争映画と失敗に終わった戦争映画を冷静に分析してみた。その中から出てきた結論は、つまらない戦争映画はすべて、近代戦だということ。アウトレンジになりすぎて、敵の顔も見えない。設定としてもともと映画が成立しないのである。
逆に面白かった映画は、全部白兵戦、コンバットなのである。
こうした観点から、私は「機動戦士ガンダム」では、飛行船が先頭をくりひろげがちになる近未来戦争を“機動宇宙服(モビルスーツ)”中心の接近戦主体の白兵戦に変えた。このリアリティには、SFマニアも敏感に反応した。しかし、接近戦、格闘戦を成立させる宇宙戦争は存在するか、と考えると、現在の科学で考えれば、これはない。電波兵器、つまりレーダーなどが発達すればするほど、接近戦やモビルスーツなどの人型兵器の存在はあり得ない。

個人的にはアニメファンが嫌い

そこで「機動戦士ガンダム」では“ミノフスキー粒子”という架空の特殊な物質を設定した。この“ミノフスキー粒子”をばらまくと、電波干渉が起こって、レーダーなどの電波兵器が根本的に使用できなくなるということにしたのだ。レーダーが使えないとなると、敵を探る方法は望遠鏡しかない。宇宙は、地球上の海や陸の上とちがって、限りなく広いので、望遠鏡でのぞいても、何か物かげに隠れてしまったら、もう見えない。そこですぐそばまで行って探ることになる。そこに武装した宇宙船が現れたらもう戦いにならない。だから機動力のある、銃火器を備えて武装した人型の兵器に乗って近づいて行くことになる。宇宙の白兵戦はこうして生まれてくる。
この設定で1話、2話と放送が進むうちに、白兵戦の面白さにパッと飛びついてきたのは、SFマニアだった。従来にない設定だったから、惹きつけられたのだろう。
しかし、「機動戦士ガンダム」は、いわゆるSFではない。宇宙を取扱うとすぐSFに結びつける安易な発想があるが、こうした考えは私は反対である。安易な発想といえば、アニメは子供のもの、オモチャを関連して売らないと商売にならないという考え方がある。アニメはもう“大人”なのだから、オモチャで勝負しなくてもいいのだ。そのへんを製作者サイドでもまだ理解していないのがいる。
今度の映画でいえば、オープニングはオモチャ屋で流れてもおかしくないものにして、それ以外のBGMやエンディングは、こちらの好きに作らせてもらった。少し進歩したと思っている。
機動戦士ガンダム」を“大人向け”に製作したものの、放送時間が5時半からという制約があって視聴率は上がらなかった。その理由は、客としてターゲットに置いた中・高校生が、クラブ活動で帰宅がどうしても遅れるので、物理的に番組が見られないということだった。
ところが、アニメ世代の若者は、私が考えていた以上にボルテージをあげて「機動戦士ガンダム」にせまってきた。ビデオ機器の最大活用がそれだ。2年前、ビデオ機器が15万円台のとき、ファンが15人集まり、1人1万円ずつ出し合いビデオを買う。ビデオを家に置いた者が責任者となって、クラブ活動をサボって、早く家に帰り「ガンダム」を録画する。そして、日曜日や月に一度集まるかしてビデオを見るのである。
ファンクラブの活動も活発だ。「機動戦士ガンダム」に登場するキャラクターの生きざまの評論を通じて、自分たちの自己主張を出発点にしたのが多い。事前発生的に集まりだして、5人10人から始まって、大きなファンクラブになると、会員が1000人以上もいる。今はパロディも含めて、コピーライティングに長けた若者が多いので、“ファンジン(ファンが出すミニコミ誌)”の発行も容易だ。
会員が100人集まると、不思議なことにオピニオンリーダーが必ず一人はいる。そういう人が核になって残ったので、テレビの放送が終わっても、ファンジンの発行は、いっこうに減らなかった。アニメコミックバザールと呼ばれるファンジンの交換会も盛況で、下町の公民館を三日間借り切ったときは、一日の入場者数が1500人を超えたほどだった。
ファンジンの中には、お金をかけたオフセット印刷のガッチリした本もある。“機動宇宙服(モビルスーツ)”を6体搭載可能で、「ガンダム」の中で中心的な働きをする揚陸艦の名をとった、「ホワイトベース」というグループは、関東地区に確実にファンが500人いて、動員をかければ、すぐ1000人は集まる。アニメパワーといってもいいと思う。
映画「機動戦士ガンダム」は、テレビ放送のはじめの3分の1をまとめたもの。内容がどうというより、テレビ放送が終わっても人気が尾をひいていたため、「興行的に採算が合うのでは」と松竹が乗り出したのだろう。それもこれも「機動戦士ガンダム」のファンが、自分の意思表示のすべを知っている中・高校生だったからだ。これが意思表示を知らない幼児や小学校低学年だったら、映画化の話はなかったはずだ。
宇宙戦艦ヤマト」のときは、製作者の西崎義展プロデューサーが、ヤマトのテレビ放送が終わったときに、自分の手と目で確かめて、これは当たると、映画会社に働きかけた。「機動戦士ガンダム」の場合は、ファンのひきの強さで映画会社が放っておけなかったというのが実情だった。この稿の冒頭部分にかかげたアニメ世代の着実な成長を如実に示していると思う。
“アニメフィーバー”という言われ方がされるが、マスコミの操作、レッテル貼りとアニメ世代の成長とは、きちんと仕分けして考える必要があると思う。そうでないと若い人たちがかわいそうだ。
映画が封切られる前に、多くのマスコミが私のところに押しかけて、人気上々でいいですね、とだれもが言っていたが、私自身、醒めた部分がある。アニメの将来を考えずに、ただフィーバーしている、そういうマスコミやアニメファンなら、私は好きではない。ファンも、もう少しノーマルな平衡感覚を持てば、徹夜などしなくてもいいのにと思う。
しかし、それは何も彼らの責任ではないような気がする。子供の持っているエネルギーを具体的に発散させるべきものが、今の社会にはなく、大人たちが与えなさ過ぎるとも思う。だから子どもたちは、いびつな突っ走り方をするのだろう。今の子どもはわからない、と親がなげくのだろうが、私が見るに、今の子どもは、昔と同じで、少しも変わっていないと思う。変わったといわれるのは、色色なレッテルを貼っていないとわかりづらいと大人たちが思っているからではないか。
ただ、私も個人的には、アニメファンに偏見を持っている。基本的には嫌いだ。若いときには、テレビにかじりついたり、アニメにのめり込んだりしてほしくない。他にもっとやることがあるように思う。だけどそれでも見てくれる人には、ウソを言ってはならないと思う。大人としてオレはこうして生きてきたんだと、素直に出していくべきだ。

ザコンアムロに親近感

そうした観点から、生きざまのひとつの姿として、サイボーグとも、エスパーともちがう“ニュータイプ”という概念をガンダムの中で出した。人間の歴史は戦争の積み重ねのなかで作られてきたのだが、人間が、言葉を交さなくてもお互いの気持ちを理解できるようになれば、戦争をしないですむのではないかと考えたのである。
ニュータイプ”は、言葉を使わずに、自分の感情も相手の感情も理解できる。相互に理解し合えるので、“ニュータイプ”は、人類全体の意識改革のために力を注ぐ。必死に働くさまは超能力者のように見えるが、本質は違う。
主人公アムロは、内向的で機械好きの少年で、マザーコンプレックスを持っている。この性格は、現代のハイティーンの心情そのままだ。彼らはおそらく、アムロを身近にいる一人の友人として見たであろう。そのアムロは、物語の中で、乳離れし、マザコンを切り捨て、大人の世界に入って行こうとする。その生きざまや悩み、不安は、「機動戦士ガンダム」のファン層と共通のものである。そこに、「機動戦士ガンダム」が、若者にこれだけ支持された要素があったと思う。
アニメ世代の最も未知の分野は戦争だと思う。ところが今までの戦争映画は、“戦争の痛み”をそのまま伝えようとしたフシがある。しかし、それではアニメ世代に通じないこともままあるようだ。アニメ世代に戦争を伝えるには、アニメを通じて戦争をビジュアルに伝えるのが一番だと思う。「機動戦士ガンダム」のような内容でも客が動員できることがわかったのだから、一歩進んで、正しい戦記ものを作ってアニメ世代に示すべきだと考える。
アニメ世代が育ち、アニメが分化した現在、だからといって、アニメなら何でもできると迂闊に考えてはならないと思う。極端な話、ブルーフィルムをアニメで作っても面白くもおかしくもない。生理感なり、実在感なりに違いがあるからだ。生理感なり、実在感なりを乗り越える技量やストーリーの構成力があれば別だ。ところが、アニメのスタッフがまだまだ“幼児アニメ”の概念から抜けきっていないところに問題がある。
アニメ世代がそろそろ“成人”を迎える。この人たちが、30になり、40になる頃、アニメに対する評価や注文は、年齢に相応して厳しくなるだろう。その時、アニメが彼らにどう応えるかが、アニメ自身の分岐点になると思う。“幼児”のままなのか、“大人”になれるのか――。

御禿のインタビューは数あれど、自身の文によるものは少ないので紹介。
私自身はリアルタイムで追っかけていないので、当時の状況が知れるこういった文はありがたい。また、制作側がどう認識していたかも。
アニメファンにやる事が他にある、というのは今でもアニメージュのコーナーで言い続けている。
現在は挙げられている様な性質のサークルはほとんど見受けられない印象。ネットがその代替になっている為か? それとも私が知らないだけであるのでしょうか。