週刊サンケイ81年8月27日号 ヒューマンウォッチングNo.6 ヒット・アニメ“ガンダム”総監督“ぼやきの夏”富野喜幸

機動戦士はベニヤ板の仕事場で作られる。

(略)
ガンダム”の原作者であり総監督をつとめているのが富野喜幸さんだ。今年40歳になる。アニメ一筋に歩んできた人でもある。ヒット・メーカー、であるはずなのだが――
「この仕事場、ちょっと見て下さいよ。一目でわれわれの現状がわかるでしょ」
彼はいう。
東京・西武新宿線、井荻の駅に近い。商店街を歩き、お茶屋さんと床屋さんの間の路地を入った裏にプレハブの建物がある。中はオフィスというよりも作業場といったほうが近い。古いスチール机が並び、机と机の間は仕事に集中できるように仕切られているのだが、その仕切りは、例えばカラー・ボードなどではなく、単なるベニヤ板なのだ。ベニヤの板を切ってたてかけただけの掘っ立て小屋風仕事場。
ヒット作の“総監督”は疲れたような顔で坐っている。
「この作品、たしかに当たった。作り手であるぼくらも、ヒットするだろうという、ひそかな自信はもっていました。でも、当たったからといって、作り手がもうかるわけじゃないんです」
なぜなのか?
それを理解するためには、ヒット・アニメがいかにして作られるか、その原点にさかのぼらないとわからない。
機動戦士ガンダム」は、一昨年春から年末まで、テレビで放映されたものだ。製作は名古屋テレビ。放映時間は夕方の5時半から30分。東京地区ではテレビ朝日が放映した。視聴率は上がらず、予定より一か月早めに放映は打ち切られた。
ガンダム”はロボット物のストーリーである。富野監督はロボットものに新しきを導入したつもりだったのだが、失敗してしまった。

断言します、儲かりませんぼくたちは。

富野監督はいう
●ぼやき――「ロボット物っていうのは、しいたげられた分野なんです。スポンサーであるオモチャ屋さんのPRフィルムでしかない部分がある。それ以上のものを作ってはならないというヒクツな考え方もあるくらいでしてね。
ぼくが“ガンダム”以前に作ったロボットものは、例えば“ザンボット3”“ダイターン3”というアニメ作品があるんですが、いずれにしてもスリーという数字がついているのは、そのロボットが頭と胴体と下半身の3つに分かれるということを示しているんです。つまり、合体ロボットなんですね。こういうものでないとダメだというんです。くっつけたり離したりできないと、子供のオモチャにした場合、面白味がないからです」
オモチャとして売れるようなものでなければならぬという制約があるわけだ。テレビ・アニメは商品価値と連動している。“ガンダム”は合体ロボットではなかった。腕も、胴体も外れない。そのかわり、それ自体が武器を持って戦うという戦闘用ロボットという設定にした。当初は、それが失敗した。
30分のテレビ・アニメ1本当たりの製作費は5−600万円である。この中で原作を書き、原画を描き、動画を作り、それをさらにフィルムに撮り、音をかぶせなければならない。「カツカツ」だという。富野さんは、日本サンライズというアニメ・プロダクションに所属して“ガンダム”を製作してきたわけだが、「企画段階でかかる費用はプロダクションの持ち出しです。製作費にそんな余裕はないんですから」
●さらに、ぼやき――「プロダクションといっても、社員は7人しかいないんです。ヒット作を出すまでは、1本当たり2万、3万という金を、それこそツメに灯をともすようにしてためていくわけですよ。そして、それを企画費にまわす。当たらなければ、それっきりです。当たれば、オモチャも売れて、そのマーチャンダイジングに関するロイヤリティーが入るからいいだろうと思うでしょ? とんでもない!! “ガンダム”のケースでいいましょうか。これは一度失敗したあと、別のオモチャ・メーカーが作り直した。映画のヒットとともにオモチャも売れた。100万台は売れたんじゃないかと騒いでいる。スゴイねー。じゃ、オレたちいくらもらえるのって計算してみて驚いた。30万円ぐらいのものなんです。えッ? そんなもん? だれだってそう思いますよ」
商品展開に関するロイヤリティーは、プロダクションだけでは独占できない。テレビ局は、オレのところが放映したから売れたんだといい、パーセンテージのなにがしかを持っていく。間に入った代理店も同様に権利を主張する。その最後のしぼりカス程度のロイヤリティーが製作者にまわってくる。
●又、ぼやき――「われわれ、強くいえないんです。もっと製作費を上げろとか、映画化する場合でも、高いギャランディーよこせ、とかいえない。当たればいいですけどね。次が当たるかどうかわからないでしょ。失敗すれば必ずシッペ返しがくるんです。それがこわい。今度、松竹に売るときだって、プロダクションは強気のビジネスはしていませんよ。第一、ぬれ手にあわみたいにお金が入っても、それを使いこなせる体質は持っていませんからね」

つぎはぎだらけの映画です。でも面白い!

したがって――と、富野監督はいった。「ぼくらは、映画がどれだけヒットしても、家は建たないわけですね。ハハハ」
その笑い声には、当然のことながら、力がない。
(中略)
●又々、ぼやき――「原作がなくて、アニメの専門家であるぼくらが新しいキャラクターをヒットさせたともいえますが、これ、苦肉の策なんです。だってぼくら原作を買う金なんてありませんからね。それに、ロボット物しかできないという実情もあるんです。ロボット物なら、とりあえずオモチャ・メーカーというスポンサーがついてくれるでしょ。スポンサーと直結したものしかできないんですよ。
●で、開き直り――「テレビ版作っているときも、ひどい状態だったんです。アニメーターが集まらなかったり、背景を描いてくれる人がいなかったり。ひどい絵もありました。それでも目をつぶったんです。絵の使い回しも多かった。一度使った絵を別のストーリーにも使うわけです。ある番組は3分の2が使い回しの絵でしたね。それでもそれが一番面白いといわれた。劣悪な条件の中でも、勝てるんです。今度の映画化にしたって絵はバラバラですよ。何しろ2年前にテレビ用に描いた絵と最近描いた絵がまざっているんですから。同じアニメーターが描いても、2年もたつうちに絵は変わってくるんです。つぎはぎ映画ですよ。それはわかっているんです。今のアニメの世界、つぎはぎ映画しか作れない。それが実情です。それでも、ぼくには自信がある。絵の使い回しとつぎはぎだらけでも、面白いものはできるんだ、という自信ですね」
気持ちはわかるけど、どこかひどく屈折してしまっている。アニメの世界のいびつさそのものなのだ。

裏番組のTVアニメのコンテも描いた

大学を卒業してすぐに手塚治虫の“虫プロ”に入った。アニメの演出をやるため、である。そもそもは映画監督志望だったという。「ぼくが卒業する前の年から映画会社が採用をストップした。CM畑に行くことも考えたけど、ストーリーのあるものをやりたかったんですね」
虫プロには4年いた。退社して、フリーのコンテ・マンになった。TVアニメのコンテを描く仕事だ。アニメーターは彼のコンテに従って絵を描いていく。「何でもやった」という。「同じ時間帯の2本のTVアニメのコンテを同時に描いていた」ともいう。ギャラは安い。しかし、それをやっていればとりあえず食えるからだ。やがてチーフ・ディレクター、つまり監督に近い仕事をするようになってきた。ひたすらアニメにたずさわってきた人である。「10年後にもアニメが残っているかどうか、これからが勝負です」
穴ぐらのような仕事場で、彼はそうつぶやいた。

データBOX

●キャリア――昭和16年、神奈川県小田原市の生まれ。日大芸術学部を卒業して“虫プロ”へ。
●絵――は描けない。マンガを描きたかったのではなく、アニメの演出をするのが目的だった。コンテは素早く描くが、フィニッシュの線はいまだに描けないという。「30歳をすぎてトレーニングしましたけど、やっぱりダメでしたね」
●フリー――になったのは、20代後半。「虫プロが倒産する前です。もうダメだろうと感じていた。結局、手塚先生は経営者じゃないんですね。組織はガタガタだった」。以後、10数年、フリーのアニメ演出家としてやってきた。
●結婚――28歳の時。現在、子供は女の子が2人。
●収入――「去年は多かったんです。1000万をこえました。なぜかというと“ガンダム”小説化の印税が入ったからなんです。しかしね、その印税にしても、ぼくのところに全て入るわけじゃないんです。オモチャ・メーカーも“ガンダム”のアイデア作りに一役買ったからと、小説化した時のロイヤリティーももっていく。結局、アニメは共同作業ですからね。小説化しても、ぼくのところにはたいして入らないわけですよ。印税が全部入ったら…いいなあ!!!」

ちなみにこの記事、山際という方が書かれていますが、タイトルを間違えて書いています。ここでは修正してあります。その間違え方は「宇宙戦士」。当時の一般誌の程度が知れるともいえるが、プレスリリースが間違っていた可能性もある。
御禿の年収が具体的な数字で挙げられているのは珍しいかな? 小説版の印税もバンダイに入るのは知らなかった。
お茶屋があるのは確かに井荻駅の方。そうすると旧サンライズビルとは別かな。