金田伊功GREAT 特別寄稿 富野由悠季「遠い人なんだよねぇ」

金田君とのつきあいはない、と言っていいほど縁はないし、そう思い込むことで、忘れようとしてきたのが、僕にとってのカナダ君だった。
なぜこう思っていたかというと、彼は、ぼくの仕事を嫌っていると思ったからで、もう一つは、ぼくにとって、恐い人という印象があったからだ。
一度だけ、いい思い出もある。
二十年ちかく前に、人づてに、彼のバリ島土産が届けられたことがあった、女性の顔とうつむいている男の木彫りの像で、あぐら座りをしている男が、両手で顔を隠して背中を丸めている像を見たときに、彼は、今はこういう気分だけれど、いつかは顔を上げますよ、というサインのようなものを感じた。
その時、嫌われてはいないのだな、と感じはしたが、仕事の縁はなかった。
その二つの像は、ずっと仕事場の棚にあって、彼の気配を発散し続けている。
彼の印象は、ザンボット3の仕事につきる。その強烈なレイアウトと力のある線は、若さ故の過ち、といえるほどのもので、アニメーターの自己主張がありすぎるものだった。
アニメーターの自己主張がありすぎる、ということは、力のない演出家にとっては、有効な手助けになるのだが、少しは自己主張があると自惚れていた僕にとっては、有り難迷惑だった。
しかし、クリエーターとしての気持ちを発露したいというのはわかるから、否定はできない。しかし、もう少しこちらの気分を斟酌してくれる度量がなければつきあえない、という印象につきまとわれた。これが、カナダ君を怖いと感じてきた理由である。
彼の仕事は嫌いではないし、絵のうまさはザンボットの勝平のアップに歴然で、あの印象は死ぬまで残る。彼の絵や仕事ぶりは、好き嫌いでいえば、好きなのです。
が、しかし、彼のカナダ・ブランドがありながらも、いまだ彼は、メジャーなブランドになっているとは思っていない。そこにアニメーターとして生きていく上での難しさがあるのは想像がつく。同時に、彼のアーティストとしてのエゴが邪魔してきたのではないか、という気配も感じる。
だから、僕には、彼が、ジブリなどの仕事をとおして、スタジオ・ワークに必要な人としての修行をしたのではないか、と想像し、その延長線上で、今回のハワイ行きをチョイスしたのだろうと思っている。
気をつけて欲しいのは、妙なアメリカかぶれや白人コンプレックスに陥らないことで、これだけは、本当に気をつけてほしい。それと、大作万能主義という奴に染まることだ。
それはならないで帰ってきてくれれば、スクウェア以後のアニメなりCGの仕事に、新たな血を注入する技術と人格を手にして戻ってきてくれるだろう。
その時は、ぼくもまだ元気で、一緒に仕事ができたらいいな、と願っている。

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このハワイ行きに前後しての、ダイターン続編の話。