富野インタビュー
――『Gのレコンギスタ』のそもそもの発端はなんだったのでしょう?
富野 発端のお話は簡単で、生きている間にやれることはやっておかなければ、と思ったからです(笑)……冗談めかして話ましたが、これが本気で、そういう強力なモチベーションを持って臨まなければ、過去に創ってきた作品を凌ぐものはできないからです。ましてや『機動戦士ガンダム』というのは、僕の手を離れてあらゆるカタチで世に出ている作品。ですが、モビルスーツを使いながら“脱ガンダム”をできるのは僕しかいないだろうという自負もある。だから、『ガンダム』の世界観を踏襲した系列や仕組みの作品企画ではなく、今の時でしか考えられないような新たな切り口で創れないか、そう考えて6年ほど前に企画をはじめたのが彫ったんです。
――『ガンダムのシリーズでの新作ということで企画を始められたのですね。
富野 そうです。しかし、企画段階の時から『ガンダム』とは見え方のまったく違う作品を創りたいと思ってはいました。ところが、どうしてもできない。……つまり、敵味方の関係性や、細かな設定をどれだけ創りこんでも、『ガンダム』を詳しく知っているファンであれば思いつくようなキャラクターの関係性や設定しかできなかったのです。それで企画を最初から作り直すことにしました。
――そ、その企画もとても気になりるところです。
富野 “脱ガンダム”を目指していた僕にとって、脱する突破口が見つけられないということに気づいたそんな時に、思いついたのが宇宙エレベーターでした。それまでも宇宙エレベーターの存在は知っていながら、新しい作品の舞台として取り入れることはしてこなかったのです。しかし、実際に『日本宇宙エレベーター協会』が行なっている実験や開発の様子を見学し、スタッフの方々がどんな気分で携わっているのかも見させてもらいました。
そうして調べていくうちに、宇宙エレベーターを物語の舞台に据えることで、敵味方の関係性や世界観の在り方がこれまでの『ガンダム』の作品群とは、また違ったルックスになるんじゃないか、と。つまり、モビルスーツであるガンダムが出ても、宇宙エレベーターを舞台の中心に据えたことで、過去のこれまでの『ガンダム』とは“完璧に違う”風景、そして世界観が創れるという確信が持てたんです。
――それこそが“脱ガンダム”の確信をもてた瞬間だったわけですね?
富野 そうです。“宇宙エレベーターが存在する世界”を舞台の設定として考えた時に、これまでの『ガンダム』で不鮮明に描いてきた宇宙開発の話や、宇宙で移民は可能かどうかなどの話を、ある種否定してしまえるような舞台設定を創ることができました。その舞台を軸にして早速26話分のシナリオを書いてみて“これなら新企画としてやっていけるんじゃないだろうか”とようやく手応えを感じることができました。ちょうどその時期に、サンライズ第1スタジオからテレビアニメとして作品制作のオファーもあり、この『Gのレコンギスタ』の企画が本格的にスタートしたのです。
実は当時のタイトルは“Gのレコン「キ」スタ”と濁点がなかったんです。“レコン「ギ」スタ”という造語にしたのは、作品タイトルには濁点が入っていないとヒットしないという理由からです。それと、タイトルを造語にしたのは“芸能”を意識したということです。
――といいますと?
富野 それまで“脱ガンダム”の設定ができなかったのは、スペースコロニーという設定をリアリズムだと思っていた部分があったんです。
――僕などは、今でもスペースコロニーにリアルを感じているのですが……。
富野 それはまったくガンダム離れができていない状態ですね(笑)。そうしたリアルだと思われている「ガンダム」の設定を無意識に踏襲してしまうことこそが、ガンダム離れをできなくさせていた……つまり“アニメなのだから、何をどのように表現したっていいじゃないか”というエンターテインメントとしての芸能というジャンルに踏み込めていなかったということです。そうした『ガンダム』を取り巻いていた、ある種の既成概念を取っ払い、アニメというファンタジーの世界だからこそ“実現”できる世界観を構築しそうという思いでもって、“脱ガンダム”に踏み込んだのがこの『G-レコ』なのです。
今回はなんと宇宙に海まで設定しました。リアリティはありませんが、これまでにはないとても壮大な世界観で臨む作品になります。そして、そんな圧倒的な宇宙のスケールを“アニメだから”と笑って見られる作品にしています。そういった意味では『ガンダム』とは決定的に違う見え方の作品です。最近では宇宙世紀やモビルスーツを真剣に実現しようなんていうお方もいらっしゃいますが、『G-レコ』の世界観はより壮大でファンタジーなもの。“リアルロボットもの”だなんて絶対に呼ばせません。
――舞台は宇宙世紀の次の世紀、リギルド・センチュリーですね。
富野 宇宙世紀が終わり、さらに1000年以上が経過した時代設定です。まず、それだけ永い時間が経過すると人類のメンタルがまったく変わってしまう。宇宙世紀とは考え方や文化のまるで違う世界が存在しているということです。
――そんな時代において、宇宙エレベーターはどのように描かれるのでしょうか?
富野 劇中に登場する宇宙エレベーターはキャピタル・タワーと呼ばれていて、タワーの基本的な原動力は、地球の存在そのものがバッテリーになっているという設定です。つまり宇宙エレベーターというのは、人工的なエネルギーを供給して維持できるほど、簡単なシステムではないという設定です。そしてクラウンと呼ばれる乗り物は、“列車のカタチをした交通機関”として描いています。
実は、実際に開発しようとしている宇宙エレベーターの理屈では、高さ10万キロが必要だという試算がされているんです。その距離、想像できますか? 僕はどうしても10万キロという距離感が受け入れられなくて、キャピタル・タワーの高さは約8万キロと設定しました。それでもタワーの頂上へ行くためには時速500キロで1週間という時間がかかります。ですから劇中、とある人物がタワー頂上へ行く時に、“1週間はかかりますが大丈夫ですか?”と聞かれて“いえ、慣れてますから”と答えるやりとりを盛り込んだのです。
――8万キロという果てしない距離感が、簡単に伝わるやりとりですね。
富野 宇宙エレベーターについては、色々と勉強させていただきましたが、僕自身は今の段階では実現は相当難しいと思っています。アニメだからこそお見せできるダイナミックなスタイルにしながらも、もし宇宙エレベーターが実現したらこういう乗り物になるという“リアリズムの痛み”の部分を表現しなければならないと考えたからです。
――宇宙エレベーターによって運ばれる不フォトン・バッテリーとはどのようなエネルギーでしょうか。
富野 リアルに考えれば、エレベーターで行き着いた先(宇宙)に、利益となるものがなければ、交通機関としては正立しないのです。そこで、『G-レコ』では、宇宙からフォトン・バッテリーという無尽蔵に貯めることのできる架空のエネルギーを運ぶ役割として、宇宙エレベーターを設定しました。
――無尽蔵! 現代の地球が抱えているエネルギー問題なんて、一気に解決してしまう夢のようなバッテリーですね。
富野 今この世に送り出すアニメだからこそ、エネルギーについては避けては通れない問題だと考えていました。原子力発電所をなくして再生可能エネルギーを使うのであれば、科学技術の研究に加えて、その技術が人々の生活に定着するプロセスまでを考えると、この先100年……もしかすると200年はかかるのではないかと思っています。『G-レコ』を通して、“地球とエネルギーのもっと上手な使い方を考えていきましょう”という切迫感とも言えるようなテーマ性を感じていただくために、エネルギーの話は明確にしなければいけないと思ったからこそ、このような設定を持ち込みました。『G-レコ』で登場するフォトン・バッテリーは地球上で必要としているすべての動力源となっているかもしれない、とても強力なエネルギー源です。そうした理想を描くことで、エネルギーというものが人間にどれだけ大きな影響を与えているのか。そして、もし地球上からエネルギーが無くなってしまったら人類はどうなってしまうのか。そうした設定もしっかりと決めた上で『G-レコ』の世界観を構築しています。
――人類の未来を左右するエネルギーの問題を秘めているからこそ争いも起きてしまう……。まさに現実世界とリンクしているのですね。
富野 (ニヤリ)
――では『G-レコ』の世界観についてのお話を。まずメーンとなる舞台キャピタル・テリトリィはどういった場所なのでしょう?
富野 現在の地球でいうと、アマゾン川上流にあたる一帯をキャピタル・テリトリィとしました。今回の劇中で“地球上の舞台”として登場するのは、アマゾンとギアナ高地、あとは現代でいうところのニューヨーク近郊の街並みと日本が少し出てくるくらいでしょうか。というのは、エネルギーが枯渇したことで人類が衰退し、文明社会がなくなってしまった後、新たに人類が再生する途中の地球を舞台として設定しているからです。
――エネルギー枯渇による人類の衰退と再生……そ、それだけ時を経た時代なのですね!?
富野 そうです。エネルギーがなくなり文明社会が衰退してから1000年程度では、地球は再生しません。だからこそ自然が最も残っているであろう場所を物語のメーンの舞台にしたのです。
ひとつ象徴的なシーンを作りました。物語の序盤、宇宙の衛星軌道から見た夜の地球を背景にするシーンが出てきます。その時に地球の電気の光の量は、現在の1/10以下です。これは電気を点けていないのではなく、点けられないからです。
―― フォトン・バッテリーがあるからこそ、かろうじて電気が使えるということですか……。その舞台キャピタル・テリトリィにはスコード教という宗教があり、法皇が治めている社会という設定ですが。
富野 文明の起こりの中で。、政治と宗教はどちらが先に誕生したかと考えた時に、おそらく宗教のほうが先に生まれただろうと思うんです。『G-レコ』の世界は、一度人類が根絶やしになるような状況になって、そこからもう一度再生していった。その時、最初に何が興ったか……政治勢力ではなく、そこに残されていた宇宙エレベーターを“核”とした新しい宗教が興ったのだろうと考えました。彼らは宇宙から地球まで、人類を支えるためのエネルギーを送り届けてくれる宇宙エレベーターを“へその緒に見立てた”。そして“宇宙のへその緒教”と名づけたのです。
――つまり、人類にとっての“命を繋ぐ緒”ということなのですね。一方で気になるフレーズとして、「クンタラ」という階層社会を思わせる固有名詞も出てきます。
富野 階層社会というのは一般の人々が軽視できる存在がある社会ということです。では、この場合のクンタラとはどういう立場の人か……それは、はるか昔に“食料”となった人たちのことです。つまり文明が衰退していく時期に、そういう時代もあったということです。そうした設定は劇中では描きません。でも描かないからこそ、クンタラというネーミングにこだわり、違和感があるヘンな固有名詞を半年以上かけて創り上げたのです。
ではなぜこんな歴史的な背景を設定したのか。それは、そうした時代背景がなければ、ルイン・リーや、ノレド・ナグといったキャラクターが生み出せなかったからです。『G-レコ』ではどのキャラクターにも性格や個性として長い歴史の厚みが反映されています。ですから、彼らが持っているアイテムにも、それぞれに意味を持たせてあるのです。例えばノレドが持っているおもちゃのパチンコ。一見なんでもないおもちゃに見えますが、彼女は“本能的に自衛する武器”としてパチンコを持っているんです。パチンコはただのアイコンではなく、クンタラとしての時代背景や歴史を背負ったアイテムとしての意味合いもあるのです。
――つまり、歴史の記憶までもがキャラクターに投影されているということでしょうか。
富野 そうです。
――富野監督の作品では、どのネーミングも特徴的な響きが印象的なのですが。
富野 その答えは簡単です。36年前、『ガンダム』の放送前に“アムロ・レイって素敵な名前でしょう?”ってファンの方に聞いたんです。その時に、“なんですか、その名前は?”と怪訝な顔をされました。つまり、そういうことだと思います。今回のキャラクターたちの名前も耳慣れない名前かもしれませんが、観終わった時には定着しています。そのキャラクターの人生すべてを反映させていますから、ネーミングの作業はとても生半可なものではありません。
――ちなみに、登場キャラクターの中で、あえて富野監督がキーマンを選ぶなら?
富野 10話まで絵コンテを切った中で、レギュラーメンバーの中にキーマンはいません(笑)。……実はキーマンは“バイプレイヤー”の中にいます。この“バイプレイヤー”は、実はまだ役者さんが決定していないのですが(7/22現在)、絶対条件として、予定している役者さんが演じてくだされば“必殺のキャラ”なります! 『G-レコ』のオーディション時に、“この個性が欲しい!”という役者に出会ったんです。だから、この“バイプレイヤー”だけは役者ありきでキャラクターを創らせていただきました。
――こればかりはテレビで観る時の楽しみにしておいてください(笑)。でも、これこそ芸能の芸能たる所以だと思いませんか? 役者が良ければ、いつか主役を喰うということも起こり得る。そうした観客を魅了し唸らせることのできる役者の魅力を、作品に押し出すのが“本来の芸能の姿”だと僕は思うんです。――富野監督! 僕はガンダムを見た時に、ミノフスキー粒子は実在するものだと思っていました。
富野 バカな方ですね(笑)。
――(笑)でも、バカになって観ることができた作品との出逢いはとても幸せなことだったとも思うんです。
富野 もちろんそうですね。人には大人になる前の多感な時期に、そういうバカなことを考えるような時間が必要だと僕は思っています。今は大人になってからバカをやってしまう人がたくさんいる時代です。それはつまり、多感な時期にバカなことを考える……つまり“夢を見る”という時期を持てなかった人たちだと思うんです。
――むむ……確かに安易な犯罪も多い世の中です。『ガンダム』さえ観ておけば……。
富野 そうすると、大人になってからバカで愚かな戦争をしようだなんていうことは考えないハズなんですよね?
――確かにそうですね。では、この“脱ガンダム”を掲げて果たした『G-レコ』とはどのような作品になったか、その手応えを教えて下さい。
富野 この先、50年は生き残る作品だと自負しています。ただ、僕が続編を創ることはありません。孫の代に才能のある人が現れて、創っていただければと、そう思っています。
――50年後を見据えながら、後世へと託していく気持ちを込めた作品である、と。
富野 完全にそのつもりです。僕が本気で次の世代を担う子どもたちに向けてアニメを創ろうと考えたのは、数年前に孫をもったということも起因しているかもしれません。孫に対して主義や主張を押し付けるたけの恥ずかしいおじいちゃんにはなりたくなかった。歳を重ね大人になればどうしても劣化していく部分があります。でも“劣化させないように歳を重ねていく大人の在り方”をなんとか自覚して、小さなことをくよくよと伝えるのではなく、自分にしかできないことを後世に伝えたい、と。だからこそ僕は70歳にもなって、なんの恥ずかしげもなく世に送り出せるアニメを創ろうと思ったんです。ただし、そうして創るためには『ガンダム』に似たアニメではダメだと考えたわけです。やはり、“脱ガンダム”を果たしこの先50年は生き残ることのできる新たな作品でなければならなかったんです。
――それが『G-レコ』なのですね。
富野 しかしながら、物語の結末を設定として想定してはいるものの、現代では解決しない問題もはらんでいますし、何より、この物語はとても自分の代では完結することなどできないテーマを含んでいます。もし『G-レコ』でこれからのアニメのフィールドに新しい土壌を創ることができたら、そこで活躍するのは、今の10代の子どもたちであってほしい、そんな後世へと託す願いも込めて制作を進めています。
――ブロス読者には『ガンダム』を観て育った親世代もたくさんいます。ぜひメッセージをお願いします。
富野 親御さんたちには、頭の中をニュートラルにして頂いて、まさに子どもの純真な気持ちで観ていただきたいと思います。そうしないと、気持ちの悪い作品として残るんじゃないかな。子どもたちには、“嘘でしょう?”と素直に疑問を感じながら観て欲しい。その嘘の部分はなぜ“嘘”と感じてしまったのか……大人になるまでの間に本気で考えることのできるテーマを投げかけている作品です。ですから、親御さんたちには、ぜひ子どもさんたちにも見せてください、とお願いしたいのです。将来、お子さんはもちろん、お孫さんと観ても十分に楽しめるように創っていますので、これから50年、世代を超えて楽しんでいただければ、と思います。
富野 テレビブロスって活字が小さいでしょう! あんなに小さな文字で読めるもんなのかね。
「エネルギーがなくなったら」のくだりは、宇宙世紀末期のことなのか、それともG-レコのラストの展開としてフォトンがなくなるということなのか。
また、「バイプレイヤー」は8話までではまだ該当するキャストがいない様に見える。強いて挙げるとすればグシオン?
インタビュー外
- 表紙は金世俊氏。
- キャピタルアーミィはキャピタルガードが諸外国に向けて軍事的に対向できるために改編した組織。
- アメリア軍はMSを配備している。
- ウィルミットは母親。
- ベルリたちは養成学校1010回生。
- キャピタルテリトリィ調査部トップはクンパ・ルシータ。アーミィ設立を仕掛ける。
- 御禿はダムA付録のオリジンTシャツ着用。