富野:ご紹介いただきました富野です。今やってみた通りの歳になりましたので(階段でつまづいた)、優しく接してやって下さい。
福井:どうも皆さん今晩は。福井晴敏です。今「優しく接して」という話ありましたけれども、それはこっちの台詞でですね。今富野さんとは色々お付き合いさせて頂いているんですけれども、今まで一度たりとも「ユニコーン」の話題に触れたことはなかったです(会場笑)。理由は皆さんお分かりだと思いますけれども。ですけど、それを今日、こうやってカメラまで入れて(配信はされなかったが記録用カメラがあった)、公共の場でやれと言う。サンライズも本当に余程思い切ったなと思っているんですけど。
富野:今言ったじゃないですか。これ年寄りいじめなんだって。
福井:ですから今日は火達磨覚悟で頑張りますんで、宜しくお願いします。
藤津:(上映作品を挙げて)福井さん、緊張されていますか?
福井:ええ、最後の(ユニコーン1話)1本はオマケですから。
富野:ですからそれまでには始発が出てますんで、帰って下さい(会場笑)。
藤津:いやいやいやそれは…
福井:ほら来たぞー。
富野:だって、これだけいじめられてるんだから、これくらい言わせてもらえなければ、おじいちゃんの立場ないんですよ。
藤津:いじめられてはいないと思いますよ、今回。(福井氏に向いて)緊張してるんですけど、福井さん何か監督に聞きたいことがあるんですか?
福井:ガンダムの話で聞きたい事は、俺沢山ありますよ。
藤津:じゃあそこから行きましょうか。
福井:思えば、監督とお付き合いさせていただく様になって、もう10年以上になるんですけれども、こういう、所謂ファンがする様な質問って、今までする空気がなくてですね。なかなか出来なかったんで。今日丁度良いから色々こう、「最後シャアって死んだんですか?」とか、そういう話を(会場笑)。そういう質問をするマスコミとかと同伴で行ったりすると「君、大人になってそういう質問は止め給えよ」とか言ってるんですけど。実は俺結構聞きたかった。
富野:実は、最近、この1ヶ月くらいの間も、どこかでそういう質問を大人から受けたんです。この歳になりますと角が取れる様になってきたんで、こういう風にお答えしまして。その答えがとても気に入ってます。最近神話とか、その伝承話、というのをまた別の視点でチェックする様な事になって。そういう風に納得している事があるんだ。つまり再生物語というのは、人類が物語を作り始めた時から、延々と繰り返されていて。「これは基本的に人の願望なんだろうな」と思った時に、シャアが生まれ変わる様な物語を作るのは、それはお前達勝手にやって良いんじゃないの、という風に言える様になりました。
福井:はい、お墨付きを得ましたよー(会場笑)。
富野:偉いでしょ、と言いたいんだけども、そういう話を作ってね、面白いかは全然別の話ですよ(会場笑)。これ自分自身も、やった記憶がなきにしもあらずなんで、面白いかどうかは保障しません。あまりそれは後追いしない方が良いかもしれませんが、僕ならきっとやるでしょう。
藤津:福井さん、心強いというか、矢面に立たす様なと言うか…。
富野:そう。それきっとね、福井さんの世代ではないでしょうね。本当の意味での再生物語をやるとしたら、もう一回り経ってからきっとやった方が上手にいくだろうな、という事も感じています。
福井:今の二十代前半とか?
富野:いや、今の高校生だと思う。何故こんなこと言えるかっていうのは、この3、40年のハリウッドのリメイク版みたいなのも含めて見て言えることなんだけれども、つまり「スーパーマン」を実写でちゃんと撮れる様になったみたいな事があると。そういうタイムスパンを考えると、今「ガンダム」というのが30年経ってもこういう形で皆さん方が見て下さっているという意味で言うと、現在進行形なんですよ。だからそれの区切りが付くという時代を待たなくちゃいけないんで、今高校生とか中学生くらいが再生するのが丁度いいんじゃないかという風に思える。
福井:なるほど。じゃあ俺中継ぎってことで。
藤津:監督こっち向かないで下さい(福井氏から顔を背ける御禿)。僕次どう展開すれば良いか凄い困るので。
富野:何言ってんですか、司会者なんですからそれくらいの任務は背負いなさい(笑)。
藤津:すいません。
福井:もう一つ聞きたいことがあって。「ニュータイプ」。これやっぱり皆さん気になってるところと思うんですけど。ものの本だと、色々な事を語られてきましたけれども、最終的な本音みたいなところで言うと「いや、あれは最初のファーストガンダムを決着つけるための道具でしかなかったよ」みたいな事をよく聞くじゃないですか。
富野:そういう言い方じゃなくて、もう一つ前の言い方があります。巨大ロボットものを「SF」っぽくするためには、「ニュータイプ」ぐらい、出しておかないと…っていう言葉遣いはしておかないと、「SF」っぽく見えないから、それだけで出してました、っていう。ものすごく卑しい発想から出てます。
福井:それって、最初のガンダム作っている時のいつぐらいから?
富野:マチルダさんが「あなたニュータイプでしょ」って言った時から。エスパー。あの時に、あの台詞が出たってことは、それの3ヶ月か4ヶ月前にもう確定的に。
藤津:っていう事は1話を作っている様な段階で既に?
富野:もうその前の段階から、しょうがないから。使うしかないなと。ただそれを、ニュータイプにしたのは、これも何度も言っている通り、SF界で使い古された言葉は遣う訳にはいかない、というこちらの最低限のプライドがあったので、ニュータイプっていう言葉遣いにしたという事があります。
福井:なるほど。これ、俺の私見なんですけどね。こないだのイデオンのお話の時もちょっと出ましたけども、ガンダムって作品に於いて、ニュータイプってのがどういう役割を果たしかと。これ、世の中にあるドラマって、大体各論なんですよね。「各論」各々の論。つまり恋愛であったり親子ものであったり人情ものであったり、という色んなドラマがあった時に、それはそれぞれの論でしかないんだけれども、富野監督というのは今までの作品から見るだに、いつも総論をやりたがる(メモを取り始める御禿)。「総論」というのは、なんていうのか、世界とは何なのか、人間とは何なのか、ちょっと根元的なとこですよね。そういうものを描こうとした時に、人間だけが出てくるドラマだと、それってやれないんですよ。これは、例えばイデオンだったら、「イデ」っていう神様かもしれない存在が出てきてくれたお陰で、そこから逆にそうではない「人間」っていうものが全体的に浮き彫りになっていく。ガンダムっていうのも、当初はアムロの成長譚であり、ホワイトベースの中での呉越同舟の、っていう。あれは各論の集合体ですよね。でもそれの決着をつける時に、最後に、当初から構想されていたのかもしれないですけども、ニュータイプっていう人類のネクストレベルっていうものが浮き上がる事で、逆に人類。現在の人類っていうものが浮かび上がってくる。ニュータイプというものに対して、それこそ当時のマスコミでは、ちょっと批判的な意見とかもあった、って聞くんですけども。自分でやってみて思うんですけどね、ニュータイプがあるからガンダムって実は結構生き長らえてきたね、っていうのは、まぁ商業的な理由は別ですよ。プラモデルとかね。そういうので生き長らえてきたというのはあるんだけれども、作品として生きながらえてきて、「戦争もの」という各論に終わらないで済んだ、っていうのはやっぱりね、ニュータイプっていうのは俺デカいなと(メモタイム終了)。
藤津:それは改めて、ユニコーンを書かれた時に「ガンダムって何だろう」と福井さんが考えられたと思うんですけど、そういう時にやっぱ浮かび上がってきたんですか?
福井:そう。その時にはある程度ものを自分で作ってたじゃないですか。そうすると、ものを作っていく時の、ある程度スキルみたいなものも何となくあって。ものを効果的に描いていくにはどうしたらいいか。対象物を出す事だ、っていうのを何となく体で分かってくるじゃないですか。そうした時に「あ、そうか。ここでニュータイプを出したすれば、本当に凄い発明だったんだな」というのがね、しみじみと分かって。で、逆に、それで綺麗にスポンと収まったガンダムっていうものを、以後続編を作っていくにあたって、どっかニュータイプというのを追いかけ続けなきゃいけなくなっちゃった、という事は、これ結構大変だったんじゃないかな、って思ったんですよ。
富野:基本的にニュータイプの位置付けについては、今の福井説で全く正しいと思います。それで、僕自身がやっている時にはそこまでは考えていなくて。今言った様に、かなり卑しい発想で、言葉を作った、という事があります。ところが実際にテレビで劇を進行させていくと、キャラクターというものが、僕にとっては絵空事ではない訳です。間違いなく肉体を持った人として迫ってきて。幾つもの人の組み合わせっていうものを作劇していくと、つまりニュータイプという概念もしくは観念、それから理念としてつかまえていかなければいけないという事を、当然気が付いてきます。気が付いていきますから、ファーストガンダムで何とかしたいと思いながら、何とかならなくてあの様な終わり方になってしまった、という部分で、否定・肯定が僕の中で50パーセント・50パーセントだったんです。ですからΖガンダムをやらないかと言われた時もの凄く困ったのは、どちらにも寄れないニュータイプを抱えたまま作るのはかなり無理がある、という事も分かった。無理も分かったから「安手なSFにしちゃおう」という風な覚悟を決めたんです。一つには、これはビジネスですから作って見せなければいけない。その為に、強化人間っていう様な、しょうもないものを打ち出してみて。ひょっとしたらニュータイプの片鱗になるかもしれない、という風に弄り回してみた。そうすると、この弄り回しがキャラクターを扱うという事になる訳です。作るという事になる。当然何人かの人間の生き死にをドラマの中で見つめるという事になって。そうすると、強化人間というのは実を言うと俗に言う超能力者と同じでして。結局性能論になってくるんです。スペック論になってくる。各論なんです。
福井:あー、なるほど。
富野:人としての各論に陥ってくるから、強化人間が圧倒的に強い敵として現れたり、良い敵として現れたり、どちらにしても極論でしかないし。総論をつかまえる事にはならない訳です。つまり、一人のスーパーヒーローを誕生させるだけですから、極端な言い方をすると、スーパーマンの後追いするみたいな物語になってくるだろう、という想像をしました。ところが、ニュータイプの、つまり50パーセント回答になってない部分があるのは、総論なんですよ。で、僕自身が所謂俗に言う「劇作家」、日本語で言いますと「戯作者」という言い方があります。つまり近松門左衛門の様に「劇を作る」。僕には戯作者としての能力がないという事も分かってきたので、所謂総論と劇を一緒にする様なスタイルの作品を作っていくというとこに行くしかない、というのはΖガンダムで分かった事だったので、Ζガンダムがああいう終わり方をしたという事もあります。ですから、Ζガンダムというのは、回答が見えないままに総論と各論を一緒にやってみる物語になってしまった、という事があります。それから、Ζガンダムで見落として欲しくない事、特に皆さん方大人になってらっしゃるから、見落として欲しくない事があります。これはもおう既に何度か活字に書いている事です。自分の置かれている環境が酷いとか、それから環境に対して何とか突破しなくちゃいけない、という風に現実に対して恨み辛みを持ってしまったという時に劇を作っていくと、Ζガンダムの様な悪い形の物語になって終わっていく、という事を、これはかなり意識して体を張って、ああいう物語にしたという部分もあります。世の中というのはこわいのは、矢張りそういうものは見抜く大人が当然いっぱいいる訳です。ですから、僕はガンダムも含めてですけども、テレビの仕事から半分以上干されるという形になってしまった、というのが、僕にとっての20年間という時間だという風に理解もしてますので、この真似だけはしない様に。かなり辛いです。
藤津:そういう意味では、新約は各論・総論という、福井さんが設定した問題設定で言うと、監督の中ではあれはどういう形で?
福井:俺の印象では各論に徹してみせた、っていう。
富野:各論に徹してみせながら、つまり大人が周りにいて、つまり出資者がいて、それから公開する場があって、っていう社会がある中で、作品を発表していく時には、絶対に現実の、世の中に対して一番こわいな、っていう悪の部分とか、「お前らそこまで怠惰なんだろ、そこまで何も考えないで飯だけ食ってるんだろ」っていう様な物語は絶対に作ってはいけない。という事で、俗なハッピーエンドにするというとこに落としたんです。普通の能力のある人間は、つまり新約のΖ以上の仕事は絶対にしてはいけませんよ、という事の証明でも、証拠品として提示したという部分もあります。
福井:でもやってみてどうでした? ご自分の中で、言ってみれば20数年前のアレでしょ、怨念と対峙したみたいなところじゃないですか。
富野:普通の人間にとっては、新約のΖに纏めるという事の方が、とても生きていく上で楽です。
福井:あー、気持ちよかった?
富野:気持ちが良いかどうかはちょっと別の問題としてあるんですが、生きていく上では楽ですし、やっぱり世間で生かされてる時の大人の姿勢として、一番穏当なところではないのかな、と思います。凄く分かりにくいかもしれませんが、僕にはこれについてはこれ以上の説明はちょっと上手に出来ません。
藤津:それは映画を見た上で皆さん、考えてくださいと。
福井:そうですね。何となく感じる。感じるのは分かるんですけれどもね。なかなかそれを言葉にするのが本当、そういう意味では劇場のΖというのはかつてない形で作られた映画ですからね。
富野:今かつてないという意味では、オリジナルを180度解釈を変えて表現したという意味では、技術的にとってもスリリングな仕事でしたから、仕事としては面白かったです。ただそういうスキル論の面白さだけで作品を作って良いのかとなると、やはりそれは多少僕は問題があるとも思っていますので、全部が全部、全肯定は出来ない。だから生き方としてとか、それから仕事をこなすというのはこういうもんなんだろうな、という事は実感はしましたので。そして何よりも前例の無い仕事でしたから、映画版に焼き直しをする、つまり再構成をしたΖが嫌いかと言えば、仕事としてはかなり好きです。つまり職人というのはここまでやってみせられるんだ、という事で、その部分は見て欲しいし、評価もして欲しいんですが、ガンダムファンには当然嫌われている訳だし、逆に外部の人間にしてみると、今言ったテレビ版の時の問題と映画版になった時の問題というものは、外部の人間は比較して見てるような人は殆どいませんから、分かってません。だから自己宣伝するしかなくて。「あのスキルはかなり凄いんだよ」「富野ってなまじのもんじゃないんだよ」っていう事を本当は見抜いて欲しいんだけども、見抜いてくれてません。その証拠がΖ以後仕事がないからです(会場笑)。
福井:あるじゃないですか。
富野:(首を振って)そういう意味ではないです。
福井:その順番で流れ的になったんで聞いちゃいますが、逆襲のシャア。これ今から22、3年ぐらい前ですよね。
藤津:そうですね。22年前ですね。
福井:まだ10代最後とかそんな時だったと思いますけど、最初に観た印象というのは、もの凄い早口な人と2時間一緒にいたっていう。あれって後にご覧になった事ってあります? 作ってから。
富野:(笑)だって、あのね。一般的に言う意味で言えば、観てるかと言えば多少自信がなくて、観てるとは言えません。が、当然それぞれの媒体に落とす時に、仕事場では嫌でも全編通して見ますから。
藤津:新しいパッケージソフトを出す時のチェックですね。
富野:勿論。色調整一つするのにも全編見ます。それも1回や2回じゃありませんから。見てはいますし、そういう事で言いますと、これもこういう人間ですから「なんてこの監督は巧いんだろう」って(会場爆笑)。毎回感動してしまう。
福井:スゲー。
富野:嫌な奴です(会場拍手)。
福井:じゃあ、今見て全然仕事として悪いもんじゃないって思いますか。
富野:1箇所ね、リテイクしたくって。実を言うとその作業をしている時から「あれは直せ!」と言って直せなくってしょうがなくてパスした部分があって。それがずーっと残っている訳です。物凄く嫌な事があります。シャアがコップを投げた時に、床にオフで…つまりサラウンドになってるんで、手前で音が聞こえる。絨毯の上に落ちたコップの音が…なんとしてでも気に入らないんですよ! 未だに。
福井:シャアじゃなくてナナイでしょ。
富野:ナナイが投げたのか。
藤津:「娘に気取られて」ってやつ。
富野:そうそうそう。あの音が絨毯の上に落ちた音じゃない。そんな薄手の絨毯じゃないんだぞ、っていうのが(会場笑)。
福井:細けー。
富野:未だに拘りとしてあります。
福井:これも今日の注目ポイントですね(会場笑)。
富野:凄く嫌なんですよね。厚手のベニヤの上に、その辺で売っている薄い皆が知っている様なカーペットの上にコンと落ちた、っていうゴロンという音なんで。いや、それは違うだろう、って本当にあります。
福井:ファサ、って感じで落ちた方がね。
富野:いや、ひょっとしたら音がしないかもしれない。そしたら「聞こえないでしょ!」って話になっちゃって。
福井:そりゃそうですよ。
富野:で、妥協したんですけれども。やっぱり未だにその妥協は許せない。作り手というのは、そういう所に、ひどく、気になっているもんです。
福井:あのー、10年ぐらい前かな。∀やってしばらくした後ぐらいに、なんかでやっぱり、DVDの時か何かに、ご覧になったんですよね。その時に俺に言ってたのは、「あんなの分かんないよねぇ」って。ご自分で言ってたんですが、覚えてます?
富野:いや、そんなの覚えてる訳ないです(会場笑)。さっき言った話もそうです。「この監督巧いよなぁ」って。「何故これを10年も20年も前にやったんだろうか」って。で、この人と会いたいと思うしかなくて。自分で自分に会う事は出来ないんで、あの監督から次のスキルを貰う事が出来てない自分というのは、もの凄く嫌だ、っていう。そういう、酷く何ていうのかな…。ガヤガヤしたものも自分の中にあります。
藤津:福井さんが仰ってた、早口の感じってのは、ご自身では感じられます?
富野:全然感じない(笑)。
藤津:それは本人だからですよね。
富野:初めから感じない。だから、その辺は本当にこわい所で。今言った通りの言い方、つまりあの監督から色んなものを貰いたい、これも実を言うと自分の中にある欲求なんです。と同時に、やっぱり自分自身がやったものだから、かなり色んな事を覚えている部分があって。それが全肯定出来ない為に、一般的に「観る」という行為に入る事が出来ない部分があります。
福井:そうですよね。それで言うと、もう一つ、逆襲のシャアでは気になってる事があって。「サイコフレーム」。
富野:(苦笑)あれは恥ずかしいから言わないで欲しい(会場笑)。でも今、これのお陰で「ユニコーン」っていう監督知らないガンダムが…(会場笑)。
富野:あのね…そこまで言うならさ、言いますけれどもね。「ユニコーン」の1話と2話(アニメ版と思われる)、観てます。ちゃんと。
福井:ああ、そうですか。
富野:それで…いや、まぁいいです(苦笑)。
福井:俺そろそろピンチになってきたんで、デストロイモードに(ジャケットを脱いでデストロイモードのTシャツ姿になる)。はい、サイコフレーム。小説の「ベルトーチカ・チルドレン」ってあるじゃないですか。ありますね?
富野:…ある様です(会場笑)。
福井:はい。あれって、アムロとベルトーチカの間に子供が生まれて。
富野:嘘?
福井:生まれる寸前ですね。そのベルトーチカのお腹の中にいる赤ん坊が、「逆襲のシャア」の本編中におけるサイコフレームの役割を果たす訳ですが。でも、あの小説の後書きを読むと、やっぱアムロとか、そういうヒーローに子供が出来るのは如何なものか、みたいな。そういう色んなサイドからの意見があって、それは止めたと。で、止めたところで、サイコフレームに行ったというのは、あれは急遽思いついた事なのかどうなのか。
富野:(苦笑)そんな忘れてる事は聞かないで下さい(会場笑)。全然覚えてない。
福井:全然覚えてないですか?
富野:(頷く)。
福井:でも、サイコフレームって、あれじゃないですか。言ってみればイデオンと同じ原理みたいな感じでしょ。
富野:(頷く)。
福井:だから、やっぱり俺の感触では、ガンダムの続編って、まぁこれはカメラ回ってるから、あんまり言っちゃうのも何なんですけど。ガンダムの続編って、Ζガンダム以降でもユニコーンでもなくて、イデオンだと思ってるんですよ。ファーストガンダムのあの話をやった上で次をやるとしたら、イデオン以外にない。その次は実はもうない。という事は、こないだお話した通りなんですけども。だから、そういう意味で言うと、逆襲のシャアでサイコフレームを出したっていうのは、本来的な、言わばニュータイプを総論として引き戻すのに必要な小道具として設定したのか。でもそれにしては、当初はアムロの子供がその役を果たすアレだったのか、となると、一番最初のステップでは、どういう風に考えてたのかな。
富野:無理に言葉にすれば、矢張り一番初めに「ニュータイプ」っていう言葉を持ち出したのと同じ発想で。「SF」っぽくして誤魔化すしかないよね、っていう事で持ち出した、小道具でしかない、という言い方がありますね。そして、その嫌悪感があるから、思い出したくもない、っていう所に繋がっていく部分があって。そして、本来サイコフレームという、ああいうものを出さなくっても、逆シャアのラストシーンの画って、とても好きなんですよ。サイコフレームは無くてもあの画は出来たかもしれないのに、やっぱフックとしての、画面になるべきものを出さないと、画にする事が出来ないかもしれない、っていうので、サイコフレームを出してしまった。
福井:きっかけ出しみたいな。
富野:そうなの。だから「道具の道具」でしかなくて、物語論とか、特に概念とか理念の部分に関わる現れ方をしていない。そういう扱い方一つしていない、っていう部分で、凄く雑な扱い方をしているんじゃないのか、っていうのがもの凄く気になってます。それとあともう一つ抵抗感があったのは、あの形を決めるにあたって、結局、要するにあの形にしか出来なかったという意味で、あの時に基本的に、実を言うと三大宗教の事も考えました。そして、やっぱり一番シンプルなものの形というのは、そこに行くしかないという意味で、キリスト者がああいうシンボルマークを作ったという事の巧妙さも分かるし。今度は我々、つまり信者になるべき一般大衆という人々というものが、実を言うと理念だけで言葉だけで、「言葉ありき」だから言葉だけで良い様な気もするんだけど、信者を集めとか人が集まって、あるコミュニティを成立させていく時に、どうしてもシンボルマークが要るんです。って時に、もの凄く簡単にああいう形のものがあれば、それだけでもサインになってしまう、っていうおそろしさも含めて、あの形を突破出来なかった、という嫌悪感は今日現在まであります。
福井:それは腰にくっ付けてた「T」? あれは「TOMINO」のTではなく(会場笑)?
富野:違います。違います、違います(首を振る)。要するにクロスにするのをもの凄く抵抗感があったから、ああいう風にしたんだけども。実を言うと、基本的にはクロスなんですよ。クロスは逆に言うとちょっと傾けると×(バッテン)でもあるんです。そして、今言った通り、あの形というのは、何を使ってもかなりシンプルなものを使っても表示が出来るという意味で、矢張り我々人というのは、ああいう目に見えるものの形にして見せた時に、かなり簡単に屈服してしまう、という心がある。というのを、あの時に嫌悪感としてあるんです。それをまた結局自分も持ち出さざるを得なかったという意味での悔しさがあって。悔しさの間が20数年してみると「ああ、皆簡単に1/1に屈服するよね」っていう様な事もあって(会場笑)。やれやれ、と思ってる部分もあります、という所に繋がります。(福井氏に向かって)強引に話繋げ過ぎてる?
福井:いや…でもサイコフレームってのを思いついて「これを入れよう」とした時に、イデオンの事って頭にはあった?
富野:無かったと言えば嘘になります。あったかと言うと、それをむしろ排除しよう排除しようと思って、結局排除しきれずに取り込んでいまうというのが、一人の人間のやることなんです。たかが一人の人間のやる事だから。だから作り手というのは絶えず、実を言うと僕の様な作り手であればなんですが、つまり戯作者として優れていませんから、やはりそういうものを持ち込んでしまう。つまりAの作品、Bの作品、Cの作品が完全に区切りがあって、作品がそれぞれに固有な存在として存在し得るものは作り得ない。人間のやる行為なんだな、という事でサイコフレームに関してやっぱり自分の中で徹底的に敗北していったシンボルでしかない、という部分が自分の自覚の中にあります。
福井:なるほどね。
藤津:逆に福井さん気になってた訳ですよね、ずっと。
福井:気になってた。正直申せば、逆襲のシャアを一本の映画として観た時には、オリジナル案のベルトーチカ・チルドレンの方が圧倒的に良いです。やっぱりサイコフレームはどっかで取って付けた感というのは拭えなかったな。
富野:その感触は間違いではありません。間違いではないのは、つまりベルトーチカ・チルドレンを僕は思い出していないというのは、絶対に思い出したくないのは、書いて以後一度も読んでいないんです。一行も読んでません。
福井:そうなんですか。
富野:はい。一行も読んでません。一行も読む気も無いです。今も。どうしてかと言うと、あれは独立した作品であって、僕にとって関与する作品でないからです。読んでしまったらまたそれに影響を受けます。だから忘れて良い事なんです。イデオンの様なものを作ってしまって…ああ、だから、今漸く思いついた。ベルトーチカ・チルドレンに関して言うと、かすかにです、固有な作品になっていたのかもしれない。だけども、イデオンの様に、つまり総論という部分を語るという試み。ファーストガンダムが始めてイデオンであそこまで行ってしまった時に、それは僕の様なレベルの人間にとっては、全身全霊降りかかってくる事態ですから、これを振り払う為に、矢張り20年はかかってしまう、という事はあります。ですから、こういう風な仕事の仕方は、あまりお勧めは出来ませんし、逆に僕自身ある意味身を挺してやってみせた事なので、僕だけの仕事にしておいて頂いて良いんじゃないかと思っています。だからです、いきなり飛躍して言います。以後の、つまり僕が関与してないガンダムの様な作り方を、基本的にそれぞれの人たちが、それぞれの中で生きていく上での仕事としては認めますし、あって良い事だと思います。
福井:分かりました。それは俺も生きていて良いって事ですね(会場笑)。
富野:勿論です。
福井:ありがとうございます。今日はそれを聞けただけで、俺は安心して眠れます。
藤津:福井さんにちょっと伺いたいんですけれども、そういう意味では逆襲のシャアの3年後からスタートする物語をやろうと思った時に、福井さんが思っていたガンダムの謎、と言うと変なんですけれども、総論としてのガンダムみたいなものを、かつてのガンダムのパーツの中から引っ張り出そう、みたいな事を考えられたんですか?
福井:そうですね。そういう点で言うと、逆襲のシャアで、本来着けられるべきだった区切りっていうのが、やっぱり俺はどうしてもアムロの子供問題で、どっかぼやけてしまったんじゃないか、っていう恨みってあったんですよね(御禿またメモを取り始める)。で、そうした時に、やっぱり別な人なんで。当然どんなにファンであろうとも。同じ様にはなれないし。俺自身例えば、全然知らない俺と同世代ぐらいの奴が「ガンダムの続きを作って来たんだ」って言ったら「ふざけんなよ」と思う訳ですよ。やっぱりね、それは。だけどその点で唯一保障になったっていう、保障になんかそんな事じゃなんないんだけれども、自分の中でやっても良いなと思われたのは、ある程度、ユニコーンに辿り着くまでに自分の中にキャリアを埋めて、ちょっとは名前を世間に売る事も出来た。当時の声として「何でまたガンダムやるの?」っていうアレだったんですけども。俺的には、やっとまた、ガンダムやれるだけの、前回の∀の時はあくまでサブコンテンツとしてのお手伝いだったんで。今回やっとガンダムやるだけの資格が手に入ったかな、っていう。入りきれないかもしれないけど、そっから先っていうのは、俺の好きよりも、皆の好きを出来るだけ聴取して。合わせて作っていってみせようと。その中に、自分で一個だけやりたい事があるとしたら、やっぱりさっき言った総論としてのニュータイプであって。人類っていう、あの宇宙世紀の中の人間っていうものを総論として浮かび上がらせる事で、初めて風刺劇として独立出来るんじゃないかな、みたいな。そういう気分っていうのがあって。その為にマストでやんないといけないってのが、一遍完成されたニュータイプっていうのをチラ見させておかないとダメかなと。それがあったもんだから、最初に監督の家に、今から5年くらい前ですけど、実は企画書持って、ペラ1枚ですけど行ったの覚えてます?
富野:覚えてません。そんな事あった?
福井:ありましたよ。これをちょっとご覧になってもらって。もしこれであなたが不快であると言ったら、その時実は結構固まってはいたんだけれども、一切止めて辞めますと。いう話をして。で、見せた訳ですよ。かなりドキドキで。そしたら監督テレビ観ながら、こうチラっと見て「いいんじゃない?」って。それで俺は「しめた!」と思って。突っ走って来た訳ですけども。
藤津:その場で「ユニコーン」という名は一言も口にする事なく?
福井:そう。以後は全く口を閉ざしたまま。ここまで来た訳なんですが。でもそうは言っても完成したニュータイプなんて、それこそ誰が何言っても正解ではない事な訳だから。だから、今まで監督が書いてきたもの、作ってきたもの、というものを精査して、その上で「おそらくこうだろう」というのを、もの凄い曖昧な形でちょっとだけ出すっていう形で。でないとこれは本当終われないよね、っていう。だから、やってみたんですけど。でもねぇ、そこがやっぱりコンテンツの力だなと思うんだけれども、そこまでやっても話は続く事を欲する訳ですよ。欲してるんです明らかに世界は。
藤津:宇宙世紀というあの時間が?
福井:そう。しまいきれない、という所へ続こうとしているっていうところがあって。そういう意味ではね、当初のプランでやり始めた事から言ったら、まだ完遂出来ていないかもしれないものがあります。これは本当引き続いてアニメでの作業になると思いますけどね。
富野:今の話、かなりぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、福井君が言ってるんだけれども、さっき僕が言った通りです。我々は、再生の物語を作り続けるしかないんです、というところに辿り着きます。それは投げやりな言い方ではなくて、我々は現在「生きている」という事について、生きていられる確証というものを、生きている間我々は絶えず求めています。と言った時に、まさにこの再生の物語しか我々は生み出す能力を持っていないらしい、というのは人類の宿命なんじゃないかな、っていう事もありますので、それは物語は終わりませんよね。そして、さっきから僕は「戯作」という言葉を使っています。と言うか、物語を作る作り手の事をチラっとお話しているんですけども。一つの物語というのは、一つの物語として完結し得るんです。完結して、独立して存在し得るものなんです。ですが、「ガンダムの物語」と「ガンダムに類する物語」つまり総論を人々という各論を使って語ろうとしていった時に、実は物語は作りえないのかもしれない、という地獄に陥ってるというのが、ひょっとしたらガンダムワールドかもしれないし。僕自身がこういう人間であったが為に、そういう一番面倒くさい総論と各論をいっしょくたにしてやってみせるというところに行ってしまったんじゃないのかと、逆に思ってる部分もあって。ひょっとしたら、「無間地獄」という言葉がありますけれども、「無間地獄」に陥っているのかもしれない、っていう感覚はなきにしもあらずです。
福井:あぁ。
富野:ですから、実を言うとテレビ版のΖの作り方が、ひょっとしたら、真似をするなとは言いましたけれども、一番簡単な作り方かもしれません。どういう事かと言いますと、もう一度言い直します。現実に対して恨みをもって「手前ら皆死んでしまえ!」っていう物語を例えば作ろうとすると、それは簡単に作れる、という事です。それで完結して気が済むんです。作り手が。それにシンパシーを持つ、つまり観客なり読者なりというのは、それは作品として支持するかもしれません。そして、おそらく世の中にある物語の概ねがそういう風な形の物語ではないのかな、という気がしないでもないのかな、っていうが今ふと思いました。
福井:なるほどね。
藤津:とすると、逆に言うと逆襲のシャアのラストは、どうして監督はあそこに行こうと思われたんですか? 福井さんも仰られていましたけど、ある種力技でラストに至ってる様に思うんですけども。
富野:だから、僕の場合には、やはりそういう意味で言うと、「アニメ的な」という言い方の手法で逃げて。総論と各論をいっしょくた、ごった煮にしても、何て言うのかな…何となく、画面として収まってしまう媒体という所に逃げてるんじゃないのかな、という雰囲気はします。
福井:今の監督の話聞いて俺も納得しました。あれは、終わらせようと思ったら、ガンダムがそれを拒否したんですよ。それこそ「アムロに子供が出来るのはいかがなものか」みたいな周囲の声も含めて、やっぱりまだガンダム自体が「いや、ここで完結なんてしみったれた事言うなよ」っていう。そのパワーで、アムロとシャアのあの二人のやりとりについても、もの凄い尻切れトンボ感があって。それって、やっぱそういう事なのかな、とまぁ思いましたけれどもね。
富野:と思いますから、簡単な話で、「アムロとシャアは死んでますか?」という質問が、本当にこういう様な話が出来る様になってから思えるのは、当然の質問としてあるべきものだという風に思っています。ですからそれについて、僕個人の立場では、アムロとかシャアの再生の物語を作る気はありませんけれども、どの様な形であれ、現れても構わないだろうと思ってる。だから先ほど言った事だけ覚えといて下さい。つまり、時系列があるところでやっていかないと、実を言うと酷い目に遭うよ、というのがあるので、それは気を付けた方が良い。そういう意味では、30数年、まだファーストガンダムからの一つの流れが、ユニコーンでもまだ途絶えないかもしれない、という、現在進行形のものになってしまった、という意味での不幸がありますので、これに参画する時には、かなり気を付けて頂いた方が良いんじゃないのかな、と思います。ただ、逆に言いますと、こういう様なタイトルのものがあるというのは、やはりあらためて面白いな、という風に思っています。つまり、「スーパーマン」のパート3とかパート4とかというものと、構造が根本的に違うものですから、そういう意味では面白いシステムを生み出したし。そして皆さん方が支持して下さってるからです。これがシステムとして、今、作動してる部分もあって。まさか自分も今、これをこの後でこういう事を言うとは思わなかったんだけれども。やっぱり今のロジックに乗ると、ガンダムってもう4、50年続きますね。
福井:そうでしょうね。
富野:という事が、実感として分かってきました。これに関しては、自己讃美というのとは、ちょっと違う視点で言ってることですよね。
福井:ええ。そうだと思います。
富野:システムとして見えてきてる部分がある。
藤津:監督前に色んな取材で、ガンダムをフォーマットになってるから生き延びえているんだ、というお話をされていましたけれども、それとも通じることですよね。
富野:んー、ただそれは、「フォーマット」という使い方じゃないから、つまり3年前まではまだ希望であった部分もあるし。そういう考え方もあるかもしれない、という風に思っていました。今話した気分はもうちょっと違う、もうちょっと、もうちょっと肌身に付いた気分があって。どうもこれは事実かもしれない、っていう感じが、感触がしているという部分があります。それは今こういう様な会場でお話させてもらってるから、そう思うのかもしれない、と言いながら…。いや、さっきもちょっと家でNHKの「思い出のメロディー」って番組を観てて。要するに歌謡曲の、昔の。あの繰り返しとちょっと違うんで。
福井:まぁ、そうですね。
富野:違うんで。やはり違う。システムとして動き始めてる、というタイトルになってるんじゃないのかな、っていう気がします。
藤津:そういう意味では、福井さんがやられる時って、ガンダムの、宇宙世紀を舞台としながら、現代性が入れられるか、というのは多分考えられたと思うんですけど。
福井:はい。それは容易に入れられます。あのシステムは、本当弄ってみれば分かるんですけれども。どんな時代になっても入れられます。それは本当、商業的な要請で、例えば「何年ぐらいならこんなモビルスーツが出るから、こんな時代にしてくれ」みたいな事があったとしても、多分、やれると思いますよね。そこは本当すごいと思うんですけれども。こうなってくると最後に伺いたいのは、「次」どうするんですか? という事で。
富野:いや、僕の立場でそれ程率先して、ガンダム的な物語を作らせてもらえる立場にいると思ってませんし、具体的なオファーもありませんから。痩せても枯れても年を取っても死にそうになっても、テレビ屋はテレビ屋なんですよ。スポンサーがいなければ番組枠がなければ、何を作りたいなんて口が曲がっても言えないし。僕は作品が発表されるまでは、これを作りたい、と言った事がない筈です。ですから、そういうオファーがない限り、考えませんし、考えたくもない。疲れるから。
藤津:お客さんの中には、「リング・オブ・ガンダム、リング・オブ・ガンダム…」と頭の中で思ってる方が…。
富野:(笑)あれもあの後に積極的に、「じゃあ、これで行くぞ」っていう話・オファーがあれば、そりゃ考えますよ。だけどオファーがないんだから、考え様がないじゃないですか。それだけの事です。
藤津:監督の中には、あの世界は生きてるんじゃないですか? やっぱり。
富野:えーと、いや…。今「いや」と言った瞬間に「しまった!」と。「テレビカメラ止めろ」と(笑)。
藤津:なんか微妙なところに突入してしまいましたか。
富野:…ありますので、「いや」という部分がありますが…「いや」と言いながらこういう風に続ければ回避出来るという事も思いつきましたんで。あの試作を作って、実を言うと、かなり、幾つかの思いのたけで実験してみた事があるんです。その実験の部分から、つまり逆算して、こういう物語にする時に、ああいう作画の仕方も含めて良いのか。それから今日、この夏発表されてるアニメ作品、ピクサーの作品含めてです。それから、この中には…(藤津氏に)アリスの話は何だっけ?
藤津・福井:「アリス・イン・ワンダーランド」。
富野:「アリス・イン・ワンダーランド」まで含まれてます。ああいう作品の仕方も含めて、アニメーションとして、つまりCGを使う使わないも含めてですけれども、根本的にこの夏までに現れてるアニメーション、実写のああいうものも含めてですけれども、作品を含めて気に入らないんですよ!
藤津:気に入らない?
富野:気に入らない。だって、みんな似た様なやり方でしかやってないじゃないですか。
福井:そうですね。
富野:それからあの…パイレーツ(「パイレーツ・オブ・カリビアン」)も含めて。もうちょっと違った作画の仕方があるのではないか、という事も、そういう袋小路にもぶつかっちゃった経験を要するに去年した訳です。それで、それも突破しなければいけないという手法が今見えてこない。それから作品世界の事で言うと、直径200キロのスペース・コロニーは実は直径200キロでもいけないというのが分かって。直径1000キロか1500キロのリング状のコロニーの事を考えてます。という事は、ひょっとしたらそうではなくて、えーと…「リングワールド」?
藤津:SFの。
富野:「リングワールド」レベルのものでなければいけないんじゃないのか、という事も分かる様になってきました。それは実際にリング状コロニーは何をさせたいかと言うと、惑星間飛行をさせたいんです。惑星間飛行に出発するまでのガンダムの物語を作る、というのが、今まで想定していった時に「いや、あの形もやはりちょっと迂闊だった」というのがあるんで、その改善策も考えてます。あれやこれやを考えていくと、今取りあえずあれで映画一本作ってくれ、と言われると困るんです。ちょっと色んな事がとっちらかり過ぎてて。
藤津:課題がいっぱい発見されて。
富野:もの凄く分かってきたから! それでキャラクターの描き方から含めて、ああいう変な描き方も実験しました。良い描き方も実験で上手くいっている部分もあるんです。それのどっちを採るか、という事も、実を言うと何に引っかかってるかと言うと、今のソフトウェアのクセ、みたいなものをオペレーター達が乗り越えてくれないと解決つかないんです。そういう事が分かっちゃいまして。似た様なものならひょっとして1年半頂ければ作れるかもしれないし。今のデジタル技術で言えば、相当莫大な予算でなくとも作れるかもしれませんが、そういう、僕の場合にはです。余分な事をやってる暇はありません。だから、それは若い人にやってもらいながら、何とか「リング・オブ・ガンダム」を形にしたいと思っています。が、先ほど言った、問題があります。つまり、「何故惑星間飛行をしなければいけないんだ」っていう問題についての物語を、地球側の物語にするのか、コロニー側の物語にするのか、その間に入ってるガンダムの物語にするのか、っていうのも、今の時代感覚の中で、どちらに踏み込んだら良いのか、というのも分からなくなった、という風な問題が具体的に分かってます。で、今年中のオファーは受けられません(会場笑)。という事です。
藤津:福井さんに伺いたいんですけど、こうやって監督がお話されてるのを聞くと、そこまでは宇宙世紀はまだまだ行けるぞという感じはしますよね?
福井:やっぱネクストレベルとして、次「銀河旅行」というのは、「ああなるほどね」と思いますよね。
富野:今実を言うと自分でもびっくりするのは、今福井君が「銀河旅行」という言い方をしました。僕はそういう美しい名前で惑星間飛行をするリングコロニーがあると思っていなかったんで、今もの凄くびっくりしてます。だから「あ、銀河旅行というタイトルを付けるなら、映画として作っても良いんじゃないのかな」と思ってますが、それで作るとなんか凄く悲惨な物語になりそうな(会場笑)。
藤津:なんで、美しいのに。
富野:美しいのに「トミノがやると「銀河旅行」でさえ美しくなくなっちゃう」という問題があるんですよ。「どうして?」となると、だって直径1800キロの、例えばリングコロニーを作って。それで地球圏を脱出した時に。もう今の今まで思いついていなかったんですよ。今思いついたもん。それをやろうとした時に、それを潰しに来る敵がいるんだよね、モビルスーツに乗って。という事を思いついちゃったんで。「えぇー!」って(顔をしかめる)。
福井:それしなきゃ「ガンダム」になんないじゃないですか。
富野:と同時に、ガンダムだけじゃなくて、「あぁ、やっぱり人ってのはそういう動物なんだ」。どうしてかと言うと、「あいつ等に銀河旅行をなんていう、良い思いをさせるぐらいだったら、そんなのは嫌だよね」と思う奴が絶対出てくるんだよね、っていう物語になる訳ですよ。これも今、ここで初めて喋ってみてびっくりしてるのね(会場笑)。
福井:聞けば聞くほど悲しい感じになってきそう…。
富野:そうそう。それで、そういうリングコロニーを潰す奴がいるだろって、ギレンみたいな奴が出てきて、ってなると、「劇」はとりあえず出来ます。出来るけれど、それはまた絶望を見る物語しか出来なくて。それは嫌だよ、ってなるから(会場笑)。
藤津:監督がどうやってお話を最初、突端を掴んでくるか、何となくね、今のお話で見えた感じがしますね。
富野:で、今本当にここで初めて話をして、「あ、こういう方法もあるけど、これで映画は作りたくない」と思うから。困ります。ただ! 一つだけすぐ作れます、と言うのもこの歳になった時に、死ぬまで元気に生きていたいと思うと、仕事が欲しいんですよ(会場笑)。だからとりあえず25億くらい出してくれるという方がここにいらしたら、これから3年くらい気持ち良く仕事が出来るので、是非、お申し出頂きたいと思います(会場拍手)。
藤津:というところで、そろそろお時間で。
福井:見事締まりました。
藤津:最後にお二人に、メッセージを頂きたいと思うんですけど。福井さんからお願いできますか。
福井:はい。もう今話した事で全部ですよね。なかなか富野さんも本音を言わないところもあるんですけれども、今日は結構割とね、肉薄出来たんじゃないかと思いますね。あとは、今までのどの様なものが作られてきたかというものをあらためて大画面でご覧になって。観るというよりかは、朝までですからね、思いっきり浴びて帰っていただければと思います。最後の一本はまぁ、口直しみたいな。楽しんでいただければと。どうもありがとうございました。
藤津:ユニコーンの今後について、もしアナウンスがあれば。何かお話あれば。
福井:10月30日から、また2話の方を劇場で、ちょこっとだけ回して。またブルーレイもちょこっと売らしてもらうという。本人の前でやっぱね、無理ですよ。
富野:だけど、それについては続けて僕の方の挨拶にさせていただきますけども。本当にユニコーン一つだけ取柄がありましてね。口直しになるんです(会場笑)。
福井:ありがとうございます。
富野:で、口直しになるから、こういう今夜朝までの上映の段取りで、本当に良いと思います。……(会場笑)。
藤津:続けてメッセージを…。
富野:ですから、皆さん身体を壊さない程度に(会場笑)。この年になると睡眠がいかに大事かという事を、とっても承知していますので、寝て良いんだよ(会場笑)。(立ち上がって)本当に今日は、お忙しいところ暑い中、ありがとうございます(脱帽して一礼)。