AM 10年9月号 富野に訊け!! 第94回

QUESTION97「アニメのキャラクターに魅力を感じなくなってしまいました」

埼玉県/TI(28)
富野監督こんにちは。私は15年ほどアニメファンをしている者です。
私の悩みは、最近のアニメのキャラクターが魅力的に感じないということです。20代前半まではもっとアニメのキャラクターを魅力的に感じていたのですが、ここ5年ぐらいのアニメのキャラクターには魂が感じられないと言いましょうか、セリフや仕草などに言い知れぬ軽さを感じて物足りないです。しかし物語全体を見るとバランスの良い物もあり、アニメ業界そのものがダメになっているとは思えません。ダメになってないとはいえ、やはり娯楽なのでキャラクターの魅力も楽しみたいと考えます。
私はアニメファンとしてこれからどのようにアニメを視聴すればよいのか、何かアドバイスをお願いします。

今、流行っているようなアニメはもう見ないこと。「本物」を見続けることで、自分の中に自然と判断基準が生まれてくる!

この指摘はとても正しくて、まずその通りだというふうに理解していただいて構いません。TIさんの場合は、相談者ではなくて評論者という呼び方ができます。この評論者について言えば、アニメ以外に自分がもっと楽しめるものを探す努力をすべきでしょう。そうしないと、あなた自身がこの評論にあるようなつまらないキャラクターになってしまいます。
補足説明をすると、文中に「キャラクターに魂が感じられない」という言い方がありますが、それはここ20年くらいでアニメを作ることが社会的に認められてきたために、参入してくる制作者たちが基本的に「クリエイター」ではなくなってしまった結果です。どういうことかと言うと、キャラクターをきれいに作るだけなら、普通の人が技術を習得すれば、それなりにできるようになります。でも、そこに魂を入れられるかどうかが、クリエイターかそうでないかの違いなのです。クリエイターというのは、もともとそういう資質を持った人が、自己修練してクリエイティビティを高めてくことによってなるもので、大学や専門学校で養成できるような甘っちょろいものではありません。
わかりやすい例を挙げると、京都のお土産の中には、とても高度な技術で作られている民芸品がたくさんありますよね? でも、それらは「作品」ではなく「工芸品」と言われることが多い。技術だけで作ると、いくらきれいに作ってもそうなってしまうんです。一方、ゴッホの絵は一般的な意味できれいじゃないから「工芸品」にはならないけれど、数億円という評価額がついたりする。それはなぜか? そこにアートとしての作品性があるからです。アートは工芸品のレベルを超えます。つまり今のアニメ業界の制作者たちは、工芸品を作っている技術者でしかないのに、アーティストだクリエイターだと嘘をついているんです。他のジャンルもそうですけどね。
だけど、僕は「魂が入っている」という言い方は個人的に嫌いです。なぜかと言うと、「魂」という言葉は誤解を生みやすいからです。「魂を入れれば作品になる」という説明がなされた瞬間に、「全身全霊をかけて一週間不眠不休で作ったから、魂が入った」とか言い出す輩が現れる。「作品」かどうかの判定基準は、そんなに生やさしいものではありません。
僕は30年以上前から言っているのですが、作品か作品でないかを見分けられるようになるための訓練方法が、ひとつだけあります。それは「本物を見ること」です。本物を見続けることによって、自分の中に確かな基準が生まれてくる。この場合の絶対条件としては、本当の意味で「本物」であることです。たとえば油絵だったら、プリントやリトグラフでは駄目です。僕にも苦い経験があって。本物を見ることができなかったためにずっとバカにしていた絵があります。俵屋宗達の「風神雷神図屏風」です。2年くらい前にようやく本物を見ることができましたが、あまりのすごさに圧倒されました。本物がまとっている空気感に触れることで、小手先の技術に惑わされない鑑識眼が養われていくのです。
この評論者に関しては、ここまでのことを語れる見識を持っているのだから、もっと違う分野で優れたものを見るべきでしょう。つまり、もうアニメージュは買うな、今流行しているアニメを見るな、ということです。絵画でも映画でも演劇でも構いません。これからは世間で言われている名作、名品を徹底的に見てください。そうすることによって識別能力が養われていき、どこか別のところで自分の道を切り拓ける可能性が見えてくるのではないでしょうか。