発表!全ガンダム大投票 富野監督インタビュー文字起こし

https://www.nhk.or.jp/anime/gundam/
公式Twitterによるとどうも再放送はないらしい?のもあって文字起こし。ネット公開分も一応。

富野監督にとってどんな40年間だった?

富野 元々1話完結のつもりだった、つまり「機動戦士ガンダム」で完結のつもりだったものが、結局継続してしまった。じゃあ「機動戦士ガンダム」を抜く方法は、越えられる方法はないのか?という風にして悪戦苦闘した40年間があって。そしてこの40年間の結果っていうのは結局「機動戦士ガンダム」に敗北しましたっていう経歴しかないっていう僕にとっての40年です。
小松 「機動戦士ガンダム」に敗北したっていう……?
富野 はい。だって「機動戦士ガンダム」以上の人気が出る作品が作れなかった。

逆襲のシャアに満足しているお気に入りシーン(アクシズ譲渡契約)

富野 まとめていくためのセリフという考え方をしてていった時に、例えばその会議のシーン。どれだけ言葉数を少なくっていう、その理論と理論武装のセリフをなるべく削っていって。要するにシャアが金塊を渡した。渡したってことでこいつら全部を買収したんだよね、っていうのをこれだけで見せちゃう(アタッシュケースを置くジェスチャー)。ここでこれを下す時のね、「ゴトッ」っていう。お、悪役と金塊。この動きが満足っていう(笑)。その説明ゼリフがない。良くやってるよねって感動するもん。

最近「逆襲のシャア」を見て不満だった点

富野 4Kの「逆襲のシャア」を見てほんと腹が立ったもんね。倍、戦闘シーンが多いって。これじゃ話わかんねぇだろって。要するに巨大ロボットものに聞こえてくるしゃらくさいセリフ。「発進します!」とか「ここでやってやる!」とか、そういうセリフをなるべく外していく努力、死ぬ程したもん。

シャア誕生について

富野 敵役はシャアという名前にする。で、シャアって名前かっこいいだろう。どうしてかっこいいの? シャーッって来るからシャアなんだよ、えぇー。僕が作ったのはそこだけなんです。そしたら安彦のバカが、僕はシャーッと出てくる敵役だから、マスクなんかしてると思ってなかったわけ。あのマスク。マスクをしている下にいる顔を持ったキャラクターが、ものすごく人間的な設定を加えれば、マスクは取れるだろうと。で、肉親が近くにいて、その肉親と出会って、みたいな生々しい話があったときに、マスクが取れる瞬間があるんじゃないかなと思った。これは事実。だから妹がセイラだっていうのはね、実際にコンテを描きはじめてから作った設定のはずなの。はなからあった設定じゃないの。つまり味方側に妹がいて。味方側にシャアという敵方が踏み込んで行かなくちゃいけない。で、敵方が踏み込んで行くような設定にしてくっていうのは、今までのこの手の作品に一切なかったから。これは劇のキャラクターとしては成立するな。つまり、作劇ができるんじゃないのかな、と思った。

富野監督が心を揺さぶられるシーン

富野 シャアが金塊をホワイトベースに残していった後で、セイラさんがひとりで泣いて「兄さん」って言う……ダメ、あの話になると本当に泣けてくる。よく作れたと思う。演出家と言われている人とか、それから小説家とか言われている人。ある時からキャラクターとか人物が動き出しちゃう。私は追っかけるだけだっていう。その感触ですね。それを手に入れられた時はそれはもう。40年経っても泣けちゃうんだもん(泣)。
小松 キャラクターたちが演じてくれた?
富野 そう(ハンカチで涙をぬぐいつつ)。だからそれはロジックじゃないし。だからその部分を「俺が作った」なんて口が曲がっても言えない。だから「ああ兄さん」って言った時に、一人部屋で股に手突っ込んで、セイラがドンとなっちゃうという。あれを全部作れた自分というのは、その部分に関しては威張れますね。だけど作ったんじゃない。作ったんじゃない。セイラさんが勝手にやってるだけ。

「ようやく話せる!」ニュータイプ問題 未公開ver.

富野 SFっぽく見せるのはどうしたら良いんだろうかっていう。要するに単純な戦記ものになってしまう、ということで、うっすらとそれは企画の時から考えていたニュータイプ話みたいなものを一応入れようと思ってたんだけども、いや迂闊に入れるとヤバいよとも思いながら。要するに入れてみたんだけどもニュータイプという言葉を作品中に出した瞬間に、人の革新論に対しての言葉を、言ってしまえば哲学論として持っていない自分に気が付いてしまったために、作劇ができないとこに行った。さぁどうするかっていうことで、このままではあと2クール保つわけねぇよねぇと思ってたところに打ち切りになったので、やれ良かった。全く逆転なんです。打ち切りで命拾いをして。全部喋らなかったおかげで結局余韻が残っちゃって。ニュータイプはなんだ、みたいなことが、それこそ受けてのファンに残ったおかげで。
小松 みんなで伝説になった。
富野 ダーッと行って。だけど今あえて哲学という言葉を使ったのは、実を言うと人の革新論は哲学論に足突っ込むことになって、すごく軽けんに考えることとか規定できることじゃないんだよね、ってのはずーっと言いたかったんだけど、それは僕この30年間今みたいな言い方で一度も言ってません。正直これで逃げ切れるとも思ったし、逃げ切れるということは、結局この問題一切合切まさに考えないで済むと思ってた。思って終わったら、なんか知らないけども「次やらない?」「何を?」「ガンダムを」って落ち込んだもんね。
小松 (笑)もうじゃあ、いわゆる「機動戦士ガンダム」終わって打ち切りになった時点では……。
富野 もうできないし、これ以上やるだけのまさに自分の中に器量、劇作家としての器量がないということもあったし。それからあとアニメとしてなんかちょっとまずいんだよねー。どういう風にまずいかと言うと、演出論的に言うとちょっとリアルっぽくなりすぎて。つまり実写の写りが見えてきて。アニメとしてあんまり良くないな。だからその時に、ほんとはここで宮崎監督の名前出したらいけないんだろうけども、傍に宮崎さんみたいなのが仕事やってるのがチラチラ見えるわけじゃない。アニメとしてはなんだかんだ言ってあっちだよね(笑)。それがバカじゃないからありますよ。あっちにも行けないし、ドラえもんとかオバQとかにはもう行けないし。って時に、どうして暮らしていこうか、ってことでそりゃもう絶望があるわけ、まず。それで「Ζガンダム」っていう言っちゃえばパート2ものみたいなものをやらせていった時に、こういう意味での「巨大ロボットもののトミノ」ってレッテル貼られちゃったんだから、だったらその部分で休み休みするしかないってのがそれ以後の僕のキャリアだったんで。それ威張れるものなんか何もありませんよ。

ガンダムじゃない!」Gのレコンギスタの真意 未公開ver.

富野 ガンダムからちょっと外れて、「Gのレコンギスタ」をやらせてもらったりしたのは、「Gのレコンギスタ」は徹底的にガンダムじゃないんです、僕の中では。自分の中ではガンダムってのは完結しているから、やっていられるのは何故かと考えた時に、「∀」以後のガンダムに関しては特に、ガンダムやっていないんだよ、ガンダムって名前を借りてるけれど。それの一番構造のところを見てほしい、物語の芯のところを見てほしい、ってことがチラッとあるわけ。今回の「Gのレコンギスタ」がなんでこんな面倒くさい話になっているんですか?、ガンダムを知ってる人は全く分かんない、っていう意見も当然聞いています。だってガンダムじゃないんだもん。それをお前ら見抜け。アニメという媒体は実を言うと、ルックスが例えばガンダム的であるけれども、それにこういう物語を貼り付けられるんで、って作業を、特に「Gのレコンギスタ」ははっきりしてますよ。それを見抜ける子が、やっぱり100人見ている子がいたら、2、3人は骨格を見つける奴がいる、っていう確信を持っている。「機動戦士ガンダム」を見てJAXAで職員をやってる人がいる。ロケットを打ち上げている連中もいるし、ってのを本当にこの20年ぐらい具体的に!見てきた。具体的に見てきたところで僕は実を言うと嫌なことがあるわけ。結局こっちだけかよ、ガンダムファンは、っていう。つまり理工科系とかロケット工学とか天文学とか、っていうとこに行っちゃう。でもガンダムってそうじゃない部分があるんだよ、って。ニュータイプって言った以後のところで見えている部分があって。だから「Gのレコンギスタ」でやっているのは、やっぱり歴史が見られる奴に見てほしいための、言ってしまえば……なんだろうなぁ……言葉遣いと言うのかな、現象というものを貼り付けている。それもこの10年で経験しているんです。つまり初めはもう成人していて、それなりの中堅でやっている人たちがそういうジャンルだけだと思ってたのが、もう7、8年くらい前から「あれ?」って思ったのは国会議員にいるわけ(おそらく渡辺喜美議員との対談)。いたりするってのも具体的に見えてきて。「実を言うとウチの省庁もかなりガンダムファン多いんですよね」とかって話も聞こえてくるようになったときに、文科系にもかなり響いてきている部分もあるんだな、っていうことも分かってきたんで。だもんで、だったら「Gのレコンギスタ」ってのをやってみる。これ絶対に100人いたら2、3人と言わず「あれ、これ変なんだよね、なんなんだろう」って考えてくれる人は絶対にいる。それは僕自身が変な小学生だったのかもしれないっていうこともあるし(笑)。

「全肯定するしかない」大河原ガンダム

富野 処女作ってのは忘れられない。それから、処女は乗り越えられない。だから大河原機動戦士ガンダムにとどめを刺します。何が出てきても、何が出てきてもあれを超えるものはありませんね。だからお台場に1/1が出来た時も大河原ガンダムだったし。それはこれ以後、どんなに作り直しても全部あそこに行きますね。っていうのはどういうことっていうのは、処女を今度は別の言い方をします。原型なんですよ。人型は人型で18mぐらいの大きさ。あの形は原型としてあるものでしかないから。あそこに別の奴があるんだけれども(1/1ユニコーンガンダム?)、やはりもう所詮別のアレンジ、まんが的なアレンジでしかない。アニメ的なアレンジでしかない。だからもうこれは10年ぐらい年をとってもやはり大河原ガンダムは好き嫌いを抜きにしてやっぱり全肯定するしかない、っていう風に思ってます。それで一時期本当に嫌いだった時もあったんだけれども「全部箱で構成されてる大河原ガンダムは嫌だ」って思った時もあったんだけれども、奇妙なものであの原型のアレンジで何とか1/1まで作られちゃった時に、やはり「あれを超えられるものがあったらそれを見せてほしい」と思うのは、あれを超えられるものを作れると思うのは、かなりセンスが悪いね、っていう言い方。つまり、この場合何に対するセンスかと言うと、造形とか、それから可動域を持ったものの人の形、っていうものの問題点というものがあんまり分かってない人がファッションでやってる。オーバーデコレーションのファッションが実を言うと良いのかって話はあんまりないですよね。結局またファッションって元のシンプルなものに戻ってくるみたいな繰り返しです。だからやっぱりその原型になっている大河原ガンダム以上のものは、ありよう筈がない、っていう。
小松 それはやっぱり1/1を見た時に確信に変わって。
富野 変わりました。だからそれは好き嫌いを言えるものではないということで、まさにそれが作品としての独立性だし自立したものであろう、っていう風に思う。

「投票してくれた皆さんへ」これからの富野由悠季 未公開ver.

小松 150万一票一票に思い、そしてガンダムに対する愛情が込められた票が届けられて。言わば応援の声でもあるんですけども。
富野 勿論。
小松 そうした皆さんに対して生み出した親、監督としてどういうメッセージ、どういう言葉を伝えられますか。
富野 こういう機会がないと、そういう具体的な応援とか支持があると知らないで暮らしているわけです。「あっ、これだけ応援があったんですね」、それはありがたいことだ。だったら死ぬまでもう少し、ほんとに勉強出来ないんだけども、もうちょっと勉強して、じいちゃんにも頑張らして下さい、っていうことが言える様になった。つまりどういうことかと言うと、勝手に頑張りますって言ってるんじゃなくて、あっ、こういう人たちがいてくれるんだったら、もう少し自分なりに頑張れると思うし。それから空頑張りにならないかもしれないという手ごたえを頂けるという意味ではそれは、それはそれは感謝します。だからこそどうするかっていうことは本当に分からないんだけども、この職業で身に着けたことでしかメッセージは発信できないんですけれども、やはりそれは否定したいし、させていただければありがたいなと思いますので。これ以後も末永くとは言いません、近々いなくなるかもしれないんですから。だけども本当末永く応援していただけたら嬉しいなと思います。

小松アナのコメント

小松 優しい方ですね、富野監督は。15問くらい用意して、事前にこんなの訊きますって言って。紙持ってきた瞬間に「いや、もうこんなのじゃ答える気しないよ」って最初入られて。もうインタビュアーとしてドッキドッキになって。汗だくだくになったんですけども。もう質問2、3問入れたら全部答えてくれてて。いつの間にか用意したのを答えてくれてて。もう富野節が次から次へと。