富野流仕事術〜自分の個性を信じる〜 メモ

とりあえずG-レコ劇場版言及部分のみ(ほんとは全部該当ではあるけども)。

富野 まずお話する前に、もう一つ皆さん方にご了解いただきたいことは、今日のこういう講演でもNHK文化センターさんがギャラを下さるということなんですけども、今日のギャラに関しましては熊本の震災の方に寄付をさせていただきたいと思いますので。よろしいですよね(会場拍手)?
(中略)
あと今日ビデオカメラが入ってるのも、こういうハレの舞台ってのはここしかありませんので。死ぬ前の遺影として(会場笑)、撮影しておいてもらいたいなと入れさせてもらいました。
(中略)
G-レコの大問題がありまして。ヒットしなかった(会場笑)。子供にウケなかった。つまりリアリズムの延長線上にある問題提起を急ぐあまりにドラマを無視した設定紹介の作品になってしまっていた。ですから本当に理解していたら、現在只今性懲りもなく映画版にかかっている、というところに話が行きます。今度はこれはこれで大問題がありまして。今まで富野さんってそういう仕事をやっているから、そういう実績に胡坐をかいて座っているんじゃないの、って言われたらその通りです。反論しません。少なくとも今回のGのレコンギスタの映画版については、今説明したようなテーマを設定しましたので、もう少し広く観てもらえる作品にしたいなという風に思ってますが、ここでお話した通りの方法の作品の作り方をしています。ですからドラマを作りなおしているという言い方もありますけども、一番分かりやすい言い方というのは今日の為に本当に考えました。どういう表現したら一番分かりやすいか。「G-レコをゆるキャラの様に作る」(会場笑)。ゆるキャラってのは何なのか。表現のシンボルとしての分かりやすさ。同時に血肉があって。だっこしに行っても良い。そういうのはあくまでも理念として背景に置いておいて、作品の面はゆるキャラにする、というのを考えています。ですからキャラクターを作っていく、上手に表現しているところからピックアップして、今再編集やったり新しい作画のカットや何かを作っていると、やっぱりとても面白いものになってるなと感じがしています。その事は基本的に自分が作ったものは間違いなく絶対上手くいくんだ、じゃないんですsそういう風に考えているんじゃなくて、。結局それは自分の我を表現することになる。エゴを表現することになるんで、そういう自己主張はやっちゃいけない。キャラクターの持っているものをちゃんと分かりやすくするゆるキャラ的な分かりやすい作り方をするということになるんじゃないのかな、という風に思ってます。
(中略)
Gのレコンギスタの映画版1本目というのは、とても面白かろう、と勝手に思ってます(笑)。これはエゴでしょう(笑)。だからヒットしなければ2本目作らせてもらえないんですよ。そうなると次の仕事がないからどうするか、っていうことで多少深刻になります。
(中略)
映画版の作業を始めてもう半年くらいになるんですけども、実を言うと改めて勉強したことがあります。
(中略)
シナリオの段階から抜け落ちている大問題を意識してました。何かって言うと、(ホワイトボードに「統治論」と板書)統治論。統治というのは治める。政治とか。統治論のことをかなり意識していたんですけど、TV板をやるまで改めて勉強してこなかったんです。それで今回映画版を1本目は作って良いよと言われたんで、一番初めにこのことを調べました。何でこんなめんどくさいことをするかって言うと、アイーダが番組が終わった後に世界中を統治することができる女王になる、女王にさせたいと思った。そういう資質を出したいと思った。それは映画版を作っている時に付け加えられると思った。

また、今回の講演は事前に用意した原稿を読むスタイルでした。亜阿子さんもいらっしゃいました。
カメラは劇場版のメイキング映像ではないでしょうか。