ニュータイプ マークII バイストン・ウェルからの帰還 富野由悠季インタビュー

インタビュアーの大塚ギチ氏のインタビュー報告的な文章だったので、かなり編集してます。一番大きなものは時系列どおりにしたこと。

――インタビュー開始前

富野由悠季は大きな窓に背を向けるようにして椅子に座った。カメラマンが写真撮影の準備をしている。ウェイターがコーヒーを運ぶ。カメラマンが露出計をいろいろな場所にかざし露出を調べている。その様子に富野は何かを訪ねている。
「どうしても撮りたいものが出来たんだけれども露出が拾えないんですよ」
その撮りたいものは? と尋ねると「ミクロの世界なんですよ」と、富野。
「すごく極端な言い方をするとタンポポの茎を接写したいんだけど露出が拾えないんですよ」
テレコのスイッチを押し静かに押し、話のストーリーを読み、それを撮ろうと思ったのはどういう理由で? と聞く。
「新しい企画を考えていて(笑)。その為にしっかりと調べておきたいと思いまして」
「実際に草や昆虫を接写した写真もあるのですが、それとは視点が全然違うので参考にならないのです。僕はそれを舞台にしようと思っているから」
「いま、『みなしごハッチ』を考えたとき、当時は忙しさにかまけてずいぶんといい加減につくっていたんだなぁと思いまして。当時もそれなりに調べてはいたんですが、やはりいい加減です。実際に土手に寝っ転がってみた時、実際のミクロの世界ってのは相当にうるさいんですね」

『父と子と……』

「さっきの話に関しては、おざなりにつくられた昨今の作品に対してどうにかしなくてはいかん、というようなご大層に構えた意識ではありません。簡単に、普通の感覚で抜け落ちていった部分を補完したいなと思い始めた程度のことです。ただ、その程度のことなんだけど、それがかなり大事なことだというのは実は一般論として言う事は出来ます。が、だからと言って言う必要があるか、というとあまり言う必要がないようにも思います。馬の耳に念仏ですから」
だがその「馬の耳に念仏」な人たちは「トミノの子」であったりする事実。
「おっしゃる通りなんですが、……これは自分も親から逃げ出し、実際の自分の子供からも逃げ出されているからこそ言えるからなんですが、子供というのは自分で気が付いてくれない限り改心しませんから、こちらから言う気はない。ただ聞かれた時には言えるようになってはおきたいと、ようやく――これは努力ではなく――大人たるもの身につけておかなくてはいけないと思うようになりました」
「(子供を育てられる親になれるのかという恐怖について)おっしゃられたような恐怖感というのは世代が共通項として持ってる恐怖感だと思うんですが、それは我々の世代がつくった社会というものが子育てを不安にさせてしまうようなものをいっぱい積み上げた社会だったからだし、我々の世代が子供たちを不安になるように育ててきた結果ですから、本当に申し訳ないと思います。そういう意味で最近つくづく感じているのは、知能的にというか階級的にというか社会的にというか中から上の日本人のインテリジェンス、知能というか知力というか、知恵を弄び過ぎたな、ということを実感します。申し訳ないと思います。子供を育てるというのは知恵ではないんです。教え諭すというのは教育論に転化してしまうあたりにまさに知恵が、浅知恵が働いているのだと思います。子育てに年齢は関係ないと思います。重要なのは、親が子供にお父さんとお母さんがちゃんと気持ちのいいおまんこしてお前が生まれてきたのだよ、という顔をしてあげればグレもしませんし、間違いも起きません。それをなんだかんだいうから迷うんです。使い古された嫌な言い方ですが、その愛情を持っていれば絶対に間違えません。その愛情というものを“そんな恥ずかしいこと言ったらおしまいよね”という知恵を持ちすぎたんです」
「いまは雄がつくった雄社会の不都合さを雄がみんな感じているんです。だから雌が動き回っても雄は何も言えないんです。いまは雄が謝ってる時代なんです。その謝ってる時代の時に、それをつくった我々の世代の雄が謝るなら可愛いんだけど、いまの40代後半から50代、まして60代の連中にそういうふうに自分たちのやってきた業績を謝るべきものだと認識している人は誰もいないでしょう。まさに知恵の傲慢さ、彼らのキャリアが培って来た動物としての、雄としての無神経さというのは僕のような立場から言うと許せない。僕ひとりでもいいから謝るべきじゃないかな、というのがここ1、2年の僕の論調になっています。ですからそれは庵野くんに対しても申し訳なかったと言わざるを得ないと思っています」
庵野のような、あのような才能の、あの程度の才能の、あの程度の人の考えてることで、やってるのだから頑張っているんですよ。そのことでどうのこうの言うのは個人の問題です。重要なのはひとつのシステムの中での個の問題であればいいんだけれど、それを露出していく――露出の仕方に個人の意識を超えたシステムがやっている露悪的な部分に危機感があります。庵野くんが、ガイナックスがああいう作品をつくったということは、やっぱりやっちゃいけなかったことなんじゃないのというのは言えるかも知れません。そして――言えるでしょう。彼らはそれを商売――商権に捉えて吐き出している気配を感じます。人として生きていく規範みたいなものを突破しちゃったシステムに関してはちょっとカチッと来ますね」

『使途襲来』

今回こちらが『エヴァ』に関しての具体的な感想を聞こうとすると富野ははっきりと断った。
「これ以上は勘弁して下さい。もうある意味で言い過ぎましたから言っちゃいけないと思います。それとこの2、3か月で心境が変って来たところがあって、さっき言ったように庵野くん個人に対しては、富野がいたおかげで、お前がこうなったとしたならば、それについてはごめんね、ということで止めさせておいて下さい」
「『エヴァ』に関しては『エヴァ』を直接つくった……ガイナックスというグループが成立したプロセスが持っている、あのグループに入ったときに個までがガイナックスになっていってしまうというそういう妖しさを排除していかなくてはいけないんだ、と言えるのは僕の立場でしかないと思います。そういう気をつけ方をした作品をつくりたいと思っています」
「上手に表現出来るかどうかわからないし、僕が今後作品つくらせてもらえるかどうかも未定です。ただやれるとするならば、庵野くんに対する“ごめんね”ではなく、もっと重要なことがメッセージとして入ってくると思います。それはここまで膨れ上がった、ビジュアルっていうものをこういうふうに愛せるようになった世代に、違うものをきちんと投入しなくちゃいけないというのが僕にとっての責任だと思います」

イントロダクション

「自分は『ガンダムを越える『ガンダム』をつくらなくてはいけない」
僕は反発するように言った。
僕は『ガンダム』でなければいけない理由というのをまったく感じない。確かにネームバリューはある、『ガンダム』ならば金を払う人は多い、それはスポンサーもユーザーも同じだ、だがそんな『ガンダム』を望む人たちというのは「最悪の人たち」ばかりではないか、少なくとも僕はちゃんと成功した富野作品であればなんでもいい、僕が熱望しているのは宇宙世紀でもバイストン・ウェルでもなく新たなる世界だ、タイトルに「゛」と「ン」のついた作品であればいいのだ、と。
富野はグッと何かをこらえるかのように、天井を眺めながら言った。
「……そう言っていただけるのは本当に嬉しいことだと思います。ただ……そうおっしゃってくれる人がいるということをいまのアニメ業界がわかってるのか、というとわかってないだろうと僕は絶望しています。少なくとも僕の関与しているサンライズの製作者たちはおよそ感じていません。ですがここ数か月の間でそう感じている人たちがいることも僕はわかってきたんです。その世代が実は40代50代ではなく30代なんですよ。ことしになって初めてです、その年代から“富野企画でやりませんか”って話が出てきたのは。本来決裁権を持ってる40代、50代の世代は、懐古的にかつての『ガンダム』や『イデオン』のことを知っているからやるならばネクストあれ、ネクストこれ、ということにしかならなくて“新規にやりましょう”という話にはならないんです」
今回のインタビューをするにあたってこちらが用意したシナリオがあった。それは『ガンダム』で帰る場所を見つけたにもかかわらず『イデオン』で集団自殺をし『ダンバイン』で幻想世界に行った富野は、未だに幻想世界の住人なのかと言うクエスチョンのシナリオだ。幻想世界に未だにいるのか、それとも戻って来ているのか。それを確認するためだけにテレコを回していた。
バイストン・ウェルに逃げていたつもりはないのですが……」
そう言いかけて富野は少しばかり沈黙した。
「……もしかすると逃げていたのかも知れないなぁ……」
「……先日角川ミニ文庫用に小説を書いたんですが、『ガンダム』の関係者ってのはみんなわかってないところがあって、その小説はそんな人たちに読んでほしいと思った手紙みたいなものなんです」
ほしいものはそんなものではない。しっかりと「傷」を受けたいのだ。それで不眠症になるなら本望だ。
「傷という言葉があまり良い言い方だとは思えないし、かといってほかの表現が思いつかないのだけど、それこそ1人や2人や千人や1万人に傷を付ける作品をつくるのはやっぱりしんどいです。自分の中ではこちら10年基本的に仕事をやってなかったという印象があるんですが、最近しみじみ思うのは、“やっぱりこれくらい休ませてもらわないとダメだよね”っていうくらい、それこそあの時の仕事の傷は――大きかったなと実感します」
そう言いながら富野は僕があえて使った「傷」という言葉を、自分の手帳にさりげなく書き記す。意図を込めて使った、誤解されても当然の言葉をしっかりと拾ってくれることが嬉しかった。

『旅立ち』

「(次の作品について)それに本気で答えようとしたとき、こうしたらいいんですよ、というのを誰も教えてくれないんですよね(笑)。でもここ数か月、いろいろなところにひとりで出向いて見てわかったことがあるんだけれども『Vガンダム』にしてもほかの作品にしてもそうなんだけれども、いままで最悪の組み合わせでやってきた、それを容認してきた、こんな状態でもどうにかやれるぞ、とうぬぼれてきた訳ですが、今年になってようやくまた(ファースト以来の)いい巡り合わせが来たようだと感じています」
「富野ファンがまだいてくれるとするならば、その20代30代の人たちに“富野ってまだやってんのあのバカ、アニメか、ロボットか、うーん、いいじゃない?”って言われるつくり方をしたい。その年代が楽しんでくれるものはいまのティーンエイジャーも観てくれるだろうと思っています」
「我々がつくりあげた情報化社会で育った子供たちが『エヴァ』をつくったわけですから『エヴァ』の12年後に出てくる『エヴァ』はもっときっとイヤだろうな、その子供たちを叱咤激励出来る50代でありたいなと思います」

庵野氏言及の部分だけは以前からネットにありました。
なお、カットした部分にはカトキ氏のファースト評もあります(別媒体で既出かは不明)。