TRICOLORE2012WINTER 富野由悠季×小林祐三対談

スポーツとアニメの共通点

――ガンダムファンとして有名な小林選手ですが、ガンダムと出会ったのはいつごろですか?
小林 10歳と7歳離れた兄がいて、兄たちの影響でガンダムを観るようになりました。5歳くらいの時にちょうどテレビでΖΖの再放送がやっていて。ちょっと珍しいのですが、僕はΖΖからガンダムに入ったんです。
富野 5歳であれを見ていたら、タチはあまり良くないね(笑)。
小林 入りはΖΖで、その次にΖ。最後にガンダムという順番でした。ΖΖのエンディングで一度だけセイラさんが出てきて、兄はファーストから観ているので興奮していたのですが、僕は誰だかよく分からなくて。それで気になって一つひとつ遡る感じで見ていってファンになりました。
富野 そういう言われ方をするのはとてもうれしい。小林選手のような年代の方から直にこうやって話を聞かせてもらうのは初めてだし、40歳くらい年の違う人にも見てもらえたというのは、作り手にとって一番の評価で、褒め言葉。それは賞をとるよりも重要なことで、前の作品を気にさせるような作品作りができたということ。昔の富野さんはすごい監督だなと思う。オーバーかもしれないけど、生きていてよかった。
小林 見ていただけでそんなに言ってもらえるなんて、すごく嬉しいです。僕は本当にただのファンですから。この対談が決まったときに兄にメールをしたら「よくやった!」と言われました。対談させてもらえる立場になるまでよく頑張ったと。こうやって監督と直接お話をさせてもらえる機会なんてなかなかないし、兄弟代表、あるいはJリーグを代表して対談している気持ちです。自分が若いときには上の年代の人とガンダムの話ができたんですが、最近は自分がチームで年上になってガンダムの話をする機会がなくて寂しいなと思っていたところで、久しぶりに話をする相手が富野さんというのは、何か申し訳ない気持ちです。
富野 ガンダムに関して言うと、今は僕が関係者の中で一番知らないかもしれない。ずっとガンダムのことを考えないようにしてきたから。というのも、次の作品を作らないといけないから。でも、この10年でつらかったのは、ガンダムを全否定しなければ次のものが作れないというのを理屈では分かるんだけど、ガンダムを作った当事者なので忘れることができない。自分がずっとガンダム漬けになって、この先もやれるかといったら、やれないことが分かったので、必死にガンダムを忘れる努力をした。でも、忘れられないという地獄があって、それでも、アマチュアじゃないならやってみせないといけないというのが、今の僕の課題。正直、この1、2年は地獄が続いている。僕にとってオンエアさせてもらうのは試合に出るようなものだし、回顧論ではゲームに絶対に出してもらえない。だからガンダムを覚えない努力をしてきました。
小林 いい試合、いい年があっても、それでそのままやっていけるわけじゃないというのはすごく共通していて、試合でインプットしたものをためつつも、いらないものは捨てていかなければならない。試合でたまに経験が邪魔になることがあります。以前と似たようなシチュエーションに出くわしたときに「前のあのプレーに似ている」と思うと、それでもう一歩、二歩遅れて、また違う失敗をしてしまう。捨てないといけない経験というのもありますね。
富野 現場で困ったときに昔やった手を出すと、ダメ具合がすごい。想像している以上にダメ(笑)。訳が分からなくても生モノを作り続けていかないといけない。サッカーでも実際にプレーするときに向こうの戦術があって、DFとして何をやるか、生モノの対応が求められる中で、ミーティングで言われたことを聞いているだけでいいのかってことになると思います。
小林 事がそのとおりに進むことはまずないですね。11人の人間が足を使ってやることだし、雨、風、グラウンドの状態というのもあります。アップでやっているときは、グラウンドがそこまで悪くなくても、相手のプレッシャーを受けた中では気になることもあります。監督、スタッフ、がマネジメントできるところは限られていますし、野球と違うのはサインがありません。何をすればいいのか決めてもらって、それに従うような……野球もそれだけではないと思いますが、サッカーはそういうのが一切ない。選手一人ひとりがその場で何を感じ、どう思うのか、という部分でほかのスポーツと比べてより生の判断が求められます。
富野 不思議なのは、俯瞰で見る解説者とは違って、実際の選手は水平でしか見えないのに、その距離感の中で、2つ、3つのやるべきことをどうやって捉えているんですか。
小林 自分の場合はある程度ポジションが決まっているので、普段は似たような景色が広がっているんですが、その中でチャンスやピンチになるときは、何かが違うんです。それに気付くアンテナを張れているかどうか。サッカーを20年以上やっているし、J1の選手ならみんな、ある程度の技術を持っているのに、なぜミスが生まれるのか。僕の感覚だと、それは技術より頭のミスということが多いですね。
富野 頭の部分で大事なのは観察力になってくるよね。
小林 アニメも生モノの対応だっていう話を聞いてびっくりしました。例えばガンダムなら、43話をまず作って、そのまま流しているのかと思っていました。
富野 Ζで言えば、2カ月先の話は分かっていなかった。やばい、やばいって感じで作って、何とかオンエアに間に合わせる、というのが1年間ずっと続く。ただ、この10年でちょっと変わってきました。1年も続く作品というのは多くないし、長期続くものは大ヒット作品だから予定で作れる。この10年で新作と言われるものは長くても半年、おおむね3カ月くらいで終わるものだし、特に1クール12本で終わるものは、だいたい固め切って作っています。だから、明らかにつまんなくなってきている。俗に言う予定調和。そんなものは生モノでも何でもなくて、カラカラの干物みたいなもの。スポーツは基本的に生モノだし、体を使うのは生モノの真骨頂。プロのスポーツで難しいのは、ゲームでコンスタントにやれる状態を1年間持続させること。11人いたら、難しいときに今日は楽をさせてもらうことも必要になってくるんじゃないんですか。
小林 僕の場合、それはないです。残念ながらサッカーセンスに恵まれなかったタイプなので、人より頭と体を使ってチームに貢献するスタイルで今までやってきました。そこで力を抜くと、自分の存在価値がなくなるというか。両親は全く運動できないし、兄弟もサッカーはやっていたけど部活で補欠。遺伝子的に優れていないので、そこで勝負しないといけないんです。
富野 僕は役者、演技者のことしか分からないけど、天性の資質に恵まれた人に普通の人は基本的に歯が立たない。エクササイズしても足は伸びないし、身長も伸びない。そのことを突き付けられる。でも、世の中ってすごいもので、恵まれない人が天性の人に徹底的にかなわないかというとそうでもなくて、かなりの部分で戦える。そういうことはスポーツにも言えると思う。インテルの長友(佑都)選手も体格的に恵まれていないけど、あれだけ走るのを見ると、カバーする方法はあるんだなということが分かる。小林選手は話していて頭のいい選手だと思ったし、その用心深さは27歳まで増長しないという意味でとても良かったけど、これからの4、5年はこれまでと同じではいけない。今日までは正しくても、これからの4、5年でもう一つステップが必要かなと思います。基礎的な部分はここまで固めてきたんだから、あとは生モノのゲームに対してどう自分を持っていくかですね。素人がこんなこと言ってすいません。
小林 いやいや、そんなことないです。普段サッカー関係者から言われるようなことは分かっていることが多い。人それぞれいろんな考え方、見方があるけど、サッカーという畑は一緒なので、自分とまるで違う角度の言葉はあまりないんです。そう言うと頑固者に聞こえるかもしれないけれど。富野さんの話を聞いていると感じることはすごくあります。
富野 それは僕も全く同じで、業界の人間の言葉はおよそ聞く耳を持ちません。だけど、普通の人の発言、この関係で言う小林選手、この世代の評価の方がものすごく貴重。それと同じこととするならば、うれしいし、その有効性は間違いなくあると思う。

20代へのメッセージ

――今回の対談は『20代の男たちはどう生きるべきか?』というテーマなんですが、かつて20代を経験した富野監督から見て今の20代はどう映りますか?
富野 僕は今の20代のことを全く知らない。時代が違うので、なぞることは根本的にできない。71歳になったけど、このまま野垂れ死にする気はない。死ぬまでにひと花咲かせたい。現在進行形のスタジアムに立ちたいときにどうすればいいか、この年でも考えているメンタリティーは、おそらく20代と同じだと思う。ただ一つだけ、年を取ってありがたいのは多少比較ができること。そして20代の人には想像もできないことをこちらは経験していること。それは劣化。その劣化感は分からないだろうってこと。20代が「僕の人生つらい、世の中つらい」と思っている以上に、こっちの劣化の速度は速いからもっと切迫感がある。要するに20代に言いたいことは一つ。「甘っちょろいことを考えて何ができるんだ」と、それでおしまい。人に伝えるときに簡単なのは、10代で世界選手権のような高いレベルの舞台に立っている選手が5歳くらいから12、3歳までやっている訓練のことを持ち出せばいい。それは「君たちがつらいと思っているようなレベルの5倍はつらいんだ」ということ。今の20代に言いたいことは一つ、「もっと頑張れ」それだけ。小林選手はどう思う?
小林 僕も言うんですか(笑)?
富野 今のようなことを言われたら「僕は頑張ってます。老人に四の五の言わせない」という気持ちがあるでしょ(笑)。だって、頑張ってきたでしょ?
小林 頑張ってきました。同世代の平均と比較すれば僕の生活水準は高いのかもしれません。でも、ここに至るまで、ほぼずっと努力し続けてきました。小さいころから土日はずっとサッカーをしていたので、親と旅行に行ったこともない。思い出話は、どこどこにサッカーしに行ったよね、という話だけ。高校で静岡にサッカー留学したんですが、そこでもいろんなことがつらかった。友達もがゲーセンでふらふらしているときにも、僕は倒れそうになるまで、吐くまで走りました。努力をすれば全てが報われるとは思わないけど、努力しないと報われる可能性は限りなく低い。もしくは、努力をするにも正しく努力しないと何も生まれない。だから「みんな正しい努力をしていこう」と。これはあえて自分に対しても言っていることで、それを怠った瞬間に何もなくなってしまう。
富野 「正しい努力」という言い方がとても大事なんだけど、それは基礎学力を付けること。この場合の基礎学力とは文字通りの意味とちょっと違って、それぞれの専門の基礎になっているもの。それを身に付けておかないと、生モノに対応できない。好きだからやってみたのに、何で自分はこの世界で成功しないんだろうという感じがみんなの中にあるけど、それは好きなだけで正しい努力をしていないから。そして正しい努力の積み上げが意味を持つのは10年単位。2、3年の話じゃない。昔の職人が10年やらないと身に付かないと言ったのは本当に正しい言葉で、それくらいやらないと身に付かない。良かった、今日はいい話が聞けた(笑)。

あえて本来の意図と違う捉え方をすると、放送前全話完パケ納品をしていないケースが殆どなのは、単に製作及び制作上の都合であって、生モノ対応のためではないのでは。また、Gレコはシナリオを全話書き上げてから実制作に入るというのは既報の通りだが(この対談時点でもその方針のはず)、コンテで修正するからか?
Ζの「2カ月先」が「放送2ヶ月前でもシナリオが決定稿になっていない」という意味なら、今の制作スケジュールと比較してもかなりヤバいスケジュール。