「幻魔大戦」はほんとうは富野が監督をするはずだったらしい

熱風 11年12月号 より。

井上伸一郎 私は『Animec』では富野さんの担当だったので、富野さんと一緒にいると、よく角川書店の編集者が小説の原稿を依頼していたんですよ。だから、自然とそういう人たちとの交流もできてくる。同時期に角川書店の『野生時代』を創刊号から買っていて、何が目当てだったかといったら、平井和正さんの『幻魔大戦』の連載だったんです。私にはあれは漫画の小説化に思えたんですけど、そういうものを文芸誌で堂々とやっている感覚がいいなと思ったんです。そうこうするうちに、『幻魔大戦』が83年にアニメ映画になり、そこでパラダイムが変わったなと思いましたね。アニメファンだけじゃなく、一般映画ファンに向けたアニメ映画づくりというのを志向したチームがあのとき誕生した気がしたんです。トップクラフトというアニメ制作会社は『ナウシカ』をつくるときに専用につくられたチームで、その後ジブリになっていきますが、そういう形式のはしりが『幻魔大戦』をつくったアルゴスであり、その後マッドハウスになっていくチームでした。
鈴木敏夫 あれ、監督交代があったんですよね。もう時効だと思うから言っちゃうけど、『幻魔』はほんとうは富野さんがつくる予定で、あることがきっかけでおろされちゃう。それでりんさんに替わるんですね。

他の富野関係の記述

鈴木 もともと『ガンダム』をやるとき、企画書と絵が送られてきたんですよ。色は着いてなかったんだけど、キャラクターとロボットのデザインがすごいと思った。それで、急遽、校了の日に全部ページを差しかえるんです。色がないので勝手に色をつくり、文章を書いて、校正なしで一発校了した。結果として居並ぶアニメ雑誌の中で、『ガンダム』のページが一番多かった。それが富野さんとのきずなになるんです。

鈴木 (トトロと火垂るの墓が読者が望んでいるものとまるで違うという批判について)そう。これは裏切りなんですよ。僕は富野さんにそれと似たことを言われたことがある。かなり久しぶりに富野さんのところに遊びに行ったら、彼が『未来少年コナン』を見ているんですよ。そこで富野さんが言ったんです。「鈴木さんね、『コナン』はよくできている。いいものは宮さんにかなわないかもしれない。でも、お客さんを集めるのは僕のほうです」ってね。
(中略)
井上 でも、逆に言うと、敏夫さんのそういう選択があったから、富野さんと私がお会いする時間が増えたわけですよね。富野さんもきっと、いろいろと世間を振り向かせたくて小説を書いたりしていた。監督をやりながら小説を書くなんて普通はないことだけど、例えば『野生時代』みたいなところで『リーンの翼』を書くことになったら、ものすごく張り切っていた。今聞いて完全にわかったけど、これ、敏夫さんがそうしちゃったからですね。富野さんの中にあった「おれのほう向け」って気持ちに火をつけた。ある意味それがあったから、『Newtype』という名前にもオーケーをもらえたのかもしれないし。全部つながっていますよ、こういう話は。『Newtype』ができるとき、やっぱり富野さんが中心になって。

幻魔大戦」のくだりは、今にして思えば、みたいな記述がどこかであった様な…なんか引っ掛かる。
きずなはその後、敏子リーンへ…。
御禿のカッコ書きの部分自体は既出ですね。
この号、角川だけでなくアニメージュアニメイトの歴史も語られていてかなり面白いので見かけたら確保をオススメ。大塚氏のコラムは続きを単行本で出して欲しいくらい。