野生時代 Vol.78 10年5月号 「リーンの翼」刊行記念対談 富野由悠季×冲方丁 物語構造の構築作法

表現をいじる危険性

―― おふたりは初対面なんですよね。
冲方 はじめまして。よろしくお願いします。
富野 冲方さんのお名前はよく伺っていましたし、すごく活躍されている方だと承知していました。処女作「黒い季節」を拝見して、こういう才能がでてきたのか、とショックでもあったんです。ただ、本当に申し訳ありませんが、僕には半分も読めなかったのは、ああいう作品が全くダメなんですよ。
冲方 世界観がダメなんですか? いわゆる伝奇作品が苦手ということでしょうか?
富野 世界観以前ですね。伝奇作品は最初の一文字から頭に入ってこない。読んではみるんだけど、作品のロジックにのれないんです。あなたの場合はペンネームを見たときに、もう拒否感を感じていましたしね。
冲方 えええっ!
富野 この漢字を「ウブカタトウ」と読ませるのか? そこまでヒネるのか? と。こういう作家は信用しちゃいけないと思いました。ここまで表現をいじる作家は危険だと思ったんです。もっと素直でいれば良いのにと感じますね。
冲方 それは確かに実感できます。このペンネームには十八、十九歳のころの自分の思い入れがあって。そのときの想いが、いまだに背中にずっしりと乗っているんです。
富野 背負う覚悟を持つことは潔いことだと思います。その想いをペンネームに書いておきたい気持ちも理解できます。ただ、僕は「お前の問題」なのだから、他人に対して公表して欲しくないと感じていたんですね。これは診断書のカルテのようなものです。カルテを読むと、読んだ人まで病気になりかねないでしょ?
冲方 その自我を踏まえたうえで、書くことに対してはどう思われますか?
富野 ああ、小説を書くという別のプロセスを挟むわけですから、公表すべきものになるといっていいでしょう。僕がここまで嫌悪感を感じるのは、高校生時代の私小説の影響でしょうね。あの時代のものは日記であって、文芸ではない。人の日記を読むことに興味を持てなかったんです。あなたのペンネームにはなんというのかな、日記的なナマなものを感じたんです。しかし、「黒い季節」を読むと……書き口から文体まで、僕がやりたかった“創作のかたち”があって、負けたと思い、しかもイケメンだし! だから、今日は顔をあわせるのがすごくイヤだったんですよ。
冲方 ……(絶句)。
富野 僕は演出家です。これくらいのことは最初に言ってみせますよ。さあ、はじめましょうか。

知らないことを書くということ

―― まず、冲方さん、「リーンの翼」をお読みになった感想はいかがでしたか?
冲方 正直、圧倒されています。単行本4冊、原稿用紙4000枚ものボリュームで第二次世界大戦中の日本、異世界バイストン・ウェル、現代の日本が構築されている。僕が読む限り、富野さんはこの世界を自然と書いているように感じます。はたして自然と書けるものでしょうか?
富野 全部行き当たりばったりです。連載という枷があったのだからそうなってしまうんです。僕は先を見越したアイデアが出てくるタイプではありませんから、アイデアがなくてもズルズル書くしかないんです。
冲方 ……いま、愕然としています(笑)。
富野 想像力がある人なら、全体を構築することも可能でしょう。でも、僕にはそれができなかった。ひどく薄らとした展開しかありませんでした。少なくとも八三年に連載を書きはじめた時点では、エンディングを考えていませんでしたモンね。
冲方 行き当たりばったりでこれほどの分量を書けるものですか?
富野 たとえば「リーンの翼」では冒頭に砂漠がでてきます。だけど、僕は砂漠を何も知らない。僕は今日まで小田原の生まれ育った町と東京の練馬、杉並しか知りません。ずっとテレビアニメの仕事をしてきたので生活体験が極度に少ないから、砂漠なんて書こうにも書けません。
冲方 そういうときは苦しいですね。僕も小説を書いていて、しばしばそういった辛さを感じることがあります。そういうときにどうやって脱出しますか? 調べますか? ひたすら書きますか?
富野 調べます。だけど、来週の週頭に締め切りがあるって考えると調べきれない。しようがないから、そのまま書きます。
冲方 それは身もだえしますね。僕だったら酒を飲んで忘れます。
富野 忘れることに関しては自身があります。僕は先週やった仕事は、今週には絶対に覚えていない性格なんです(笑)。僕にとってテレビアニメの仕事はそういう仕事でした。前の週のことを覚えているとそれにひっぱられますから。フリーの演出家は、とにかく本数を重ねないといけない。「オバケのQ太郎」のコンテを描いた直後に「アルプスの少女ハイジ」のコンテを描き、その次には「侍ジャイアンツ」……。その経験あっての旧版「リーンの翼」です。
―― 富野監督は旧版「リーンの翼」を書きはじめたときに、こんな話にしたいという衝動みたいなものはあったのでしょうか?
富野 「ヒロイックファンタジーの物語」を書いてみたいという思いは、中学生のころから持っていました。ただ、作品を書くにあたって、ひとつだけ自分に条件をつけていました。それは「テレビアニメのような子供向けのものには、絶対にしない」ということ。当時、テレビアニメの仕事をしていましたから、同じことはしたくなかったわけです。だから、物語の冒頭に迫水真次郎が、乱交中に現れるんです。この冒頭のシーンを書いたときに、「やった、乱交シーンが書けた、よかった(笑)」と気が済んでしまった。あとはもうほとんど興味がなくなっていましたね。1年目は勢いで書いていましたが、2年目からは飽きていたんですね。
冲方 「飽きる」んですね?
富野 仕事だから。情熱ではありません。強いて言うならば、締め切りのプレッシャーでやっていたということと、あわよくばお金にしたい、という欲です。情けないですね。
冲方 その「飽きる」という感情が執筆するうえで役に立つということはあるのでしょうか? 飽きていたからこそ、逆に書けたのでしょうか?
富野 飽きた、気に入らない、だけど書かなきゃいけない。そうなったときに自分を客観において、作品を眺めるんです。それは世の中に発表する作品として大事なプロセスだったと思います。好きな世界に没入していると視野が狭くなるし、書きすぎてしまう。さきほども言いましたが、世の中には作品を自分の日記にしてしまう人がいます。それは世の中には出すものではないでしょう?
冲方 旧版「リーンの翼」では、主人公・迫水真次郎が「第3の原爆」を斬るという結末を迎えますよね。この結末は、連載時のどの段階で思いついたのでしょう。
富野 おそらく中盤ぐらいです。それまでは「このままでいくとだらしのないものになってしまう。どうしよう」と迷っていました。異世界バイストン・ウェルだけを舞台にすると、ただのファンタジーになってしまう。僕は、アニメの演出家として「フィクションをリアリズムに見せる」仕事をしている人間です。「これはウソではありません」と言いたかった。そこで実際にあった広島。長崎に続く「第3の原爆」というアイデアにたどり着いたんです。旧版を書き直した完全版の第1、2巻はファンタジーの部分も多いと思います。ただ、今回第3、4巻を書くにあたっては、ファンタジー小説家になろうとか、小説を書くという気持ちは全部捨てました。

「記憶の質量」という考え方

冲方 「小説を書くという気持ちは全部捨てました」とおっしゃいましたが、では、どんな気持ちで完全版「リーンの翼」をお書きになったのですか。
富野 技法を使って見せる、ですね。僕は演出家として、テレビシリーズのダイジェスト版を、映画として何本もつくってきました。第3、4巻はその手法を使っています。「第3の原爆」を斬った迫水真次郎は、その後バイストン・ウェルにホウジョウという国を建国します。第3、4巻ではその建国記を書いているんです。この建国記をそのまま書いたら単行本15巻ぐらいになってしまう。そこで思いついたのは「章」立てを利用して、時間と事象の違いを飛ばしていくことだったんです。文芸的な媒体に、映画の手法を使ってみせるという職人の仕事をやったつもりです。
―― もう少し具体的に映画の演出技法が活かされた部分はどこでしょうか?
富野 テレビシリーズの映画をつくったことで、取り扱うべきエピソードを選ぶことに関しては、かなり訓練されたと思っています。今回は「記憶の質量」という考え方で、各章に入れるべきエピソードを選んでいきました。戦争の空襲体験は、たった1日のことでも、一生記憶に残るだけの「質量」があると思うんです。その質量論でエピソードを見直したわけです。たとえば、ジャコバ・アオンというフェラリオの長が登場するシーンは小説の分量的には短いんだけど、記憶の質量で測ると重い。ジャコバという存在は重要だし、作品の通奏低音のように流れていないといけない存在だから、カットできなかったんです。そういった歴史的な事実や夢想や妄想を測りにかけて配分するという行為は、これは文芸的というよりも映画的に考えた方がやりやすいんです。物語をコンストラクションするという映画的感覚が僕に有効な手法だったのです。
冲方 「リーンの翼」を読んで、シーンを是か非かで判断していく技術は、僕も時間をかけて身につけたいものだと感じました。
富野 映画というものは気分だけでは撮れません。映画は構造でコンストラクションするものなんです。その経験が僕に役に立ったと思っています。
冲方 僕も小説を書くときは構造を意識します。でも富野さんの言葉で一番びっくりするのは「行き当たりばったり」から「構造を意識する」というダイナミズムです。
富野 世間は様式が確立していないと受け入れてくれません。その様式を探しているときは仕事としては、いちばんおもしろいんです。「行き当たりばったり」から「構造」を見出して様式化するというロジックの発見です。いちど様式を決めたら、そにそぐわないものはすべて捨てなければいけない。第3、4巻では戦後史や軍事の問題を3割ぐらいは削らなくてはならなかったんですが、これも主張があってのことではなく構造論で決めていきました。
冲方 必要性があるものを是か非かで分けていくと、本当に必要性のある文体がでてくるものだと思います。でも、富野さんの文章は一ヶ所だけを抜きとっても全部がついてくる。文章と内容がわかちがたい。もっと言うと、富野さん本人がわかちがたい。そういう印象が「リーンの翼」に感じました。
富野 そう言われると、嬉しいのと同時に恥ずかしいのね。「リーンの翼」は「富野は27年間でこの程度しか学びませんでした」と告白しているみたいな本に思えて。だから脱稿してから一ヶ月間、ずっと憂鬱なんです。やはり、作家から切り離された固有の作品を書きたかったんですけどね。
冲方 僕がの言葉を噛み砕くと……富野さんはヘラクレス神話みたいに二千年残るものが描きたいんだとおっしゃっているように聞こえるんですが。
富野 目標値を高くおかないと、僕程度の人間には小説なんて書けませんよ。

後進にはすべてを教えるべき

冲方 富野さんは書くことに対してすごく「自覚的」なんですね。こういう言い方をされるのは、富野さんは嫌かもしれませんが、それは才能だと思います。僕は、富野さんから技術を真似しようと話をうかがっているのですが、どうやって盗んでいいのかさっぱりわかりません(笑)。
富野 僕は虫プロに入社して「鉄腕アトム」の演出をしていました。3年間、週ペースで1話をつくらなければいけなかった。だから、毎日が訓練であり本番だったんですよ。そんな毎日を送っていたら、嫌でも技術は身に付きます。
冲方 いや、それは誰でもできることではないと思いますよ。できなければ潰れちゃうんじゃないですか?
富野 いや、できなくても追いかけなくちゃいけないんですよ。あの頃の「鉄腕アトム」は、今では見るに堪えないほどひどいものです。それでも、週に一回オンエアすることが大事だったんです。当時、がむしゃらにやりながら思ったの。「手塚治虫みたいな漫画家に誰が潰されるか!」って。「とにかく、あいつの口を封じてみせる!」って。
冲方 また、出てくる名前がすごい(笑)。でもその気持ちはすごく分かります。
富野 だって、それしかないじゃない。手塚治虫の気力や才能を見ると絶対勝てないことをつくづく感じるんですよ。午前2時にスタジオで仕事をしていた手塚先生が、翌朝6時の撮影所にいて元気に人と話している。この人は一体何者だろうと思った。そういう人物を見てしまえば、普通に働いているくらいで頑張っているなんて言えなくなります。
冲方 下を見ていないんですね。常に上を見ている。
富野 それは意識していました。足元を気にしていたら、10年先は生きていけないだろうと思いました。そうでなくても、テレビまんがの仕事をしている人は、社会の底辺のように扱われていましたから。昨今はアニメや漫画という職業が認められるようになって、子供たちが漫画家になりたいなんて言うようになってきた。でも、今の時代の志では漫画やアニメはダメになってしまうでしょう。才能のある人に来てほしい業界なんです。ですから、そんな心配をしていたときに、あなたの名前を聞いて、一息つけたような気がしたんですよ。
冲方 そ、そうですか。ありがとうございます。
富野 そういう人が出てきたときに潰しちゃいけないんです(笑)。勘違いしがちなんだけど、ハウツー、技術をすべて教えたからといって、それが実践できる人間は限られているんです。理解するだけなら誰でもできます。問題なのは知ることと出来ることは違うということで、実践できる能力がいるんです。そういう能力のある人は固有に出てきてくれなければならないと思っていましたから、今日は嬉しいですね。
年寄りは、百人に教えて、その中から自分を追い越してくれる一人の才能を待つ努力をしなきゃいけないんです。そして、才能が現れたときは潰しには行かない。そういう心持ちを作らなければならない。でもそれは口で言うほど簡単じゃないんだよね。手塚先生なんてライバルに対して嫉妬の固まりのような人だったし、僕だって、冲方さんには嫉妬心が湧くから、我慢する努力をしてますモン。
冲方 ……僕はその監督の姿勢を心して見守らせていただきます(笑)。
富野 今日お会いして確信できました。お前みたいなイケメン、やっぱり嫌いだ(笑)!

「これは診断書のカルテのようなものです。カルテを読むと、読んだ人まで病気になりかねないでしょ?」の箇所をさらりと流してはいるが、個人的には今回の対談で二番目に気になったところ(一番はもちろん映像編集の手法応用)。今回はペンネームについてだが、過去の御禿の発言を思い出してしまうが(「このアニメがすごい!のエヴァ評)、作品自体にも適用出来る。言い換えれば、二人の著作物は無数の読者にも影響を与えている、ということでもある。もしかしたら人生をも狂わせている(特に御禿は既に無数の業界人を生み出しているし)。次回のNT対談ではそこが出ると良いなぁ。
…でもあの発言って「お前は診断書のカルテを垂れ流しながら生きている」って言われているようなもんだな…嫌だなぁ…。