完全版「リーンの翼」メモ

バイストン・ウェルへの誘い 作家・富野由悠季の世界

バイストン・ウェルは魂のマスカレイド(仮面舞踏会)。それは一見、無秩序と汚濁に包まれた世界であろうとも、そこには魂の欲する形がある。
そのバイストン・ウェルへ生と死のあわいに開かれたオーラロードが人を導く。人はその道を通ってこそバイストン・ウェルの物語を知ることができる。
バイストン・ウェルの物語を覚えている者は幸せである。心、豊かであろうから……。

作家・富野由悠季のできるまで 第1回 演出家になるまでの「文章修行」

―― 子供のころ読んで、印象に残っている本というのは何ですか?
富野 そういうのはないなぁ。僕は小学6年生になるまで、雑誌の「少年」や「少女」に掲載されている活字の読み物をちゃんと読み通すことができなかったんですから。記憶にあるのは……ようやく6年になって読むことを覚えて、「少女」だか「少女クラブ」に連載してた小説の最終回を読んだ時のことかな。
―― 面白かったんですか?
富野 読んだ時に「ケッ!」って思った。もう内容なんて覚えていないんだけど、最後の最後のラスト5行あたりに、登場人物のおじさんのセリフとして、その小説のタイトルがでてきて、ご丁寧にそこだけゴチックにしてあって、そのタイトルってたいしたことがないんですよ。子供心に「ばかばかしい」って思うようなタイトルで。だから、「この一言のためにこの連載を延々とやっていたんだ!?」と愕然として、「小説ってそんなもんなんだ!?」と思ってしまった。内容は忘れても、少女向け雑誌でもこれはないだろうと思ったことだけは、今でも強く覚えています。それ以来、もともと薄かった小説への関心がさらに減った……ということはあるかもしれない。その後、人並みに小説も少しは読むようになるけれど、今に至るまで、小説体験といわれるものはないですね。
―― 富野監督は子供時代の映像体験について語る時も「子供だましの映像を見ると、腹が立った」と言っていますが、それと同じですね。
富野 ファースト・コンタクトが悪かったね。
―― そういう姿勢は小説についても同じだったんですね。
富野 でも、そんな出会いでもあったおかげで、その前後から世界少年少女名作選みたいなシリーズ――講談社だったかな?――に手を出すようになって、最初に読んだのが「源義経」。文章も件の少女小説のような書き方はしてなかったし、なにより「そうか、ちゃんとした小説は主人公の名前がタイトルになるんだ」ということに気づかせてくれた(笑)。あとそのシリーズのよかったのは、挿絵が山口章太郎先生だったこと。山口先生の絵は、日本画調のもので、本格的な洋画の挿絵というタイプではなかったのだけれど、挿絵っていうのはこのぐらい絵として上質なものでないといけないよね、っていうことは分かりました。そのほかの本では伊藤幾久造も描いていて、僕の好みは山口章太郎でしたけど。だから本を読み始めたといっても、活字だけというより、挿絵との関係で本を読んでいくようになりましたね。その点では、不満といえば、クラシックで正統的な絵もいいけど、もっと子供が好きそうなポピュラリティのある絵にしてくれればいいのにという気持ちもあったわけです。
―― そのあたりが、中学時代にペン画に集中するkとの原点になるわけですね。小説そのものを書こうと思うようになるきっかけはなんだったんでしょうか?
富野 中学の時の僕は、本当に意識してペン画の練習をしてたんですけど、結局、僕は絵が描けないってことが分かった。ペンで絵を描くということは、ものすごく大変だし、僕にはそれをやり抜けるだけの根気と能力がなかった。ならばそういうものに触れたければ、物語を書くという作家の方に行かなくては、という流れになるんですが……。それで中学3年のころには、小説を書きたいと思うようになったんだけれど、今思えばなんのことはない、そのころって中高生が小説を書くというブームがあったのね。
―― なにか印象的な小説に出会ったというわけではなかったんですね。
富野 出会うわけがないよね。小説を読んでいるというほど、読んでいないんだから。だからそこは今の人たちと全く同じですよ。とくに漫画も小説も読んでない、ろくに映画も見てないのに、漫画家になりたいなんて言っているようなものなんだから。
―― それでも、とりあえず書き始めてみたわけですね。
富野 直接のきっかけというと、僕が高校1年に上がった時に、「高校時代」を買い始めたら、そこで短編小説の応募が始まったこと。それで400字詰めで30枚くらい書いて、2〜3回応募したかなぁ。3回目の時に編集者から1行だけ「こんなもの書いてちゃダメだ。もっと人生勉強しなさい」と講評が返ってきた。まあ高校1年とはいえ、書いているうちにそういうことは薄々分かってきているわけで、大人からズバリと言われて「そうか、そうだよね」って納得しました。
―― 同好の士はいなかったんですか?
富野 高校2年になった時、そういう人間を見かけて密かにくちゃくちゃやろうとしたんだけど……。彼は、文科系といってもものすごく硬派だった生徒で、そもそも1年間自衛隊に入って、それから改めて高校に入り直したような生徒だったんで、大人でしたね。だから高校2年と3年の2年間は、いろいろ僕が買いたものを見せても、彼に鼻であしらわれたという記憶しかない。もっとも彼だって、言ってしまえば1歳しか違わないので、僕の小説のどこがどうまずいのかをうまく説明できるわけじゃない。だから鼻であしらうしかできなかったんだろうけど、それでも、こちらとしては、作家になるっていうのはこういう壁を越えられるだけのものを書くということなんだということは分かってくるわけですから、いい刺激にはなりましたね。
―― 富野監督の自伝「だから僕は… ガンダムへの道」には、17歳当時書いた短編「猫」が、創作の原点として収録されています。「猫」はちょうどそのころ、書かれたものなんですね。
富野 そうです。
―― そのころ映像への関心というのは、どうだったんでしょうか。
富野 結局、絵も小説も中途半端っていうところがあるから、映画しかない、ってなっていったところがあるのは否定できません。僕は小学5年の時からスチルカメラを触っていたから、映画を作るにはまず光学機器のことを分からなくちゃいけないというのはおぼろげに理解していました。その上で映画を作るためには、「絵作り」と「物語作り」も必要になってくるわけで、この3つの要素をかじっているという点で、自分は映画になら行けるかもしれないと思ったわけですね。
―― それで、日本大学芸術学部映画学科に進学するわけですね。
富野 補欠だけどね。ところが入学してみると他の学生が補欠の僕ですら驚くような事態だった。
―― 何が驚きだったんですか?
富野 一言で言うと、「映画が好きだから」っていうだけで進学してきた学生がほとんどだったことです。映画が何でできているかなんて考えたこともない。映画学科の演出コースであるにもかかわらずそうだったから、「これはものをつくるなんて以前の問題じゃないか」と思いました。たとえば入学して2ヶ月目ぐらいに、夏休み明けまでにシナリオ1本書いてこいという宿題が出た。それで僕は、200字詰め原稿用紙――いわゆる「ペラ」で250枚ぐらいあるやつを書いていったんだけど、あとはみんな100枚ぐらい。最初の2年でだいたい6本ぐらい脚本書かなくちゃいけなかったんじゃないかな。僕は、日芸のカリキュラムを全面的に肯定するわけじゃないけど、シナリオを書くことの有効性については認めていました。でもそういう学生は、「俺たちは演出コースであってシナリオコースじゃない」って言う。でも、演出を本気でやろうと思ったら、どう考えてもシナリオ書けなくちゃダメでしょう。きっとこの連中は、原稿用紙に20枚とか30枚の小説の習作も書いたことがないから、そんなことを言うんだっていうことが分かっちゃったのね。
―― そのあたりで高校時代に小説を書いたことで訓練された“腕力”が生きてきたわけですね。
富野 それは当時、意識しましたね。特に高2、高3の時に、小説っていうのが何かわからなくて鼻であしらわれていたとしても、とりあえず400字詰め原稿用紙を埋めることだけはやってたから、大学でシナリオ書けって言われた時点では「今まで書いてきたものの中から使えるか? 使えるわけない」と即断できるようになっていました。ここで小説からシナリオに行ってることからも言えるんだけれど、絵描きになりたいという夢は早々に挫折したけれど、「絵で語る」ということについては、絶対的な関心があったんでしょうね。
―― 富野監督は、大学卒業後に虫プロダクションに入社されますよね。当時のアニメ業界には、黎明期の日本SF界から小説家も様々に参加していましたが、そういう方から影響を受けたことは?
富野 僕の場合にはなかったですね。その理由のひとつは、本能的に僕がSF作家に反発していたところがあったからでしょう。豊田有恒さんなんかは、はっきり「アイデアが大事」と言っていた。でも僕は劇映画というものは、SF的なアイデアだけでは突破できないという気持ちがありました。アイデア論ではなく文芸論、物語構造をどうするかということこそが重要だろう、と思っていました。
―― そういうドラマ志向の部分は、「鉄腕アトム」の演出には表れていますか? たとえば脚本も書かれた初演出作、第96話「ロボットヒューチャー」は、善と悪の狭間で葛藤するロボットが出てきます。
富野 いや、そんな感じではないです。「ロボットヒューチャー」は、制作進行から演出になりたいっていう、そういうどさくさ紛れの産物なので。「ヒューチャー」に限らず、「鉄腕アトム」そのものがすごく過酷なスケジュール、過酷な環境で制作されているから、“ドラマ志向”みたいな一つの価値観で進めるわけにはいかない状態です。だから演出になって豊田さんの脚本で第111話「ロボットポリマー」を演出する時なんかでは、葛藤したもの。そもそも、アイデア中心の脚本では“漫画”にしかならない。そこに反発はあるんだけれど、じゃあ“漫画”は“漫画”として面白く見せることが自分にできるのか。それができないってことは自分が不得手で、才能がないってことだよな、って思っていましたから、シナリオ・ライターに納得してもらうものを演出することはどういうことか、とは考えつづけました。だから「鉄腕アトム」を演出している2年半ぐらいの間はずっと、ドラマとアイデアをどうするかで悩んでましたよ。自分自身、実力と言うよりは、会社のどさくさで演出になったという自覚があったから必死でした、おまけにスタッフの主力は「ジャングル大帝」に移動してしまったから大変でした。
―― 虫プロとしても「ジャングル大帝」が会社のメインと考えていたわけですよね。
富野 ええ。僕は「鉄腕アトム」残留組でしたから。とはいってもそれを辛いと思いつつも、これを利用して何とかしたいと思っていた部分があったのは事実です。だからあの時、訳が分からず週1本放映される30分のTV番組を支えなくちゃ、ということをやったおかげでついた知恵というのはあったかな、という気はします。ただ、あとでフリーになってから分かったんだけど、「アトム」での仕事は全然業界内で評価されてなかったんです。まあ、今考えればそれもそうかなとも思うのだけれど。
―― お話を聞いていると、小説家に憧れて書き始めたというよりも、映像を作る人になるためのトレーニングとして、文章を書く訓練を積んできた、という感じですね。
富野 まさにそうです。そういう意味では僕は小説家修行なんてやったことはなかったし、社会に出てからも小説家になろうと積極的に考えたこともなかったんです。
―― では、次回は、小説家になろうと考えたことがなかったにもかかわらず、「機動戦士ガンダム」の小説を出版されることになったあたりなどをうかがえればと思います。

バイストン・ウェル」という宇宙

  • 旧小説版を改稿した上で、OVA版が小説の後の話であると明確に位置づけ、ミッシングリングを補いつつ、全編で一つの物語としている。
  • オージ、インテラン、ワーラーカレーン、フェンダ・パイル、トゥム、ネイザ・ラン、ノムら世界の階層の名前は、富野があくまで仮でつけた名前で、正式なものではない。

作家・富野由悠季のできるまで 第2回 『機動戦士ガンダム』から『リーンの翼』へ

―― 小説家としてのデビューは「機動戦士ガンダム」になります。
富野 あの小説が出るまでには、ちょっとした経緯があるんです。そもそも僕は、TV放映が始まるか始まらないかぐらいの時に、ノベライズの企画を最初に「SFマガジン」に持ち込んだんです。早川の編集者2人ぐらいと話をしたはずですが、「ロボットものはだめです」と言われて、それっきりになりました。
―― 監督自らがノベライズを手がけるというのは、当時としてはかなり珍しいことでした。自分で書こうと思ったのは、ここへきて小説家になりたいという気持ちが改めて浮上したからですか?
富野 その時の自分に「小説家になれたらいいな」という気持ちがあったことは否定しません。でも、それはほんの少しで、「宇宙戦艦ヤマト」のヒット以降、それまでの「TVまんが」とは違ったビジネス展開が見えてきている中、「ガンダム」においても、ノベルスを加えることで、さらにビジネスの状況を拡大することはできないか、メディアミックスとして展開させられないかと考えてのことでした。
―― 自主的なメディアミックスですね。
富野 まだその意識が希薄でしたからね。あともう一つは、「ガンダム」というものの原作が富野であるという事実関係をちゃんと認めてもらうための布石にしたかったのです。
―― 事実関係ですか。権利ではなく。
富野 権利ではないです。「ガンダム」という作品の権利は、サンライズと放送局と代理店のものなんです。それはもう規定路線で、僕がサンライズと契約を交わす時点から、そうなることは決まってしました。だからそういう状況の中で、僕のほうから「自分で小説版を書いてもいいか?」と持ちかけました。そうやって原作者としての自分の足場を手に入れれば、権利者たちが「『ガンダム』の権利はこちらで押さえているんだから、好きにするよ」といいづらい状況になるだろうと読んだわけです。こうしておけばスタッフサイドにもいいことがあるんじゃないだろうか、と計算してのことです。
―― 当時、TVアニメを再編集した映画がいろいろ作られていましたが、TVのオリジナルスタッフを無視したものも少なからずありました。「ガンダム」がそういう事態にならないように牽制する、という意味合いがあったわけですね。
富野 そうなんです。だからこそなにがなんでも出版に持ち込まなくてはだめだったんです。だから早川書房には結構あせって企画を持ち込んだ記憶があって、原稿は400字詰め原稿用紙でほんの10枚とか15枚ぐらいしか書いてなかったと記憶します。
―― その後、朝日ソノラマから出版されるまでの経緯というのは?
富野 早川書房が「ロボットものだからダメ」というなら、ソノラマ文庫――つまりジュブナイルだったら、書かせてくれるのかなぁ? と考えたんです。それで作家の高千穂遙くんに、相談というのでもなしに、「どうかぁ?」って話を持ちかけたら、彼の仲介で、朝日ソノラマの編集者が会ってくれることになりました。
―― ソノラマ文庫だと「ロボット」は問題がなかったわけですね。当時のロボットアニメの立ち位置がわかるエピソードですね。すると「ガンダム」の小説を執筆されていた時期というのは……。
富野 まさにTVシリーズを作りながらですよ。だから本当にむきになって書きました(笑)。最初は、放送中に出して欲しい、ということだったはずだけれど、結局放送後に出版することになって。だから、打ち切りになった時には逆に、しめた! なんてもので、急に空いた時間で一気に最後まで書く、みたいな部分もありました。
―― 当初は1巻だけという予定だったんですよね?
富野 そうです。朝日ソノラマの担当から「ロボットものですから、全1巻で終わらせましょう」といわれて。それでこちらも抵抗するふうでもなく「はい」と言って、1巻で一応終わるふうにまとめたわけです。そうしたら映画版の企画が始まった瞬間に、担当さんがまたやってきて「続きを書きませんか?」って。
―― わかりやすいお話ですね(笑)。
富野 だからそれからはまた大忙しで「伝説巨神イデオン」をやりながら書き始めたんですよ。当時は、夏の旅行で海水浴に行った時も原稿用紙持っていって、海岸で小説を書いていた記憶があります。それでも小説家という意識はなかったです。なんとか原作者というポジションをフィックスさせて、自分が生きていくのがまず大事という感じでした。そういう意味では、僕が小説を書く動機というのは、決してほめられたものではないんです。
―― 実は'70年代末から'80年代頭にかけては、世間がアニメブームを通じて「アニメ業界にも“作家”と呼びうる作り手が存在する」ということを発見していく時期でした。富野監督はその代表的な存在といえますが、それはその時期に、監督自身が「原作者」というポジションを確立しようとしていた結果でもあったわけですね。
富野 そういう見方をとりつける努力はしましたね。
―― その後もう一つ、小説家としての転機を挙げるならやはり'85年3月から(※:83年の間違いと思われる)「野生時代」で「リーンの翼」の連載を始めたことになると思います。
富野 うーん、僕個人に限った話をすると、うぬぼれていたんでしょう。それなりにノベライズも書いてみて、自分にも小説が書けるんじゃないかと思ったわけです。しかし、書いてみたけれど、ダメだった、と、そういうことです。フリーランスの人間ですから、アニメの仕事がダメになった時の食い扶持ぐらいを稼げるようにするなら、声をかけてくれた「野生時代」を利用させてもらおうと思ったわけです。小説であれば、スタッフワークではなく、一人勝手にできそうだというのもありました。でも小説云々といえるところまで行かなかったわけですから、当時の編集者には、こんな僕の仕事につきあってくれてありがたかったという気持ちで一杯です。
―― 「リーンの翼」に限らずオリジナルの小説を書く時は映像化を念頭に置いているんでしょうか? それとも映像向きでない内容を小説で書こうとしていますか?
富野 映像を作るのを長く仕事にしてきたわけですから、自分の発想のベースはまず映像にありますね。だから「リーンの翼」以外の小説は、映像化の企画書みたいなものです。しかし、「リーンの翼」は、それ以前の段階で、なんの想定もないまま書いてしまったんです。それに、やはりTVまんがレベルとはいえ、スタッフワーク、スタジオワークに軸足を置いてきた人間ですから、そう簡単には、一人仕事のほうがいいとはならなかったですね。
―― すると、「リーンの翼」を書いたことで敗北感がありましたか?
富野 ありました。ただ、失敗だということは分かっても、一方でまだ「リーンの翼」という作品について、もやもやと分からないままのところもあって、だから「リーンの翼」のOVAも監督したし、小説版も改めて書いた、ということがあります。
―― 「リーンの翼」については、また後ほど改めて聞かせてください。富野監督は小説を書く時は、どのように書いていくのでしょうか?
富野 先の予定はあまり立てずに、少し書き進んでは最初から見直して、書き直すということの繰り返しですよ。とっても悪い癖だけど、小説としての完成形が頭に思い浮かばないから、本当に書き直しながらの行き当たりばったりの仕事なんです。
―― 「リーンの翼」の時は、構想メモのようなものは作ったんでしょうか?
富野 そういうものは作りませんでした。職人なので、まず手が動いてしまうんです。そういう意味では本当に、なりゆき任せですから、だらしのない作品になったのです。
―― 執筆環境はどのようなものでしょうか?
富野 「ガンダム」のころは、手書きでしたが、「リーンの翼」のあたりからワープロを使い始めました。それでワープロを使っていた時期がすごく長かったんだけれど、21世紀に入ってから、パソコン環境になりました。最近、25年ぐらい前にワープロで書いたメモを引きずり出してみたら、キーボードで打つ文章はやっぱり手書きと違う、と怒り狂っていましたね。句読点の打ち方も、ワープロの最初のころと、パソコンに慣れてきた今では、だいぶ変わっていますね。
―― 小説を書く時に心がけていることはありますか?
富野 コレというものはないんですが、少しでも作品を「本物らしく」したいとは思っています。そのためにはいろんな資料を読む必要があります。自分の持ち物だけで書いたら「らしさ」は出てきません。自分の持ち物だけで書くことを「個性」と誤解してはいけないのです。小説に限らず、漫画・特撮・アニメなどを作る時には、ちょっとでも勉強してほしいと自戒しています。わかりやすい言い方をすると、自分の書きたいことに関係ありそうな岩波文庫1冊でもいいから読み通すということでしょう。そして、その勉強の成果の百分の一でもいいから、それを作品の中に反映するよう努力することで、それが次の世代に何かを伝えていくことにつながるんだと思っています。実際、僕も「鉄腕アトム」で自分の持ち物だけで作った回があって、それはヒドいのよと思います。
―― 参考までに、それは第何話ですか?
富野 それは口がまがっても言えません(笑)。でも、僕の場合は、そういう経験を「鉄腕アトム」の2年半の間に、いやというほど体験しましたね。
―― 素朴な質問ですが、これまで書かれた小説の中で気に入ってるものはありますか?
富野 あの……、やっぱりそういうのは処女作に戻るんですよ。10年ぐらい前にソノラマ版の「機動戦士ガンダム」を読み直したんですよ。出来具合は関係ないです。とても好きでした。お前はこの程度のノベライズしかできないんだと言われても、そういう評価とは無関係なんです。なんというか「固有性」のようなものがそこにはあって、これは書き方の巧拙といったレベルで手を加えることなどできないな、と思いました。逆に言うと、これに触るとなると全部を書き直さざるをえない事態になる。そういう小説です。……こうやって思うと、それなりの作品っていうのは、絶対作家を離れるんです。作家から離れるだけの何かを持っていない作品というのは、作品になりえない、とも言えます。作家の自意識がギトギトに込められた作品が作品たり得るかといえば、なりえないだろう、というのが僕の考えなのです。人間の能力が素晴らしいのは、ある瞬間、その人の我を飛び越えて、スポンと作品そのものが目前に出来上がることがあるからなんです。それは僕程度の人間――というか、世界中の誰にでも起こりうることだと思います。誰でも一生に一度ぐらいは傑作が書けるというのは、そういうことを指して言っているんです。まして処女作というのは、その人のそれまでの人生を全部反映せざるを得ない作品ですからね。問題は、プロになって、作品をコンスタントに送り出さなければならなくなった時に、その状況の中で何人の人が、作品と呼ぶに値する作品を作ることができるのか、ということです。2作目、3作目はそうした自分が人生を通じて溜め込んでいたことが、1回まっさらになってからの勝負ですからね。
―― ありがとうございます。では次回からは今回の「リーンの翼」を中心にお話をうかがいたいと思います。

作家・富野由悠季のできるまで 第3回 総集編映画と作ったから書けた第3巻

―― 今回、刊行される「リーンの翼」は、全4巻のうち1・2巻が、'84〜'86年に刊行された旧「リーンの翼」を改稿したもの、3・4巻がOVA版「リーンの翼」のノベライズという構成です。これはどういう経緯で決まったのでしょうか?
富野 経緯といえるほどのことをもう覚えていないんだけど、OVAリーンの翼」の完結に合わせてノベライズを依頼されたんです。それで完全に旧「リーンの翼」のことを忘れていたんで、編集部からプリントアウトしたデータをもらって読み直したことから始まりました。OVA制作の時、小説版は読み返さなかったので、OVA制作のあとで読み直して困ったのは、旧「リーンの翼」がノベルスで全6巻というボリュームがあるのに対して、OVAのほうはどうやって書いてもそれだけのボリュームにならないということで、せいぜい書いても全2巻でしょう。この不均衡をどう整えて、全体のバランスをとるかで頭を抱えてしまいました。
―― 二十数年前の小説「リーンの翼」の文章を読み直してどうでしたか?
富野 それは時には「若気の至り」と言いたくなるような描写もありましたが、基本的には気になりませんでした。
―― すると旧「リーンの翼」の改稿は最低限度で、むしろ問題は後半2巻分のほうだったわけですか?
富野 もちろんです。OVAのストーリー以外に、書くべきこととしては、迫水がホウジョウの国を建国するまで、というのがあるわけだけれど、建国の物語を頭からズッと追いかけていくのはありえないわけです。そんなことをやったら、山岡荘八の「徳川家康」みたいな大長篇になってしまうでしょう。それでいろんな書き方で試してみたんだけれど、最初は1ページより先に進むことができなかった。
―― そして現在のようなスタイルに落ち着いたわけですね。
富野 結局、迫水の建国の歩みをポイントポイントで拾いながら、第2次世界大戦後の出来事をバイストン・ウェルの時間の中に織り込んでいくという今回のスタイルにしました。このスタイルに落ちつくまでに1年ぐらいかかりました。だから書いていて、迫水が自分の国の名前としてホウジョウという言葉を持ち出すまでが、ものすごく辛い仕事になりましたね。そこまでで説得力を持って建国のプロセスができれば、あとはOVAでいっぺん描いたストーリーだから、なんとでもなるだろうという計算はできました。
―― 迫水の建国の歩みを記述する語り口は、富野監督の映画のの編集術に通じるところがあると思いました。
富野 嬉しい感想ですね。まさにあれは映画の省略論そのものなんです。とはいっても、あんなふうに自然に時間や空間を飛ばす構成にするまでが大変でした。ただ完成稿だけ見ると、その苦労が見えないぐらいにはまとまってるので、これはちょっとくやしいな、という感触はあります。
―― すると第1稿からはだいぶ変わっているんですか?
富野 変わったどころじゃないです。とにかくにも旧「リーンの翼」で迫水が再び地上に戻ったのが昭和20年ということと、OVAの舞台が「現在」というのは決まっているわけだから、まずこの間のバイストン・ウェルの時間の流れをどう表現するかを考えなくてはならなかったわけですから。20年前の「リーン」では、地上の世界のほうが、バイストン・ウェルより3倍速く時間が流れているという設定はあったけれど、そんな数字をはめると、時間の流れが整合していない部分が目立ってしまって、ものすごくゴツゴツした小説になってしまうんです。それで、二つの世界の時の流れの差については、時に速く、時に遅くなるような、ゆらぎがないと収まらないのだから、物語のラインを守りながら、時間の流れ方にゆらぎを付加していく方向で書き直していったわけです。地の文もかなり書き換えることになりましたが、一番大事なのは、物語全体の気分の流れを一本化したまま、時間と空間の流れのゆらぎというか歪みをどう表現するのかというのは、文章の問題ではないんです。100ページぐらいの範囲を行ったり来たりしながら、棚卸しするように構成そのものをいじっていったのです。そうしたら、章立てをすること自体が物語の時系列に歪みをあたえる表現になるとわかったのです。章の置き方そのものが二つの世界の時間と空間の伸び縮みを表現する、ということで、文章の問題ではなかったのです。つまり、今回の章立てに持ち込むまでが大仕事だったのです。その苦労は作品からは読み取れないはずです。
―― 映画的な省略を行うにあたっても、いろいろと工夫は必要だったのではないですか?
富野 物語のラインの中には、必ず総集編映画的に事象が飛んでも許される瞬間があるはずなんです。ですから、それを見つけ出す努力はしました。たとえば本文の中で、迫水が貯蓄や相互扶助のための組合制度や国による年金制度を整備するという描写が出てきます。実は、あの数行を書くために、現実にそういう制度が導入されるにあたって官僚と労働者と企業の間でどんなことが起きたのか、というあたりも少しは調べたりもしました。そして、そういう事象が起こったということで、時間経過を表現したところで、迫水がその施策を気にしている描写を1行だけ入れる。そうすることでその描写が接着剤になって時間的に離れているシーンも近寄って見えるし、こと細かに描かなくても、背景に広がって見えてくるものはあると思います。
―― 点描を使って、世界観の奥行きやリアリティを確保しつつ、省略された部分を埋めていくんですね。
富野 それがまさに映画的というところでしょう。細部をたっぷり描いたところで、ディレクターズカット版がつまらない映画と同じで、冗長なだけなんです。これはちょうど人間の思い出にも似ています。思いでって、細部のリアリティがしっかりしていて、それぞれを繋ぐ要素さえあれば、各思い出が断片的にでも全体としてまとまって体感できるでしょう。今回は、感覚的にそこを探り当てて、21世紀の現代にもってくるという形に落ち着かせていったわけです。
―― それで第3巻では、地上界の様子とバイストン・ウェルの様子がカットバックされるように構成されたんですね。
富野 だから僕は今回「リーンの翼」を書きながら、アニメで総集編映画を何本も作らせてもらってよかったと何度も実感しましたよ。そうでなければ、こういうふうなまとめ方はできなかったでしょう。地上の数日間を描く間に、バイストン・ウェルでは50年以上時間が経過します。一見、ごまかしのようにも見えますが、僕にとってはこうやってフィクションとリアルを繋いで見せる手つきこそ、正統なSFなんです。これは小説だからできるだろうと思って挑戦したことだし、その点でこれまでの異世界ものとは違うものになったという自負があります。
―― その第3巻では、迫水の見聞という形で、第2次世界大戦後の世界の変化が点描されます。それによって後半2巻は「戦後」というモチーフがより前面に出たと感じました。
富野 全くそうです。迫水という人の人生を改めて考える時の、一つのヒントになったのが、岸信介という人物です。戦前は満州国の経営に敏腕を振るい、戦後は一旦A級戦犯になるもアメリカの政策変更の中で首相にまでなった。迫水とはタイプの違う人間ですが、人生の前半と後半で二つの顔があるように見える。岸のような存在を念頭に置きながら迫水を考えていったことで、年齢を重ねていく迫水という存在を捉えられたのかな、というのがあります。だからそういう意味でも、現実の事象をなぞるというより、裏側から照らし出すようにして、戦後史を書いたという感触はあります。
―― 「戦陣訓」の評価の変化が、前半の戦士としての迫水と、後半の為政者としての迫水を対比させています。
富野 それが一番わかりやすいポイントかもしれません。でも「戦後史」といっても、「リーンの翼」というのは徹頭徹尾フィクションなんです。実際の歴史的事象を追うなら歴史小説なりノンフィクションなりを書けばいいんです。そうではなく今回は、完全にフィクションとすることで、逆にそのものの本質が浮かび上がるようなものが描ければと思ったのです。現実の事象を使ってあれこれ緻密に組み立てるのは福井(晴敏)さんのような世代が得意なんだから、それは若い人に任せます。
―― 戦後という枠組みへの疑問という点では、無国籍艦隊を率いるマキャベル司令がどうしてクーデターを起こしたのか、その思想もアニメ版より細かく触れられています。
富野 それはそうですよ。アニメ程度のの描写で済むようなキャラクターであったら、本当は原子力空母一隻盗めませんよ。それぐらいのことをやる人間は、信念と哲学があり、それを胸に秘めて20年や30年過ごせるだけの人物でなければならないでしょ? あんな事件を計画する男ならと、小説としては当たり前の描写を足しただけのことです。
―― 本文を読んでいると富野監督は、戦後の日本」について、アンビバレントな気持ちを持っているのでは、と思ったのですが。
富野 そうですね……僕にとって「戦後」とは、いい面も悪い面もあるもので、それらが同列に存在しているものだという感覚があります。ただその感覚は別に「戦後」という狭い範囲だけに限ったことではないのです。まず、生きていく上で、過去を全否定していまうのは間違いなんです。そういう考え方は主義主張を超えて、僕は嫌いというか、できません。でも同時に、過去が素晴らしかった、という意見もイヤなんです。新しい明日に過去なんて持ち込んでもらっちゃ困る、ということを強く言いたい。でなければ、僕は若い人に「生きろ」と言えないですよ。年寄りは若い人にウソでもいいから「明日という日があるんだよ」と言わなくちゃいけないと信じている立場ですから。
―― 確かに、物事のある側面を見せたら、必ず逆の側面も匂わせるというのは、富野監督がよく使う演出です。
富野 だから一方通行の見方では、世界を捉えられないんです。たとえば男から見た女性の立ち位置。猥褻の対象であり、同時に、子供を産み育てる圧倒的な存在でしょう。それが女性というものなんです。あるいは木を切るという行為も、状況によって、環境にとって正しい場合もあれば、そうでない場合もある。作品の中で価値観を一方通行にはしないというのは大事なことだと思っています。
―― もう一つ描写で興味深いのは、迫水とエイサップの対比です。たとえば第4巻のエイサップとリュクスのキスシーン、わざわざ勃起をしていない旨、書かれていますが、若い日の迫水だったらそうではないでしょう。
富野 それは……本人が言ってはいけないけど、老成したんです。ヘンに若ぶって、若い人に向けて濡れ場を用意するなんてことはやめておこう、と。それは若い人を舐めていることにも繋がりますし、年寄りが似合わない若作りをしているのは痛々しいですからね。だから、いいことか悪いことかはわからないけれど、そのへんの描写についてはキャリアもあって自然と“こなし技”ができるようになったという結果だと思います。
―― 今回の単行本で気に入ってる場面はありますか?
富野 そうですね……、先ほど挙げた迫水が組合た保険に言及するところも好きなんですが、バイストン・ウェルに来た地上人が、家電製品を作る描写は気に入っています。できる技術すべてを注いでなんでも作るわけではなく、少しずつ小出しにしながらいろんな家電を作っていく、という節度がいいですね。この節度については、現実の今の技術者たちに是非学んでほしいことだと思っています。携帯電話にあらゆる機能を放り込んでしまって、それでいいのか? と。あとは少女時代のコドールが登場するところも好きですね。この少女がまさか迫水と一緒になるとは思えないような雰囲気で書けた時は、小説化になれるんじゃないか(笑)と思ったぐらいです。やっぱり、将来悪女だからって、そのまま登場させてはつまらないでしょう。そういうところが物語のおもしろさなわけですから。
―― では、次回はもう少し踏み込んでバイストン・ウェルそのものについてお話がうかがえればと思います。

「マシーン・ザバン(仮)」企画書

バイストン・ウェル物語より
マシーン・ザバン(仮)

□本編で語られることは

死への恐怖だろう。
ゲームではない戦争を始めた時にも、
参謀たちは、その恐怖は知らない。
それ故に、
戦いを仕掛け、
野望を持ち得る。


しかし、“ア”の豪族
ガラム・ルフトは、自らが戦いに立つ。
勇者であった。その分、愚鈍ではあったが――。


ショット・ウェルポンは、ガラムを使う上で参謀たり得た。
そして、以後、次々と第二、第三のガラムを傘下に入れてゆく。

□本編で語られるべき戦士たちは

忌むべきものなのだ。


ショウ・ザマは、戦士故に英傑とたたえられて、
次に 忌むべき人として 恐れられ、
そして、
それをのり越えた時に、
“真なる敵”をみつけ出せる人として立つ。
この時に、オーラは初めて、ショウと一体化して“真の力”を示す。
その象徴として“リーンの翼”を与えられるのだが、
そこまでの物語は、本編で語られることは、ない。
リーンの翼”を手に入れるまでは。
さらに、知力をさえコントロールし得なければならないからだ。

□戦士たちへのディテール

あらゆるものが生命であり、
あらゆるものが人であり、
真とは、それだけでしかないにもかかわらず、
文明は生命を発生させる球(地球)を
汚濁の中につき入れた。


それが、今、無神経さという形で
人に投影されて、
そして、
その無神経さ故に人を、生命を殺せるプロが、戦士となる。


それ故、ショウに“リーンの翼”が与えられることは永遠にない。
彼は、人を殺しすぎた。
が、
時に、リーンの翼が、人に与えられるのは、
そこに世界のほころびが
みえはじめているからだろう。
バイストン・ウェルも、真のリーンの翼を持ちうる支配者を待っている。


時、21世紀への十数年前――。
'82.7.28

バイストン・ウェルの人文地理(考)
自然

基本的には、地上と同じ生体循環を示すが、オーラという世界を構成する基本エネルギーと地熱(極めて物理的エネルギーである)によって、植生、動物分布は極めて細分化してあらわれている。

人種

フェラリオ、コモン、ガロウ・ランの三つの大きな分化がみられる。
フェラリオとガロウ・ランは、同種の精霊に近いものといえる。
前者は、理想の人に近いとされる妖精たち。ガロウ・ランはカ・オスに加担する悪しき精霊である。
コモンがバイストン・ウェルの住人たちで、農業、商業、工業とあるが、それらはあくまで地上界の歴史でいえば、18世紀中期のレベルでとまっている。
しかし、農工に多少の機械技術がとり入れられて、人々は欲望を拡大することがなければ安穏に一生を全うできる。
少なくとも、彼らは、伝統の下、バイストン・ウェル発生以来、窮することのない技術と能力を持って暮し得る。
コモンの中での階級差別はなく、人それぞれが望んで、支配者に被支配者になったという前提があるために、コモン内の人への蔑視はない。
しかし、己の業、よくによって他社を排する人に対しての嫌悪は激しく、そのために、コモンがガロウ・ランに暗殺を頼むことはまれにある。
フェラリオはそれなりにあがめられはするが、共に食事をすることは度々あり、地上界でいう天上人、妖精とは多少異なる。
ガロウ・ランは、悪しきものとして除かれるべき存在ではあるが、彼らとて、コモンの中にまぎれこみ、悪行を試み、人をまよわせる、という事を為すものもあり、外見上のその識別は難しい。


カ・オス――本シリーズでは、語られはしても、決して現れる存在ではない。

動植物

地上界で想像される妖獣の類いが棲息する地が各所にある。
恐らく、天狗、カッパに類するものも居るが、生息分布は限られていよう。
植生についても全く同じように考えられるが、不老長寿の実を持つ木はない。
それは、あくまでの理想の中のものとして、語られるだけである。

機器

機械技術が地上界でいう18世紀中葉のあらわれであろうとするが、少なくとも、地上のものよりは洗練された機能効用を持つ。
概念的にいえば、アトンラチスに伝えられた技術をより高度にしたものとはいえる。
しか、コモンの人々は、肉体生理に刺激をうけることを嫌うために、空飛ぶ機械を嫌悪する性癖がある。
飛行船(バルーン)は好むところである。


日常のエネルギーは、天然ガスもしくは地熱と上記によって全てまかなわれる。
部分的に電気も使われはするが、それはあまりに自然から遠い輝きであるために、人々は嫌い、1000年を経てもコモンに流布することはない。
人々はおだやかなのである。

戦士(バトラー)

コモンの中にあっても特殊な存在として規定されている。
一生のうち、衝動的にバトラーへの夢を持って通常2〜5年の間、バトラーとなり戦いを好む者となっても、それを過ぎるとコモンの日常に戻り得る。
地上界人の性欲に似たあらわれを示す。
闘争へのカタルシス行為とみられる。
そのバトラーを支えるための限定戦争を監理するのが、その地の政庁であり、豪族、大領主たちである。
バトラーは機械を支配するものではあるが、決して歴史的発展をみない。
つまり、破壊、殺戮を拡大する歴史は、地上界人の技術導入までは、全くなかった。
そこには、種の生存への絶対倫理観が働いているからである。
しかし、発展性がないバイストン・ウェルが永遠に負の世界として断罪される要因でもあるが――さて、それはどうか?

なぜバイストン・ウェルが存在するのか?

真に、地上界の人の深層心理の中に埋めこまれている記憶世界の再現であるが、
それは逆で、人のマインドが、バイストン・ウェルを体験するからこそ、記憶と空想を人が持ち得るのである。
人のマインドが、再帰し、安息し、そして遊び、再び、いや再々度、地上で生きてゆく前の準備をする。
そのために、マインドそのものが遊び、カタルシスをする世界である。
それ故に、バイストン・ウェルは、存在の発端から以後、永遠に発展することなく、存在そのものとしてあるのだろう。


現在は、地球上の海と地の間に物理的に存在する。
しかし、よしんば地球が破壊されたとしても、バイストン・ウェルは、時空を翔び、あらたな地にその世界を構築する。
なぜならば、すでに人が存在したが故にである。
そして、地球上の人々が、かくも現在巨大になっているのは、バイストン・ウェルのパワーを巨大にするためのものなのである。
地球が瀕死に近くなればなるほどに、バイストン・ウェルは、多くの人の再生を期して現世の体験をさせる人を一人でも多く手に入れようとしているのである。
なぜならば、バイストン・ウェルの成立は人のオーラがその源である。
その力を巨大にし〓〓(解読不能)に、バイストン・ウェルそのものが、翔べるための準備でもある。

リーンの翼 年表

  • 2007年に作られたもの。
  • OVA・完全版後半は2015年の話。

作家・富野由悠季のできるまで 第4回 「おとぎ話」としての『リーンの翼

―― バイストン・ウェルという場所についてお聞きします。バイストン・ウェルという場所は、論理(ロゴス)の世界である地上界とは対照的に、パトスやエロスが第一に来る世界ととらえていいでしょうか?
富野 最初にバイストン・ウェルという世界を思いついた時から、そうとらえています。いや……もっと極端だったといってもいいでしょう。25年ほど前に「バイストン・ウェル物語 聖戦士ダンバイン――リーンの翼」というムックで、バイストン・ウェルの特徴を「魂のマスカレイド」と言い表しています。我々がこの現実でフラストレーションに陥った時、そのフラストレーションを解消するために、人殺しまで含めたお祭り騒ぎをできる場所として想定されたのが、そもそもバイストン・ウェルなんです。
―― だからこそバイストン・ウェルにおいて、非道をなすガロウ・ランもまた重要な一部というわけですね。
富野 全くそうです。僕はガロウ・ランという存在は好きなんです。ただ映像では見たくない。特に僕が演出すると、彼等を暴れさせて相当に気持ち悪い場面を作っちゃうだろうから、絶対に見たくない(笑)。
―― あはは。ただ一方で、そういうバイストン・ウェルの持つ世界観のふくらみというのは、決して各作品の中で前面に出てきたわけではなかったですよね。
富野 それはまず僕がバイストン・ウェルをちゃんと描けていたか、という問題がありますね。そして、それを別にしても、「聖戦士ダンバイン」については、ロボットものという枠組みの中に落とし込んでいくことを意図的にやっていたし、旧「リーンの翼」では、ヒロイックファンタジー的なものを意識して書いていました。作品の間口を決めてしまうと、その中で言葉の量を重ねれば世界というものがたっぷりと表現できるかというと、そうではないんです。逆に概念としてそこに攻め込むようにしっかりと状況が作ってあれば、たった1行でも世界観が伝えられるんです。
―― ただOVAリーンの翼」では、クスタンガの丘が積極的に取り上げられるなど、これまでのバイストン・ウェルよりも、そのふくらみにフォーカスしているゆに思いました。それはなにか理由があったんでしょうか?
富野 理由というほどのものはありません。でも、作品として「おとぎ話」「昔話」「伝承話」といったものに接近するよう、もっと“曖昧”にしなくてはいけないと思って作っていたことはあります。これは決して珍しいことではなくて、ゲーテの「ファウスト」もそうなんです。あれはドイツ各地に伝わる伝承話をひとつに織り込んでいって作られています。極論すれば、あれはゲーテの創作物ではないということです。実はバイストン・ウェルのことを考えるときにいつもこの「ファウスト」を思い出すんです。
―― というのは?
富野 バイストン・ウェルの物語を書く時に一番気をつけなくちゃいけないのは、もともと自分が好き勝手に作った世界であるということなんです。もともとがそういう世界なわけだから、そこに富野の好きなだけの物語を投入していくと、きっと狭い偏ったものになってしまう。「ハリー・ポッター」シリーズのJ.K.ローリングですら、イギリスのさまざまな伝承を参考にしたと言っているんですよ。ならばバイストン・ウェルの中で、伝承話や昔話を再現、再生していく試みをしなくてはと思うんです。
―― そういえばOVAリーンの翼」の迫水はまさに浦島太郎でした。
富野 だから「おとぎ話」と言ってもらってもかまわないと思うんです。ファンタジーというカタカナ語の持つまやかしっていうのを逃れるという意味でも、日本語で書いているんだし「おとぎ話」でいいように思いますね。
―― つまり「おとぎ話」でありながら、そこに戦後史が絡んでくるのがOVAリーンの翼」の特徴といえるかもしれません。
富野 だからその戦後史の要素も、バイストン・ウェル・ストーリーとして考えた時は、伝承話なんかと同じなのね。要するに、一人勝手な物語にしないようにするためにも必要な要素だから。それに、そうやって「おとぎ話」として語ったほうが、ひょっとすると時代を超えられるんじゃないかという期待もある。精緻に書いたところで、それでは「資料」としては読まれても、「物語」としては読まれないんじゃないかという気もしますし。
―― 「おとぎ話」として語ることで、伝えられることというのもありますよね。
富野 本当にそう。たとえば原爆の開発。あれはどうも物理学者が自分の理論を実証したかったから作ってしまったという側面も無視できないようなのです。そんな理論を考えつくのに、その後の世界にその兵器がどれだけの影響を及ぼすか考える知性がない。実は「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」で、アムロとシャアに、「人間の知恵はそんなものだって乗り越えられる」「ならば、今すぐ愚民ども全てに英知を授けてみせろ!」なんてやりとりをさせたんだけれど……物理学者のような事実を知ると、英知ではひょっとしたら世界を救うことはできないかもしれない、と思わざるを得ないでしょ?
―― だから英知という枠からはみ出た「おとぎ話」に意味がある、というわけですね・
富野 そうなんです。
―― となると「機動戦士ガンダム」の世界がSFであるがゆえに「英知」を必要としているのに対して、OVAリーンの翼」は「おとぎ話」であることで、「英知」だけでは語れない世界の側面を拾っている、と考えることもできますね。
富野 なるほどねぇ。そうなんですよ。そうやってみると、我ながら、よく一人でそんな二つの世界を両方ともやってるなと思いますね(苦笑)。そういう意味でも、今回の第3巻、第4巻に相当する、OVAリーンの翼」部分は、書かせてもらって本当に良かったです。ライトノベルというジャンルを表す言葉そのものが希薄化している状況の中で、自分のキャリアの句読点となるかもしれない作品を書くことができたのは非常にうれしいです。
―― 全4巻を通じて読むと、富野監督の中で迫水というキャラクターが次第に大きな存在となっていったような印象を受けます。迫水は愛着あるキャラクターですか?
富野 うーん……、愛着やシンパシーは持っていないです。ただ人生の生の在り方として、迫水のような生き方があるのを否定するつもりは全然ありません。つまり一つの考え方だけを持って、迫水の人生を裁断する気がない、ということです。とはいえ、もちろん主人公キャラクターで、これくらい手塩にかければキャラクターとして成立するということもわかったし、そういうキャラクターを作者の都合だけで死なせてしまっていいわけがない、ということを教えられたことも含めていうなら、愛しいキャラクターであるとは言えます。しかし、これは愛着というのとはちょっと違うと思います。
―― そうですか。それはちょっと意外でした。振り返ってみると迫水って三つの人生を生きているといえますよね。1回目が特攻兵として。2回目が聖戦士として。そして3回目がホウジョウ建国の王として。
富野 急激に年老いながらも、核兵器から東京を守るために死ぬという最後の展開は、ちょっと穏当なものになってしまったかな、という反省はあります。でも、ああでもしないと、迫水は本当に死にきれないだろうなと考えたのも確かです。「リーンの翼 2」の最後で第三の原爆を防ぎ、老いて再び核兵器から東京を守る。一人の人間の人生を考えると、そんなふうに一つの局面に人生が収束していく状況というのは、迷いがない人生だったということは言えるでしょう。
―― 迫水を「戦後」に翻弄された浦島太郎として描こうという心づもりはありましたか?
富野 外側から見たら当然そういう人なわけだから、それは意識しました。大事だと思ったのは、迫水をちゃんと日本人として描くこと。それはナショナリズムを規定することとはちょっと違う。迫水が日本人だからこそ、迫水には最後に現在の東京を見せてやりたかったし、それが絶対に忘れられない光景だったから、迫水は嘆き悲しみ、怒り狂ったわけです。
―― 愛国心というよりは愛郷心を軸に描いたというわけですね。
富野 はい。迫水のようなキャラクターは、無国籍な存在ではいけないと思うんです。そうすると、「おとぎ話」にもならなくなってしまうから。「おとぎ話」というのは、やはり土着の匂いがするものですから、迫水にはそういう匂いが絶対に必要だったと思っています。
―― こうして聞くと、愛着はないとしつつも、やはり迫水というキャラクターには手がかけられている感じがします。
富野 それはそうです。このインタビューでもちょっと触れたけど、この小説が書けたことでうれしかったのは、OVAで見せられなかった迫水の別の側面を描けたこと。三人の夫人と結婚し、息子ひとりを亡くしたという姿を少しだけ描写したことで、OVAの迫水のように肩肘張って怒鳴ってるだけの人ではないんだっていうことが、伝わったのではないかと思っています。それぞれの奥さんに対して、迫水は自分と一緒になってくれてありがとうって気分をいつも持っている。そういう気分がちゃんと文章にでるようにという部分はすごく意識しましたね。最初の二人の奥さんって出番はそう多くもないけれど、劇をただ進行させるだけのキャラクターではなかった。それはコットウと情を通じて迫水を裏切った格好になっているコドールにしても、道具立て以上の存在感になっていると思っています。
―― 迫水というのは、不幸だったと思いますか?
富野 不幸だったと思います。ただ、不幸とは思うんだけれど、それは迫水っていうひとつのキャラクターを含めて、おとぎ話であり、寓話として成立いていればいいことなんです。そしてそれは、バイストン・ウェルという物語構造と世界構造だから出来たことで、やっぱりこれは「ガンダム」のような作品ではありえなかった物語になっていると思います。
―― 「リーンの翼」は、やはり迫水の物語だったということですね。逆にOVAリーンの翼」の主人公であるエイサップ鈴木は、アメリカ人と日本人のハーフで、土着性とは距離をとっているように見える設定です。
富野 うーん、それはこちらも素人ではないから、それぐらいのことは考えます、という範囲を出ないことです。「戦陣訓」についてエイサップがいかにも合理的な現代人の感想を言う場面を入れたのもそうです。でも、エイサップについては、僕自身がハーフという存在のメンタリティーを深く理解しない状態で造形してしまった部分があって、キャラクターというより物語るためのツールのままで終わってしまった感はありますね。
―― 完全版「リーンの翼」を書き終えていかがですか?
富野 書ききったという気分はあります。評価はどうか知らないです。でも、もうしばらく小説はいいなっていう感じがしてます。まだアニメで「リング・オブ・ガンダム」を作りたいと思っているので、そういう意味では、これが最後のバイストン・ウェル・ストーリーになるかもしれない。……年寄りの繰り言かもしれないけど、だから「リーンの翼」には「現在に至る40〜50年の記憶」というものを喚起するようなさまざまな要素を封じ込めたんです。世間的には今風のファンタジー小説の枠内で受け止められるかもしれません。でも、「おとぎ話」という回路を経由して、実はそこからもうちょっと普遍的なところへ通じる道筋もつけたつもりです。その道筋を追いかけてくださる方が出てきたら、著者としては本当にうれしく思います。

ポストカード説明文

この7枚の絵は、雑誌「野生時代」で「リーンの翼」(本作1巻2巻の原稿にあたる)の連載当時の1983年前後に、映画化の構想のため、富野由悠季が描いたオープニング用絵コンテとその素材かと思われる。「リーンの翼」執筆時に使用した資料の中の「リーン・オリジナル・メモ」という古いファイルに綴じられていた。すでに富野本人の記憶も定かではないという。

掲載されたコンテは2、3ページ。また、コンテ右上には「OFFICE AI Ltd.」の文字が。

帯推薦文

1巻「これは、ガンダムファンに突きつけられた、富野由悠季からの挑戦かもね」土田晃之ガンダム芸人
2巻「「物を考える」ということを、この人の本から教わった。これまでも、これからも――。」福井晴敏(作家/一番弟子)
3巻「富野監督が創り続けてきた世界の全貌がここに描かれていました」高橋友隆(ロボットクリエイター)
4巻「表現者としてのお手本は、いつも富野監督でした。全て作品で表現し尽くし、後で言い訳しない。そして今回もまた、新たな物語をポンと我々の前に提示してみせる。さぁどうだとばかりに。」CLAMP[もこな](漫画家)

土田は絶対読んだことないだろ…。福井氏の「一番弟子」は先日の高松氏や他業界関係諸氏に物凄く失礼。逆に一番末弟な訳で。