リーンの翼 COMPLETE 富野インタビュー

屋形船の中
―― 小説だった本作をあらためてアニメにすることになった時の感想は?
富野 基本的に21世紀になって現代性があったのか気になったのと、20世紀の懐メロにしたくなかったので、21世紀に関わる関わり方を考えてみようと思った。実際に映像作りの過程がないと、自分一人の考え落ちをすることが起こるので、映像を作ることから始めてみようと思ってやってみました。「ダンバイン」以来のテーマがあって、「『ダンバイン』以後の『東京上空』」っていうこともあるのか意識しました。だから、初めから最終舞台がこの東京湾沿岸だったというのは宿命みたいなものだと思っています。やってみて、意味性というのは正直あったということを作り手として実感しています。
―― 東京の持っている歴史というのを5話6話ではグッと感じたんですけれど。
富野 ええ。ただ、実は実際に映像を作ってみたら、あの尺数では足らなかったということがあって。その後で本気でノベルスを書く気になったというのもあります。だから僕にとっては良い意味で色々啓発されることがあったんで。何て言うんだろうなぁ…あらためてやってみて良かった。日本っていう海に囲まれた国っていうのが、ああいう様な装備をどこまで必要としているんだろうかというみたいなことも、僕の場合はああいう作品をやってみないとあまり意識しないんですよ。
―― 作品を通じて考えを深める?
富野 そう、深めたかどうかは別として、嫌でも意識する、ということをしてみたし。年長者として言えば「そういうことを忘れている若い人たちがいるだろう」っていうことを想定して、東京湾を最終的に舞台にするという様なことをやってみた、ということもあります。
―― 逆にそういう日本性みたいなものが作品後半に濃厚に出てくることに対して、主人公のエイサップが日本人とアメリカ軍人のハーフであるという設定は風穴というか、拡がりみたいになっているのかなと思ったんですけれど。
富野 それは実を言うとどっちか分からない。分からないからこそハーフにしておいたということがあります。だからひょっとしたらエイサップをハーフにしたっていうのは僕の様な年代の持っている人間のダミーかもしんないよね。「本当はエイサップではなくて純粋に日本人でやりたかったんじゃないの」ていうのを隠してるかもしれないという感じも自覚してます。
―― でも後半オーラロードを通って、例えば沖縄戦のシーンからエイサップが産まれる直前のシーンに繋がるところなんかを見ると、グッと一瞬で監督の戦後視を2シーンで表現したかったのかなと。
富野 勿論それは意図として物凄くあったから、ハーフにもしたということもあるし。ただ、そこまで自覚的かどうかというのは怪しいんです。それが今言った通り、僕の年代のダミーかもしれないっていう意識は無きにしもあらず、だっていう。反省じゃなくて世代の持っている一番気を付けなくちゃいけないことっていうこともあります。だから、そういうものをああいう風に画面に残しておけば死ぬまで考えるだろう。それは僕の様な世代とか、一回りも若い今の政治経済人がどのように意識的に自分の意識にするのか、否定するのか、考えなくちゃいけなくなってきているから。やはりテーマ性として置いておいたということです。ですから、見た方が「え、そういう問題やっぱりグチャグチャ意識しなきゃいけないの?」っていうことをちょっとでも考えて自覚的に捉えて頂けたら嬉しいなという風に思っています。
―― 小説を書いた時とアニメの迫水の時は、監督の中の迫水像が深まった感じですか? そうではなくむしろ一貫してた?
富野 それに関しては、基本的に全く、僕の中での幅は変わっていません。そういう意味も含めて、やはり自分の世代に近い人とか、自分の世代に近い感覚というのは…何て言うかな…調べなくても出来ちゃう部分があって、迂闊に、迂闊にしてしまった部分が山ほどあるという反省はあります。
―― そうすると迫水とエイサップの対比の時は、むしろエイサップに肩入れしないとエイサップが負けちゃいそうな。
富野 あのね、それに関してはまたちょっと違います。50代になる寸前までは、まだ若い世代の想像が少し付いた。50以後の17、8年のことで言うと、今の20代以下のことは全く分からなくなってるという部分があって。その部分の辛さは物凄くあります。
―― むしろ朗利とか金本の方に監督の思ってる「若者の危うさ」みたいな感じは出てるかな、という気も。
富野 もしそういう風に言って頂けると嬉しいんだけれども、それはこの今インタビューをやっている○(よく聞き取れない)さんが年を取ったせいかもしれないなとちょっと思っている。というのは、作為を持たないと朗利とか金本はね、書けないんです。書けないっていうよりも作れないんですよ。今のティーンエイジャーっていう世代がいるから、実を言うと大人の社会が成り立っているんだという部分を、本当に分かる様にもなってきたんで。「リーンの翼」についての朗利と金本が実を言うとスプリングボードで、エイサップの方がバイプレイヤーだもの。基本は。って言うことはどういうことかというと、主人公ってのは絶えず時代の反映として表れているもので、それを突き動かしているものというのは、やはり時代なんじゃないのかな、っていうのが今回の「リーンの翼」をやって初めて気がつきました。そういう風に言っておきます。
―― 丁度、レインボーブリッジが向こう側に見えてきましたね。


船上デッキ
―― 海から見てみると風景独特ですよね。監督も仰ってましたけど。
富野 実を言うと地図とか上空から見たとき、ここが狭いのは承知していたんです。狭いのは承知していたんですけど、ここまで狭いのはちょっとショックなのと、周り、ビルが多いですねぇ〜。
―― 確かに。
富野 何でこんなに多くなっちゃったんでしょう、っていう。
―― それ迫水のセリフのまんまですね、監督。
富野 正に、石とガラスで。
―― 出来てますね。
富野 だから、迫水「これは東京ではない」って。
―― 丁度東京タワーも見えてますよね。
富野 こういう風に建物を造るのって、それが経済的に繁栄していることが即人にとっての繁栄なのか、進歩なのかっていうのは、この21世紀という時代、一番考えなくちゃいけないことだ、っていうことは自覚しますし。その自覚があるからこそ「リーンの翼」で東京湾を舞台にしたかったというのはありました。
―― しかし大きいですね、こうやって下潜ってみると。
富野 こういう建造物を持ってる意味というのは経済の問題、それから経済に付随しての流通の問題っていう風に考えている。便利だっていうのも分かるし、効率論だけでものを考えていけば、必要なものだっていうことは本当に実感しています。ただ、確かに東京にこれだけ人口が増えてしまったから、しょうがないでしょ、という意味で、正に…。
―― エイサップの言っていることですよね。
富野 そう。それこそ、今ここに住んでる人の言い草でね。


再び船中
――作中で地方の出身者が食い物にしている、みたいなセリフを言わせたりしている訳ですけど、それはやっぱ監督の中に、今仰った様な日本の現代の良い部分も悪い部分もギュッと出ているのが東京だと言う気持ちが…。
富野 勿論そうです。だから東京湾は本当に色んな意味で突出しているんで、反面教師として学んで。だけどそれは地方の人間が東京を食い物にしているだけなのかというと、そうじゃなくて。東京の暮らしに慣れちゃった地方人が地方に帰って、ミニ東京をやるわけ。それの典型的な出方が観光地と言われている所が全部右へ倣えをする。それからJRの駅舎が全部同じ様な建物に作り替えていく。
―― その辺、監督自身の東京に対する想いみたいなとこが?
富野 この辺にある新しい埋立地がみんなゴミ捨て場だったわけ。だからそのゴミ捨て場を称して「夢の島」と言い切った時からのことを知ってるし。この辺の埋立地が出来るもっと前からの埋立地が始まる決心も知ってるし。それと、基本的に特に新しい埋立地に建っている建物が、本当に次の関東大震災に耐えられるのかどうなのかっていうのは、僕はかなり懐疑的であるし。だからといって今の現代工法をもってすれば絶対大丈夫だろうとも思ってる。まさにプラスマイナス両面の間に立っている自分の立場で見た時に、一つだけ言える尺度があるのは、やっぱり2、30年のことでここまでしちゃうのはちょっと極端なんじゃないんですか、って。このスピードは3倍速で遅くして欲しい。だから、僕はこれ以上の新規開発というのは止めて欲しいという風に思っている。50年前の家でも50年前のビジネス内でも我慢して使ってみせるという事を、僕は日本人だったら出来ると思ってるわけ。その辺りの日本人の能力を狭くしていくのが近代化にはあるんじゃないのかなっていうのは本当に感じますね。
―― そこで敢えてバイストン・ウェルっていうのを考えた時に、監督がバイストン・ウェルっていう世界を設定した時は、人間が持っている近代的なものに縛られているセンスに対して、もうちょっと人間が原初の形状態で生きられる世界ということで、バイストン・ウェルをそもそも設定されてますよね。
富野 はい。
―― そういう意味では、監督が思いついた時と、今回「リーンの翼」を作られた時とバイストン・ウェルの捉え方というのは変わられたんでしょうか。
富野 変わってません。やっぱりね、きちんと意識して持つべきものだという認識しか出てこないんです。出てこないからこそ、今回「リーンの翼」をやる気にもなったし、DVDなんかをどういう行き掛かりで、っていう言い方もあるんだけれども、そういう弾みを手に入れられることも出来たのも…何なんだろうかなぁ…。単純に新しいファンタジーのジャンルがあるとかないとかだけじゃなくて、もっとこういうバイストン・ウェル的な曖昧なもの、ボンヤリとしたものがあって良いんじゃないのか、という風に思っている人たちがいるんじゃないのかな、という風に僕は思いますし。思ってもいきたいですね。
―― そういう意味ではバイストン・ウェルをファンタジー、特にハイ・ファンタジーと思っている方もいると思うんですけど、どちらかというと御伽噺という側面が凄くありますよね、曖昧と今監督が仰った様に。「指輪物語」みたいに精緻に出来ているというのとはちょっと違うものですよね。
富野 だってそういう意味で次元論ではない訳だから、理化学的に考える必要はないし。だからと言ってバイストン・ウェルの規定で考えた時に、めっちゃめちゃに自由度がある訳でもないですよ。だからある規制を書き得る夢物語の世界を一応作れたかもしれないな、という意味ではかなり気が済んでいる部分もある。今回「リーンの翼」が冒頭で言った通り21世紀っていう時代も有効なのか、なければいけないのかという事に関しては、むしろなければいけないんだよ、ということを東京の景色と対比させて自覚させてもらう事が出来たので、僕にとってもとても有効だった。
―― そろそろ着くのでお話も…
富野 なので、この辺のてんぷら皆で食べてって(卓上を指して。会場笑い)。だって残す訳にもいかないし。
―― お話は以上で。どうもありがとうございました。
富野 とんでもない。ありがとうございます。