――今回はこの『Gレコ』が、誰に向けて、何が描かれるかをお聞かせ下さい。
富野:うーん、中学生……もう少し下げて小学生高学年から高校生までをコア層にしたいですね。これまで『Gレコ』では“リアル”という言葉を使ってきたけど、それは子供も分かるリアルであって、大人に訴えるリアルではないんです。小学校4、5、6年、中学1年の頃って、人間の成長にとってとても大切な時期でしょ? その頃に覚えたものって、死ぬまで記憶に残るでしょうし、人生の目標になる様なものを手に入れられるかもしれない年齢でもある。だから、こういう作品はその年齢層に向けて作るのが一番正しいと思っています。
何を描けば良いのかという部分については、3.11の震災以後に変わってきましたね。今はまだ頑張ろうという気持ちになれるだろうけど、10年後、今の子供たちが20歳前後になった時、その心には深刻なものが残っているに違いない。『Gレコ』はそういう震災後の子供たちの心に残るものにして、彼らが生きるうえでのヒントになる様な作品にしたいですね。
――震災後の子供たちに向けるテーマとは、具体的にはどの様なものですか?
富野:具体的に言うと、女性をフォーカスしたもの。女性が持つ復元力と言ってもいいですね。それを描きたい。これまでは男女平等が謳われ、女性が選挙権を手に入れて、女性が管理職になった……でも、男性ほど評価される事はなかった。それが、3.11以後は大きく変わったと見ています。3.11以後で象徴的なのは、男性社会が作る論理観と安定感のなさ、です。今の現実はその2つが決定的に破綻した事を証明しています。実際に東日本大震災の復興では、女性たちの方がコミュニティを生むうえで大きな存在となっています。僕からすれば、女性の方が自立していると思う。男は喋っているだけで、それに挫折感が深い。草食系だ、妹系だなんて言っていたからではないか? だから、男たちはもう少し女性を正面から見る努力をしましょうよ、と言いたい。
とは言っても、出来上がった大人を再教育するのはとても大変な事なので、『Gレコ』では、子供たちにそういうメッセージを投げかけて、男の子だったら女の子とどう協調していくのか? 女の子だったら“性”の力をきちっと見て、女性の持つ復元力を自覚して欲しい、と語りたいのです。
――では、主人公が女性という事でしょうか?
富野:主人公と決めるかはさておいて、『Gレコ』は男の子と女の子のきょうだい話にする予定です。こういう設定は好みではないんだけど、それでも女性の持つ力を描く為に、今回はこれで話を作っていきたい。震災以後の子供に向けるという事だけでなく、今のアニメ、漫画で流行の潮流となっている妹キャラをやめたい。僕の皮膚感覚だと、女性の力が見直されるこれからの10年、きっとお姉さん好きが主流になっていくと思っているんですね。
――お姉さん系ですか(笑)。では、姉弟という設定ですか?
富野:今のところはそう考えています。勿論、“姉”というのは今の潮流から逆行しているという意識はありますけど、姉さん女房というのは歴史的には絶えずあった訳だし、実生活では姉さん女房の方がうまく行くケースの方が多いんじゃないですか?
――異質とも言えますね。乱立するアニメに対して、監督の意思表示でもある。
富野:時代上の問題というものもあります。現実的に、女性に主導権が移り出しているのが鮮明に見えてきているでしょう? それはこの先、大きな流れになっていくんじゃないんでしょうか? 現に世界の政治では女性が重要なポストに就くのは珍しくない。議会では男性議員に対して異議申し立てをする良い勢力であり、国を建て直そうとする復元力にもなっています。女性の方が、本能的にそういう欲求を持っているんでしょう。アニメ的な言い方ではなく、女王統治の方が国家は栄えるんですよ。16世紀のエリザベス一世の女王時代に、スペイン艦隊を叩いた大英帝国などは良い例でしょう。
男性は一直線です。女性の持つ復元力といったものに頼らないといけない時代というものはあります。
――『Gレコ』的には、その縮図が姉と弟なんですね。
富野:もう一歩踏み込んで言うと、『Gレコ』は女王誕生の物語にしていきたいと思っています。弟から見ると、姉を女王にしていく物語です。女王志向の物語は『∀ガンダム』の時にも意識していたんだけど、やや曖昧だったという反省があります。シナリオも文芸的過ぎたかもしれない。そこから脱却する為にも、子供に向けた定番のパターンを踏襲していきながら、21世紀後半の時代性に向かって、女王到来を見せていきたい、と思うんです。弟が姉を女王にしていくという物語か、そうではなく、姉である事は知らない関係かもしれない。後になって、お姉さんだったんだ、と分かる物語かもしれない、と迷っていますけど……。
――『ガンダム』とは大分違ったラインになりそうですね。
富野:そうしたいとは思っているけど、構想段階では、その意識はあまりないんです。まずは、作品がヒットしてくれる事が第一。ラインについて考えられるのは、ある程度物語の姿勢が明確になって、キャラクターがうまい具合に動いてくれてからでしょう。ラインありきで大きすぎる風呂敷を広げて、物語は果てしなくなって完結しなかったら、それでおしまいですからね(笑)。
今回は、物語の前の歴史を考える事によって、太いラインが引かれたと思っています。つまり、宇宙世紀を踏まえて『Gレコ』の新しい世紀を設計するには、1000年ぐらいの時間を超える必要があると考えました。
我々の西暦が2000年を超えたという事は、人類の歴史……文字が書かれる様になってから3000年位の歴史があるという事で、その後に、全(ブログ注:前?)ガンダムのシリーズで刻んだ宇宙世紀があって、その上で、『Gレコ』の世紀があると考えた場合、1000年位のクッションを置く必要があると考えました。その間の歴史話で、それこそ外伝が100本位出来るでしょうが、そんなものは誰も読みませんし見もしませんから、それはしません。それに歴史を書くというのは『ガンダム』でやって見せた事でもあるので、そのコピーはしたくない。
とは言え、『ファーストガンダム』以降の作品は、新企画のつもりで作っても、結局は、『ファースト』で覚えた技術の延長でしかなかったかもしれないという意識もあったので、その問題を解決する為に、『Gレコ』では1000年のクッションを置いてみるという事をやってみたいのです。
――『ガンダム』ではない新しさを求めての事、ですね?
富野:そう。『Gレコ』という作品は、今から100年位後に観てもらってもいい、という欲を持った設計もしています。その為に、今まで誰もやらなかった様な設定を取り入れています。これは……今は話せないなぁ(笑)。ヒントを出すと、1968年の映画『2001年宇宙の旅』。この監督のスタンリー・キューブリックはもの凄く勘の良い人で、あの映画の中のディスカバリー号のモニターは四隅が丸くない。ブラウン管の画面の四隅が丸いテレビ時代に、四隅が直角で画像がフラットに映っているモニターを採用しているというんですよ。今観ると、その事には誰も気付かない。それって凄い事ですよ。まだCGが使えない時代の映画だから、「それは無重力の表現じゃないだろ」みたいな描写はいっぱいあるんだけど、モニターの例で分かる様に、ちょっとしたアイデアで、時代を超えられるという証明です。その様なアイデアをアニメでも採用しなければならないという事です。
僕らが作品を作る時、当然、今の時代の僕らがデザインをする訳だから、100年後の人が見たらどうしても古臭く感じるものになる。それを物語的に古臭く感じさせない方法というものを、この3年間、考えてきました。
『Gレコ』の場合はデザイン論ではなく、もっと別の事で時代を乗り越えてみせたいと考えているんですが、これについては、作品が完成しても喋れないですね。とは言え、作品の全面に打ち出すコンセプトですから、発表できる日を楽しみにして頂きたいですね。
いつもの如く微妙に修正。