中村正人の夜は庭イヂリ 番外編 第52回

期間限定のようなので、練習もかねて文字起こし。

前編

中村 実を言いますとね、今、僕の目の前にいらっしゃるこの方も「よしだみに会いに来た」と言って、最初から僕をへこませております。
富野 (笑)
中村 自己紹介をお願いします。
富野 富野由悠季です。やったー!
中村 全国のガンダムファン聴いてるか? ついに「夜イヂ」ここまで来たぞ! 監督よろしくお願いします。
富野 今、あの「よねじい」って言いませんでした?
中村 「夜イヂ」って…よねしい…? 今日はありがとうございます。
富野 とんでもございません。こういう記念すべき回にお呼び頂きまして、ありがとうございます。
中村 記念すべき回にはね、富野監督しか考えられない。ちょっと持ち上げて…。
富野 ああ、お世辞…。
中村 「歴史を作るアニメ作家」。どうですか、これ?
富野 あのね、他人が書いてる事ですか、僕に責任はありません。
吉田 確かに。
中村 そんな富野監督を、知らない人っているんですよ。世の中に。
富野 (笑)。
中村 分かりますか?
富野 当たり前だろ(笑)! 知ってる人は極一部です。
中村 知ってる人は、多分富野監督の毛穴の数まで知ってると思います。紹介していいですか?
富野 どうぞ。
中村 1941年、神奈川県ご出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、手塚治虫さんですね、虫プロダクション入社。「鉄腕アトム」、「リボンの騎士」、「海のトリトン」などの演出・脚本を手がけた後、フリーとなりました。きっと、とてつもなく使いにくい方だったんでしょうね、社員として(笑)。
富野 (笑)
中村 1977年から79年、「無敵超人ザンボット3」、そして無敵…今度は何ですかこれは?
富野 「こうじん」ですね(笑)。
中村 あのね、富野監督、どんどん新しい言葉を作るじゃないですか。
富野 はい。
中村 新しいキャラといいますか、ジャンルといいますか。
富野 つまり単語を覚えられないんで、作っちゃうんです。
中村 なるほど。ダイタンですね! 「ダイターン3」、そしてこの「機動戦士」という四文字が出た時は僕はビックリしましたね。「機動戦士」ですよ。
富野 あなたは、ガンダム世代ではない。
中村 はい、そうです。ガンダムの三作品でロボットもののジャンルを開拓。その後もTVアニメや劇場版など一連のガンダムシリーズでアニメファンから…まぁアニメファンじゃないですよね。監督ファンですね。
富野 あ、そうですか。ありがとうございます。
中村 支持を集めている。ロボットアニメのパイオニアとして後々まで大きな影響を与え続けている方です。なんか死んじゃったみたいですけど…(笑)。
富野 (笑)ライター! ライター! 誰が書いたー!
吉田 なんてこと言ってるの。
中村 監督のキャリアはもちろんとてつもないキャリアですけれども、ガンダム自体も30周年。おめでとうございます。
富野 ありがとうございます。
中村 もう、色んなイベントが行われておりまして、その一つ一つに色々気に障ったり喜んだりでしょ(笑)。
富野 (笑)あの気に障る事なんてあるわけないじゃないですか。
中村 監督が、アニメとの出会いがディズニー作品? やはり。
富野 やはりじゃなくて、僕が小学校の頃に観られる漫画映画というのはディズニー作品しか無かったんです!
中村 僕らの世代になると、「ハンナ&バーバラ」、「トム&ジェリー」とか出てきましたけれども、監督の世代だとディズニー作品。
富野 だから、今仰られた様なアニメ作品をテレビで観られる様になったのは虫プロに入ってからです。
中村 あ。じゃあ正にアメリカの動きと、日本の動きと同期している時ですよね?
富野 同期なんてしてない。30年くらい遅れているわけ。フルアニメーションが作れないから、動かない「電動紙芝居」と悪口を言われる様な作品を作るしかなかった。だから虫プロアメリカ製の漫画映画、つまり短編を観ていて、要するに殆ど涙を流すぐらい悔しかった。追いかけられない、追いつけない。それが我々の、始めの10年間ぐらいのそういう仕事でした。もうこの年ですから「死ぬまで」って言ってもたかが知れてるんでアニメ一辺倒で行くしかない。
中村 なかなか死なないと思いますよ…そのうちホントにMS着てですね…ホントにMS着て宇宙に…今宇宙旅行の予約始まってるじゃないですか。
富野 あのねぇ。初対面の人に「お前ね」なんて言いたかないんだけど…。
中村 言ってください言ってください。僕はずっと先輩に「お前」って言われた人間ですから。
富野 やっぱりそういう関係だったんだね。
中村 そうです。僕は先輩を追ってずっと生きて今もそうなんですけど。
富野 分かる。
中村 先輩に「お前な」って言われるのが一番、僕にとってワクワクして、やる気が出てくるんです!
富野 だけど、それは凄く偉い事だと思う。
中村 そうスかねぇ。
富野 うん、そういう風に受け入れていくんじゃなくて「手前、言ってくれたな、五年の内に潰してやる」って風にしか思えなかったのが僕なんです。だから、こうなっちゃって、つまらないジジイになってるなぁって…。
中村 ものすっごい面白いと思うんですけれども…。ガンダム以前とガンダム以降でもう、人間分かれてますから、今、人類学的に。
富野 (笑)。
中村 分かります? これはBCADどころの話じゃないんです。人類学的にガンダム以前ガンダム以降ってのは分かれちゃってる。これ、監督の責任なんですけど…。
富野 (笑、首を振る)。
中村 言わば、ジーザス・クライストの様な方がですね、何かを作りたいと言う衝動が芽生えたのはいつですか? 始まりはある筈なんですよ。
富野 それはよく分からないけれども…。
中村 それ、よく分からない…?
富野 よく分からない。ただ、さっきチラッと言った、僕単語が覚えられない人間だっていう事があって、新語を作るしかないからっていう癖がずっとあったわけだから…。
中村 子供の頃からですか?
富野 うん、だって「1+1」が憶えられなかった。九九を憶えられなかった。漢字が書けなかった。覚えようって努力はしてるつもりなんですが。だから作るしかないでしょ? っていうのが、僕の一番原点にある。
中村 でも、ゼロから一を生むのが凄いことで。
富野 (手を振る)違う違う。ガンダムの場合も、全部僕が作ったわけではないんです。そういう意味ではちょっとマジな話になるけれど、巨大ロボットものというジャンルがあって、そこで仕事を結局ずっとやって日銭稼ぎをやって。そしてあんまりにも量をやりすぎたんで飽きたわけ。だけど巨大ロボットを出さないとスポンサーがつかないから、ロボット使って、もうちょっとだけSFらしいものを作りたいねと思った時に、スペースコロニーのアイデアってのは、ガンダムの企画の二、三年ぐらい前に、プリストン大学のオニールっていう人が立てたプランニングを知って「あ、これでドッキングさせるとらしくなる」ということだけを、憶えられたんです。それを組み合わせて、あとは結局作るしかない。基礎学力が全く無い人間だから。だから、それの組み合わせ論をやっていってガンダムを作って、今度は人気が出たというのを僕が作った人気ではなくて、人気が後から来てくれたお陰で、じゃそれを利用してこの30年の経緯みたいなのを作れたんで。全部が全部自分で作ったっていう覚えも無いし「あぁ、やらせて頂いてるな」っていうのがあるんで、世間の皆様方に「ありがとうございます」って感謝の念を持つ様になったっていう事で、全部が全部正直に言っているわけじゃあありません。
中村 監督、大人になりましたね。
富野 うん、なった(全員笑)。
吉田 こんなのでいいんだろうか…? 監督をお迎えして、そんなツッコミしていいの?
中村 あのね、僕は本当に変な汗はかいてますよ、確かに。リスナーからのこの、何て言うんですかねぇ…怨念の様なねぇ…リスナーから「お前」って言われてると思うんですね。
吉田 もっとお話聞きたい聞きたい!
中村 お話聞きたいですよね。吉田も一応作詞家なんです。監督も作詞家…。
吉田 そうなんですよね。
富野 いやいや…作詞家になれなかったから今このザマじゃないですかって…。
中村 何を言ってんですか、もう! 作詞とアニメというのは勿論共通項もあると思うんですよ。全く別なジャンルじゃないですか。作詞家としては?
富野 いや、だから…作詞家じゃない…。
吉田 それ聞きたい。作詞家としての自分を。
富野 だって僕はそれこそ監督権限を濫用して作詞をやらせてもらったっていうだけの話で、作詞家ではない。僕にとっては阿久(悠)「先生」じゃなくて阿久さんなんだけど、聞いたことがあるわけ。「どうやって書くの?」って。
中村 詩をですね。それ、すごい良い質問ですね!
吉田 なんてストレートな…。
中村 阿久悠さんに「どうやって書くの?」って…。
富野 阿久さんの書いている本に書いてあることしか言わないわけ。きっとそれしか言えないよね、っていうのも分かるわけ。まず「書くべきドラマを想定するんだよね」って言うわけ。で、そんなの書いてるわけ、あちこちでも見てるから。で、「直に顔合わせてるんだからもうちょっとコツありません?」って言ったら「そんなんあるわけねぇだろ」って…。
吉田 でも、さっき「監督の権限を濫用して」って仰ってましたけど、書こうと思ったのは書きたかったからなんですよね?
富野 多少は詩心があるという自惚れはありました。あったけれども一番実を言うと三十年とか三十五年前とかのことを言うと、漫画映画にかかるOP、ED曲が物凄く腹が立ったわけ。どういう風に腹が立ったというと、全部児童向けに書いている、っていう事がもう…。本数やってると5、6年やってるとやっぱりいい加減腹が立ってくるわけ。実際に現場へ行くと分かったのは「なんだ、大手のレコード会社はアニメの関連曲というのを扱っている部署が学芸部だったんですよ! 童謡・唱歌を担当しているブロックがやっていて一般曲・ポピュラー曲じゃなかったんですよ! だもんで今そういうスタッフもいないから言えるんだけども、学芸仕切りじゃダメだから、こっちで仕切りを執るということをしかけたのがファーストガンダムくらいの時期だった。
中村 今監督が仰ったことは非常に我々業界の中ではデカいことでありましてね。既成事実であるとか既成のシステムに則らない方法、それは非常に難しくてですねぇ…。
吉田 そうなんだよねぇ! ホントその通り。
富野 難しいでしょ。
中村 良い意味でも悪い意味でも新しい方法でやるというのは本当に大変でございまして。
富野 だから僕の場合今言った通りです。どこまでレコード会社に食い込めるか、学芸を崩せるか、っていうところを仕掛けにいったんで、ムキになったっていう時期が30年前の10年ぐらいあって。監督権限でやらせる、ということをやってかないと、現在のアニメ関連曲のあの光景はできなかったんじゃないのかな。
吉田 なんかちょっと今、拍手したくなっちゃった、マジ。
富野 だけどそのこととは別に、純粋にそういう業務論とか組織論じゃなくてね。僕、ヒット曲作りたかった…。
中村 「ヒット曲作りたかった」って、あんなにもうそれこそ人生の唄のようになってますよ、監督の歌ってのは。みんな、知らないのでしょうけども。
富野 僕知らないし。
吉田 誰よりもヒット曲書いてるよ!
中村 監督の作詞したものを、みんな泣きながら歌ってますよ、今!
富野 いや、それホントなのかなぁ…。
中村 ホントですよ!
富野 あの、この4、5年でチラチラ話は聞くんです。話は聞くけども、僕そういう人たちとカラオケ行って聴かされたことないから分からんのよ…。
中村 そんなこと言ったら企画がまた立ち上がっちゃいますよ。いやぁー、面白い! これは2時間ぐらいの番組にしたいね!
吉田 ホントだね。

後編

中村 1979年に誕生したガンダム。ヒーローVS怪獣という図式から離れまして、実際は巨大ロボットというジャンルもそうですけど、戦いの構図といいますか、それが変わってきた。敵味方がはっきりしなくなっちゃった。正に人間そのものですよね。
富野 エンタメは本来、敵味方はっきりしている方がベストなんです。それも承知してます。その上でだけど、ちょっと映画っぽくやりたかったなぁ、なんて。勧善懲悪ものっていうのは悪いことではない、なんてものではなくて、本来そうあるべきです。だけど、結局そういうものを現在までこの30年間引きずってきているというのは、やはり現実の世界っていうものが、かなり大人たちのものの考え方がぐじゃぐじゃしてきちゃって、勧善懲悪ものを受け入れる様なシンプルな世の中にならなくなっちゃった、っていう意味で本当にあの…困っている。そういう意味で現実主義になっちゃってるんじゃないのかなって気がしますから、あまり褒められた事ではないですね。
中村 現実としてはですね。ガンダムの、もちろんアムロもそうなんですけど、僕はデジモノステーションという雑誌で、Blu-rayのコメントをする仕事をしてまして、その中でガンダムを毎年観るんですよ、ノミネートされますんで。その中で僕凄い感じたのは、取り残された子供たちの物語じゃないですか。ロストワールドですよね。ちょっと目上の子供もいたりして。でもけして青年と言われる大人ではない。あそこで子供たちが展開するのは完全に大人ですよね? やり取りは、駆け引きも、ズルさも。
富野 はい。それはあの、現代人っていうか、近代の考え方です。どういう事かと言うと、子供という概念が生まれたのは、ホントにこの200年ぐらいなんじゃないでしょうか? 中世までは、6・7歳の子供でも小さな労働力なんです。
中村 日本でも現実そうでしたよね。
富野 ですから、子供という切り離した概念が実はあまりなかったんです。我々はそういう事実を知らなさすぎるということです。現代の持っているモンスターペアレンツみたいな言い方もそうなんだけども、あまりにも過剰に庇護する、守る、自己権利を主張するということが、生き延びるための自己主張とか悪知恵を働かせるのと違って、飽食の中での、囲い込みをやってるという意味では、とっても異常な状況が現在じゃないのかなという風に思ってます。
中村 仰るとおりで源氏物語の表記を見てもですね、7歳・9歳というのは大人の女性として、大人の男子として描かれ…。
富野 凄いなぁー。そういうご指摘ができるっていうのはホントに凄いと思います。
中村 いやいやいや…。
富野 全くそうです。
中村 ということは、どっちが良い悪いではなくて。
富野 ではないです。今、我々が住んでる生活様式が、ずうっと昔から人類がやってるように思うのだけはやめなさいよ、っていう、それだけの事です。
中村 徹底的にエンタテインメントとしては「GREEN TOKYO GUNDAM PROJECT」が一年中話題になりまして、18mの実物大のガンダムで、なんと、415万人が見に行ってしまってですねぇ、ガンダム世代は遂に実物を見ちゃったわけですね。今までは縮尺何分の一で納得してきた人間たちが。実物、どうですか。
富野 実寸の前に言いたいことがあって、タダだから400万人来たんであって…入場料2000円取ってたらどうだったかなぁっていう問題、ちょっと気になりますけどね…。実物大を作るということは、初めてやってもらったわけだから、それはねぇ…僕の立場で言うと、参考になりました。もの凄く参考になりました。
吉田 えぇぇぇぇ…。
中村 あ、そうなんですか?
富野 あ、やっぱり思ったとおりデカ過ぎる! で、これじゃあダメだ、っていうのを実感したのが1/1です。
中村 勿論、ガンダムが地球上で活動する以上分かります。
富野 今、物凄く喜んで拍手してる人がさぁ、いたんだけど、どこにいるわけ?
中村 でも、宇宙で考えると…。
富野 宇宙で使うことを考えると、もうちょっと大きい方が良いんですよ、きっと。やっぱり20mを超えざるを得ません。どういうことかと言うと、簡単なことです。サバイバルのことを考えた時に、コックピットで一週間ぐらいねぇ、一人で暮らせるだけのスペースがないと、あんなものでねぇ。出て行けって言われたらあたしゃ嫌です!
中村 それを監督はアムロに課したんですよ! あの純粋な少年に!
吉田 アムロ〜♪ 振り向かない〜で〜♪
富野 アイツは騙されやすいから。
中村 すいません、吉田美和は歌うんですよ、いつも。
吉田 BGMで今、ちょっと流そうかなって…。
富野 ああびっくりした。こんな展開でいいのかな?
吉田 今日サイコーです。
中村 サイコーだと思います。
富野 全部絵空事でフィクションっていうのは作って良いんだけれども、30年色んな間合いを持って作品とかタイトルに接している立場で言うと、やはり20年ぐらい経つと辛くなってきます。今回、去年の30年目にアレを見せられて息つきました。自分が何となく思っていたことがリアルに考えることができた。あの東京の景色の中で見せてくれたっていうことの持っている、ものの考え方のフックになることがいっぱいありまして、正直、今こんなことやってるとしゃべりたくなるんだけれども、また30分かかるからダメです! ホントにあの良い勉強させてもらって、そういう意味では関係者に対して、これはホントにお世辞でもなんでもなくて。始めは、そんなバカなことは止めろって言ったんです。二年前は。あんなもの作るなって。作って見せていただいて、ホントにありがとうございます、って言えます。あの、吉田さん、なんでそんなに嬉しいの? 分からない…。
吉田 だって…いやぁ、監督、正直でステキな方だなと思って…。
富野 ひょっとしたら口が軽いだけかもしれないんだけどね。
中村 そんな監督が育て、生み出したと一応言わせてください。ガンダム。いろんなクリエイターたちが手がけております。これも色々あるでしょうけどね。現在のガンダム知ってます? どうなっちゃってるか。
富野 一番最新作でオンエアしてないんですけども、UCは、1話だけはちゃんと観ましたよ。
中村 おっ。
富野 ガマンして。
中村 あっ!
吉田 それを言わなきゃ良いのに…。
富野 だって他人が作ったものを何で気に入る?
吉田 あーそっかー。
富野 自分が作ったものでさえ気に入らないのに、他人のものを作ってニコニコしてたらバカでしょ。
中村 あの…でもね…監督ね…。
吉田 「バカでしょ」って…(笑)。
中村 僕が言うのも申し訳ないんですけど、もうガンダムは監督一人のものじゃないんです。
富野 だからそれも分かってるから、こういうとこでは言わしてはもらうけども、本人に殴りには行きませんでしたよ。怒鳴りましたけど。
吉田 あー面白すぎる。
中村 今報道やなんかを見れば分かると思うんですけど、中々監督の意図を記事とか、エディットした映像で、我々は読んだり、見たり聴いたりすることしかないので。でも出来るだけラジオに出ていただいてこの様に話していただけると嬉しいんですが…。
富野 ただ、問題はこのラジオは大人向けになっちゃってるので。ちょっとなぁ…っていう気分はあります。
中村 監督、それこそ大人と子供、ジャンル分けしてませんか?
富野 うん、ただね、今はっきり子供に向かって大人たちがきちんと、何て言うのかな…物事を考える規範っていうのを示さなきゃいけない時に、作品を通してそういう事をやろうと。リアルに喋るととても面倒くさくなるので、そういう意味で、アニメという媒体はとても素晴らしい武器になるなって事を本当に自覚するようになりました。
中村 ありがとうございます。そして、監督は「このため来たんじゃない」と最初から主張しておりますが、今週の水曜日24日に富野由悠季監督を知る上で必読の書と呼ばれている本が、全面改稿書き下ろしにより、全4000枚の完全版として刊行されました。タイトルは「リーンの翼」。重いです。
富野 生まれたての赤ちゃんの重さの4冊です。
中村 おおお! 来た! 今!
富野 すいません、このセリフ、編集者のセリフなんです…。
中村 富野バイブルとしては認めていただけますか?
富野 勿論です。ただ…できたら読まないでいただきたい。
中村 始まった!
富野 自分の無知無能が満載でよく解っちゃうっていう、バレそうな本なので。困ったなぁって思ってます。
中村 ありがとうございました、ホントに。
富野 ホントにありがとうございます。お呼びいただいて。
中村 今夜のイヂリスト、富野由悠季さんでした。 素晴らしい!
富野 ホント、ご苦労様でした。
吉田 本当に今日はお会いできなくて、本当に残念でした。ありがとうございました。監督! お願いが! お願いが! 「リーンの翼」そこに持ってきていただいたんですが、絶対サインしてから帰ってください!
富野 ええー。
吉田 お願いします!
富野 はい、了解しました。

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