オトナファミ 2010 April 福井晴敏インタビュー

未来の物語の続編を完結編として描く

―― 福井さんが小説を手掛けた「UC」がアニメ化されますが、構想の当初からティーン向けではなく、30代に向けた内容にしたのは何故でしょうか?
福井 30代後半以降の我々の世代は、人格が形成される10代の大事な時期に、幸か不幸か「初代」や「Ζ」などにぶつかってしまったんですね。ガンダムシリーズの何が特殊かというと、世の中ってこういうものだよ、ということを嘘偽りなく教えてくれるコンテンツだったこと。実際、冷戦終結以降の民族紛争、9.11テロに至る流れなんかは、ガンダムシリーズで先に予習していたって気分もないじゃないわけで。みんな、どこか引っかかるものが残っているんじゃないかな。
―― それは、すべてのガンダムシリーズに通じるのでしょうか?
福井 21世紀以後に作られたガンダムシリーズは、その時代のティーンに語りかけている話ですから、我々の世代が受け取ったそのモヤモヤを解消する話ではなかったんです。だから今回は、当の我々自身が、現実の未来の展望も含めて宇宙世紀の「ガンダム」の続きを作ってみたということです。「ガンダム」に憧れてアニメ業界に入った人も多いですし、中途半端な仕事は絶対に出来ないという想いが強烈なので、誰が号令をかけたわけでもないのに、各々がプレッシャーを背負って猛烈に濃い仕事をしていますね。

父と子の物語

―― 「UC」は、主人公の視点だけでなく、彼の成長を温かく見守る、責任ある大人の視点からも描かれます。特に宇宙世紀ガンダムシリーズでは、大人は反発や批判の対象と見なされるのが通常なので、本作はむしろお約束破りの描き方ですね。
福井 今回のターゲット層は大人なので、大人のキャラにも感情移入できるよう心がけてます。「初代」のような若者たちの話を、いくら大人向けに作り直しました、といっても懐古の産物にしかなりません。「初代」には、終身雇用の幸せな時代における師弟関係があって、ランバ・ラル的な立ち位置の人が魅力的に見える。主人公のアムロホワイトベースという宇宙戦艦の閉鎖環境の中で一人前になっていくことが、社会の中で一人前になっていくこととリンクできました。けれど、明日リストラされるかもしれない今の世の中では、その道ひと筋でやってきた師匠の言うことを聞いて、それに追いつけば輝かしい明日がある、ってことにはならない。そういう現実に対して向けた物語なので、「UC」の主人公のバナージもひとつの場所に留まっているわけにはいかなくて、色々な立場の大人のところに行って責任という言葉の重さを少しずつ学んでいき、その上で自分なりに結論を出していく、という話になっています。
―― バナージは父親からガンダムを受け継ぎます。父から子への世代交代は、テーマにあったのですか?
福井 ひと昔前は主人公の乗るロボットはだいたい主人公の父親が作っているんですよ。「初代」も「エヴァ」も例外ではなくて、「UC」も倣っていますが、その2作品が象徴的なのは、主人公が乗り越えていく前に父親が物語から退場してしまうこと。要は、父親を乗り越えると大人になってしまうわけで、そうなるとアニメの主たる視聴者であるティーンには共感してもらいにくくなる。それこそ今回の「UC」のような渋い作りになってしまいますから、テレビシリーズでその時々の若者を捉えるのが難しくなるでしょう。「巨人の星」みたいに、最後に父親を乗り越えました、大人になりましたという話だと、物語的には完結して美しいけど、視聴者が卒業してしまったらコンテンツとしての息は長く続かないわけで。作り手たちがそこまで計算してわけではないと思いますが、主人公の成長を「未完」のままで終わらせたことが、結果的にその2作品を長生きさせたポイントだと思いますね。
―― では「UC」は、大人向けのアニメは難しいと承知の上での制作に?
福井 「UC」に関しては、もう我々の年代の大人は、間違いなく半数以上が父親になっているので、父子の問題を、子供の目線から見上げるのではなく、父親の立場から俯瞰することができると思いました。従来のガンダムにも母性の話はあったんだけど、「UC」ははっきり父性の物語にしてあります。主人公のバナージは、父親から渡されたバトンを最初は重くて持てない。ようやく持てるようになってしげしげと見た時に、バトン自体を受け取るか、受け取らないかという選択肢を突きつけられて、最終的には――となるわけですが、その結末は今を生きる多くの父親たちには共感してもらえるんじゃないかな、と思ってます。

映像化にあたって

―― 実際、映像化への手ごたえは如何でしょうか?
福井 古橋監督始め、スタッフと膝詰めで構成していったのですが、最初に上がったシナリオが90分くらいになっちゃって(笑)。元々は40分に収める予定でしたが、逆立ちしても無理だとなって、60分でと腹を括りました。素人の皮算用で、サンライズは毎週アニメを作っている会社だから、1ヵ月もあれば出来るんじゃないの? くらいのつもりでいましたが、5分でも上回ると途端にバランスが崩れて、そのために1年延期することもあるのがアニメ制作だと知りました(笑)。今回は劇場用作品並みの制作時間と予算がかかってしまいましたが、1回観ただけでは取り込み切れない、パッケージメディアとして繰り返しの鑑賞に十分耐えうる密度の高い情報を詰め込めたと思います。
―― 小説を書くことと違って、一番苦労している点はどこでしょうか?
福井 小説は呎がないし、描くべきだと思ったことは容赦せずに全部やろうと振り切りましたが、書いていてアニメにする時どうしようかなぁと悩んだ描写は、マリーダ・クルスという、物語の根幹にいる女の子の過去。かなり凄惨だけど、素通りすることもできないし、どうしようって。数年前に吐いた自分のツバが降ってきた感じですね。浴びているのは主に古橋監督ですが(笑)。アニメありきの企画とはいえ、映像化に関する問題は多々残っています。シリーズの前半戦はわりと原作の通り、後半戦はイベントの前後を入れ替えたり合体させたりと、アクロバティックな繋ぎ方をしています。原作と言っていることは同じでも、やっていることは違うという言い方が一番正しいかな。ともあれ、トータルで見終わった後に、印象は別でも同じ満足感が得られるように今頑張って制作しています。原作を読んでくださった方々にはやっぱり、「観たい画」が絶対あると思うので、その期待にこたえつつ、再構成していくつもりです。
―― 小説版とアニメ版のラストの描写が変わる可能性はありますか?
福井 これからの世の中の空気次第ですね。この企画を始めたころは、世界同時不況が来るなんて予想もしてなかったし(笑)。今まさに再構築の最中で、人間は追いつめられると、そうだ、これだ! というのが思いつくものなので、今年中にいっぱい追いつめられれば、何か良いことを思いつくんじゃないかな(笑)。
―― ちなみに「UC」について、シリーズの生みの親である富野監督から何か反応はありましたか?
福井 福井が書いたものなんか読めますか! って(笑)。
―― なるほど、監督らしい応え方ですね(笑)。
福井 最初にこの企画を始める時に、企画書を持っていって、監督が嫌ならやりませんよ、と言ったら「いいんじゃない?」という答えだったので、もう文句は受け付けません(笑)。それに、もしも作品を読んだり観たとしても、我々の常識の範囲内で予測できるような考え方は絶対しないので、そんなところを批判されても、というような、想像もつかないことを言われるでしょうね。くわばらくわばら(笑)。

以前のエントリーでバトンに例えてコメントしてたらちょうどバトンの話が。
御禿の話の続きとして、福井氏・シンジ君・某P、そして御禿とUCの会合を開いた際に「こんなところは1秒でもいたくない!」と怒って出て行ってしまった、という噂を聞いた。