「機動戦士ガンダムUC」プロダクションノート1「こんなはずじゃ…」

「ほら、続編の「機動戦士Ζガンダム」では、ハロって商品化されてたって設定でしょ? なら、当然アムロの許諾を取って、オリジナルのハロの設計図を元に開発するってプロセスがあったわけで、そのために動いた人もいるはずなんですよ。
その人は宇宙世紀玩具メーカー、スペース・バンダイの社員で、アムロのマスコットとして有名になったハロの商品化を思い立ち、戦後は消息が途絶えているアムロとなんとか連絡を取ろうとするわけです。元ホワイトベースのクルーの家を訪ね回ったりして。でもアムロの行方はようとして知れない。そうこうするうちに、アムロを危険因子として幽閉しようとしている連邦軍の情報機関が、『何者かがアムロを探し回っている』ってんでスペース・バンダイの社員をマークし始める。
で、誤解に誤解を重ねた末に、社員はすっかりお尋ね者になってしまう。本人はそんなこととは知らずに、ハロを商品化するためだけにアムロを追い続ける。この両者の勘違いが騒動をどんどん大きくして、ついにはモビルスーツなんかも出てくるスペクタクルに発展するさまをおもしろおかしく描き、なおかつ社命一途のサラリーマン哀歌みたいなものを浮き彫りにしていくってのは……」


2002年暮れ、角川書店の一画にある会議室。半分は口から出任せで熱弁を振う筆者を、月刊ガンダムエースの編集長らが困惑混じりの笑みで取り囲む。あれ、オレけっこうサエてる話してるつもりなんだけどな? 周囲の反応の鈍さに、筆者の口も次第に重くなり、ついには饐えた沈黙の間が会議室に舞い降りるようになる。


事の起こりは、それよりふた月ほど前、ガンダムエース誌上で行われた安彦良和氏との対談に遡る。その際に当時の編集長・古林英明氏と意気投合した筆者は、「うちでもなんか書いてよ」という誘いをごく軽い気持ちで快諾。基本はマンガ誌のことであるし、じゃあお笑い調の短編でも一本書かせてもらいますか……と五分前後でアイデアをまとめ、編集長らを相手に最初のプレゼンと相成ったのだが、返ってきた反応は前述の通り寒風吹きすさぶありさまだった。
今にして思えば、これは以後、本企画において果てしなくくり返される呟き「こんなはずじゃ……」の一語が胸中をよぎった最初の瞬間であった。やがて古林編集長が沈黙を破り、「ま、それはそれでいつか書いていただくとして……」と取り繕いつつ放った次の言葉が、後の事態を決定することになる。


「ちゃんとやってよ」


かくして『機動戦士ガンダムUC』は産声をあげた……と書くと、ガッカリする皆様の顔が目に浮かぶかのようだが、それを境に筆者のモードが変わり、「アニメ化やプラモ展開も視野に入れたガンダム続編の企画作り」にシフトしたのは間違いのない事実だ。


その後、『UC』の雛形となる企画書を書き、後に正式に企画参加を依頼することになった安彦氏・カトキハジメ氏と何度か顔合わせしつつも、片手間でやれる仕事ではないとの共通見解から企画は一時凍結。「ちゃんとやる」体勢が整い、サンライズも交えて本格的な企画開発が始まったのは、それから三年以上の間をおいた2006年であった。
その頃に筆者が想定していたのは、『機動戦士ガンダムΖΖ』と『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の間を埋める話、言わば外伝的な穴埋め企画だった。それならミニシリーズ的な体裁でまとめやすいし、小説も普通の長編クラスの分量で収まる目算があったからだ。しかしこれにはサンライズ側から物言いが入り、


「どうせやるなら、宇宙世紀世界をまるごと鷲掴みにするような話にしなさいよ」


ちなみに、サンライズと筆者がかくも気のおけぬ話ができる間柄であったのは、これ以前に富野由悠季監督の采配で『∀ガンダム』にノベライズという形で参加させてもらい、主要スタッフと顔見知りになっていたから、という別の事情がある。
企画プロデューサーの佐々木新氏も、本編プロデューサーの小形尚弘氏も、当時は作家デビュー間もない筆者と同様に限りなくぺーぺーに近い新人同士。別に「将来オレたちでデカいことしてやろうぜ」と示し合わせていたわけでもないのだが、『UC』の企画を推進する上で、この時に培われた人脈が良好に作用したことは確かだ。


ともあれ、ここで二度目のダメ出しを食らった筆者は、ならばと一念発起。ガンダムと真正面から向き合い、宇宙世紀元年にまで溯る因縁話を構築して、最初の『ガンダム』から『逆襲のシャア』までを縦貫する「連邦とジオンの戦い=宇宙移民者と地球居住者の相克」「闘争を惹起する人間の業の克服=ニュータイプ」というテーゼを総括し得るストーリーラインを模索し始めた。そして、そこまでやるからにはやはりデザイナーはこのお二方しかおらぬと、安彦氏とカトキ氏へのオファーを本格的に開始。お二人とも新たなガンダム企画への参加には慎重であったが、それこそお百度参りの勢いで仕事場に押しかけ、ついに参加を了承してもらうに至った。


これらの準備に費やした期間は九ヶ月あまり。その間、筆者はデザイン発注と設定作りに追われて小説の執筆には取りかかれず、サンライズ角川書店も各種調整に忙殺されてきたわけで、三者の胸に去来することばは「こんなはずじゃ……」。しかしここまでの経緯を振り返れば明らかな通り、それぞれがそれぞれを挑発しあった結果、『UC』は次第に膨れ上がっていったのだ。ガンダムというコンテンツが含有する魔力なのか、この「こんなはずじゃ……」という魂の呻きは、最終的には自分史上最長の大長編を書く羽目になった筆者を始めとして、以後も関係者に次々と伝染してゆくこととなる。
だとえばプラモデル。通常、ガンダム・シリーズのプラモはまず廉価な小スケール商品から開発され、その際のノウハウを活かして大スケールのハイエンド商品が作られるものなのだが、『UC』の場合は「今は大人になったかつてのガンプラ少年たち」を対象とする企画の性格から、いきなりマスターグレードと呼ばれるハイエンド・モデルの開発がスタートする運びとなった。ノウハウの蓄積がないところでの「完全変身」モデルの設計を強いられたカトキ氏、バンダイホビー開発陣の胸に去来した言葉は「こんなはずじゃ……」の一語に尽きよう。
そしてアニメ。当初、我々が目算としていたのは、「一話四十分程度のOVAクオリティ作品」であった。週間単位でクオリティの高いテレビアニメを制作できるサンライズのキャパシティに鑑みて、目標値をそのあたりに設定すれば各話一ヶ月毎、余裕を見ても三ヶ月毎にはリリースできるであろう、と。ところが完成した第一話はご覧の通り、六十分弱の「恐ろしく上質な劇場作品クオリティ」と相成った。
これは古橋一浩監督以下、全スタッフが作品に心血を注いだ結果であり、そのような作り方を受容した小形プロデューサーの信念の賜物であり、またスケジュールの遅延も容認して制作体制を支えてくれた関係各位の懐の大きさの発露である。お陰で胸を張って世に出せる作品ができたが、反面では当初のリリース計画は机上の空論と化し、スタッフ全員がかなりの長期戦を覚悟せねばならなくなった。制作現場たるサンライズ第1スタジオに渦巻く呻きは、音にするなら無論のこと「こんなはずじゃ……」だ。


このように、数々の「こんなはずじゃ……」の結晶として、『UC』のブルーレイ&DVDはあなたのお手元にある。関わった人間の人生の予定をことどとく狂わせるという意味では、まさに魔性のコンテンツと言うところだが、では我々スタッフが後悔しているかと言えば、真実は逆に近いということは付記しておきたい。
筆者も含めて、作り手というものは決められた枠内で仕事をするのに慣れている。この枠を取っ払って、存分に己の力を発揮できるのは稀有な経験だ。海のものとも山のものともつかぬオリジナル企画では、まず夢であると断言してもいい。


今回、ガンダムというタイトルの力が、我々にそのような仕事をする機会を与えてくれた。「こんなはずじゃ……」と嘯く一方で、我々はこれをまたとないチャンスと捉え、己を世に問うべく通常の三倍の出力で事に当たってきたのだ。それは作り手にとっては人生をかけるに値する喜びであるし、その成果を同時代に目撃できるあなたも幸せ者なのですよ……と自他ともn説得しつつ、まずは第二話に乞うご期待!

ハロネタは読みたいとは思ったものの、売れないだろうし、真新しいアイデアではないし、やはり勉強不足感が否めない。
二度目のダメ出しは、旧ブログに掲載したオフ会ネタの方っぽい。

福井晴敏氏に訊く『ガンダムUC』−【前編】「全力で物凄いものを作るしか突破口は無い」 - Phile-web

HiViの方は特に新しいネタはなし。SEは1stと同じにするためにフィズにしたとか(TV版Zがダメってことで)、二話予告が秋前とか、氷川氏の特報収録要請に最終巻が出たら検討、と言ったくらい。そこは書店PVだろ、と思ったのは私だけ?