朝日新聞81年2月20日号 私とTV 本音と建前の相克 富野喜幸

この二年ほど、テレビによって身についた習慣から抜けられずに困っていることがある。たまに見ようとする土、日曜日の夜九時のニュース。ところがNHKにチャンネルを合わせて、だいぶ以前からこの時間ニュースはやっていないことに思い至り、ぶ然とする。何のためのNHKか。民放と同じ編成にする必要はあるまい。週に一度ぐらいはニュースを大観する番組こそNHKにあるべきで、変に若気の至りナマ半可なドラマなどは他局に任せればよい。と、これは聴視料を払ってる立場でのNHKに対する苦言……。
しかし、公共放送の立場から、より一般受けする番組編成を考えようとする“送り手”の気持ちはよくわかる。私の場合も、一般父兄からきらわれ、俗悪の代名詞のようになっているロボット物のアニメーション制作を専従としているから、本音と建前がどういうものかを、よく理解しているつもりだ。
ところで、私の場合、立場上からも他の人たちの制作した番組もよく見る。そして思うことは、かつて映画がいくつかのジャンルに分化していったように、いまアニメの世界でも、さまざまな分化が始まっているということ。幼児マンガ、一般的なマンガ、名作もの、SFアニメ、CMなどの視覚伝達媒体としての実験映画的な部分、など種々のジャンルが生まれ始めている。そのなかで、『まんが日本昔ばなし』や、かつての『アルプスの少女ハイジ』などの出来ばえには頭が下がる。
活字世代、テレビ世代といわれるように、いまマンガ世代を経てアニメ世代といわれる人たちがふえてきているように思う。となれば、よりよい作品を通して、この人たちに語りかける必要もあろう。私の場合、『機動戦士ガンダム』を通してそれを試みたのだが、視聴率やCMなどの関係からも、ロボットものというオブラートに包まざるを得ない。それにどれだけの付加価値をつけるかということなのだが、この辺にも本音と建前の相克がある。

先の同人誌からの引用ですが、直接的なヒントではなく、「本音と建前」についての別発言紹介、にとどまっている。
ネット世代向けはリーンなら、Gレコはどこに当たるのか。