行って来たのでメモ。この日の御禿は∀の帽子でした。あと御禿誕生日おめでとうございます。
3.11以降を生きる学生に向けて
只今ご紹介にあてられました富野です、というワンパターンは止めまして(会場笑)。今日のお題が「3.11後の学生に向けて」という、とてもアバウトな話なので(会場笑)。ガンダム研究会なのに「ガンダムの話はするな」と(研究会側が手を横に振る)。言ったじゃないか。
ただ、前フリをしたのは時間が足らないから、という事もありまして。ガンダムの話をするスペースが基本的にない。というのも、リアルタイムの話として皆さんがご存知の通り、10月30日、世界総人口が70億を超えた。『機動戦士ガンダム』冒頭の「人口が増えすぎた」が33、4年でリアルになってしまった。という事で、我々はこれからの地球の事を考えると、簡単なところではない、という感じを最近しております。まして3.11後でそういうものを痛感する様な時代になってしまったと思っています。
にも関わらず、3.11後、ものの考え方、言葉遣い、それから国家なり政治なり統治する大人たちのインテリジェンスが、殆どアニメレベルじゃないのか。アニメ以下じゃないのか。どういう事かと言うと、先月の中央公論の「リアリズムで考えなくてごめんなさい」という風に、一人の政治家が言うようになってしまった。リアルでものを考えないといけない人達が、リアルにものを触れていないと自覚する、ということを考えると、ガンダムワールドに接近する現在、じゃあ、どうするかという。
本来、そういう視点を持たなくちゃいけないのに、我々が…「我々」っていうのは我々の世代という意味で使わせてください。我々の世代の人達が、リアリズムでものを考える事を遅れている。本当に申し訳ないけれど、皆さん方、若い世代には、バカなことだけれども、整理学をこれから50年、やるしかない。そういう時代になったという風に思いました。そう思い出した時に、これは本当に幸か不幸か、日本に関しては3.11、要するに災害と事故が当時に起こった。これは象徴的に21世紀から22世紀を考えた時に、…皆さん方本当に申し訳ない、皆さん方の世代にリアリズムでものを考える事をやって頂きたい。それこそ天からの贈り物なのではないか、という風に今、思います。
…この部屋の暑さはなんとかならんのか(会場笑。正直私は暑さを感じませんでしたが、回りの方に汗だくの方もいました)。(水を持ってくるスタッフ)水一本の問題ではない(会場笑)。これがまさに、アニメでしかものを考えていない(会場笑)。リアリズムでものを考えるのはそういう事ではなくて。現場、例えば容量を考えて、ここに、これだけ人が集まるんだったら、熱量ができて、と考えられるような計算できるような。確認なんですけど、早稲田大学にだって理工学部ってあるんですよね(会場笑)? こんくらいできるようになってよ(笑)。今言ってる事は、冗談事の様ですが、本当に、リアルなの。そういう想像力・洞察力が持てない、というのが我々の時代だったんじゃないのかな、という風にも思ってる訳です。今言ったやり方は、この学生にがやってることを諸君に対して僕が言ってる事だけではなくて、我々、大学教育まで受けたかもしれないという人の持っているインテリジェンスが、そういう意味でリアリズムに迫っているのか。そういう事を本当に再確認しなくてはいけない時代じゃないのかな。今日のお話というのはその一点のお話をするだけで、もう5分経っている。
個人的なお話をさせていただく。この10年くらいかな、毎年健康診断行ってまして。僕の肺活量は88。タバコ止めろって。みたいな話もありますので、ご容赦頂きたいと思います。
(時計を外す)後ろの壁に時計を掛けていないというのは嫌がらせです(会場笑)。どうしてかと言うと、時間制限してるんだから、そこに時計置いてよ(会場笑)! これも、リアルな対応能力の問題です。それで、こちらが予定していた話をだいぶ急いでしました。僕の持ち時間あと25分だよね? …まぁいいや。
東日本大災害について言えば、あらためて僕自身自覚する事があるし、学習させてもらう事があります。と言うのは、確かに大災害で悲惨な状況で行方不明者が万を超える状況である。広域に被害が及んでいるという意味では、おそらく世界最大の津波災害になったものと思っています。実際に災害に遭って、親族だけでなく、親族って一般的な言い方でなくって、わが子、隣にいたのに流されていった、自分の連れ合いが流されていった、その声を「お父ちゃん助けて」って声を聞きながらも流されていったというそういう構図で何百人といる訳です。そういう災害は、ほんとにその局面だけ見れば確かに地獄ではある。
ただ、我々人類という種は、そういう災害を絶えず乗り越えて、今日までの歴史を繋いできた。という意味では、我々の遺伝子の中に自然と対決して、自然と対峙して、暮らしていくという耐久力というのが、あったんじゃないのか・あるんじゃないのかというのが確認出来ました。確認出来たというよりも、東北方面に親族なんて一人もいませんけれから、具体的な痛みとして感じる事はありませんでしたけれども、何箇所か被災地を、それこそ観光地産みたいな気分で行って、本当に思う事もあります。現場でやってる人達の、昼間の間の明るさ・元気さというのを見せてもらって、ほんとに思った、今言った(事を)。やはり人というのは何度も何度も自然災害に遭いながらも、息がついたところに「泣いてたってしょうがないよね」。だから「負けねぇぞ」、「頑張るぞ」じゃなくて「負けねぇぞ」と思える気力を持ち得る事が出来る。我々の遺伝子の中には復元力というものを間違いなく持っている。そして地球の自然の上で暮らさせてもらっている我々は、おそらく遺伝子のレベルの中にそういう能力があるのではないか、そういう意味での性能というのはかなり高いのではないか。だから間違いなく今回の震災後の復興は、一般的にいう「復興」という事に関しては、復興して当たり前です。要するに気力とか体力とかを我々が持っている、という事を、これだけ酷く、広範囲な被災地を見れば見る程、やはり人というのは死なない限り生きていくしかないんだよ。生きるためにはよ、泣いてるヒマないんだよね、って。という気持ちを述べているという、人の復元力というものを本当に尊いと思ったし、その歴史をもって我々は生き延びている。
ところが、3.11で、日本という国家が、近代国家がやったもう一つの事が福島の原発問題。福島の原発問題っていうのはどういう問題かと言うと、自然災害に対しては能力とか気力を持っている我々が、放射線の問題に対してバリアを割られてしまった時に「福島はダメだろ」と思わざるを得ない、思わざるを得ないという部分が半分以上風評被害かもしれない。風評の被害というものが「お前らよそ者が拡大解釈して変に腰が引けてもらっちゃ困るんだよ、俺たちは復興しなくちゃいけなんだよ」という、汚染地域の人達にとっては非常に切実な事です。出てくるでしょうが、少なくとも放射線被害という被害という問題が生態に人体にどういう影響を与えるかという事を、我々は今まできちんと知らされていなかったのではないか、という事を知った。何故原発が、この様な形で市民社会に入り込んでいるのか、という問題を我々は考える必要があるし、という事を、もう少し真っ当に受け止めていただきたい。それが今回、3.11の福島の問題に関して我々の目の前の問題じゃないかとも思う。
総括的な言い方をするとこういう事です。20世紀後半の原子力というものを人類が使えるかもしれない、という決定的に新しい知識、というものを手に入れた時に、我々は一番初めにそれを原子爆弾という形で使うことをした。その後で原子力発電に転用していって「原子力の平和利用」という言葉を知った。その平和利用で原子力が使えるというプロセスがあったところで、我々は一体どういう風な理解をしたかと言うと、特に原子力という極度に専門知識を必要とする技術を使う、という事に関しては、今の所聞き漏らさないで下さい。「極度に専門知識を必要とする技術」なんです。特に放射線の問題という、目に見えない問題なんです。目に見えない問題を、きちんと理解する能力を持たないといけないのに、巨大な組織が、会社で言えば電力会社が、日本で言えば国です。国策にしてしまった瞬間、「極度に専門的な知識を必要とする技術」を使っても、素人が「安全」と言える組織を作ってしまった! それだけの事です。それは嘘だ、嘘つきだ! 現にこの半年間、テレビに映っている公の人達が、本当の意味での原子力の専門家の人達がどれだけいましたか? 「安全だ、安全だ、安全だ」と一番声を大にして言ってる人は、専門知識を持っていない。
要するに放射線の問題は分からない事の方がまだ多い。広島と長崎で被爆を受けた日本人が、本当に放射線の、人体に与える影響の決定的なデータを持っているか? 持ってないんです。持っているのはごく一部の人。持っている人も一瞬の放射線の拡大というデータしか持っていない。ありがたい上に…って言っちゃいけないんですが、貴重なデータとしてチェルノブイリがあるんで、長期的な放射線の被害のデータが徐々に出てきつつあります。…が、たかが2、30年のデータしかないんです。そういうデータしかないで、、知らないからこそ「安全だ」、「安全だ、安全だ、安全だ」と言える。テレビの前でです。最善を尽くす、というのは何なのか。この皆さん方がいるレベルで言えば、やはり中央官僚になる人がいっぱい出てくるでしょう。だから諸君に一番考えていただきたいのは、組織の成員、つまり組織の中に組み込まれた「我」というのが、何の意志を持って組織に仕えられるかは、言ってみれば永遠のテーマです。永遠のテーマだったのが、新しい技術、そして近代の世代組織。つまり中世までの機能の組織と現在我々がしっている巨大組織というのは、中世の組織以上にボリュームが大きいものです。その中で「我」というものが、どう動くべきかは根本的に考えなくちゃいけない。考えなくちゃいけない問題というのは、今言ったとおりです。福島の原発が一番いい例で、まだ未知の技術だったかもしれなかったものを、導入してしまた時に、ましてそれを国家のエネルギーの根幹にしてしまったときに、実は徹底的に安全でなければならないという「理念」はあった。理念だけはあったんだけど、それが実際に原子力発電で、達成しうるのか、という時に、この40年の歴史の中では達成出来ない。出来ないにも関わらず、安全だと言い切って、国家のエネルギーの基盤にしてしまったという。我々はそれを完全に変えなければいけない。変えなければいけないんだけれども、何故変えられないかと言うと、巨大組織は一つの技術論を、このように運用される。その欠陥がこういう形ででている。何が問題かが分かってくる。例えば、原子力発電の方が、まだ、火力発電とか水力発電よりもkw/hの出力に関して言えば安い、というデータを平気で出してくる。どういう計算で出てくるかは、僕なんかは気力が失せますのでしない事にしました。何でそういう数字が出てくるの。コストを考えた時に、経費がこういう風にかかった時に、1kwあたりいくらかという数字でしょう。ところが、今回の我々が実際に、福島の20km~30km圏内まで、と言われ始める。本来その被害は発電料金として経費として吸収しないといけない事なんです。どうしてかと言うと、基本的に「関連」された被害に対して手当てしなくちゃいけない経費なわけですから。それも発電料の中に本来は発表しないといけないのに発表しない。「発電」というものに限定した時の計算はこうです。それはそれで正しいでしょう。正しいでしょうけれども、我々はもう一つこういうものを知っているわけです。青森県の六ヶ所村でやっている燃料再処理施設の問題。我々は放射性廃棄物というものをきちんと300年~500年、人体に影響を与えない様にするシステムが出来上がっていないんです! 出来上がっていないにも関わらず、今の福島型のを使い続けていれば、もっともっと出て行くだろう。既にご存知の映像があるはずです。福島で実際に処理をしている作業員の防護服。放射性汚染物としてゴミになってる、山積みになってるスチルを見た事があると思います。今、まさにどうなるかも分かっていない、福島も、どうも底が抜けてしまっていて、新しい核反応が起こっている。この核反応も「安全」です! 「臨界じゃないから安全です」! って言い方をします。「臨界じゃないから安全です」って言ってる人が「極度に専門知識を必要としている」ような、そういうブレーンが、そういうインテリジェンスが発現している事なのか? と。我々が、本当にあなた方に分かっていただきたい事は、我々が組織の成員になってしまった時に、あるところから平気で嘘つきになれるというのが人である、という事も承知しておいて欲しい。「この論法だったら、この視点だったら、この法解釈から言ったら、私の言ってる事は正しいです」と平気で言うインテリジェンス。諸君はその資料を学習しています。
その一方の論でこれから100年200年1000年、地球が保つかって言ったら、僕は保たないだろうという風に思う。
今の話をもう一度するとこういう事です。特に、第二次世界大戦以後の新しい技術を我々が運用する時に、本当に日常に運用する為のシステム、それから生産能力というものを、本当に構築していたんだろうか? かなり無理をしていたのではないか。その技術の抜けというものを本当に我々は50年100年使っていく時のリスクというものを承知して技術開発をしたのか、という事を考え直す時代になってきているんだよ。これは原子力発電についてだけではないと僕は思っている。
今、しょうもない話を一つだけ思いついたんで、話をしてみます。だけど皆さん方からはブーイングが来るのを承知で言います。
全日空が新しいボーイング787を採用して、国際線をこなしていく、という話。本当にこういう機械を使って移動するのにエネルギーを消費するのが本当に良い事なんだろうか、という事を、実はかなり疑問なんです。それだけのエネルギーを消費して、我々が世界旅行をするだけの価値のあるインテリジェンスを持っているのだろうか、という事を考えた時に、航空産業のシステムというのが人類に対して本当に貢献しているのか、というのを多少怪しいと思っている部分があります。そんな事も思いながら、しょうがなくて孫の顔を見る為にスイスまでジェット機に乗る訳です。本当、困ったなぁ(会場苦笑)。困ったなぁって思ってたんです。この両方の命題を、なんか上手にまとめる方法論とシステム、皆さん方が50年後に作っていただきたい、という事です。
実はこの話を含めて、もう一つ隣接する国際金融の話をしたかったんですけども、時間がないんで止めます。
新しい技術というものを取り入れていく時の問題、それから組織の中での成員としての問題を考えた時に、我々のインテリジェンスの働き方の問題だけではなくて、モラルの在り方みたいなものが、社会と社会規範にモラルが根差しているのか、企業規範にだけ則ったモラルにしている我々なのか疑問なんです。で、やはり発言が違ってくる。という様な事も、今後皆さん方が社会に出て行く時に絶えず問いかけられる問題なんです。ほんとはそういう問題というものが、意識して考えいくのに対し、新しいものの考え方というものを皆さん方が目指していきたいと思っている。僕がお話出来るのは、こういう各論を配列していく中で、ではどういう風に考えていくか、という事を考えたいと思いながら、申し訳ないけどこの歳になると、新しい妙案が出てくるとは思ってはいない。思ってはいませんが、物を考えていく、消費をしていくという問題で、やはりこの10年ぐらいの日本の状況で、気になっている事がある。
これは表現一般と言っていいのか、アートの部分と言っていいのか。よく分からないですが、少しだけアート、表現として出て行ってる問題。ネット上のものでも構いませんし、テレビで現れるもの、映画で現れるもの、それからショービジネスで現れるもの、なんでもいいんですが、確信的と見えるものが、少なくともこの10年ぐらいに関して言うと、アニメとか漫画に擦り寄っているのじゃないのかな、という気がすごくし始めています。本来、アートと言われているものが、この「アート」という言葉がどういう意味で使うのかというのもあるのですが、日本人で言えば「芸術」という言い方をします。芸術的なものであって欲しいものが、アニメとか漫画に隣接するような所にいるのは、少なくとも僕の年代で考えた時にすごく抵抗感がある。「芸術」というものは、もうちょっとだけ高尚なもので、ハイゾーンなものであって欲しい、っていう願いがあります。これは実を言うと美意識の問題に関わってくるものです。僕の年代の場合にはそういう感覚がありますので、アニメ的とか漫画的な表現に設計していく芸術というのが果たして芸術なんだろうか、というもの凄い抵抗感があります。もの凄い抵抗感があるんですが、これだけ表現媒体、特にIT技術が進化した為に、もの凄く精密な画像がネット上で現れてきている。精密な表現というものがかなり自由にできる様になってきた時に、起こっている事が、もの凄く簡単な言い方をするとコピペなんです。コピペの堆積、つまりコピーコピーコピーを、途中で当然アレンジもしているんですけども、それが必ずしも至高なものを目指しているのではなくて、ポピュラー、みんなが楽しんでいる、という所にかかっている様な気が。ビジネスになるんだったら、それで良いんだけれども、果たしてそのビジネスが長期的に保つのか、という問題。それから分かりやすい例を挙げると、初音ミクの様なものが、本当に固有な商品、固有なキャラクターとして認められるものなのか、という時に芸術的なというか、アーティスティックな造形として「良きもの」という風に言い切れない部分がある。だけど皆さん方はそういうものでどうも楽しんでいるとか、皆さん方の時代がそれで良しとしている気分も見えてくる。だけどアートというのはそういうものなのか多少疑問があります。そういう疑問を投げかけております。
もうおしまいだよね、あと5分だよね。あと5分だけ頂戴。
そうは言ってもこういう時代ですので、人口増・人口が増える問題は、おそらく皆さん方が生きている間はそれほど問題ではないでしょう。むしろ「ビジネスチャンスが増えるんだ」。どうしてかと言うと人口増は消費者が増えるっていう事なんです。消費者が増えるっていう事は、ビジネスをする人にとってはとてもありがたいこと。日本経済新聞の三日前の新聞に「70億、いいじゃねぇか、マーケットが拡がるんだから」て記事が載りました。それはそれで認めますし、皆さん方が路頭に迷っても困りますし、ビジネスを立ち上げる人は広く遍く人を雇って貧乏人を出さないようにして頂きたい。そういう意味では小さくても利用して頂きたい。が、それはあくまでも現在の我々、それから今までのです。原子力というものを使った、使いきれるという自信も持ってないくせに「安全だ」と言っている素人みたいな、ああいうオールドタイプに対して「いや、俺はいくらなんでもオールドタイプにはならないよ。21世紀の社会を生きて、22世紀を迎えられる時代を与えられる様な、そういう様なビジネスマンになる、研究者になる」そういう風に思っていただける目標を設定していただきたい。
してはいただきたいんだけれども、矛盾する問題があります。どういう問題かと言うと、やはり大きなプロジェクトなり立ち上げる時に、基本的に資本ってのは必要です。ですから、「商売をしてはいけない、金儲けをしてはいけない」ってことは絶対になくて。金儲けしないとしょうがない。することによって裾野を広くして、22世紀も突破して1000年生き延びられる日本列島を構築していくんだ、っていう「理念」は本当にお持ちいただきたい。だけど問題なのは、地球の資源を急速に消費していく様な、産業構造というものを、支援している様なベンチャーであっていいのか、という事に関して言えば、やはりそうじゃないだろう。という気が。考えていった時に、今回我々が半年間学習させられている原子力発電下に起こった人の無知というのがどういう問題なのか。こういう風に結局嘘をつけると、実を言うとどうもインテリの特性として決定的に持っているものです。それが自然に対決して生きていく中で、嘘をつくという、生き方というのはひょっとしたらあるかもしれません。が、そんなものはたかがしれてることです。たかがしれてないのは、今回原子力発電に象徴的にある様に、新しい技術・よく分からない技術というものを、巨大な組織で運用していかなくなった時の、組織の成員である大人というものが、もっととんでもない嘘をつく。一人二人の殺人者よりも、もっとこわい犯罪を犯しているのかもしれない。だってそうでしょ。福島の20km圏内みんな出て行けってやったでしょ。出ていった人が、基本的に日本中に散らばっているというのもありますし、かなり自殺者が増えているというのが事実としてあります。そういう様なものの原因は、むしろ巨大組織の成員の人達ではないか。技術を使いきれなかった人々の犯罪的な行為ではないのか、とまで言っていいのかもしれない。
犯罪的な原子力の事で、もう一つ嘘を。こういう言葉遣いをしておきます。刺激的な言葉でしていた方が良いと思う。文科省が教科書に書いた「原子力発電は安全で、五重のバリアが張られているから絶対に! 事故が起こらない」と書いてありますが、五十のバリアなんて全部嘘なんだよね、構造的に。構造的にも、材質工学的にも嘘なんです。どうしてかと言うと、たとえば水に漬けちゃいけないジルコニウムというもので、燃料棒を形成している為に、半年から一年くらいで交換しなきゃいけない事が元々起こっている。元々水に漬けては危険なんですよ、というのが原子炉の構造を形成しているもの。これは理工学部の人なら常識として知っている事だと思います。なのに冷却する為に水漬けしている原子炉。そして今、冷却しているから「安全だ」と言っているのは全部素人なんですよ。組織ってなんなのか、と言ったときに、ここにいる皆さん方は学識を持って世に出て行っていただきたい、という風に思います。ですから人口増に対するビジネスは、そういう意味での先見性を持ってはしっこく、身のこなしをしてほしい、とは言います。言いますが、一番根本的に、地球にとっては、地球は有限だというのが分かった、無限の地球ではなくなったというのが我々は少なくとも一般常識としては身に着けています。そうなった時に、我々の世代が一番考えなくちゃいけない事は、人類というのが地球にとっては一番の汚染源なんだから! 人類をまず減らす事を考えなくちゃいけない。だけど僕は人口が200億になるまではあっという間だと思っています。そうなって初めて緊急事態として環境汚染の問題、食料の問題が深刻に現れる様になるでしょう。今の統計的な人口増加のカーブから考えたら200億になるのは、僕は全く算数が苦手だから分かりませんが、理工学部とは言わずちょっと計算してみてください。嫌になりますよ。その時のエネルギーの問題を考えた時に、まさにそれに対応できるエネルギー技術を提供できるのは俺だ、という気分を持っていただくのも大事なんだけれども、やっぱり人類が地球に対する最大の汚染源だった時に、環境の問題を汚染源が言っててどうする? という視点に立った新しいロジックを皆さん方が見出していただきたい、というのが年寄りからの発言です。すいません、10分ぐらいオーバーしました(会場拍手)。
事前質問1 3.11以降の日本の問題は二つに分けられると思います。一つは危機に直面している際に、責任問題の議論に力を注ぎ、現場が忘れ去られた事。二つ目は危機が収まった後に行うべき検証を行わず、国民を挙用しなかった事。結果として国民は何も学べずに国の新たな舵取りを眺めている現状になっていますが、その現状を見て、何をすれば国民を導き、教養出来るシャアの様な(会場失笑)正しい政治家・政界が生まれると監督は思いますか?
アニメの上では簡単に、新しいキャラクターを作れば済む事です。が、この問題については、本当に半年間考えてまして、基本的に手が打てません。残念な事に手が打てないのは、現在只今日本の政治経済の中堅・トップで決定権を持っている人達が、殆ど戦後日本の一番良い時に育った人たちなんですよ。緊張感を持ってないんですよね。緊張感を持たないで50を過ぎたっていう。いざ事件が起こって、対応できません。現内閣にもまだ、一人か二人居るみたいな気がするんですけども、昭和の学生運動上がりの人たちがまだ政治家にいます。学生運動上がりの政治家の問題とはどういう事かと言うと、運動する事が目的になってしまっていて、本当の意味で運動を経て勝利を得た時・革命が成功した時に、国家なりある外部組織というものをどういう風に「運営」するか、っていう、つまり私流の言い方をします。神が人をどういう風に統治するか。どういう風に束ねていくか、50年100年1000年。っていう発想を持ってないんですよ。近代の「運動」と言われているムーヴメント。政治的だろうがアーティスティックだろうが、運動そのものが目的であって、運動後の事を考えているインテリジェンスっていうのはどうも働いてなかったらしい、と分かってくると基本的に絶望です。
で、現在只今対処方法はありません。ですから、個々にしのいで生き延びるしかない。
対処方法はありませんけれども、改善しなければいけないのは教育です。、教育をきちんとするしかないんですが、現在只今でも、いいですか。福島の事で、放射線被害に遭っている被災者というのは現実にいる。文部科学省の役人たちとか通産省の役人たちがどれだけ「被害者が出る、被害者が出る」と言う事の問題がなんだったのかという非常に根本的な問題を議論するテンポが遅れている。被災に遭った人たちはそりゃマジに考えます。例えば文部省の中に現在自分たちのやっている対応がマズいから改善しようと思う人たちも何人か当然いるでしょう。いるでしょうけども、なかなか出来なくて絶望感に囚われている事も想像します。
今の我々の政治経済上のトップの入れ替わりというのはこれから三十年から四十年時間がかかると思う。まだ皆さん方その渦中の中で改善をしていく事を強要される世代となっていくのが皆さん方です。ただ耐え忍んでくれというしかありません。ただ重要な事があります。重要というかむしろ、それはある意味で己を鍛える為のいいチャンスである事も事実です。「この危機の時代を乗り越えて、俺たちは子供を生み育てなければいけないんだ」。あなたたちがやらなかったら、今の40代50代はそういう気分はなくて。大臣になっただけで大喜びをして謝ってる様なのが大臣なんかしてるんですよ。そういう人たちがどういう事かと言うと、大臣になった途端に統治者となって、決定権者になるという意味、分かってないから大臣に成る事が目的になっている。そんなのは元々政治家になっちゃいけないんだよね、っていうのを選んでいる我々の世代、という事もあれば、申し訳ないけども皆さん方に頑張ってもらうしかない。
で、頑張るときに今日お話した事はどういう事かと言うと、ああいう言葉遣いでパパパパッと事象を並べていく事を我々の世代は実を言うとやってなかったんです、きっと。「飽食の時代」とは何が言いたいかと言うと、各専門家はその専門の事に特化して優れていたりするけれど、広く視るという事をあまりしなかったんじゃないのか。あと何よりも足場というものが、ビルまであれば、あまり切迫感を持ってものを考えるという事をしてなかったという様な気もします。そういう意味では、本当にある種悔しいんだけれども、3.11という自然災害と技術論が生み出した被災状況というものを迎えた事によって、問題点というものをもの凄くシャープにパンパンパンと言える時代になりました。だから改善するという時に、改善する方法論というのを、現在の統治者が喋れる訳がない! 声に出して喋った事を全部自分で責任被んなきゃいけない恐怖に襲われるからです。ところが東電の社長もそうですが、あの人たちが原発を作った訳じゃないんですよね。だから「元々がこうだったので、こうなっちゃったんですよね、ごめんなさい」っていう謝り方をすれば、少しは「そうかい、そうかい」と言えるんだけれども、そんな事は何も言わないもんね。それで「安全だ、安全だ」という事だけを繰り返してオウムみたいになってしまった。そういう大人たちを考えた時に、大人が絶対的に正しいとは言えない。それをまさに皆さん方の世代が、つまり次の世代にそれを教えていって切り拓くしかない。ですから申し訳ないけども2、30年はかなり過酷な時代が続くと思いますが、新しい新鮮な日本を作っていく為、皆さん方がパワーになってく。そういう風に言うしかないという意味では、ほんとに、ほんとに申し訳ないと思いますけれども、お願いします、という事です。ほんとにお願い。
事前質問2 富野監督は「∀ガンダム」のロラン・セアックについて「ロランほど男らしい奴はいない」と発言されていますが、どういうところが男らしいと考えていますか(会場笑。イデオンナイトの発言?)。
そういう発言をした覚えはありません(会場爆笑)。あの、本当に覚えていないんです。
覚えていないんだけれども、それをもし僕が発言したとすれば、こういうことです。尊敬している女性というものが、身近に居る事になった。身近で居られる時に、単純に「仕える」という事ではなくって、この女性を、この女を絶対に守ってみせる、という事に対して、おそらく一分の揺らぎのないキャラクターという風に僕は仕上げています。で、そういう表現が出来ていると思います。そのまさにバカだけれどもさ、僕は男の属性として、一番尊い事ではないのかな、という気がします。
さっきの話の続きですが、今の大人たち、運動する事が目的となっちゃって政治的な行為だと思ってる大人たち。奴らは! そんな事何一つ考えていないんです。自分が死んでいくまで、ちゃんと年金がもらえれば良いと思っている奴ばっかりなんです。何かを守るなんて、自分の年金の事しか考えていない。
……だからロラン・セアックは男です(会場笑)。
事前質問3 私は富野監督のガンダムが大好きですが、富野監督以外の方が作られたガンダムには興味がありません(会場笑)。ご自身の作品が換骨堕胎され、意図していたものとは違う形の視点を持ち、でもそれが「ガンダム」の名前を呼ばれる事にどの様にお考えでしょうか。
基本的に自分以外のガンダムを一切観ていませんので、嫌も何もない。だから意見を言いません。だけど「元々原作者の立場で居れるあなたが、何でそんなに関心を持たないんですか」っていう事に関して、関心を持たないんじゃないんです。他人がガンダムを作るという状況に圧倒的な憎しみを持っています。嫉妬しかない(会場爆笑)。自分の嫉妬心を加味させる様なものを、わざわざ正面切って観て、自分が狂ってどうする?
で、ある日こういう実験をしました。正直狂いそうになるくらい嫌な時もありましたし、具体的に鬱病にも罹りました。ですから一気に観ない! という風に決めたんです。それだけの事です。
ですから他のガンダムについて、一切観てません。
その上で、大人の話をします。大人ってのは嫌で嘘つきなんですよ(会場笑)。僕程度の才能が30年間「ガンダム」というタイトルを作れるか? 作れる訳ないんです。それほど耐久力ありません。むしろ他の方がガンダムを作ってくれる事によって、少なくともこの15年ぐらいに関して言えば、ガンダムというタイトルを忘れられないマーケットを形成してくれています。そのマーケットがあるというのがあるので今日出てこられているはずです。だってこの10年僕作品作ってないもん。
そういう風に考えた時に、まさに人がいて、自分を支えてもらっているという事を自覚できるようになりましたので、さっき言った嫉妬心とか憎しみを持たなくなりました。つまり経済的に圧倒的に黙らせられる年金みたいなもんです(会場爆笑)。月々2、30万もらってるだけで人間ニコニコしてられるんですよね(会場笑)。しょうがねぇなぁと思いますけれども。それが暮らすっていう事なので、それはそれで…(笑)。
事前質問4 アニメ界のスティーブ・ジョブスこと富野先生の、ジョブスについての意見・追悼などをお聞かせください(会場笑)。埼玉県のHNワイバーンさんから。
スティーブ・ジョブスという方は、全く存じ上げていません。いくつかの記事を読んだ程度の知識しかないんですけども。今になってとても悔しいと思っている部分があります。アップルの一番初めのハードウェアが出た時、一度だけデモンストレーションを最初だけ呼ばれまして。(コンピュータ上で)ガンダムのお絵かきをしたのは僕が一番最初なんだよ(会場笑)。もの凄い不自由で。これではまだダメだという事で安心したという事があります。安心したと言いつつ、一応それでアップルのものに触ったんで、実を言うとパソコン乗り換えるんだったらこっちだろうなと思ってました。
ところがワープロを使うのが早かったので、ずーっとワープロでやっていたので、本当の意味でパソコンに乗り換えるのが極度に遅かったんです。2000年になってからです。その時に、主流がマイクロソフトだったんで、泣く泣くマイクロソフトにした覚えが。アップルの持っているある特性、企業体としての特性というよりも、ハードウェアとしての特性というのは実を言うとアップルの方が使い勝手が良い。そちらに行かなかった事が、ああいう方のキャリアを本当の意味で知ることがなかったので……っていう風に、話をするとズルズルいくんで、全く知りませんので(会場笑)。今色んな事思い出したので止めます(笑)。
事前質問5 Twitterやストリームサイトなどのネットツールの影響で、大手マスメディアの影響の衰退を感じることが多くなってきた出来事が、最近多くなってきたと最近感じます。マスメディアからの情報を受身で享受するのではななく、自分で取捨選択するのが求められる時代になってきましたが、その反面、個人レベルでの情報発信に起因するトラブルも増加しています。人が個人レベルでの情報発信を行う際、どのような視点が必要とお考えでしょうか。
迂闊に話すと時間がかかるんで簡潔に、簡単にこういう言い方をしますね。最近痛切に感じることです。雑誌に掲載するものでもそうですし、それから新聞記事でも、一記者と一編集長だけで記事が完成して紙面に載るだけではありません。絶えず校正者が関わってきます。場合によってはもう少し違う視点が入って、個人名でやっている記事であっても、それから作品であっても、たった一人でアップされることはないのが、活字媒体の性格でした。そういう形で、記事なり作品なりというのは出て行ってる。
今パソコン上にある記事が、基本的に個人の視点だけで制作されている為に、基本的に制御が利かない。どんなに個人が冷静に書いていてもです。校正者の目が入っているとか、編集者の目が入っている上での記事になっていないのが散見していますので、実を言うと、記事として、意見として世に示して良いものかという問題に関して言えば、そういう性質のものではない。あくまでもわたくしの文書、私文書でしかないという風に思っています。それを「メディア」と呼ぶのは極めて軽率だと、今は申し上げておきます。これ以上の言い方をするとめんどくさくなる。
会場質問1 最初の所で、今インテリジェンスが低下していて、リアリズムでものを考えていないと。私としては、インテリジェンス自身はあるんじゃないかと感じたんです。つまり皆限界は分かっている。なのにそれを行動に移せない。アクティビティがない様に感じたんですが。インテリジェンスと行動というものの間をどう繋いでいくか、という所に是非監督からお言葉を頂きたい。
ご質問の視野は本当に良く分かるんですけども、個々のインテリジェンスはかなり高いとも思います。早稲田慶応レベルの理工学部の先生からもお聞きしました。原発の事故を聞いただけで、考えるのも嫌だって。学生レベルでもいる訳です、当たり前の話ですが。ハナからヤバい訳です。そういうインテリジェンス、情報もそうです、知識としてもみんな共有している訳です。
だったら、という問題。なんで行動に起こせないのか。起こせるだけの勇気を、我々は持ってないんじゃないのか。勇気を持っていない一番の理由というのが、まさに組織の成員になってしまったから。我々は行動というものを自分で縛ってしまう。言ってしまえば予算がなければ動けない。それから責任を自分がとらされるんだったらやっぱりヤだとか。それから責任が共有されるのか共用されないのかという話をするだけで、事故は深化している訳です。深く危険なものになっているにも関わらず、議論をする事で、インテリジェンスを行使していると思ってしまう。そういう性質を我々は持っている。その間に原子炉がメルトダウンしたって知ったこっちゃないって。連日東京で議論していた。
つまりインテリジェンスが深くなっていく事の怖さってのはそこにあります。つまりシンプルに見えていればこうすれば良いとか分かる訳です。蒸気機関車程度の事故の原因とか、事故が発生する為の機械的な証拠や何かっていうのはおそらく原発より簡単に見やすいと思うんです。これとこれが問題だよねと。原発の問題は炉心に入らなくてはいけない。誰も入りもしないし入れない。何故入れない? 入っちゃいけないという知見はあるからです! だけど入らなきゃどうしようもないだろう、っていうところでグルグルグルグル回ってるのが、我々。
それはナノテクノロジーでも同じで、100万分の1、1000万分の1、1億分の1になった時に、事故原因を特定できる技術を持っているかと言うとかなりあやしい。ナノ技術にどこまで行くのが正しいかという話になってくる。
つまり技術というものが、具体的に日常的に行使する時に、どういう作用をするのかという事が、基本的に全部わかっていない。実際に原子力発電所で掃除をする労働者の記事を読みました。40年前に設計した原子炉のパイプ一つ掃除するのに、ものすごくめんどくさいっていうことが、こいつら設計者は俺たちが入って掃除する事を考えてなかったんだよね、という事が山ほど書いてありました。そらそうですよ。40年前に設計をしていて、今新しい技術を言った時に、マシンとヒューマンインターフェイスの問題が、40年前の構造体とそうでない構造体、それがさっき言った蒸気機関車。蒸気機関車は隅々まで手が入る。そういう技術でないものを使ってしまった時に、何が残るか。そういう意味での新しい技術を使ってしまった時に我々は予見性を持っていたのか。きっと持っていなかったんだろうというのもまだあるんだから、気をつけて身に着けていく様にしよう。皆さん方の時代でもっと持ってくれと思います。
なんでアクションするかって言うと、基本的に組織論なんです。組織論になってますので、僕の中で突破する方法はありません。どうしてかというとポピュリズム、政治的な大衆に迎合する政治の在り方に疑問を持っています。独裁にも疑問を持っています。ただ、アニメはギレン・ザビで済む訳です、分かりやすい見方で。ポピュリズムはそうではない。組織の意思決定をどうするかという、実はあるデモクラシーの統治下にある組織の中で、やはり徹底的に意思決定が出来る強権発動者というものは必要である。だけどその場合の強権発動者は本来独裁ではなかったにしても、強権を発動出来る立場の人間というのは我々には歴史的に、その様な人物が必要かというと、とても疑問だと思います。人類三千年四千年の問題を僕に解決できる訳ないんだから、これ以上の話はできません。
会場質問2 お話大変楽しく聞かせていただきました、ありがとうございました。今回、アニメというものがすごく現実味を帯びるというお話を聞きまして、アニメとか漫画とかがアート化してきている。ガンダムとかは神格化されて捉えられてきていると思うんですけども、富野監督はアニメを作る際に視聴者がどう捉えて観るべきか、お考えをうかがいたい。
僕の時代は「アニメ」ってのは「まんが映画」という言い方をしていたんです。「まんが映画」です。それ以上の捉え方をする必要は一切ないと思います。
ある時期、アニメというものは何なのか本当に考えていました。考えてみて、基本的にアニメというのは記号化したものである。記号というものでありながら、実は実写以上に長保ちする作品が作れる、そういう性能を持っている。記号化というものはどういう事かと言うと、つまり、絵である。これはCGであろうが手描きだろうが一切関係ない。絵もしくは絵的なものでアニメーション、つまり動く媒体にする事が出来るというのは、シンプルな記号……例えば「消火栓」「消火器」と書いてある様な、赤と白のみ。赤が消火器を示すシンプルな記号です。記号というのはこういう性能で、どういう事かと言うと、アニメはそういう性能を実写以上に持っている。ので、実を言うと、あまり早い流行に乗ったものでアニメを作るのは損だという風に本当に思うようになりました。アニメというのはそういうものなんだから、「まんが映画」かもしれないんだけれども、実を言うとアニメに込めたメッセージというのは、もし正しいものであったり長保ちものであれば。きちんと表現していれば実写以上に保つものがアニメという題材だという風に思う。
そして現代アートのある部分がアニメ的漫画的に見えているのは、その部分に触り始めているんじゃないのか。僕の様にまんが映画から入った人間にしてみると、「アート」という、「芸術」という美を追求している題材が、こういう卑俗なアニメとか漫画に近づくのがもの凄く嫌なの! だから! アートはアートでもう少し偉ぶってやれよ! っていう風に言いたい。こっちはまんが映画だぞ! っていうところでやっていきたいという部分で、もの凄く敵愾心を持っているので。今話してみてつくづく思いました(会場笑)。
質問者「ありがとうございました。新作楽しみにしています」(会場拍手)
会場質問3 地方公務員をやっております。ホットスポットと呼ばれる所で、今、放射能の問題が大変多く出てまして、私も放射線測定に駆り出されたり市民からの質問に答えたり、色々やってます。今私は都市やビルで働いておりまして、今まで食わせてもらっていた市民たちのために働かねばと、監督の作品を観ててつくづく思っているのですが、更に市民の為に尽くすためには、この先どうしていったら良いのか考える事があります。機構改革をすべきなのか、それとももっと偉くなるべきなのか。それとも公務員を辞めて議会に入って市を変えていくべきなのか。監督はどういった選択肢を選ぶべきだと思われるでしょうか。「どれもあり」というのもありだと思いますが(会場笑)。
お答えになったとおりです。「どれもあり」ではなくて、どれもきちんと作動させなくてはいけない、という事でかない。だけど、どれもきちんと作動すれば良い、つまり、先程の質問にもあった通り、我々のインテリジェンスっていうのは結構高い、つまり、行政のシステムにしてもそうだし、年金のシステムにしてもそうだし、日本で構築していったものは、かなりいろんなものをいろんな方向から考えて、日本の社会というものを維持していくという事をやってきたのだから。今までの日本の機構とかシステムを根本的に改善する必要はない。変える必要はなくて、医療システムまで含めて、かなり根腐れをしないシステムというのはあると思っています。問題なのはです。それをより効率的にではなくより現場的に作動している、配慮するという事が出来ない、という事に関して言えばやはりそれは組織の問題ではなく結局人の問題なんです。
一番分かり易い例で言いますと、年金の問題で、何故こういう制度になってしまったかと言った時に、これはもう、三十年以上前の国会の討論であったんですけども、まさか、日本人がこんなに長命になるとは思ってなかったんですよね、年金制度を作るにあたって。っていう様な事が国会で発言されているんです。ですから、60歳から65歳になった様に、年金受給者の年齢が上がっていく中で、まさかこんなにまで老人が増えるとは思ってなかった社会。という事はどういう事かと言うと、まさにインテリジェンスのある部分が、時代性の問題で対応していかなきゃいけない時に、我々が既存の組織を改善していくという事が基本的に出来にくい。出来ないならどうするかと言うと、要するにみんなで対処、まさにポピュリズムなんです。ひょっとしたら衆愚政治という言い方がレトリックとしてある通りです。みんなで集まって、良い知恵が出るか? 絶対良い知恵は出ないんです。5人集まったら最後、絶対にそこに拒否権を発動する奴がいる。その拒否権というのが、悪い意味での拒否権じゃなくて、理想論が出てきたりする訳です。圧倒的な理想論というのは、実を言うとひょっとしたら原理主義に繋がっちゃう様な事が起こる訳で。原理主義者が一人いると、「この辺でおさめましょうよ」という論がおさまらなくなるのが、日本の国会議員の定数がちっとも減らないという事にまで及んでいる訳です。
ですから基本は、その時代に合わせて機構を変える。対応できる様にシステムを変えていかなくちゃいけないんだけれども、それが民主党政権下で変わる様な事も、アレも困る。じゃあ10年20年というサイクルを見て、きちんと改正出来るのかという時に、まさに我々個人個人の問題なんです。理想主義を掲げるのか、現実主義を掲げるのか、党利の利益を優先させるのか、させないのか。選挙の票田の事を考えてこういう発言をするのか、っていう部分で全部変わってくる。これを阻止する方法は、僕は為政者でありませんので、これについての回答は持っていません。持ってませんが、問題点が分かった上で俺は私はこうするんだという風に個々にしていくしかない。
そういう意味では一つだけ、今日お話したいことがある。我々が自然を改造して、自分の肉親が、自分の手足が無くなってでも、生きている限り死なないでなんとかしのいでいく。負けねぇぞ、ってやっていく耐性は持っている、耐久力は持っています。そう簡単に死なないという意志力というのはあるのかもしれない。
あ、先に言っておきます。僕はありません(会場笑)。耐久力がないからアニメの仕事を始めたんです。ライブは出来ない。こわいから。こういう風になっているのは一生懸命努力したからです。
だから、究極的には人の耐久力に頼るしかない。ですからその耐久力を見てくれる人たちに対してきちんと、働いてる様な支援をしている、という事でも良いんです。支援をしているという意味はどういう事かと言うと、例えば一ボランティアが働いた時に、そのボランティアが寝泊りをして三度の飯を供給するという支援、システムが稼動する様にしていくという、そういう臨機応変な作り方を対応するというセンスを我々は保持しなくちゃいけない。そういう意味では、自然に対峙するという行為、つまり第一次産業です。第一次産業というところを身近なものとして身につけていく事が、人を利口にしていくという事じゃないか増幅していくという事じゃないかと思います。つまり、ITが持っている、もの凄く危険な部分と一つだけ思っているのは、ゲーム感覚と、四畳半に閉じこもってしまう。個的な部分の耐性というものを減衰させる作用を持っているのではないか。ですから、今のメディアの発達の仕方は、個をより個をにしてしまって自然から切り離していく。第一次産業から切り離していく特性を持っている。21世紀型の家電製品っていうものの存在に関しては、かなり疑問を持っています。そういう疑問があるという事は、皆さん方の世代は少なくとも認識として知っておいてもらいたいと思います。これを解決する方法はないと思っています。が、ひょっとしたら、ケータイは全部取り上げる! というのが一番正しい生き方なのかもしれないとも思っているぐらいです(会場笑)。
会場質問4 先程の質問と重複してしまうかもしれないですけども、作品を見たり評論したり作ったりした時に、懐古主義や原理主義で終わらない為には、何を学んでいちて作っていけば良いのか。あるいは監督はそういう状況になった時に今までどうしてきたのかお聞きしたい。
とても遠慮深く言って下さったんですけども、その質問に答える資格があるとは思えないんですが、懐古主義や原理主義から逃避するというか回避する方法論はあると思っています。それはどういう事かと言うと「あしたを考える」という事です。あしたをどうするかという事を考えれば良い事です。ところが、この命題を突きつけた瞬間に、原理主義的にはこうだ、懐古主義的にかつてあったこういう風な考え方なら凄いだろう。すばらしいだろう、として、そのまんま同じ事ひっくり返して同じ事を考えるという考え方をする訳です。まさにそれが原理主義なんです、それはいけない。
あすを考えるとはどういう事かと言うと、あしたというのは絶対に未知なんです。それを過去のもので全部再生出来たり、処方出来ると思うことは、とても迂闊な事です。ただ、懐古主義にしてもそれから原理主義にしても、絶対に正しいと思う事もあります。原理原則であるわけだから、ものを考える原理原則。そしたら正しい要素はいっぱい含まれています。だから原理主義を全否定するのはどうかな。極度に確信的であって、極度に危険な思想だと思います。だからあくまでも、未知のあしたに向かって、私は俺はこう考えるかもしれない、こういう風に思うかもしれない、こういう尊重をするんだっていう、先ず想像を先にして下さい! 具体的に! その想像というものを先にするという事をした上で、原理主義なり懐古主義というものの考え方を学習して下さい。そうしますと、少なくとも原理主義とか懐古主義に陥らないで、次の新しいステップを踏む事が出来るという風に思っています。
この時に、ここはほんとに何度も経験しますけども、まず自分の勘で良いんで「こうかもしれない、こうしたい、やっぱり俺が県会議員に打って出る」っていう想像をして下さい。だけど「本当にそれで良いのか。俺みたいな能力でそんな事が出来るのか。俺みたいな技術論そんな風にして良いのか」という風には考えてください。考える時に「じゃあ、過去にこういう議員がいた、こういう能力の人がどういう風にやったかという事を学習した」。だから、先に想像をしなくちゃいけない。実を言うと、理工科系の研究と同じです。先ず初めに理論なり勘で「こうかもしれない」と想像して下さい。想像した上で検証していく。それでどんどん引き上げていくという事をする訳です。そうすれば、少なくともあしたに向かっての「何か」というものを、自分なりに発見する事が出来るのではないのか。
その辺が、論ありき、原理原則ありきではないという風に思います。その部分をお間違え頂きたくない。
そういう事で、一つだけ、この半年前から自分でやっている事で、お話しておきたい事がある。これ自分でもびっくりしてますが、何とかこの歳でも新しいものを作っていきたいと思って、ほんとにこの数年悪戦苦闘してきました。ジタバタジタバタやって。まだジタバタジタバタしてるんですが、少し、息が抜ける様になってきたなと思ってるのは、夏目漱石と森鴎外の小説を読み始めました。びっくりしました。中学高校の頃に読んでた印象と全然違うんです。今僕がやってるのは「自分だったらこう作るぞ!」というのを持った上で、夏目漱石の小説はかなり酷い小説だと思う、酷い部分と、いまだに名作として称えられている部分がキチッと分かる様になった。森鴎外の小説なんて酷いもんですよ。もう呆れました。歌姫(舞姫のこと?)って小説で。もし興味があったら読んでください。短い5、6ページのもんです。が、だけど歴史の中では残っている。残る意味も分かるし。こんな酷い話しか書けない森鴎外が、20年後にこれを書いた、っていうのを見せられると、ゾッとしますよ。
そのゾッとするのも、自分がこれするんだ、どういう風に? 必死で書いていたのをどういう風に捉えていたんだ? という事で、完全に予定したことよりあしたの事を必死で考えた。どうもあっちに進んでもどん詰まり、こっちに行ってもどん詰まり、こっちに行ってもどん詰まり。何なんだろう? 俺には本当に才能があったのか? その穴を夏目漱石と森鴎外が埋めてくれました。っていう風に今思ってるんで、とても息が抜けている、という感じがあります。
最後にもう一人。これは少し前から読み始めた、ある漫画で。作者は尾田栄一郎っていう(会場笑)。
質問以上。
御禿に研究会とガンダム蔵書さんからそれぞれ花束贈呈、拍手の中退場。
もし変な部分があれば、そこは御禿ではなく自分のメモ取りによる可能性の方が高いです。
C81 GUNKENshi plus vol.1
今講演の経緯と講演後の話が語られています。御禿の言葉を紹介。
(当日の進行表を渡されて)こっちもバカじゃないんで、渡された資料ぐらいは読んでいる。このままの通り説明したらぶっ飛ばすよ?
ガン研の方と同じ様に御大将を連想した。
話をするにあたってこれだけは聞いておきたい。今日話をする所のキャパシティ、つまり人はどれくらいいるのか。何人ぐらいに向けてそれをするかによって具合が変わってくるから。(300席と聞いて)300人! はぁ…! 学園祭の講演なんて、多くて100人かそこそこだと思っていた。
御禿「(昼食の屋台の焼きそばについて)油が凄いな……」
阿亜子さん「そりゃそうですよ、だって若者向きのですもの」
御禿「そうか……」
そうそう最後にひとつだけ。ガンダム研究会なんて恥ずかしい事を学校でやってる事、まさか親御さんに知らせてないよね(ニヤリ)?
(終了後の研究会記念写真の依頼について)ないんだったらもうとっとと帰ってるよ。
(研究会によるハッピーバースデイ合唱について)全く、年寄り冥利につきるというものです(満面の笑みでお辞儀)。
よく出来ている? のか脳内再生余裕でした。