山梨英和大学 紅楓祭 富野由悠季監督講演会「今、受け継ぐべきガンダムスピリッツ」メモ

御禿誕生日おめでとう。
11月3日に行って来たのでレポ。時間が無いので簡易版。だいぶ略していますので、変なところがあれば、それは私のせいです。すいません。

  • 呼ばれた事に対して、感謝していると同時に迷惑している。張本人はここにいる小菅先生で、世の中こんな面倒な先生がいるんだと、改めて教えられた。事前打ち合わせをしたが固まらなくて、今日ここに来るのが本当に憂鬱だった。「今日休みだからいなければいいのにな」と思ってたらいた。この様に物事を総論的につかまえてらして、教員として学生に対してどの様に接するかということをこうまで几帳面に考えている先生は初めてと言っていいくらい。そういう意味では貴重です。ただ一つだけ欠点があります。生真面目は自分自身の首を絞めるから気をつけろ。
  • 最高学府にすら「こいつら殺してやろうか」と思う奴がいる。
  • 「受け継がれるべきガンダムスピリット」というお題を頂いたが、当事者にその話は絶対に出来ません。出来ると言う人は無能者。無能者という言い方が角が立つならば、とてもこわいこういう言い方があります。主義者です。どうしてそういう言い方が出来るかと言うと、主義という事を考えた時に、360度全てから攻められた時に、それで済む様なものの考え方はおそらく無いでしょう。だから、絶対これが正しい考え方だと、自分が信じてしまった瞬間に、その人はその主義の地獄の底に堕ちるのではないのかなという風に思える。
  • テーマを設定しないと何を勉強して良いのかわからなくなる。テーマを決めざるを得ないことがまさに主義者として突っ込んでいくことになるだろう。だけどそれで飯が食えれば良い。僕の時代で言えば実存主義。今の時代(で飯が食えるテーマ)は知りません。
  • 40になると観察眼が鈍くなり、18・19歳のビビッドな感性がなくなるので、学習できることはたかが知れている。そういう意味では大学時代、学問をすることはとても大事なこと。それが皆さん方それぞれの主義主張を確立することになるのかもしれないし、主義主張にとらわれるよりは実学の世界に行った方がいいのかもしれない。そういうモチベーションを得るためには、中世以後人類史の中で22歳まで勉強した方が良いというのは、一人の人間の中で考えたことではなくて、人が生活していく上で身につけた知恵なんだという風に思っています。ところが現在、全員がひょっとしたら大学生かもしれない、という時に大学生のクオリティはどうかと言った時には、そりゃあクズがいるかもしれないよね。クズの一員である私が、クズでない様にするにはどうしたら良いか、簡単な事です。今言った様な事を自覚して、勉強しましよう。……っていう様なことをガンダムで言ってました、っていうのは殆どウソかもしれませんけど(会場笑)。
  • カタカナの「コンテンツ」って言葉、大っ嫌いなんですけどね。
  • この30年、外で話す時に絶えず繰り返していて、二番煎じ三番煎じになるけども、ロボットものを作ろうとは毛程も思っていなかった。映画を作っていた。
  • 映画というものは素敵な媒体だと思っている。動く絵が次々と出てくるところで語られる物語は、年齢に関係なく理解できる。漢字が書けなくても、横文字が読めなくても。動く絵という、皆が一番分かりやすいものをツールにしてです、今風な言い方にすると、表現する事が出来る、ものを描くことが出来る。物語ることが出来るのが映画という媒体です。映画というものを大人たちが営業をかけた時に、要するにジャンルわけをする。ターゲットは何歳だという風に営業をする。あいつらの事が、本当に嫌いです。いつまでも敵だと思ってます。
  • (TV版の総集編的映画は絵の質・解像度的に)本来映画館で上映しちゃいけない代物なんです。が、映画になってみたら16ミリでも見せられたよね、それを分かれ! 今日現在までその事を分かっている大人は殆どいません! 大人たちが分かっていない良い例があります。デジタルになってこれだけ画像の精度が上がって、細微に毛穴まで作画できる様になっているのに、映画がつまんなくなってるのは何なんだろう? 作品を作るという事は映画を作るということ、映画を作るということは、物語る、物語を作ること。大画面で観る様なサイズでも、物語がなかったらどんなに高精度の映像を作ってもダメなのよね。今や電子ゲームの映像の方が下手な映画より余程画像が良いのよね。「いやー、あのカット、カッコいいですよ」(業界人のマネしつつ)って、死ね!
  • 物語を作るってのはどういうことなのかな、ドラマというのはどういうものなのかを本当は考えなくちゃいけない。考えて欲しい。じゃあここで富野さんがドラマの説明をするかと言うと、しません! 死んでもできません。ドラマの事を概略的に説明できる奴がいたとしたら、そんな教授はダメです。そういう教授は、自分の好きなドラマの話をしています。一つの物語でしょ。物語ってそんなチャチなものじゃないからね。360度、3000年か10000年か生き残るれるのが物語です。物語ってそういうテーマ性を持っています。お前程度のレベルとかお前程度の趣味で分かる様な物語を作ってて、何故気がすむの。それは物語じゃないでしょ。僕が作りたい物語はそういう物語なの。10000年保って、何百億の人間が「いやぁ、トミノさんの作ったお話は凄い凄い、本当に死んでも思い出しちゃうのよね」というものを作りたい。そういう物語がどういう物語か、説明できますか? だから、説明できない。お分かり? じゃあ、「私が作る物語というのはこういうものなんだ」って皆さん方に開発して欲しい。それは、「世は刻々と変わるものだから、それぞれの時代に合ったもので良いんですよね」って言った瞬間に、それもバカだ、って言います。良い物語だったら10000年でも残るんだよ! 書店さんが選ぶ賞(注:おそらく「本屋大賞」のこと)で一等賞とったって、物語が作れる・戯作者になったと思ったら大間違いで。一度賞をとったら堕落する作家なんていっぱいいるんだから。そういうのは物語を作るということではないんだよ。良い話ってのはずっと残るでしょ? あなたが理解できれば良い、ってのは、それは物語ではなくて好き者の集まりの同人誌みたいなもんなんだから。そういうのを以って物語を作ったとか、小説家になるとかライターになるとか思うな。若ければ若いほどなんです、皆さん方の年齢であるほど、です。じゃあ「私が作る物語」というのは、今言った様なものを目指して欲しい。そうすると、僕が5年後に死ぬ時に、「あいつが作ったものは凄いよね」ってものを見せてもらえるかもしれない。現在そういったもので、見せてもらえるものは去年の夏くらいまで一つありました。だけども去年の夏くらいから読むの止めました。「ONE PIECE」って漫画です(会場笑)。最近で言うと、「進撃の巨人」も4巻くらいまでは読んだんですが、後はもうイヤ! だけど、こういう様な物語論を持っていたり、物語世界を持っている気持ちは分かる。気持ちは分かるが、これが50年100年保つ物語かというとそうではない。どうしてかと言うと……「進撃の巨人」のファンがいたら、その人から石つぶてが飛ぶのを覚悟で言います。現在という時代の反吐だからです。だから「進撃の巨人」は買えない。という言い方をしておきます。……ごめんね、喋り終わって気づいたことがあります。知らない人いっぱいいるんだ、っていう(笑)。……だったら3巻くらい読め(会場笑)! それが学習をするという事でしょ。たかが漫画なんですけど、「進撃の巨人」、本当に見るのもイヤな漫画だったんだけども、本当に周囲から薦められてというのは、20代30代のスタッフから薦められて「見ておかなきゃダメですよ、富野さんは」、だから4巻までは読みました。本当に嫌いだし、絶対に言いたくはないですけども、4巻くらいまで見て、劇を作る、劇構成をする手法みたいなものを本能的に知っているというのはあります。だからそこは僕は買います。徹底的に買います。ただ、あんなヘタな絵で漫画描いていいのかってのは、あんなヘタな絵で描くなって、それだけの話です。「ヘタな絵」ってのは本人が言ってんだからね。……また作者の名前忘れた。
  • (MSが人型の理由の一つとして、宇宙空間の精神安定剤であるという話の後に)だから、地球で使えているのはおよそナンセンスなんです。だから大嫌いなんだけど、ガンダムエースの漫画なんて地上でバンバンバンバンやってるけども、あいつらバカか(会場笑)! あれが漫画以下なんです。
  • 僕が一番好きな旅客機というのは、ロッキードの型式番号忘れてしまいました、ロッキードの四発プロペラエンジンの旅客機。その事が物語を含有しているかというと、含んでません。視覚的な快感だけです。物語がどういうことかというと、一つだけ説明できます。ある概念を含有している。「オレがこういうテーマが好きだからよぉ」というだけで、物語を作ることが出来るかというと、例え「アンパンマン」でも……いきなり「アンパンマン」。「アンパンマン」の世界は成立しません。あのやなせさん、先日亡くなるまで実を言うと本当に存じ上げてなかったのは、「アンパンマン」の映画、大っ嫌いだからです。大嫌いなんだけども、子供たちに、チビちゃんたちにあれだけ好かれているのは何だったのかということが分かってきたり。それからやなせさんのキャリアが分かってきた時に、あの「アンパンマン」というのが、やはり一「作家」という言い方をします、漫画家なんだけど一作家です、物語を作ってた作家。やはりあの戦争体験があったりして、飢えに対する恐怖感というのが「アンパンマン」に全部現れている。作品というのは、物語ることが出来る作家というのは、自分の人生観とか体験論というのが絶えず張り付いているのかもしれないし、そういうのがなければ物語を作ることは出来ないのではないのかな、ということも理解していただきたい。僕にはやなせさんの様な戦争体験はないし、貧乏ではあったけど徹底的な貧乏ではなかった。盗みをしたのは一回だけです。小学校の一年生だか二年生の時に、飴玉一つだけ駄菓子屋からかっぱらってきたので袋叩きに遭ったことがありますけども(会場笑)。盗みをしたのはそれだけ。それでは物語は作れないよね。大学四年で骨身に沁みて分かりました。
  • 学習で身につけたものなんて、実を言うとたかが知れています。物語はある概念を含むくらい厳しいものだと考えたときに、我々がそれを持っているかというと、その程度の学力で出来る訳がねぇよね、出来るわけがないと思ってください。そういう風に思わないと、欲が出ないからです。「だけど何とかしたいんだよね、オレは私は」って思えば、学習することが出来るだろう、目標を設定する事が出来るだろうからです。現状の自分を身に染みて感じろってことです。切羽詰って何とかしなくちゃいけない。だからガンダムの様な仕事をする様になったっていうのは、作家的な能力のない人間が、アニメの世界で暮らしていく為にはどうすれば良いかという事を考えて、迂闊に結婚して子供を作って頃です。で、職場でとんでもないことが起こる訳です。あちこちの仕事をやってる時に、宮崎と高畑っていうとんでもない奴らがいたんです。こういう風な、言ってしまえば学力のある人が、TVアニメの職業をやってるというのは一体なんなんだろうか。宮崎というのは、今やオスカー監督の宮崎さんや、高畑さんが……この時期に高畑さんの話をすると、「かぐや姫」の宣伝になってしまいますが(会場笑)、「かぐや姫」の宣伝ではありません! 私は(NHKの特番だけで)まだ見てません。絶対観ない! あの方ね、仏文科卒業ですからね、フランス語喋るんですよ。悔しいことにピアノも弾ける(会場笑)。それほど学力がありながらテレビまんがやってる。「アルプスの少女ハイジ」やってる時に手伝わせてもらって、謎だと思ったもん。こんなとこでこんな仕事やって、バカじゃないの。僕にとっては絶対的にわかんないような世界の人がこうやって下々の人と仕事やってて。僕にとっての高畑監督のイメージは「赤毛のアン」のOP。腰抜かしたもんね。これやるか、って。アニメって本当に素敵だと思ったもん。OPが好きなのは、造形的にとかああいうキャラクターを使ってとか馬車が空を飛ぶイメージみたいなものをオープニングというタイトルの中でやっていて、毎週毎週見せるような、つまりショーにしてる訳です。そして子供達に楽しさみたいなものを喚起させる、っていうのを作る時に、好きだけでは作れないよね。そこにああいうのが作れるのがバックにある訳です。ピアノが弾ける、クソーっていうのがね。そういう学力を持った方だけなのが思い知らされた。思い知らされて格差があまりにもありすぎたから。高畑さんと宮崎さんと巨大ロボットもののトミノじゃ、クズ以下なんです。クズ以下がその二人を屈服させるために考えたのが、さっき言ったようなMSのことなんだよね。もっともらしい言い方をしますよ。「受け継がれるべきガンダムスピリット」がどういうことなのか、お分かりいただきたいことがある。一つのものだけを見て、そして何とかかんとか形にしようと思っているかぎり、そいつは地獄に堕ちる。この場合の「地獄」とは皆さんが良く知ってる単語があります。オタクの世界に陥るだけなんです。オタクの世界ってのはここなんです(自分を指差す)。ところが作品を作るというのは、ここなんです(客を指差す)。私はこういう風に作りました、こういうのはどうでしょうか、楽しいでしょ、面白いでしょ、ひょっとしたらタメになるでしょ、ひょっとしたら死ぬまで覚えてられますよねこの作品は。ってことです。概念を含有したものを発信する我を作るにはどうしたら良いか。物凄く端的に言います。高畑・宮崎・トミノ、三角点の真ん中にある。……言ってしまった。以上です。
  • ここまでは実を言うと予定通りです。これ以上言ってしまうと富野節になってしまうから、以後質問を受け付けます。
  • 小菅先生からの「戦争と平和」で言及していた「大人になったら劣化していく」についての指摘に対する言及。リアリズムの問題。資源有限の話。ひょっとしたら、NTというのは、「劣化しない我」を分かる人間かもしれない。

質疑応答1:NTのあるがままの認識は、今学会でも注目されている、受信が主なコミュニケーション論として作っていたのか。あと、どっかの監督みたいに引退するとか言わないで下さい。あと2、30年はバイストン・ウェルに行くのは待って下さい。

実を言うと正確に質問の意図はわかっていません。コミュニケーション論を僕の中で意識して取り上げているつもりはありません。自分本位な人間ですので。皆殺しもある意味本性です。
半年くらい前に歩けなくなって。坐骨神経痛で。それについては、宮崎さんほんとバカだなぁと。あの裏を知ってますので、それについては回答しません。労働というのは自分の能力を拡げるという意味で、とても大事だと思っています。アニメ制作は反吐が出るくらいつらい。だからほんとはやりたくない。だけどやりたくないと思うからこそ労働な訳で。
体が利く限り、労働します。だけどそれが次のアニメを作ることなのか、それは分かりません。老後に楽をするというレトリックは、あれはやはり考えの足らない人が、生活実感の沸かない人の言葉だと思ってます。人間死ぬまで働かなければまさに劣化していく訳で。そんな恐ろしいことできません。だからなんか良い仕事あったら教えてください(会場笑)。

質疑応答2:「海のトリトン」の最終回のどんでん返しは最初から想定していたのか?

考えてる訳ないじゃないですか、初めから。最後の土壇場で何とか終わらせようとして必死になって考えたんですが、どんでん返し論として持ってきたんじゃないんです。正確に考えた時に、「これしかない」と「正しく」考えた。毎週毎週追いかけられるトリトン族、ということは、こいつはヒーローじゃないんだよね、罪を犯しているからなんだよね。罪を見せるしかないだろう、という時に、罪は一体なんだったのか。皆殺し論しかなかった。
もう一つ。子供に対して酷いんじゃないんですか、という意見が当時からあった。子供ナメるんじゃないよ!
(質問者に)おいくつですか? (20歳です) なんで知ってるの(会場笑)!? 

質疑応答3:ガンダムよりイデオンが好きなんですが、「受け継がれるべきイデオンスピリット」はありますか? EDの「いきつづけたら きみはかなしい」ああいうのは富野さんにしか書けない歌詞だと思う。制作した作品に自身の死生観は反映されているのか?

そういう風に理解している部分があったらありがたい事ですが、自分自身の死生観はイデオンには重ねてはいません。皆殺しになったのは、人間関係を描けるだけのものを自分の中にもてないから。巨大ロボットが出るテーマを考えた時に、イデオンの場合は皆殺ししかなかった。作劇上の手法でしかなかった。作家としてやってはいけない禁じ手なんです。ご紹介いただいた歌詞もまさにレトリックでしかないので、褒めていただくのはホントにありがたいんだけども、禁じ手を使ってるという意味ではどうしようもない作品なんだな。と思ってます。
ただこの数年、自分の中で違う展開も自分の中で生まれていますし、イデオンはあれでいいんじゃないかなと思っている部分もなきにしもあらず。フィクションから出る皆殺し論も良いのではないかな。全然違う話で簡単に言います。聖書で黙示録という篇があります。聖書が書かれている時代でさえ現在の人に対して絶望感を持っている。だから黙示録みたいなものも書かれた。このままでいると人類・地球というのは本当にダメになっちゃうよ、っていう覚悟を持つと現世では少しはマシにものを考える我々ではないのかな。だからイデオンイデオンで良いのではないのかなと最近思えるようになった。

  • 最後に、「Happy Birthday to You」斉唱。実行委員会からワインのプレゼント。

おまけ:早稲田祭2013 福井晴敏&皆河有伽トークショー

同日開催のガンダム系イベント。Wのは割愛。