僕はまだ中学2年生のままなんです
――昨年2011年、監督は70歳を迎えられましたが、心境に変化はありましたか?
富野 それについては、少々落ち込んでいます。年齢による変化というよりは、自身が持ち合わせている、その歳なりの風格について考えるとね。僕自身は未だに中学2年生のままなんですよ。しかし、70歳らしい貫禄や風格が欲しいと思いながらも、中学生でいることのほうが、実はすごく大事なことだと実感しています。思い出して欲しいのですが、10代初めの頃というのは、あらゆる物事についての知識を持っているわけでもないのに、あーだよね、こーだよねって自己解釈できてしまう。実はその感度、勘がその後、社会人になったときに活きてくる。仕事を始める年齢になると、それ以降に得た知識と常識で会話をしていかないと非常識と言われる。だけど、仕事自体のベースになるのは中学生までに培ってきた勘です。それが人生の方向性を決める。だから、僕は70歳になった現在でもその感覚を大切にしていこうと決めました。近代から現代までのインテリジェンスが崩壊
――そんな監督から見て、2011年とはどんな年だったと言えるでしょうか?
富野 2011年は東日本大震災が起こった事で、僕ら日本人にとってひとつ明らかになった事があります。3月11日以前は、国内では管内閣が本来の政治論ではないところで解散寸前の状態に追い込まれていて、海外では、01年の9.11から続く、政治的なアクションが全部裏目に出た結果による中東問題の泥沼化、また当時露呈はしていませんでしたがEU・ギリシャの経済破綻へ至る世界経済のブレが始まっていた時期でした。そこに震災が発生し、福島の原発問題が連鎖した。この衝撃は近代以降、現代までのインテリジェンスが完全に破綻した事の証明とも言えるんですね。
――監督が仰るインテリジェンスとは、具体的にはどんなものが当てはまりますか?
富野 一般的な知識や科学技術的な知識、イデオロギーから構築された政治論や経済論、そして情報までを含みます。特に、原発問題については、安全神話が崩壊し、“抜け落ちている技術があった”事が明確化されました。これまで安全神話として語られてきた事が、全て嘘だった訳ですから。それをインターナショナルな視点で視た時に、今回の事故が欧米でなく極東の日本で起こって、助かったと思っている海外の技術者がどれだけいることか。何か足らないという感覚を大人にも身に付けて欲しい
――震災時にインターネット上の情報交換が、救済活動をサポートしたと言われる点については、どのように捉えられていますか?
富野 確かに、ツイッターやフェイスブックといったSNSがかなり有効だったと聞いています。正直、これまでは通信が本来持つリアリズムとしての機能が、ネット社会と言われつつも有効利用されていなかったと思います。それが正常に作用し始める大きなきっかけになったのではないでしょうか。つまり、ハードウェアとしてのネットワーク業が出てくるのは、これからだと思います。震災以前とは絶対的に違ったモノがね。しかし、ネット全体を見ると、まだまだ多くの人がその本当のクセを知らずに使い過ぎていると感じます。これだけ、ウィルスやハッカーの問題が騒がれているのに、お金や個人情報をはじめ、あらゆる情報がネット上で当然のようにやり取りされています。皆何故、そのセキュリティーが突破されないと信用しているのか、僕は不思議でしょうがありません。本来、情報の交換というものは、危ういモノなんです。また“情報”という話で言うと、今回の政府や関係者の対応、メディアによる報道では、今国家として最優先すべき事、カメラや活字がクローズアップしなければならない事が、何一つ国民に伝わらなかった。何よりその不自然さに気が付かない大人が多すぎる。子供たちの方が、この国の事をヤバい、本当なら逃げ出したいと本当に思っているでしょう。大人はそれをもっと想像して欲しい。最初にも言いましたが、中学生たちの感覚って、大人たちの都合と関係ないところにあるから圧倒的に“リアル”なんです。その感覚が鈍くなっている大人こそ、何かが足らないという感覚を、今こそ取り戻さないといけないのです。
――その感覚を磨くために、まずどんな意識を高めていくべきだとお考えでしょうか?
富野 良い例として、震災後すぐに救援活動を行ったNPOがあります。その団体の方にお話を聞いたんですが(ダムA12年2月号)、3月12日にヘリで気仙沼に飛び、その翌日にはトラック部隊を指揮して、救援物資を静岡から現地へ届けたんです。それは災害支援組織として経験の積み重ねに加え、普段からの危機対策と報道されない現実の認識と、同じ認識を持つ協力者があったからできた事です。状況に対してあらゆる可能性を見出せる想像力と、柔軟に迅速に対応する行動力こそ、本来の意味でのインテリジェンスを持つという事だと思います。そして、一人一人ができる事は、情けないくらいに小さい事しかできない、という認識を持つ事も重要です。僕のようなオールドタイプの年寄りは、そんな人たちに委譲し、バックアップしていく事が重要な仕事になってくると考えます。このままの日本が100年続くとは思えない
――インテリジェンスが本来の意味を取り戻す事で、どのような未来が想像できますか?
富野 “もう地球というものが、無限のものではなく、有限である”って分かったでしょ。だから、未来の事を考えると、日本国家のシステムをもっと先の1000年、2000年生き延びるモノにしていく事を、考える事だと思います。旧来の手法ではダメ。政治家や官僚、経済人による利権主義と彼らのインテリジェンスまで含めて、全て再改築しなくちゃいけません。エネルギーというものが、太陽光以外に永遠に頼れるものがない現状で、利権を奪い合って目の前にある地球の限界値に触って良いのか? そうしたら孫の代までしか生きられないですよ。一代だけの利権論で、実社会・自然界・地球に対して新しい事業・企業は起こすな。右肩上がり論は、もう限界値にきてるから止めましょう。そろそろ、新しい産業構造、工業構造を生み出さなくちゃいけないところまで来ていると考えます。だって、このままだと日本が100年続くとは思えないから。ただし、僕の中でも正しい回答はまだ出ていません。それでも、考えられる事が幾つかあります。その一つが、太陽光エネルギーメインでの生活スタイルを構築する事、もう一つが人口を明治維新頃の4000万人くらいまで落とす事です。これから50年くらいの目標になると思います。そこに多くの人が気付き、動き出す。それがインテリジェンスを取り戻す礎になると思います。人間が70歳で死ぬのは動物的に当然
――それは現実的に可能だと思われますか?
富野 信じられない話でしょうが、僕はできると思っています。これは経済成長論じゃないんです。10年くらい前までは、人口の減少が国力低下を生むと言われていましたが、今ではそんな声は聞こえてきません。拡大じゃなく共存する事を念頭に置き、国内の産業分布と人口分布を整備していけば良い。日本人なら、50年で7000万人は難しいかもしれませんが、2〜3000万人くらいは減少できると思う。100年単位ならなおさら可能性は上がります。その人口が実現すれば、日本国内だけで自活できるだけの国土も復活し、この先3000年でも生き延びられますよ。そして、極東の日本ができるなら、世界中でできるでしょ、って流れが生まれる。これからすぐできる事としては、さっきの話に戻るんですが、高齢者は下の世代をバックアップしつつも働いてもらう。これは社会を再構築するための仕事です。畑を耕したり、道路に砂利をひいたりで良いんです。飽きない程度に身体を動かすと楽しくありません? つまらないテレビを観るより、健康に働いて死んでいく方が気持ち良いんですよ。こういうロジックを生み出していく。それで、葬式は皆で楽しくやろうぜ、次は俺の番だよな、という道徳観がこれから10年くらいで定着すると思う。あと医療による延命も問題で、70歳で僕みたいなのは、やっぱりオカシイんだよ。個体差はあるだろうけど、動物的に人間は70歳で死ぬのが当然。ただ、僕はスペシャルだから(笑)。そうは言いますけど、肉体的には生きているのが正直楽しくなってきました。
――そういう感覚が生まれてきたきっかけのようなものはありましたか?
富野 上の歯5本をブリッジの入れ歯にした時に、やっぱりきましたね。これに腰痛だったり、骨折してギブス三ヶ月なんてやり始めると、日常を送るのが面倒になりますよ。ただ、それくらい今の医療技術が凄いんです。伝染病を無くしたからね。数十年前までは、伝染病のせいで世の中には理不尽な死が多かった。明治時代でも、成人を迎えられる子供は一握りだったと言います。七五三というお祝い事では、その歳まで生きて良かったと本気で祝っていた。だからこそ親も明日死ぬかもしれない子供を本気で育てていたんです。本来人間は、そこまで弱い生物なんです。だけど、我々現代人は、そういう危機感を持たずに生きてきました。それだけに、危機管理をできる感覚なんで持っている訳が無いんです。だからこそ、震災を経験した我々は、当たり前だと思っているシステムを見直す事が一番大事なんです。これからのインテリジェンスというものは、これまでの延長線上には絶対にないと思います。だから、その再構築が必要になるんです。社会に出て、そろそろ決定権を持ち始めている世代にこそ、こういう目線を自分の中に獲得し、次の世代に渡して欲しいのです。それくらい、2011年が色々真実に気付ける年であったのに対して、2012年はその歪みを見直し、法則から再構築していく事を始める年にすべきなのです。こういう話って震災前までは、このままで何か起こったら大変な事になるに違いない、という理念論の喋り方になっていたんです。しかし、今は事実と付け合せられるので、凄く喋り易くなった。最初に言った中学生みたいなもんだから、という感覚にスパッと戻れた感じでね。エンタメの敷居はとても低い。低いなんてレベルじゃない
――では、富野監督自身は、表現者として2012年をどのような活動を行われていきますか?
富野 人に何かを伝える時には、まさにそういう喋り方をしないといけないのですが、実はこれはエンターテインメントの手法と同じなんです。インテリジェンスを見せて喋ると、聞こうと思う人しか聞かない。だから、広く伝える場合には、絶対に知識をひけらかしてはいけません。特に近代から現代までの捻くれたインテリジェンスの敗北が証明された去年、その穂の事を喋る時には、なるべく優しい言葉の方が良いと思います。だからこそ何かを伝える手段として、エンタメは最も適したものであると思うようになりました。その理由は、エンターテインメントの起源を考えると分かります。人が農耕を始めた瞬間から始まって、人はエンタメが無かったら農耕を続けられない動物なんです。農耕は四季や気象と折り合いをつけ、相談しながら行うものなので、自分のペースでできる事は何一つありません。そして、365日働き続けられる訳もありません。だから、どうしても生活サイクルに緩急ができる。それを維持するために四季毎に祭りをやるようになった。人はお祭りが好きというより、四季のリズム感を生活の中に獲得するために、目標になる催し事を作った訳です。そのお祭り的な行為が芸能、つまりエンタメの発展に繋がりました。その事からも、エンタメというものの敷居はとても低いんです。低いってレベルじゃないくらいにね。それが今では、エンタメをお楽しみや娯楽とだけ言うようになったから、皆誤解をするようになりました。日常とは違うものだと捉えてしまうようになったんです。それが大きな間違いなんですよ。人間の営みの一部となっているのが、本来のエンターテインメントという存在ですから。僕自身は、以前から構想している作品を、今年も引き続き可能性を模索しながら練り上げていくという流れでしょう。
――昨年発表された監督の新プロジェクト『Gレコ』は、どのような進展を見せそうですか?
富野 いや、まだ正式に何も決まっていないので、具体的な話はできません。しかし、プロジェクト論としては、3年以上前から今回色々と喋ったようなロジックで内容を考えています。何年も前から構築してきたものが、やはりこれまでの延長線上での方法論、解決策では全く見えないという事が分かりました。それを止めて新たに作る作品が、今進めているプロジェクトなんです。そういう作品にしたいけれども、それを作り果たせるかどうかは分かりません。また、凄く優しく見える作品にはするつもりなので、そこに込められたロジックが見えにくいのは確かです。ヒットさせながら、こちらの想いも分かってもらえるような作品を僕はこれまで、作った事が無い。だから、現時点で完成するとは口が曲がっても言えません。今までの延長線上でビジネス論を組み立てる人には、きっと理解してもらえないでしょうし……。「なんだ、結局ガンダムじゃん」って言われるようなものしか作れない
――では、最後に新作のメインテーマとメインターゲットを教えて下さい。
富野 子供です。そして、100年保つ作品にする。完成すればの話だけどね(笑)。ただ、出来上がったとしても分からない人には、「なんだ、結局ガンダムじゃん」って言われるようなものしか作れない。だあkら、期待してくれとは言いませんし、大人世代に見せようとも思っていません。ただ、本当の意味で子供には見せたい。だって、人の記憶で一番残っているものって、12歳までに観たものだと思いませんか? つまり、その歳を超えてしまった大人に向けた作品を作っても、本当の意味では絶対響かないんですよ。だから、一番の敵は『ガンダムAGE』、何よりガンダム世代だと思っています(笑)。
Gレコに対する新情報はまたしても…orz
これまでの煮え切らない発言が変っていないので、まるで進んでいないと思われる。
中学生の年齢の件は去年のキャラホビなどと同様。
今回「インテリジェンス」について解説したが初めてじゃないだろうか。
回答の一つとしての人口減は一昨年の月刊スピリッツから変化なしだが、太陽光発電も並列させた論は初。「極東の日本ができるなら、世界中でできるでしょ」はそこまで楽天的には思えなかった。逆に「日本だからできた」と思われるんじゃなかろうか。
エンタメ論は明言されていないがあくまで日本の話でしょうね。10年前の福井対談参照。
去年のキャラホビでは公衆の面前だったために言えなかったAGE敵視。