AERA 10年8月9日号 小林麻耶の「クワクワ対談」16 ゲスト富野由悠季

麻耶 プロデューサーの方に、「日本のいちばん長い夏」で富野さんに今村均役をお願いした理由を伺ったら、「仕事、人生に対する哲学、世界観、歴史観などが今村さんに通じるものがあるから」とおっしゃっていました。
富野 それは僕は知らなかったし、聞く気もなかった。依頼書を見ただけで、その主旨はわかりましたよ。自分も企画をする側だし、この年で名指しされたら、そりゃあもう、万難を排して、お金出してでもやりますよ。なのにギャラくれたんで、すごく喜んでます。
麻耶 今村さんのことはご存知だったんですか。
富野 わからなかったので、ネットで調べて写真を見て、「坊主頭ね。いまどき僕しかいないから」と思いました。
麻耶 (笑)。今村均さんは終戦時には陸軍大将だった方で、この映画では富野さんのほかにも、ジャーナリストの田原総一朗さん、鳥越俊太郎さん、作家の林望さん、島田雅彦さんなどの方々が、当時の政治家や元軍人に扮して、1963年に文藝春秋の編集者だった半藤一利さんを司会として行われた、太平洋戦争を語る座談会を再現しています。富野さんは、終戦時は3歳でしたね。
富野 僕の世代にとって太平洋戦争はかなり身近にあったし、小中学校のころは少年雑誌に出てるような戦記物を読んでいましたから、戦争についてまったく知らないわけじゃない。でもそれをもって「知っている」ことではないから、今回、どんな才媛が取材にいらっしゃって難しいことを聞かれるかわからないので、慌てて調べてきました。
麻耶 すみません、私なんかで。
富野 テレビで拝見する以上にきれいな方なので、とても嬉しいんですよ。この映画の話を受けて以来、僕のなかではかなり面倒くさいことが起きていて、本当に大変です。
麻耶 どんな面倒くさいことですか。
富野 映画の台本には副題としてこうあるんです。「父の言葉を聞きたい」。座談会を再構成しようと思った映画の語り手は、戦争のことをあまりにも知らないので知りたいと思ったって言うんだけど、僕は「え?」と思った。
麻耶 どうしてですか。
富野 僕にとっては聞きたくない話なんです。だって負け戦の話だから。でも僕だってこの座談会のことさえ知らないんだから、ひょっとするとこのように表現する必要があるかもしれないと思いました。この20〜30年、本当に太平洋戦争のことなんか、みんな忘れて、思い出にもなってないわけだから。
麻耶 私もこの映画を観るまで座談会のことを知りませんでした。
富野 太平洋戦争なんで大昔のことだから関係ない、と思ってるかもしれないけど、実は違うんですよ。太平洋戦争がなぜ起こったのかとその戦歴を調べていくと、民主党政権になって日本がなぜこんなことになったのかがわかるし、10年後の日本が国家として敗北していくのがはっきり見えるようになります。今、ものすごくわかりやすく説明したつもりなんだけど、全然わかってないでしょう?
麻耶 全然わからないです。すみません、もう少し説明していただけますか。
富野 日本は日露戦争でロシアのバルチック艦隊に勝って、「勝った勝った」と沸いて「日本はすごい」と思い込んでしまった。そしてそれ以降、軍備拡張に力を入れ、陸軍は幼年学校、士官学校、大学校という一貫した教育システムで軍人を養成した。だけどこれは「戦争の仕方」だけを教える専門学校をつくったわけで、いざ戦争になったら、ものすごいことが起こったのです。
麻耶 ものすごいこと?
富野 まず、学校での先輩後輩の関係は、実社会でもずっと続きます。陸軍幼年学校には13、14歳で入っちゃって、幼年学校からの人たちは陸軍では今でいうキャリアで、中学を出て士官学校からの人たちはノンキャリア。でも優れた人はノンキャリに多かった。僕がやらせてもらった今村さんはかなりすごい人なんだけど、ノンキャリだから前線に飛ばされて、中央には来られなかった。東京にいるキャリアがそういう人事をしているからね。
麻耶 今村さんは激戦地だったラバウル終戦を迎えました。映画の中でも、「私なぞラバウルにぽてけぼりを食らって、中央のことは何も知らなかったのですが、とかく中央は、現地を考えず無理な命令を出しますからね」と言っていましたね。
富野 それから、日本が決定的に負けた戦いがあるんです。それはミッドウェー海戦というアメリカと日本の航空母艦による航空戦なんだけど、日本の中央が航空艦隊長官に任命したのは、航空戦の経験のない人物だった。人事の話をしたけど、これは組織の問題を言っています。一度できあがった組織は簡単に破壊できない。それはつくる以上に難しいことなんです。たとえば会社をつぶすのは、社会に対して悪になるでしょう?
麻耶 失業者がたくさん出ますから。
富野 だから一度つくった組織は永遠にもたせなくちゃいけない。永遠に良き方向にもたせるためにはどうするのかというのが、マネジメントのいちばんの肝なんです。今の日本も同じ。選挙しか考えてない政治家が中央にいる。それでたとえば国会議員の定数削減なんて言ってるけど、できるわけない。枠が少なくなれば、自分が当選できなくなるかもしれないんだから。それなのに定数削減に賛成だと手を挙げる?
麻耶 挙げないでしょうね。
富野 戦争の仕方しか知らない人が戦争をやっても勝てなかったんだから、選挙しか考えてない政治家が日本をよくしていけるわけがない。今の民主党のようなやり方だと、10年も嘘で、5、6年でめちゃめちゃになると思う。
麻耶 日本が?
富野 だから政治家といわれる人は、志を高くもってもらわなくちゃいけないんだけども。このあいだの参院選にもふさわしからぬ人が出ていたし、政治というものがすごく大衆化してしまった。でも政治が大衆化してなぜ悪い、という人も当然いるわけです。
麻耶 政治が身近になっていいのではないか、と。
富野 それは愚民どもの浅はかな考え方で、政治というのは、ある高みから行われるものなんです。そういうまなざしをもっているのが本来、政治家であるべきはずなのにね。
麻耶 日本にもそういう政治家の方々がいた時代があったんでしょうか。
富野 明治維新から日露戦争に勝つまでの約40年ぐらいの、インテリと言われている人たちのまなざしというのは、かなり正しかったんじゃないのかな。
でも今の日本の政治の状態は、大正末期から昭和初期にかけて2大政党が政争を繰り返すなかで、小政党が乱立したのとすごく似てるんです。こうして過去の事実を調べていくうちに、今のいろんな問題点が見えてくる。
麻耶 はい、今の問題に繋がりました。
富野 そして僕は当然、こういうことを考えていくうちに、どういう作品がつくれるかっていうことに行き着くわけです。僕はアニメをつくってきて自覚してるんだけど、僕が考える対象は小学校の上級生から中学までなんです。この子たちにわかる言葉で伝えておくと、この子たちがそれから10年20年勉強してくれて、次の解答を導き出してくれるだろうと思うから。僕はもうこの何ヶ月か、そのことばかり考えて「『日本のいちばん長い夏』を観てください」なんて言ってるひまがないのね。
麻耶 (笑)
富野 問題があまりにも社会の構造の根の部分にある。今の日本は、志が低くても首相になるような構造になっているわけだから。これを何とかしたいとなったら、どうしたらいい?
麻耶 富野さんが首相になるのはどうでしょうか。
富野 ダメです。どう考えても20年近くかかるんで。
麻耶 20年。まだいけますね。
富野 うるせえよ(笑)。
麻耶 富野さんはひとつのことからいろんなことを考えるんですね。
富野 僕はね、お勉強ができなかったのよ。1+1を覚えるのに小学校3年生までかかった子だから。
麻耶 そうなんですか。
富野 1と1を一緒にしたら2になるなんていうことは、わかってるの。だけどなぜ「1+1=2」という表現にしたのかがわからなかった。これを説明してくれる人がいなかったから。そしたら今度は九九を覚えなさい、と言われて、ものすごく腹が立った。どうして九九を覚えなくちゃいけないのか、説明してくれなかったから。
麻耶 たしかにそうですね。ただ必死に覚えました。
富野 で、自分でその意味に気がついたのは、小学校5年か6年のときなんだけど、そんなことを考えていた子だから、それまでの基礎学力が全部抜け落ちるわけです。
麻耶 なぜかと考えているうちに。
富野 自分がそうだったし、年を取ったから言えることなんだけど、大事なのは小中学校までの基礎学力です。それがあれば、広く開かれた人格を手に入れることができる気がするんです。
麻耶 今は、勉強の意欲はまだ高まってきてるんですか。
富野 意欲なんか高まりません。僕、勉強やっぱり嫌だもん。でもヤバイな、なぜこうなんだってときに、もう少しものをまともに考える訓練というのはしているつもりです。だけどまだ不勉強だから、子どもたちにわかるような言葉を見つけたいのに見つからない。だから今、アニメというのを利用してもいいなと思い始めています。
麻耶 アニメなら伝えられますか。
富野 僕はアニメって嫌いだったんですよ。やっぱり実写のほうが好きなわけ。動きが滑らかだから。なのに、なんでアニメでいいのかといえば、アニメは絵である限り記号だからなんです。
麻耶 記号……?
富野 たとえば、本物の裸のお姉さんを見せられたら「へえ」って思うけど、何も考えないでしょ。だけど、絵で見せられると、「なんでこうなの?」っていうふうに考えるっていうことがヒントになります。つまり裸のお姉さんも絵ですから、記号。それを表現媒体で使うのですから、概念を伝えるのにはものすごい有効な機能、性能をもっているのじゃないのかって、本気で思うようになってきました。
麻耶 そう考えるようになったのは、何がきっかけだったんですか。
富野 去年、ガンダムの30周年記念ショートフィルム「リング・オブ・ガンダム」をつくるときに、最初は実写にしようとしたんです。でも役者のもっている身体性、肉体性っていうのは、それを見せられちゃったら、もうそれっきりなんですよ。だからそれでドラマを演出するのは面倒くさい。
麻耶 でもそれが絵だったら。
富野 キャラクターの動きをドラマなりメッセージに沿ったものにできたら、概念を提供できるかもしれないということに気がついたんです。ファーストガンダムって、ひょっとしたらそれをやってるかもしれない。でも、自分の中でまだそのためのやり方がわからない。この命題のハードルはものすごく高いんです。世界中でも言ってる人は今、僕しかいないから。
麻耶 CGが発達して、アニメと実写の境界線が曖昧になってきていますが。
富野 まさにそのCGの性能がわかってきたときに、このことに気がついたんです。実写に限りなく近づいていくと、なんでも嘘つけるってことがわかっちゃった。人は実写に近ければ近いほど疑うんです。
麻耶 だからアニメのほうが……。
富野 概念を伝えられる。ファーストガンダム戦争論なんてアニメだからちゃちですよ。ちゃちなんだけど、ちゃんとおさえているところはおさえている。で、今、そこに抜けてるのは国家論だろうということがポンと言えるんです。今、そういうことがようやく言えるようになってきたんです。「アバター」って映画があるでしょう?
麻耶 CGを駆使した3D作品です。
富野 映画は結局CGによって汚染されてしまって、今の実写映画は大作であればあるほど、つまらなくなっていると思います。CGの絵って見慣れているために、感動することがおよそない。「アバター」はその辺の距離感がわかっていて、一応キャラクターのお話になってる。だけど、「アバターのあの背景、すごかったですよね」って誰が言う? もうあんなの当たり前なわけだから評価する人は誰もいません。「アバターのキャラクター、気持ち悪いよね」って言う人もいない。CGで生々しさがないから。絵なんだから平気で見ていられます。だけど、じっと見てキャラクターにリアリズムをちょっと付け加えてごらん、気持ち悪いですよ。
麻耶 そうですね。
富野 まさに記号なんです。それなら、その記号論で「アバター」みたいな話をやってちゃダメなんです。だから、僕の仕事はまだあると思ってるんです。

写真のキャプション

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大切にしている言葉はなんですか?「対論を立てる」

これは座右の銘のようなものではないし、僕は座右の銘がもっているような固定的なものに自分を座らせたくないからね。これは、絶えず対論を立てるということ。既存のものに対して立つ。つまり全否定じゃなくて、まず立つ。そのうえでそこから解決策とは言いません、次の総論なり糸口を見つけ出していくっていうことは、ここ数年、ものすごく意識していることです。対論を立てずに、反対のための反対をするっていうのはものすごく簡単なことなんで。

麻耶のつぶやき

私を通して読者の方々に伝わるようにと、戦争とそれに関連する出来事を説明するために、ファイル1冊分の資料を準備してくださっていて、驚くと同時に、私もそれだけの真剣さをもって人と出会い、物事を伝えていきたい、と思いました。歴史的背景を知ること、なぜという疑問をもつことが大切で、過ちは繰り返してはいけないんだと考えさせられました。富野監督が許してくださるなら、またお会いして、今度は「恋愛観」を伺いたいと夢見ています。