『アイアン・スカイ』パンフレットの富野コメント

先日のニコ生対談とかなり重複している内容。

アイアン・スカイの心意気

――アニメ原作・監督 富野由悠季
この映画を撮ることを決めたときに、スタッフたちには、ハリウッド映画に挑戦する気概があった。笑い飛ばしてやるところまでは行かないまでも、皮肉のひとつもいってやりたい、素材が素材であるからには、覚悟しないとヤバイとも思っただろう。不安と魂胆が同居していて、そういった心意気が気持ち良い。
日本では、テレビ局主導の映画がもてはやされ、インディペンデント的であれば、“癒し系”でなくともテレビ映画的な創りが横行するようになって、自立した映画らしい作品の影が薄くなっているように感じる。その対極にある作品なのだ。
ろくに映画を観ていないのにこう言ってしまうのも、ぼくが古い映画感覚を刷り込まれているからだろう。映像のダイナミズムというのは360度回り込むことでもなければ、画像のスピード感だけでもなく、カットの積み上げにあるんだ、という観念にとらわれているからである。
アイアン・スカイ』は、ただロケットが飛び回るだけでもなく、ひたすら戦闘シーンが続くというものでもない。ドラマとして無邪気なまでに恐ろしいタブーに触り、それを都市伝説だと笑い飛ばしながらも、コアにある精神は、映画をやる! である。
CGまみれになってしまった映画がどれほど面白くなくなったかは、最近になって少し判るようになったのではないか、と思われる時代に、『アイアン・スカイ』は制作費が潤沢でなかったぶん、映画として健闘している。
そこには、もうひとつの映画的なものであるスタイルを取り入れていることを忘れてはならない。技法的に『デリカテッセン』『アメリ』のジャン・ピエール・ジュネ監督に寄り添おうとする気分で、それが、音楽にライバッハを採用することにつながっているのだろう。
そこには、ハリウッドの大作やCG技術の多用で忘れ去られようとしている映画的なものを補完していきたいという気分が読める。そのようなことから、あらためて『スターウォーズ』と一連のスピルバーグ作品の功罪は大きかったと自覚させられる。同時に、ヨーロッパの映画の制作環境が、あまりにもローカルなものにこだわらざるを得なかったことへの反省もあるのではないか、とも感じる。
それやこれやの思いをない混ぜに思い出させてくれたのが『アイアン・スカイ』であって、単にB級SF映画だからはしゃいでいるのではない。
とはいえ、発想の狭さと予算的な制約が現れてしまっているために、メジャーになりきれない部分が露見してしまっているのも否めない。それを克服するためには、もう少し脚本段階で叩くべきであったのか、キャスティングに欲を出す必要があったのか、という部分が難しいところではある。
しかし、このように問題点を鮮明にしている部分もふくめて、無駄な仕事ではなかったという感触は、現場的に貴重で、今後のこの映画の監督と制作者集団には期待したい。

国内初回上映で観て来ました。いつもの通り小並感ですが、おおむね御禿の言う通りで、面白かった。
メインキャストには特に不満はなく(レナーテ役はハマリ役。声も良くで後半はFSSのヤーボみたいな見た目)、問題点はどちらかと言えば脚本の方かと。観てる最中はノリで押し切ってあまり気にならなかったが。
私の上映回はだいたい半分が埋まり、要所で笑いが起きていた。北朝鮮やヘリウム3のくだり。


雑誌情報等によると、元々二部作予定で、監督の次々回作になる模様。ラストの火星が伏線? また、決定ではないものの、前日譚のTVシリーズの企画がある模様。
ナチ映画特集とのムックには富野コメントなし。ただメカ解説や制作陣インタビューあり。日本の戦艦は「漢字一号」というらしい……。

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なんちゅう信者に対してひどい仕打ちをしてくれたんや……。
左からジェームズ、クラウス、レナーテ?