NT 10年10月号 冲方×富野 第4回 100年もつ作品

真のクリエイターは決してツールには屈服しない

冲方 先月はビジュアル社会の危険性についてお話をうかがいましたが、現実的にはアニメやマンガのようなビジュアルカルチャーが世界を席巻しつつあります。フランスや韓国では国がお金を出して普及させようとしているし、遅まきながら日本でもそういう動きは出ています。
富野 経済を復興させる手段としての産業論としてはありだと思います。ただ、国家的な予算の供出には、理由が必要になります。理由づけがあったうえでの創作というのは、とても不自由なものなんです。表現に対して国家や組織が何かを言うのは非常に危険なことで、結果的には業界全体のクビを締めることになりかねない。そうならないように、自力で次なるモノを生み出していかなければならないんです。例えば、芸能においてのAKB48のように。AKB48は今までのアイドルグループとは明らかに違う。新しいものに手を染めているという意味でのおもしろさや怪しさは間違いなくあって、あんなものは管理統制の中で生まれるわけがない。あれは秋元康さんの独自の企画であり、そこで完結してる。あの方向にはもう何もないんです。
冲方 池袋48とかつくっちゃダメなんですね(笑)。
富野 ダメです。じゃあ次なるモノをどうやって見つけるかというと、今は理解されないし、自信もないけど、10年後にはAKB48に勝つよというものを必死に探すしかない。
冲方 それこそがクリエイターのリアリズムですよね。
富野 そう。未来の美や未来の人気を獲得するシステムなんてないんですよ。ビーナスは必ず生贄を要求するというのは僕の好きなレトリックで、作り手というのはそういう覚悟をもってなければいけない。ゴッホが狂気の中で作品を生み出したおかげで、僕らはあの美に触れることができる。あれは美がゴッホを生贄にして食ったんです。だから、次のものがシステムに乗ってできると思うな、ということです。でも、今のクリエイターには、そういう意識が希薄なんです。「踊る大捜査線」の本広克行監督に、今の多くのクリエイターは自分でモノを生み出せない。おもしろいモノをいろんなところから引っ張ってきて、それをどう上手に並べるか、つまりサンプリングが今のモノづくりなんだって説明されて驚いたんだけど、それって当たり前の感覚なの?
冲方 そういう考え方もあるとは思いますが、自分の能力で全部をつくるよりもサンプリングしたほうが観客に届いてしまうという悔しさも入ってるんじゃないですか。
富野 入ってるでしょうね。本広監督の場合は、悪あがきをして小さな舞台を一生懸命やっています。そういうところでクリエイターとしての自意識を意地しているんだと思うし、それを見ると頑張ってるなと感動します。そういう意味では、冲方さんはうらやましい。あなたはサンプリングじゃなくて全部つくっちゃえる人だものね。
冲方 いやいや。またそうやって汗をかかせる(笑)。話は少し変わりますが、こないだSAIというペイントソフトで遊んだんですけど、スゴいですね。ちょろっと線を引いたら絵っぽくなるんですよ。それを積み重ねていくと絵になる。フォトショップもそうですけど、そういうアプリケーションが今はたくさん出回っていて、誰でもクリエイター気分になれるじゃないですか。それについてはどう思われます?
富野 初音ミクの例でわかるように、そういうアプリケーションのおかげで、ああいうのが無尽蔵に増殖するんですよ。
冲方 それはそのとおりですけど、ただ、それを使うのはあくまでも自分たちなんだという意志があるかぎり大丈夫なんじゃないかというのが、僕のかってな楽観なんですよ。今ここに存在するものには存在するなりの希望があってほしいという。
富野 確かに便利な道具はいくらつくられてもいいんです。でも、人間は情けないもので、それを使ってるだけでいつしか気が済んじゃう。クリエイターと呼ばれる人のなかにもそういう人はたくさんいる。でも、真のクリエイターはどんなに優れたアプリケーションやツールが現れても、それには屈服しないんですよ。
冲方 そうですね。僕もクリエイター魂は絶対失われてほしくないです。

記号性という独自の本質がアニメの未来を切り開く

富野 次に何をつくるかということを考えると、アニメならではという点で重要なことがあります。実写の場合は生身の役者を使って物語を作っていくから、どうしてもリアリズムがついて回る。それゆえに抽象的だったり概念的なことを物語の中で伝えるのが難しいんですね。どうしても“劇”になっちゃうから。逆にアニメの場合、生身ではない絵で物語を表現するおかげで、概念や理念を伝えられる。そういう機能をもっているんですね。ところが、アニメは絵で表現するものであるために、誕生以来ずっと子供向けの媒体であると信じ込まされています。僕はここにアニメの突破口があるんじゃないかと思うんです。その可能性には当然是非論はあるでしょう。でも、どうなるかわからないからこそ、僕はそっちに突っ込んでいきたい。もうこの年だし、あと10年もやれないんだから、記号性というものにアニメの未来を懸けてみたいんです。
冲方 今、監督のご自身のなかで、その方向性への土台は見えているんですか?
富野 まだ見えてはいません。僕はクリエイティビティのある人間ではないので、この方向に沿ったまったく新しい世界を生み出すのは難しいでしょう。ただ、ガンダムをベースにしたようなもので、そういう主義のようなものを塗り込めないかという企画はもみはじめてはいます。
冲方 それはどういう形になるんでしょうか。今のお話でパッと思いつくのは、アニメでもってイデオロギーを描くということですが、そうではない?
富野 それをやったらアニメでなくなる。エンタメの土台は絶対に外さない。だから一見、ガンダムの続編なんですよ。でも色合いは違って見えるというところに進みたい。同じロボットものでも、それに理念や概念をはりつけるという作業をしていくとこうなるよね、というものは見つけつつあります。ただ、それが将来的に新しいアニメのスタイルになりうるかというと、そうはならない。
冲方 今回の作品においての突破口であって、儀式にはならないということですね。
富野 まだまだそこまではいかない。ただ、儀式になるための方向性みたいなものは見つけたいなと思っています。
冲方 う〜ん……スゴいですね。
富野 スゴいというか、ただ新作をつくればいいという気分は、とうの昔になくなっています。作品は、その時代に向かっていく何かをもっていなかったら、それはただのパート2モノでしょ。巡業のライブならその繰り返しでもいいけど、映像作品はライブではないわけだし、3DCGまで使えるようになった今の時代の映像作品の、どこに意義を求めるか。精度を求めるだけだったら「ファイナル・ファンタジー」に勝てるわけがない。じゃあどうするかというと、僕の場合は哲学語るところまで行くぞっていう(笑)。もちろん、やるのはエンターテインメントですよ。でも、実はこの設定にしたのはこういう意味があってというのを、きちんと語れる、そういう裏づけを物語の中でしていくということです。

作品として認められると100年もつ可能性がある

富野 実写というのはとことんリアリズムの世界で、リアリズムでもって嘘八百をやらなきゃいけない。そういうのがわかればわかるほど、僕にはアニメしかできないなと思うようになりました。アニメやマンガは、作り手としては安全地帯にいるんですよ。リアリズムとは対峙せず、全部おのれの頭の中のプランニングですむ世界だから。でも、だからこそ、そこには理念や哲学を放り込める余地があるのに、それをまったく考えずに、ただ絵が好き、アニメが好きという思いだけで作っているのが、今日までの状況だとすると、そろそろ次の次元に行ってもいいんじゃないかと思うんですよね。
冲方 やっぱり、まだまだ監督がアニメ業界を引っ張っていくんですね。つまり、クリエイターがアニメの現場で働きながら、そこで理念や概念、哲学に積極的に触れて、学んで、それにリアリティを感じながら、リアリズムの中で反芻すべきだ。それこそがアニメの未来なんだ、と。
富野 それなのに、好きにつくればいいというのが今の専門学校レベルの教え方らしい。それだと作品論までたどり着けない。作品を発酵させ、媒体としての性能を高める時代が、これ以後の20、30年になるんじゃないのかな。
冲方 もはやアニメは子供のためだけの媒体ではない、と。ここ10年ほど大人向けのアニメも数多く作られていますが、それはアニメ好きの大人に向けたもので、決して世間一般の大人に対してのものではありませんでした。性能を高めるというのはそういう人たちをもターゲットにしうるということですね。
富野 もちろん、子供向けの素朴な作品もなければいけない。ただ、その素朴は自分の気に入ってる素朴だけじゃダメ、ということ。万人が共有できる素朴さをクリエイトしていくという、努力は永遠にやるべきだと思う。時代は変わるわけだから、今の時代の100万人、次の時代の100万人に共有されるものをつくる。それはサンプリング作業ではできないんですよ。そのためにはもうちょっと歴史を勉強してほしい。この場合の歴史とは、過去の作品と一般的な歴史の両方です。今のアニメやマンガが獲得している環境が危険なのは、アニメ作家やマンガ家のための歴史図版みたいなのがあって、あれでとりあえず仕事ができる。あれが本当の意味で歴史を自分の手もとに引き寄せているかというと、全然違うんだよね。
冲方 サンプリング主義がいちばん危険なのは、手っとり早くお金になるということですよね。
富野 そこに向かってしまう気持ちはわかるんだけど、これからこの世界に入ってこようとしている人たちに絶対覚えておいてほしいのは、作品として認められると100年もつ可能性があるんですよ。自分が生み出した作品が100年もつという快感は、おそらく自信一代の成功以上にすばらしいものだと思います。
冲方 100年もつ作品ですか……とてつもなく遠いけど、頑張ろう(笑)。