緊急ニュース!富野由悠季と市川紗椰「聖戦士ダンバイン」HD化計画を語る 対談ロングバージョン特別版 メモ

http://www.animax.co.jp/programs/NN10001998

アニマックスオンデマンドのロングバージョン文字起こし

市川 皆さん今晩は。市川紗椰です。そして富野さん、宜しくお願いします。はじめまして。今日はお忙しい中ありがとうございます。
富野 いいえ。市川さんに会えるのでとても嬉しがって来ました、富野由悠季です。
市川 恐縮です、お気遣いいただけて。

聖戦士ダンバインHDリマスター化

市川 先程HDリマスターをご覧いただいて、率直な感想からお聞きしてもいいですか。
富野 現場の人間は、ああいうもの見るのとても嫌です。まして昔の、16mmの映写の性能と今の性能は違う訳だから。俗に言うデジタル技術も使われている部分もあって、映写自体が。フィルムの画像を言ってしまえば良くしちゃってる部分があると、汚い部分とか手抜きの部分がいっぱい見えてくる様になるんで、もっとボケた画像でなければ困るんだよっていうのが本当のところ。
市川 ちょっと荒っぽいところを残した方が良い?
富野 ところがそれが迂闊なことが言えなくて、荒っぽく残すとどうなるかって言うとただ荒れるだけになるんで。むしろクリアに見せる方が今のデジタルってのは得意かもしれないという部分があるし。それからやはり画面の解像度によってボケてくれる部分が曖昧になって良いという部分もあるし。それから一生懸命考えてみないといけないという部分で実を言うと、視聴者の想像力を刺激している部分があったりするんで。ここまで綺麗に見せられちゃうと、やっぱり手直しをしたい部分しか見えてこなくなる、という。僕なんか作ってる立場ですから。それで見た瞬間に変なもので思い出すんですよ。現場の時の手抜きとか。それからこのカットリテイクしようと思いながらアイツが向こうに行っちゃったから直せない、とか。色んな事情があってということまで思い出す。
市川 1コマ1コマ覚えているものなんですね。
富野 嫌ですけれど覚えていますね。だからどうしてこうなったかという記憶がこうやって出てくるから、見てて気持ちの良いもんじゃないです。
市川 先程試写近くで座らせていただいたんですけど、一度溜息に近いものが聞こえたんですけど。
富野 だからそれはそうです。絶望的にダメなんだよねっていう様なことが本当何cutもある訳です。だから自分の作品というのは基本的に見ません。今回のこれも一度DVD化した時に、一度見ているかなぁ、っていうくらいの感じで今回が2度目だと思うんだけど。忘れてると思ってるわけ。そしたら今言った通り。うわー、思い出す(顔をしかめつつ)。
市川 (笑)具体的にここっていうのはあるんですか?
富野 そりゃあります。だけど逆に言うと、今度は良い所もあって。やはり当時のアニメーターとか当時の背景マンというのはこういうところでこういう風に頑張っているというのが掘り起こされて見えてる部分があるから、どっちを採るかなという話ですね。
市川 そうなるとリマスターの過程の拘るところって当時の人たちの……。
富野 テープの時代から言うと、3、4段階こういう復刻版みたいな作業をやってきてて思うのは、あまり楽しくはない。っていう記憶しかないですね。ただここまで来ちゃったら今度はデジタル上旧作を作り直すところまで来ているかな、っていう別の側面もあります。今度はこれはまた復刻版とは違ってくる。
市川 え、作り直すってどういうことですか?
富野 アニメに関して言うと、動きは直せます。
市川 そうなんですか。
富野 はい。もうそういうレベルに来ています。コマを増やすとか減らすとかっていうことが、もう自在に、実を言うと自在にできるんです。もう今。
市川 それは馴染むものなんですか?
富野 馴染むという言い方じゃなくて、コマを増やしていくんです。逆に言うと減らしてもいけます。そういうこともやる気になればできます。問題はお金と、お金の問題もあるけれど、実を言うと時間の問題なので。そこまでやって、より良い作品にしてみせるという程の、例えば価値があるのかっていう時に、ダンバインは「うわー、まぁこのままで、これでおしまいだなぁ」ってなりますね。
市川 (笑)そんな。そうなんですか。
富野 そうです。
市川 そっかー。個人的にはダンバイン好きとしては、全然そういう作品も。
富野 本当それが嘘、嘘にしか聞こえないのは。
市川 なんでですか(笑)。始まる前にも仰ってましたよね。
富野 そう。
市川 嘘だと思うって(笑)。

市川紗椰が語る 聖戦士ダンバインの魅力

富野 教えてほしいんです。
市川 はい。私がですか?
富野 なんでこんな巨大ロボットものが好きなの? それで一回見てもらえれば分かる通り、ダンバインってそんなに大きくないんですよね。本当のこと言うと巨大ロボットものではないんだけれども、何でそんなものを好きになったのですかとか、どういうきっかけで知る様になったんですか?
市川 元々ですか。私、小学校中学校アメリカに住んでたんですけども、リアルタイムでガンダムWの放送が始まったんですよ。英語版で。それを見てすごくハマって。そこからあらゆるロボものを漁る様に見る様になって。
富野 だけどアメリカにいてどうやって見るの?
市川 日本に毎年来ているのでその時に色々探して回って。古本屋とかでテープとか探して。
富野 と言うことはテープでも見てたの?
市川 テープで見ました、私は最初。テープというかVHSで。その時はその中のひとつだったんですけど、結構自分の中ではインパクトが大きくてダンバインが。
富野 ダンバインと出会ったのっていくつくらいの時なわけ?
市川 中学の1年とか2年とか。
富野 でしょ。その頃の女の子がダンバインみたいなというのでは、どういう部分が一番惹かれたというか好きになったというか、え?と思った?
市川 最初色んなロボットものを見てた中で、異色じゃないですか。現代から異世界に行くっていうところがまず簡単にそのまま引き込まれるんですけど。割と一番ハマったところが、現実世界に、地上に戻るところがものすごく自分の中で引っ掛かって。ずっと……なんだろ、一番異世界にいるのに見た作品の中で、一番リアルに感じたんですよ。リアルというかその悲惨さだったり。一回その世界からリアルに行くからこそ結構グッと来たのがあるのね。
富野 と言うことは、一般論的な聞き方になっちゃうんだけども、つまり夢見る年頃にとっての異世界に行けるかもしれないという、物語の世界の中にも現実があって、向こうにも行くとか帰ってくるとかいうことが、やっぱりそれが面白かった?

市川 自分の中ではこういうものってあるかもしれないと思えるところが結構好きでした。中学生にとっては。
富野 今それでふと思ったのは、アメリカと日本行き来してたら、要するに向こうとこっちってのは同じだよね。
市川 あぁー。そうですか。
富野 だってアメリカの文化圏、日本という文化圏というのは、日本を地上だとしたらアメリカの方がバイストン・ウェルでしょ。
市川 世界観としては近いかもしれないですけど。
富野 どうして今みたいな言い方を思いついたというと、日本人のファンはそういう言い方をしませんでしたね。
市川 あ、そうですか。
富野 やはり単純に行き来の問題よりもファンタジーものとして、っていう様な事をロボットものに組み入れてという事で。今市川さんが気がつかずに仰っているんだけれども、自己体験をなぞっているとはやはり思っていないわけ。
市川 なるほど。
富野 それで僕今初めてこうやって聞かされて、ちょうどそのころ行ったり来たりして暮らしてましたって言われると、やはり文化圏の違いが持っている感覚論から出てくる言葉だな、ってのはちょっと感じましたし。だからなんだという事もあります。これはもう想像になっちゃうんだけども、だから日本国内しか知らなくってダンバインを見ていた子と明らかに違う何かがあったんだろうなと。
市川 でもそこはもうひとつの点が、結構アメリカって西洋ファンタジーのものってありふれてて。ダンバインもその中のひとつなんですけども、「聖戦士」って「Holy Warrior」ですよね。そういう宗教観がどういうところにあるんだろうとか、そういう風に見たりとかしてたのも。でも意外とある様でない様なところが私は面白かったんですね。そういうのってあったりするんですか? 聖戦士ってとこ未だに気になる。
富野 今の言葉遣いもなの。やはりアメリカという違う文化、空気感。そういう方の仰ってる事だなぁ、って本当に感じます。日本しか知らなければそういう言葉遣いは出てこない。本当に出てこない。「聖戦士」ってのはアニメの中の、ダンバインの中の言葉くらいの、方タイトルくらいのしか持てないんですよ。今市川さんが言っている部分の言い方というのはどういう事かと言うと、何て言うのかな、自分の気持ちの中の何か気になってるなという事としての「聖戦士」っていう言葉遣いであって、その分もダンバイン見ててもはっきりしないよね、っていう言い方。まさに正しくて。その部分は僕は絶対に触らなかったし、触ってないの。迂闊に触ったら面倒臭いというのがあったのと。
市川 確かに(笑)。結構パンドラの函ですよね。
富野 そう。日本人、つまり僕はなんだかんだ言っててもやっぱり仏教圏の人間なんだと思ってた時に、仏教圏の人間が考えた聖戦士論っていうのは無いに近いんですよ。じゃあ西洋ファンタジーと言われている「聖戦士」を考えた時に、何なんだろうかなぁと言った時に、そういった他の作品好きじゃないんです。およそ読んでなかったんで、ダンバイン作ってる時でも調べようともしなかったんで、触りたくなかったってこともあるし。この歳になると少しは、一つにはハリー・ポッターロード・オブ・ザ・リングあたりなんですけども。以後のところであれだけ聞こえてくれば、少しは考えるんだけれども、じゃあ聖戦士論ってのを迂闊に触るとどこに行くかっていうと結局まさにロード・オブ・ザ・リングのあそこに行っちゃって、アーサー王は出てこないまでも、アーサー王に願掛けをしていった時に何が起こるかって言うと、結局キリストの文化圏に対してズッって行くわけね。それだけは絶対にしない、そのholyとかは何なんだって言った時に、ダンバインやっていた時にこの問題だけは意識してたから。考えるの止めたのね。だからその部分を突き進むっていう気はなかったし、あともう一つ今度は僕の年代の仏教徒ではないんだけど仏教文化に浸ってた人間から迂闊にその部分に触って西洋ファンタジーに対して失礼があっちゃいけないとも思ったんで、触らなかったっていう意識はあります。というのは勉強してなくてそこには触るなっていうのが本当にあったからです。更にこの歳になって最近そういう事をちょっと知る様になると、やっぱり迂闊に触ってなくて良かったなって。歯が立たない。歯が立たないあるレベルというものも分かってきたんで、この歯が立たないという部分は、これを見てくれている人で、色んな人がいると思うからひとつだけ言っておきます(カメラ目線)。例えば聖戦士の事を触るとキリスト文化圏に行っちゃうよ、という部分があって。じゃあそれを迂闊に言えないんだよって実を言うと「キリスト教」という風に一掴みにできる様な教徒とか宗教論はなくて。ものすごい派閥闘争やった、闘争心というのが西洋の文化圏なので、迂闊に東洋人が触ってはいけない。という事がこの1、2年、はっきり分かったんで。
市川 この1、2年ですか。
富野 1、2年あらためてちょっと勉強せざるを得ないことがあって調べてみたら、とにかく歯が立たない。
市川 勝手な中学生としては、例えばショウがバイクとかで。それってもしかしたら死んだとして。死後の世界で、っていう風に見てた中で一回リアルに行くので、それで全部崩れたのが良かったんですよね、自分の中で。割とそういう目で見れるんだけど、そうじゃないとなると結局バイストン・ウェルって夢の世界というところに戻って。その夢の世界って誰もが持ってて、あるかもってところが割と刺さりました。
富野 本当にありがとうございます。そういう風に説明してくれた人初めてで。本当に息も抜けたし、僕は勘でしかやってなかったんだけどもそれが正しかった部分もある。それから地上に戻るという部分に関して言うと、僕の意識でない部分があって。要するにスポンサーがね、っていうわけ。
市川 読んだことあります。
富野 地上に出してくれないと困るんだよ、って言われたからんだよ、って言い方があるわけ。参考までにそのスポンサーは、現在いるバンダイではありません!
市川 (笑)。ではありません。
富野 不承不承やった部分があるわけ。不承不承やったから、今市川さんが言った部分。そこまでは吹っ切れなかったのね。だから何となく後半ああいう形になったんですよ、って作業論の中で何となくやってだけであればある程、「聖戦士」って何なの、地上に対しての聖戦士、バイストン・ウェルに対しての聖戦士って何なの、っていう部分がちょっと曖昧なんですよねって、そりゃ曖昧だよって。作り手が何も考えてないんだから。、っていう言い方をしますし。しておきますし。それから今言った通り、じゃあこれから作り直せるかと言った時に、やはりあらためて今のキリスト文化圏の持っている問題ってのは分かってるとそう簡単には触れない。
市川 でも色んな要素があってそういうメタ的な作業上こうしなきゃとか制限があったからと、元々の富野さんの意思とかそれが全部合わさってできたからこそ私みたいな人が勝手に色々考えが入れれるんですよね。余地ができるというか。
富野 勿論そうだと思います。何と言うか本当説明しづらいんだけども、全部が全部好きで作ってるわけではないんですよねっていう部分はある。これだけ品揃えしたんだから、品揃えした状況の中で、つまり地上界とバイストン・ウェルという、本当(笑)、海と陸の間にある(ジェスチャーしつつ)。うまい設定だよねとこう思ってると(笑)、やっぱりその部分だけ以上のことはしない様にするということで、言ってしまえばダンバインやってる頃はロード・オブ・ザ・リングっていう日本語はなくって。指輪物語なんですよ。指輪物語をそのまま持ってくる様なことはとにかく排除する。
市川 バイストン・ウェルの世界観を作る時に、やっぱり意識とかあったんですか?
富野 それは迂闊に読むとコピーが始まる。だからそれはもう。それはかなり必死です。だけれども、実を言うと、うわこちらの方が本物なんだから、読めばいただけるものはあるんだろうと本当に思うんです。けども作り始めたら絶対にそれはしません。

バイストン・ウェル

市川 当時ってダンバインが初じゃないですか、西洋ファンタジーって。今だとRPGの世界とかいっぱいありますけど。そこをすごくベーシックなことで恐縮なんですけど、世界観を描こうと思ったきっかけというか、何かイメージがあったんですか? 夢なのかなにか。
富野 (手を振りながら)そこに関しては、僕の中に元々あったとは思えないのね。さっき言った通りファンタジーものあまり好きじゃなかった、子供の頃からずっとそうだったから。殆ど読んでいません。だから知らないんです。ただね、アニメの仕事を始める20代の前半くらいから、ようやく日本でもフェアリー系の絵本や何かがかなり輸入されてくる様になって、そちらの部分から、一応当時は若い男の子だったのでスケベ根性でそういうの買って読んでいるところから始まっていって。うーん、これは何なんだろうという事を本当に10年くらい考えた末、実写ではできないけれどもアニメなら良いなと思ったという様な事があた時に、ああいう羽根付きなフェアリーを劇中に取り込む話は作れるかもしれない、巨大ロボットもので。という条件だったんです。
市川 なるほど。
富野 で、僕には巨大ロボットものを作るという命題がなければ宿題がなければ、やはりこの手の作品を作るというところにはやっぱり行かなかった、ってのは基本的にそういう素養がある人間ではないからというのは自覚的にありました。
市川 じゃあ世界観を描く時って苦労されたというとおこがましいんですけど。元々自分の中にないと。
富野 明らかにないからダンバインをやったお陰でオーラロードだとかバイストン・ウェルの海と陸との間という概念がバタバタバタと出ているから当たり前だと思ってるんだけど、その言葉がなかった時、本当に地獄でした。
市川 (笑)
富野 ただひとつだけ思えたのは、人間には劇中で出てくる「生体力」が絶対にある筈だ、その生体力を単純に有機的なものと考えるんじゃなくてもう少し外力としてっていう風に考えていったら、まぁアニメの中でこの程度の人型のものを動かすことをやっても良いんだろうなと思った。そこまでは簡単なんですよ。じゃあその次にどうするかな、っていう風に考えた時に趣味の世界になってくるんです。って言った時にバイストン・ウェルの事を思いつくまでに一年は掛かってますね。
市川 そんなになんですね。
富野 そしてどうしてって言った時に、異世界なんだけども、リアルな世界がここにある。隣にある。だから傍なんだよね、って言った時に「by」という言葉が使える。
市場 なるほどー。
富野 そして、そうかbyかって、英語のbyだよねー、ってその次に「落ちる」ってんで井戸。
市川 「well」、なるほど。
富野 それで、じゃあこの言葉を繋げる真ん中、っていう風に考えたんだと思う。ある日突然バイストン・ウェル、ポンと出てきた時に、これでいける。
市川 もうピンと来ました? その時。
富野 くるっとピンと来た。そしたらもうオーラロード。
市川 そこから全部。バイストン・ウェルってものすごいインパクトある名前で惹かれる方多いと思うんですけど。
富野 そう思うでしょ。
市川 はい。
富野 やっぱりね、市川さんが初めて。僕に言ったのは。
市川 本当ですか。私が気になるのはバイストン・ウェルみたいなインパクトのある名前の中の国が「アの国」とか「ミの国」とかすごいシンプルで記号的な感じになるのって意図があるんですか。
富野 ありました。人類が今日までの文化を歴史を積み上げてきて地球の周辺にオーラ力が溜まってようやくバイストン・ウェルって異世界ができはじめてきた。バイストン・ウェルって人間の希望とか欲望とか夢とかの原理的なもので出来上がってるかもしれない、ってんで、人々のものの考え方とかシンプルであってほしい。それから指輪物語の話をしました。ああいう風なボキャブラリーがあった時に、それを使うとコピーになるから。なるべく、って言った時に、まず国の名前っていう固有のある大きな地域を示す名前はバイストン・ウェルの人たちはすごく単純に「ア」「イ」とかっていう風に自分たちのここは「ア」(両手を広げつつ)、向こうの人は「イ」、そういうところから名前を作ったんじゃないのかな。その残り香みたいなものが「アの国」「イの国」。
市川 まだちょっと原始的な感じはあるっていう、
富野 だから技術的と言うよりもオーディナリーな人の気分の中にいきなり近代機械文明みたいなものがドンと入ってきた時に、そのズレ、ギャップみたいなことが描けたら良いなと思ったの。
市川 アしか出ない。
富野 そう。
市川 アって言っちゃいました。

キャラクター

市川 自分の話で恐縮なんですけどもうひとつ初めて見た時に引き込まれたひとつの理由が色使いだったりとか、キャラクターのビジュアルからグッと来たというのがあったんですけど。特に女性キャラクターが印象的で。
富野 それに関しては全く僕の仕事じゃなくて。
市川 湖川さんの。
富野 キャラクターマンの、ダンバインに関しては作画監督をやった湖川さんが全部やってます。それで当時は衣装デザインだけ別にスタッフを雇うなんて発想は合もなくてやってましたから。殆ど全部、湖川さんが勝手に描いてます。
市川 そうなんですね。
富野 そうです。僕の言う事なんか何にも聞いてくれません。色決めるのも湖川サイドでやってて。それで時々訳の分からないものが出てくると、それは湖川くんの作画グループのスタジオがあるんです、そこの若い奴に描かせたのを湖川が手を入れて「はいこれ」みたいなことをやってますんで。僕の権限外、僕の興味外。
市川 そうなんですね。
富野 そうは言っても初期のメインのキャラクターに関しては一応色を決めるところぐらいまでのことは意見を聞いてもらってますけど、後は基本的に僕に関係ない仕事ですね。だからすいません、僕にはああいう趣味は、まぁ、ありますね(笑)。
市川 あるはあるんですね(笑)。信頼関係なんでしょうけど。すごいなと思ったのが、もちろん好みとかキャラデザとか色々あったんですけど、割と善い人はみんな顔に出ているところがすごくて。そこはキャラクターの内面とリンクしている様に感じたんですよ。善い人は善い人そうで、悪い人はそうで。中途半端な人が良い感じに中途半端なんですよ、見た目が。
富野 それは20何年経って見せられてもつくづくそれは思いますね。湖川のキャラクターって上手いなっていう事と。それからあとひとつ。キャラクターの絵をもらって、演出するトミノさんは偉いなァって(笑)。
市川 なるほど(笑)。そういうのってあるんですね、見ていたら。
富野 絵がなければ、やっぱりコンテを描くという作業をやってるんだけど、演出の作業な訳です、それはできません。だから結局キャラクターシートがそばにあって「あ、こういう顔ね」とか「こういう姿してるのね」とか演技とか反応とか変わってきます。
市川 例えば私トッドが好きなんですけど、彼も中途半端な感じが、いい加減な感じが顔に出ている印象なんですよ。もうちょっとシャキっとした感じだったら彼の行動とかも違ったんですか?
富野 それは違ってくるでしょう。違ったでしょうでなくそれは違いましたね。だけど初めからそういう設定にした部分もあって、湖川くんにしてみてもあのトッドになっちゃったという言い方もあるし。今回の1話なんかであらためてトッドの出番ってこうか、というのと、こういうこと言わせてるんだなと思い出して嫌なことがあるんです。どういうことかと言うと、僕の方で言ってみると、絵柄は良いんだけど、演技の問題として、僕はやっぱりヤンキー知らないんだよね。本物の。それをどうしたら良いんだろうな、設定的にはこういうキャラクターの方が都合が良いんだけども、これで良いんだろうか、っていうのは今回また思い出しちゃった部分で、ガクッってきて。
市川 そうなんですね。迷いというか。
富野 そういう意味ではっきりしてなかった部分というのが、こちらのそういう人を知らなさ過ぎる問題というのはあるんじゃないのかな、っていう気は。ただ、アニメの仕事をやってるとそれこそ基本的に無国籍ものなわけだから。そういうものは考えなくて良いんじゃないかという言いながら、やっぱり台詞で一言、アメリカ軍のとか、カリフォルニア出身のショット・ウェポンとはマズいんだよと思ってるとか、それはあります。
市川 そうなんですか。そこら辺が好きだったんですね、私は。
富野 だからそういう風に言っていただけるとそれは偶然でしょう。上手くいったんだよね。つまりヤンキーのかなりできてるんだけども調子の良い奴、みたいな部分は実を言うと考えてます。必死で考えてます。きっとこうだろうこうだろう、手を入れていくんで、かなりしんどい作業です。
市川 地上編の二回目に行く時に、トッドがご自宅に帰られますじゃないですか、ボストンに。その時に意外とマミーって言うし、つまみ食い真っ先にするあいう感じが結構好きなんですね(笑)。出てるなぁって。
富野 ボストン行ったことないから、ボストンねぇ……何でボストンにしちゃったんだろうか、って自分が行った所にしときゃ良いものを、って言った時に、どうしてもなんか理由があってね、とにかく東海岸にしたかったのね、トッドの出身地。そうしておかないと合衆国全体がリアクションしていく時の表現がとても面倒臭くなる。ロスとワシントンってダメだ、っていう様な事があったんで、ボストンにした。えーっ、ボストンってどんな所なんだろう、って、それはもうあの時は、それこそ今の人は分かるんだろうけど、GoogleMapのあれないから。そりゃ地獄ですよ。
市川 地獄ですか(笑)。
富野 地獄です。だから今の話で思い出した、トッドがドア開けた瞬間に、ドアの後ろの景色が気になってるの、実を言うと。これ描けない。行ったことないから。現場で背景に回すわけ。適当に描いてあってもしょうがないよね、って。こちら注文つけられないから。
市川 指示が。
富野 だから泣く泣く採用しているみたいなことはそれはあります。
市川 えー、見てる分にはこれぞトッドというのが見れてただただ興奮するだけです。
富野 だから本当ありがとう(頭を下げる)。
市川 他に印象的なキャラクターとか、このキャラクターは理想通りにいった、みたいなのいるんですか?
富野 そういう意味ではあまり上手くいってないなと思ってるのと、それから上手くいったと思ってるのあるんですよ、だけどそれはね、自分が好きだからなの。
市川 十分じゃないですか。
富野 自分が好きだからという部分で周り見ると、ミュージィ嫌いなんだ、っていう(笑)。
市川 そんなことあるんですか。
富野 迂闊に言えない。言うときっとバカにされる。
市川 え、そんなキャラいます? 本当ですか。
富野 だからこういう時職業柄こういう回答をさせていただきます。いや、基本的に全部原作者でもありましたから、自分の造形したキャラクターみんな好きですよ、嫌いなのある訳ないじゃないですか。って回答で文句ある(笑)?
市川 んー、文句はないですけど、もう知りたいっていうのとモヤモヤ。
富野 だけど見分ける方法はあるんですよ。それはキャラクターというよりも絵柄の印象ということでトッドが好きだ、みたいな事と、やっぱり作り手が気にいってるキャラクター、一生懸命描いているキャラクターっていう絵がある訳だから。そういうの見て自動的にそりゃそうよね。
市川 結構おっきなヒントな。
富野 だから作画監督でもありキャラクターデザイナーでもある湖川っていうのはこういうキャラクターが好きなのよね、っていうのはそれはもう線の描き方根本的に違うんだもの。それはそれこそ今回みたいに画面が綺麗になればはっきり見えますから。
市川 そうですよね。
富野 そうです。
市川 より一層見たくなる(笑)。湖川さんの好みそうですけど、富野さんのもね、うかがいたいですけど。
富野 だからダンバインの時にははっきり意識した事があって。こういう風なファンタジー的なところにも手を染めたんだから、日本のアニメという切り口から入ってくる様なキャラクターにはしたくはなくて少し西欧的な気分を入れていきたいよね、っていう事で、本当湖川くんとやってもらったし。メインのキャラクター、つまり大人のキャラクターというのは全部湖川好みという言い方があるんだけども、そうじゃなくて、基本的にこの年齢の女性を描くんだったらこうでしょ、というサンプルを描かせた。という努力をしたというのはあります。

オーラバトラー

富野 プラモデルのレベルで言っても、これ言うとスポンサーに怒られるんだけれども、あまり値段の出るモデルじゃないから。
市川 これですか(横のダンバイン指しつつ)?
富野 そうです。だからこれ大事に持ってて、20年後に高く売れるとは限らないよ。
市川 でもそういう問題じゃないんじゃないんですか、価値は。
富野 今度はこちらの価値論で言った時に、これちょっと違うんだよねっていうのがいっぱい目につくから。
市川 なるほど。一回ここは目をそらしましょう。聞きたいですけど。
富野 ダンバインのプラモデルに関して言うと、一番初めに要求したことがあるんです、メーカーに。ところが、それで一度は成型作ってもらったんですけど、これじゃあプラモデルは作れませんって泣かれてそのバージョンを止めたってのがあるんですが。
市川 妥協しちゃったんですか?
富野 妥協じゃないんです。技術論的に無理だろうというのが、実を言うとオーラバトラーの表面というのは恐竜みたいにザラザラなんです。だから一回目はそれで作ってもらったんです。作ってもらって組み立てもしました。僕自身も組み立てました。大問題が起こった。張り合わせの時にどうしてもカッターナイフを使うザラザラの継ぎ目の部分がものすごく難しかった。
市川 なるほど。
富野 何よりもまだ当時のプラモデルの製造工程では、表面がザラついた、日本語で言うと梨地的な、梨の皮の表面、あんな感じに仕上げるというのはかなり面倒臭くて。何よりも組み立てた時にその継ぎ目どうするんですか、って問題があって。一回目はそれで商品化もしてるんですけども、最近はたと気がついてこの30年見てませんね。それは。
市川 見てみたいです。
富野 だけど今言った通り形にならないんです。結局こんな大きなものになっても、その辺のことは作ってくれてますから、うわー、これでオーラバトラー……。とても良くできたモデルですので、まだどっかにあったらお買い上げください。
市川 そんな気を遣う富野さん……。

聖戦士ダンバイン

富野 僕の年代ということじゃなくて、僕の様な人間にしてみれば、西洋ファンタジーにもっていた憧れとか、敗北感。仏教文化圏からは絶対にできない。仏教文化圏からファンタジーやると、かぐや姫になっちゃうし、それから乙姫様になっちゃうし。っていうんで、フェラリオがいないんだよね。
市川 はい、そうですよね。一番象徴的なのがフェラリオですよね。
富野 だもんで、やっぱりそういうものをやってみたかったんだよね、文句あるかというので、だけど全部仕切ってるというのがダンバインなんですよ、僕にとっては。だからそういう意味ではやらせてもらって気持ちも良かったし、自分の仕事としても一番苦手なものだったから、これでノベルスを書くみたいな事をやってもみて、元の話に戻りますけれど、ロード・オブ・ザ・リング以後のファンタジーものの系譜を見ていった時に、とても歯が立つもんじゃないのと、本当に歯が立たないかという事をあらためてダンバイン見てて、いや、今度はこちらの目線からの作り方ってあるんじゃないのかなという事も感じられる様になった。つまりすごく穏当な固有名詞があるんだけど、全部ジークフリードじゃないだろうという様なファンタジーものの作り方ってあるんじゃないのかな、という気がしてます。
市川 聞きたいことが止まらないぐらいまだまだいっぱいあるんですけど、そろそろしめなさいという天の声が。本当はそれこそフェラリオの事とか小説版も色々聞きたいんですけど。今日はここまでって事なんですけど。
富野 またこういう機会が出てくれば良いんですけどねぇ。
市川 是非、私はいつでもですけれども。本当にありがとうございました今日は。
富野 そんなこわい顔しないで。
市川 もうなんか恐縮で。
富野 ありがとうございますという事と、僕にとっては市川さんみたいな世代の方と会って、見てくださる方がいるという意味で言えば、今言った事も言える様になるという事です。だからそういう意味では全部終わった訳ではないのかもしれないな、っていう感触もいただきましたので、本当に嬉しく思います。
市川 こちらこそ。
富野 本当に今日はありがとうございます。
市川 ありがとうございます。無茶苦茶楽しかったです。貴重なお話を。
富野 とんでもない。

アニマックス配信外の発言 アニメージュ2016年9月号文字起こし

――市川さんは「ダンバイン」も含めた富野監督の作品に、どんなイメージをお持ちですか?
市川 「えっ、こんなことしちゃうの!?」と、良い意味で夢を壊してくれるイメージがあります。ご本人の前で言うのもおこがましいですが……。
富野 そう言っていただいて構わないですが、本人はそう言われると、何を壊しているのかが全く分からないんですよ? 壊しているつもりがないから。
市川 そうなんですか?
富野 「劇としてこうする」とステップを積み重ねた結果だから。「作っているんだから、壊してはいけない」という感覚です。
市川 なるほど、逆なんですね。でも、そうして物語の世界が作り上げられていけばいくほど、観客の中の固定観念は崩れていきますね。そのぶつかり合いが、ファンとしてはたまらないんです。
――富野監督はドラマを「作っている」けれど、それを受ける側の中で何かが「壊れていく」。
市川 そうですね、「変わっていく」というか、「何かに染まっていく」というか。
富野 そう作るのは、せっかく見てもらえるのなら、ムダに見させたくはないからです。ちょっと違う価値観や、違う目線をドラマに入れる努力はするということ。ですが、僕は体質的に劇作家ではないので、そうしないと作劇ができない、という言い方もできます。そういう部分が苦しさとして出ていて、市川さんが言われた様に「壊れている」という風に見えちゃうのかも……という感じはあります。その辺りをもう少し優しく表現できる演出家だと、もうちょっと人気も出るんだけどね、って、特にこれからの時代、優しい語り口が必要じゃないかなとも思うけれど、僕にはそれができないんだよね……。
――ですが、ある意味「優しくない」からこそ、市川さんの心にも深く印象が刻まれているのでは?
市川 そうですね、それに、変えられても全く嫌な気持ちはしないんですよ。作品から、何かを持って帰れる様な感覚があって。例えば「ダンバイン」で私が印象的なのは、バイストン・ウェルから描かれていたキャラクターの国籍の違いや、そこから生まれる関係性が、地上編でより浮き彫りになる展開で、「ダンバイン」ならではのドラマだと思います。
富野 そう、そういう意味では、作り手がこんなこと言っちゃいけないけど……「ダンバイン」で鳥肌が立つ様な瞬間も、なきにしもあらずなんです。アニメでこれができたのなら、もう少し評価されても良いのに、どうしてダメなんだろうって事は、ずっと考えてはいます。そして、考えていると今度は、作り手である自分自身の問題が出てくる。るまり、自分の中に「作劇術」を持っていないという問題。すごく分かりやすく言っておくと、シェイクスピアになりたかった。
市川 あぁ……。
富野 でも、あの巧みな人間関係のドラマが、僕には作れない。
市川 富野さんの作品も、説明的じゃなかったりする部分は、シェイクスピアと似ていますよね。
富野 もちろん、それは意識しています。けど「映像作品としての劇」の組み方のセンスが、もうひとつ足りない。上手じゃないんだよね……。
市川 でも、富野さんの作品には、見た跡に確実に何かが変わるという感覚があります。だからこそ私は毎回、「見て良かった」と感じるんですよ。

アニマックス配信外の発言その他

富野:僕は仕事柄、絶対に自分の作品は見直さない人間なんだけど、今回渋々見返してみて、やり方は考えないといけないけど、今の時代に合わせた作りようはあるなと感じました。

実は、今のデジタル技術でオーラバトラーの実写化をできないか考えたこともあったのですが、どうしてもメカ論として突破できない部分があって、コックピットのデザインが分かりそうで分からない。『パシフィック・リム』に出てくるような操縦方法ではなく、あそこからもう少し突き詰めていけば、通用するような時代になってきたのかなという感覚はあります。

監督はオーラバトラーのサイズがちょっと小さかったことが気になっていて、反動で大きく印象に残るような……ハイパー化のような作劇をしました、いくつかハードルを越えればあの世界観を実写でやれそうな気もしていますと、気になる話題を披露。市川さんは好きなオーラバトラーを聞かれ(対談では好きなキャラクターの話のみでした)、ダンバインの名を。トカマク機のカラーが好きとマニアックな一面ものぞかせていました。

市川さんのブログ

http://saya-ichikawa.com/blog/3143/

富野さん、正直もっと怖い方を想像してたけど、いざお会いしたら全くそんなことなく、暖かい笑顔で出迎えてくださりました。「かわいい」と言ったら殺されるだろうが、お茶目な一面もあり、とてもピュアで優しい方で、あんなたくさんにお話できて光栄です。
現場の緊張感は凄まじかったけど。

また、アニマックスの収録分は対談全体の一部みたい。

Gのレコンギスタ劇場版アフレコ実施か

Gのレコンギスタ劇場版アフレコ実施か

この田中氏のtw、いつもなら「あぁ^〜また富野監督か、たまらねぇぜ」となるだけですが、次のtw。

このtwも合わせると、本日G-レコ劇場版のアフレコが行なわれた可能性が高いのではないでしょうか。


これらのtw群から、先週もアフレコが行なわれたのではないでしょうか。
追記:アフレコ自体はあった模様。char-blog.hatenadiary.org福井さんのその後の反応。ameblo.jp

JapanEXPO2016小形P接触

今月に入って、富野監督だけでなく小形P、声優陣もファーストガンダムの様にゲリラ戦を展開。

おまけ

LegacyEffects提携富野作品のリメイク対象がイデオンだったことを暴露。
多根氏はこれ喋っちゃって大丈夫なんですかね……(ポシャったからOKという理屈?)?

サマーコンファレンス2016 パネルディスカッション「世界に広がれ!〜Be connected to the world〜」富野由悠季発言メモ

富野 評価をされるってのはBEATLESくらいになってないと評価とは言えないんだ、って話です。最低限度、BABYMETALくらいにうけなければダメなのよね、って感覚はあります。
宮崎 BABYMETALお好きですか?
富野 ほら、この説明してると時間がないから。どういう風にうけたかってことで、BABYMETALはネットで調べて下さい!
(中略)
富野 赤信号ってのは人工的なシステムでしょ。津波ってのは人工的なシステムではないでしょ。どっちを大事にするって価値論を、我々は語ったことがあるのか。ものすごく僕良い例を話してる。自分でも感動してる。規則だルールだって言ってるけど、ここまでシステムが完璧になってくればなってくるほどなんです。我々はそれに捕らわれていて津波がくるってわかってても、だけど今は……って。足跡がついてるじゃないですか、ってじっとしている子たちをあなた方は育ててませんか。って時に、生命力とか耐久力とかくそ食らえですよね。そういう話です。そういうようなテーマでオーラバトラー戦記を作りたい。

とりあえずBABYMETALとオーラバトラー戦記言及分。

ANIME EXPO 2016 メモ

西川貴教氏の劇場版SEED言及

西川 ガンダムSEEDの映画が実はまだでき
てないんですけども、まぁせっかくラクスがいるんで。いつか、ほんとに僕も待ってるんですが、いつか映画ができたら良いなと思って。それに僕も楽曲提供できたら良いなと思っているので。

サンライズパネルでの佐々木氏の発言

A.小説やまんがからのアニメ化はこれからトライしてみたい

A.たいへんなので要望があれば頑張ってみます

A.(アニメ質問と誤訳)今アニメ化企画はないんです。他ゲームのゲスト登場をご愛顧ください

A.BNEに言っておきます

タレコミいただきました、ありがとうございます。

第8回宇宙エレベーター学会にてG-レコ劇場版言及

表題の通り、第8回宇宙エレベーター学会の活動報告にて、「Gのレコンギスタ」の劇場版またはOVA全3部作について言及がありました。コンテから全新作とのこと。
なお富野監督はスタジオワークのため欠席。

ただ、この大野会長の発言、字面通りだと逆シャアの様な新作劇場版に読めますが、これまでの富野監督発言を考慮すると、実際はスペシャルエディション的なものを言いたかったのだと思われます。

富野流仕事術〜自分の個性を信じる〜 メモ

とりあえずG-レコ劇場版言及部分のみ(ほんとは全部該当ではあるけども)。

富野 まずお話する前に、もう一つ皆さん方にご了解いただきたいことは、今日のこういう講演でもNHK文化センターさんがギャラを下さるということなんですけども、今日のギャラに関しましては熊本の震災の方に寄付をさせていただきたいと思いますので。よろしいですよね(会場拍手)?
(中略)
あと今日ビデオカメラが入ってるのも、こういうハレの舞台ってのはここしかありませんので。死ぬ前の遺影として(会場笑)、撮影しておいてもらいたいなと入れさせてもらいました。
(中略)
G-レコの大問題がありまして。ヒットしなかった(会場笑)。子供にウケなかった。つまりリアリズムの延長線上にある問題提起を急ぐあまりにドラマを無視した設定紹介の作品になってしまっていた。ですから本当に理解していたら、現在只今性懲りもなく映画版にかかっている、というところに話が行きます。今度はこれはこれで大問題がありまして。今まで富野さんってそういう仕事をやっているから、そういう実績に胡坐をかいて座っているんじゃないの、って言われたらその通りです。反論しません。少なくとも今回のGのレコンギスタの映画版については、今説明したようなテーマを設定しましたので、もう少し広く観てもらえる作品にしたいなという風に思ってますが、ここでお話した通りの方法の作品の作り方をしています。ですからドラマを作りなおしているという言い方もありますけども、一番分かりやすい言い方というのは今日の為に本当に考えました。どういう表現したら一番分かりやすいか。「G-レコをゆるキャラの様に作る」(会場笑)。ゆるキャラってのは何なのか。表現のシンボルとしての分かりやすさ。同時に血肉があって。だっこしに行っても良い。そういうのはあくまでも理念として背景に置いておいて、作品の面はゆるキャラにする、というのを考えています。ですからキャラクターを作っていく、上手に表現しているところからピックアップして、今再編集やったり新しい作画のカットや何かを作っていると、やっぱりとても面白いものになってるなと感じがしています。その事は基本的に自分が作ったものは間違いなく絶対上手くいくんだ、じゃないんですsそういう風に考えているんじゃなくて、。結局それは自分の我を表現することになる。エゴを表現することになるんで、そういう自己主張はやっちゃいけない。キャラクターの持っているものをちゃんと分かりやすくするゆるキャラ的な分かりやすい作り方をするということになるんじゃないのかな、という風に思ってます。
(中略)
Gのレコンギスタの映画版1本目というのは、とても面白かろう、と勝手に思ってます(笑)。これはエゴでしょう(笑)。だからヒットしなければ2本目作らせてもらえないんですよ。そうなると次の仕事がないからどうするか、っていうことで多少深刻になります。
(中略)
映画版の作業を始めてもう半年くらいになるんですけども、実を言うと改めて勉強したことがあります。
(中略)
シナリオの段階から抜け落ちている大問題を意識してました。何かって言うと、(ホワイトボードに「統治論」と板書)統治論。統治というのは治める。政治とか。統治論のことをかなり意識していたんですけど、TV板をやるまで改めて勉強してこなかったんです。それで今回映画版を1本目は作って良いよと言われたんで、一番初めにこのことを調べました。何でこんなめんどくさいことをするかって言うと、アイーダが番組が終わった後に世界中を統治することができる女王になる、女王にさせたいと思った。そういう資質を出したいと思った。それは映画版を作っている時に付け加えられると思った。

また、今回の講演は事前に用意した原稿を読むスタイルでした。亜阿子さんもいらっしゃいました。
カメラは劇場版のメイキング映像ではないでしょうか。

夜のG-レコ研究会 〜富野由悠季編〜 文字起こし その2

その1
http://d.hatena.ne.jp/char_blog/20160401

質問者1 ソフトにいきます。ターンエーを作られて、その後からG-レコ作られた訳ですけど、富野監督としては初めて時間を遡った作品を作られた訳ですが、その点について何か心境の様なものは。

富野 遡ってっていうのはどういう意味? 先に行ってなの、後ろに遡ってなの?
質問者1 ターンエーよりも昔の物語を作られたということで
小形 時系列的にっていうことですよね。宇宙世紀の時系列はターンエーが一番先にあるって考え方。
富野 (首を横に振りつつ)いやいや。逆です。ターンエーはG-レコよりも50……500年くらい昔の話です。
小形 昔の話なんです?
富野 そうです。
小形 え? 昔の話なんです(動揺、ざわめく会場)? え、ちょっと待ってください(会場笑)。
石井 え、でもそうなるんじゃないですか? だって、じゃなかったらカプルみたいな。
小形 あれでもZZ出てきたから。
石井 あ、そうかそうか。
小形 F91があって、Vガンがありますよね?
富野 (頷く)
小形 富野さんがやってないかもしれないけども、ガンダム的な時系列ではターンエーが一番なんか奥にある様に見えるんですけど。
富野 (首を横に振りつつ)違う。
石井 違うんだ。
富野 違う違う違う。
小形 これブックレットとか全部間違えてますよね(会場笑)。
石井 ここにいる皆さん知れて良かったですね。
小形 これちょっとスタジオパニックになる(会場笑)。
富野 何でそういう風に考えるの?
小形 ターンエーが一番奥に見えるんですよ。
富野 奥に見えるってのは簡単な言い方で、黒歴史みたいな設定があるからでしょ?
小形 そうそうそうです。
富野 そんなのはあのターンエーの時代の黒歴史でしかなくて。
小形 ループしているってことですか?
富野 あんなの関係ない。
小形 関係ないの(会場笑)?
富野 つまりその時代その時代に黒歴史的に見えてるだけの話で。
小形 見た感じだと宇宙世紀が終わってから1000年後の話じゃないですか。だからターンエーってもっと奥の話。
富野 奥?
小形 奥って言うか宇宙世紀がずーっと昔に思える位未来の話。
富野 いや、見える?
小形 見えます見えます。見えてたっていうかそうしてた(笑)。
富野 えーっ。見えてるとしたらそれはおかしい
小形 そういうつもりではなかった?
富野 全然そんなつもりもない。
小形 ターンエーがもっと前にあったってことですか?
富野 500年くらい前。
小形 (Twitterを見る)
石井 ざわざわしてます?
小形 これものすごいタイムラインが(会場笑)。僕の手元のTwitterが。吉田さんが「そんな気がしてたんだよな やったー」って書いてある。
富野 そういう話一切してないもん。
小形 えーっ。
富野 誰かが勝手に作ってることでしょ。
小形 そうです。
富野 だけどそれはそれでバカヤローとか言いません。それで良いんです。
小形 監督的にはそのつもりで作ってた?
富野 そうです。
小形 なるほど。だったらしいです。
富野 もしそうでなかったら、だって、ものすごい簡単な話で、クレッセントシップみたいなものをG-レコで作りませんもん。ターンエーの時にクレッセントシップレベルのものがありました? ターンエーレベルでは出来る訳がない。基礎技術もそうだし、エネルギーもそうなんだけど。ターンエーが一番パッとしなかった理由はその辺のことの強力なバックボーンを作らないで作っちゃったからなんです。そういう意味では過去のガンダムをずっと引っ張っている怨念みたいなものに引きずられて何となく作っちゃったからターンエーになってるんです。僕がターンエーって名前を作った時に、全部一派一絡げにしたものを作りたかったんだけども、何か引っ込んじゃったなぁ、むしろターンエーって時代設定的にも精神構造的にも後退したような気分があった。で、じゃあどうするかってんでG-レコの時にものすごく悪戦苦闘して、2、300年時間を飛ばしただけではどうしようもないってんで1000年飛ばした。1000年飛ばしてみたら、ガンダムの時系列からも離れて、独自の物語が作れるところまでのバックボーンが作れた。作れたっていう話で、さっきのリアルな話を一見しているようだけれども、リアルな問題も考えられるようにアニメに素材を全部放り込んだのは、今までのガンダムがやってこなかったことなの。ターンエーまではガンダムの話しかしてない訳。G-レコで初めてそこを突破できたという意味では、G-レコは遂にリアルなアニメになった。中国陸軍の逆をやってる。さっきの話の続きですよ。
小形 お姉ちゃんたちのアレではなく。
富野 生身の女性を使ってアニメをやらせるというそんな残酷なことは、それはしてはいけないよ、って話をこれ以後できやすい、っていうことも含めて、ターンエーではこの話はできない。G-レコでできる。だけどG-レコでできるんだけど、そんなリアルな話かって、すごくアニメ的で、むしろ年齢的にも下がってるし主人公達も。おもちゃっぽく見えるじゃないか、おもちゃだから力が持てるんですよね、て話を改めてしたいというところまであるんで。僕はG-レコというのはターンエー以上に力を持つと思ってます。チャチな話の様に見えてるけども。
小形 僕はちょっとパニックになりすぎてて、ちょっとなんかアレなんですけども(会場笑)。そうなんですか。ありがとうございます。この後色々と整理をしたいと思いますんで、一旦は皆さん今日聞いたことは胸の内にしまっていただいて(会場笑)、次の何かの機会の時にしれっとそうなってる可能性がありますんで。
富野 それでこれから2、3ヶ月皆さん方で討議していただいた上で、皆さん方なりにガンダム全史、みたいなものを作っていただければ良い訳で。そういう時にはG-レコの位置づけというものを今言ったところに置いていただけたら嬉しく思います。
小形 なるほど。全然収まってないですね(会場笑)。上手くすごい言っていただいてるんですけど、かなり今動揺が広がって。ライツ的にも動揺が広がって。はい、大丈夫です、何とかします。

質問者2 G-レコを見て親について質問したいことがあります。ウィルミット長官と富野監督が重なる部分があるなと思ったんです。激務の中で子育てをされて、しっかり育てられてると思うんですけど。

富野 (崩れ落ちて笑いつつ)そういう風に言っていただけるのはありがたいんですが、それは買いかぶりというものです。そういう意味では、娘2人がおりますけれども、こんなことを娘2人が聞いたら辛がることも分かりますが、僕は子育てを失敗したと思ってます。娘の立場に立てば失敗なんかしてないよお父さん、私達こういう風に暮らしてるじゃないの、っていうことがあるんで、子育てを失敗したという風には思ってないはずです。ただ、子供を持ったときの親っていうのは、ものすごく理想が高かったりする。僕が子育てを失敗したという言い方をしているのは、きっと自分の理想に沿ってくれなかった娘という者がいて。そういう風に育てられることを技術的に持てなかった、それから時間的にも持てなかった、っていう意味で、ほんとに娘に対して申し訳ないと思ってるのがすごくあるんですよね。むしろ謝罪感の方が強い。謝罪感が強いんで失敗したという言い方をしてるんだけれども、娘の立場にしてみたらそんなこと言われたらたまったもんじゃない。もし失敗してたら私もっとグレてるよ、って。とっくの昔に親元離れていなくなってるよ、っていう言い方があるからです。だからこの言い方もしてはいけないという風に考えたときに、どう表現したら良いかほんとに分かりませんが、親は親なり、子は子なりのそれぞれの立場があるんだ、っていう風に言ったときに、親にはそういう発想もあるんだ、考え方もあるんだ、だけど子供の立場で考えたらそういう風に思ってませんよって。今日までこうやって40になるまで暮らさせてもらってるだけでも、ちゃんと親は親なりのことをやってくれたんじゃないのか、っていう娘の立場もあるわけです。だからその立場もそうだろうと是認すれば、そういうものをやはり、そうなんだ、そういう風に言ってくれる娘がいてくれるという意味ではありがたいなと思うから、子育てが失敗したなんて口が曲がっても言っちゃいけない、という風に言葉がまた戻ってくるんですよ。言葉の表現ってのはそういうものだから、ほんとに気をつけなくちゃいけないと思うし、気をつけなくちゃいけないと思うんだけれども、G-レコの時系列に関して言えば(会場笑)。
小形 また戻って(笑)。
富野 いや、それは僕言ってないから。
小形 そうですね。
富野 言ってないから。僕は知りません。

質問者3 G-レコで見たオーシャンリングがとても印象的で、Vガンダムのアンダーフックとか、ターンエーのロランが運河人でしたね。富野さんの作品の海がとても印象的なんですけども、どういう思い入れがあって描いているのかをお聞きしたいと思います。

富野 これは現在宇宙開発をしている関係舎とか、そういうものに資金を投入しようとしている経済人とかに対して、もっと冷静になってくれという言い方をしたい。その為にオーシャンリングってのを思いつきました。まさか自分があんなものを設定できるようになるとは思いもしませんでした。設定することができたのは今言った様に、僕にとっては決定的な敵がリアリズムでいるから、そういう人たちに対し宇宙開発というものを冷静に考えてほしい。宇宙で暮らすということはこの程度のものがなければ人ってのは暮らせないんだよ、とほんとに分かってほしい。だからああいうものを作りましたというのがほんとのところです。そして実際にああいうものを劇中で登場させてみて思ったのは、やはり今言ったような、自分の想いを正しく表現できてると思うからこそ、大切にしたいなと思ったと同時に、海のことですけど、僕神奈川県の小田原で育った人間で、かなり波の荒い海岸線を見て、泳ぎまで覚えた人間で。僕潮っ気がないと実を言うと暮らしていけないっていう感じがあって。すいません、山の方には申し訳ない。山に篭るってことができない人間なんです。今言ったことも、実を言うと山の民を否定している訳じゃなくて、まさにああいう空気感というものを人間の身体ってのは嗅ぎ分けるんですよね。海風が臭うところ、海風が臭ったらちょっと辛いんだよね俺、っていうそういう人間の生体というものはものすごく敏感で、そういうものと本来共生しているものなんだ。こういう都市空間というものが我々にとって便利なのか、便利でないのか、健康に良いのか、健康に悪いのか、ってことを考えたときに、そう簡単にひとつの結論を出す気はありませんけれども、やはりそういうものをしょっちゅう考えなくちゃいけない、っていうことを表現するためには、やっぱりあって良いものだろうという風に思ってますので、今回オーシャンリングが上手くいったことと、やっぱり海というものを本能的にかなり好きなんですよね。隙なんでやはり山の民の方にも多少は潮っ気というのはたまには嗅ぎに来てくださいよ。僕だって、僕だってです。富士山には二度登ってますから。圧倒的なキャリアがありまして。その両方を……あっそうそう。その両方があったからG-レコの最終回はああいう風にしましたってことです。
石井 そっか、登山しましたね。ベルリ君は。
富野 それで富士山に二度登ったのは中学二年の時に一度登ったのは、ものすごく荒れてて山頂まで行けなかったんです。九合目で引き帰ってきて、雨というのは下から降るというのを知りました。翌年もう一度登ってみたら今度は完全にピーカンで、日本海と太平洋がパッと見えた(前後を指差しつつ)っていう。そういう様な体感はこの歳になっても絶対に忘れない。圧倒的な力としてあるというときに、我々は宇宙で暮らせるんだろうかっていうことをほんとに考えてほしい。月に資源を採りに行くという発想を持ってるキチガイ的な発想というのはそろそろ止めるべきで、地球をどれだけ長持ちさせるかってとこに行かなくちゃいけないんだよ、って話にまたスルッといけるんです。するとさっきの中国、韓国、日本、それから東南アジア全域でこの真ん中の海どう利用しようかって話にいくでしょ、ってのはアニメ観てからでないとこの話できない。G-レコを観てからでないとこの話できないんです。っていう話です。

質問者4 初めて初代のファーストのガンダムを観た時に、僕はすごく、平易な言葉になっちゃうんですけど、ロボットアニメだなと思って観て。最終決戦が終わってめでたしめでたしで終わって、アニメを観たなっていう感じだったんですけど、G-レコを観てアニメを観たっていうよりは、現実の問題とリンクするとこがあってリアルに感じた部分があったんですけど、今の現状を積みかさねていった結果はG-レコの様な未来にはならないだろうなっていうことを思って、何でかって言うと今のまま積みかさねていったら、G-レコみたいに宇宙に行って戻ってくるようなことは起きなくて。多分ヴァーチャルな世界に人類は引きこもっていくんじゃないかなと思ったんですけど、どうお思いですか?

富野 仰られている通りで今のこのままで行ったらヴァーチャルに行きます。ヴァーチャルのまんまで行ったときに、まさにヴァーチャルってのはファンタジーですから、リアルな社会の中でファンタジーをやられるんです。底抜けに経済論的に圧倒的に消費を拡大していくだけにしか行かなくて。今までの資本主義論で考えているような経済以上に、おそらく底抜けになっていくんじゃないのかな。だけどその為に地球というのはそういう無尽蔵の人類の消費行動っていうものを容認できるところまで支えてくれる訳がないんです。そういう問題をそろそろリアリズムで考えさせるためにはどうするかってことを考えさせる。考えさせるためには先程言った通りです。今の大人達はまだ19世紀のままなんです。頭の構造が。だったらという風に考えて先程言った様な方法論しかないので、アニメという武器とか、ロボットものという武器を利用して、次の世代に何とかニュータイプになってくれ、っていうそういう物語を作っていくためには、まずこういう一見アニメ・まんがっぽく見えているんだけどもリアリズムを想像させるような物語から入っていって、次の世代、次の世代、さっき言った通りです、30年単位が3代です。つまり100年位の間に地球を共同運営していく為にはどうしなきゃいけないか。っていうことの新しい方法論を人類は生み出していけるんじゃないのか、っていう風に思ってますし、生み出していかなければ人類の歴史はもう1000年は保たない。っていう風に思ってます。その為には経済論を含めての我々の考え方、それから生活の仕方についての考え方もそうだし、自然と共生していかなくちゃいけないというさっきの話ともリンクしたところで我々はどういう暮らしを選ばなきゃいけないかっていうことも、やっぱり新しく発見していかなくちゃいけない時代が来てるんじゃないのかなと思ってます。これは石油がすぐなくなっちゃうみたいな話は30年も40年も前からあるんですけども、結構保ってるじゃないか、って話が今日現在まであります。だからこの気分が永遠に続くと思うのはやっぱりもう止めた方が良いかもしれないし。僕は実は今言われてる温暖化の問題ってのは、必ずしも賛成派してません。賛成はしてませんがだけどやっぱり緊張感を持つためにはそういうものも大事な事で。これ以後風速70mの巨大台風が日本へ上陸するみたいなことを、やはりきちんと予定を立ててインフラ整備をしていくみたいなこともやはりやっていかなくちゃいけない。という風に、話が全部G-レコの話をしていくと、簡単にこっちに行けちゃうんですよ。そういうことを考えてくれる世代を育てていくようにするしかない。少なくとも我々には解決する方法は見つからないし。見つからないと思ってますので、だからやっぱりこれから5、60年みんなで耐え忍ぶための心構えを作っていくような、何なんだろう。やっぱり教育なのかなぁというところから話を始める部分がありますが、この話をした瞬間にまた文部科学省のバカ共、って言いたくなっちゃうんで止めます(笑)。

質問者5 (石井氏に)ベルリの収録で初めて監督に会う時と、最終回までご一緒した監督のイメージで変わったこととかってありますか?

石井 やっぱり皆さんが監督に初めてお会いになった時と多分同じ気持ちだと思うんですけど、やっぱり最初はどうしても富野監督はこういう人だっていうイメージしか知らなかったんで、実際にお会いした時には本当にもう緊張してて。本来100パーセント出さなきゃいけないのにちょっと怖気づいちゃって全然100パーセントも出し切れてないっていうことが多かったんですよ。でも収録が進むごとに富野監督がどんな方ってのは分かってきたので。
富野 とっても優しいお爺ちゃんだもんねぇ〜。
石井 そうですね(会場笑)。本当にもっと厳しい方だと思ってて。勿論厳しいんですけども、そこに愛情があるんですよね。だから、何だろうな、それに応えるっていうと違うかもしれないですけども、少しずつこうだろ、こうだろ、みたいなのを出来たら良いなと思いながら収録してて。最終的には僕、監督のこと大好きです。
富野 ……(笑)。
石井 って言うといつもこういう風に困るんですよ。
小形 ラジオの最終回でも大好きですみたいなこと言ってたね。
石井 そうですね。本当に監督に会えて良かったなって思ってます。
富野 だったら盆暮れの付け届けくらいちゃんとしてくれ(笑)。
小形 そうですよね。それはそうです。

質問者6 G-レコの内容的な面に戻ってしまうんですけど、ターンエーよりも先立ったG-レコの話ということですけども、ターンエーでは月光蝶によって文明がリセットされてしまったって状態だったんですけど、昨日発売された最終巻にも載ってるんですけど、G-ルシファー月光蝶を使ってるシーンがあるじゃないですか。ターンエーで文明を破壊したものをもう一度G-レコに持ってきた意図みたいなものをとても知りたいんですけども。

富野 単純に技術論です。ある有効な技術というのは継承されて繰り返し使われていくだろう、それだけのことです。特にG-レコの場合にかつての技術は保全しなければいけない、保全して良いのではないのか、それから意識的に人間というのはそういうかつての自分が憧れているようなものを再生するということはやるのではないのかな、ってことがあるんで、オーシャンリングにああいう組織を作った訳です。作ってみて実際にそういう技術というものを獲得して再現することができたときに、今度は人間が困ったことがあるのは、一度使ってみたい、ということが起こる。今回ルシファー程度の使い方しかしてないのは、要するに初めて実戦みたいなとこで使ってみて、あぁこんなもんなんだ、って思ってるとこで話が終わっちゃったからあれだけのことで。これ以後どういう風に展開するのかというのは、その時の人々がどういう心持なのかによって決定されてくる訳だし。今回G-レコで人間ってのは性懲りもなくまた同じことをやるんだよね、っていう様なことがある訳だから、物語を作ろうと思えばいくらでも作れるという言い方はあります。が、先程から話している通り、G-レコでは今回先程までお話した様な精神構造で作っている部分があるので、かつてのターンエーの時代の様なところに戻る程、何て言うのかな、キレる人達が出てくるとは思いたくないな、という風には思ってはいます。ただ、これも一応権利を売り渡しているトミノですから、どんなバカがどういう使い方をするか、それは私は知りません。それに関しては関知しません。が、自分についての思い入れはG-レコの部分で。

質問者7 女性に寄った質問を。リンゴとラライヤと三角関係がケルベスはあったんですけど、その辺の話とか、あと昨日も再放送観てて思ったんですけど、ミラジさんがギゼラさんにちょっとこうポッとしてたりとか。

富野 (笑)。その辺の話は勘弁してください。というのはもうちょっとやりたかったんだけど、後ろがなくなっちゃったんで全部尻切れトンボになってますんで、後は当事者達の関係性というのに期待しましょう。予定はしてました(笑)。

質問者8 G-レコを観ていてとても魅力的だなと思った部分がキャラクターが非常に自然に踊っているシーンが所々見られて。あと、アイキャッチとかもそうだったんですけど、踊るシーンが素敵だったんですけど、富野監督にとってダンスってのはどの様な想いがあってキャラクターに踊ってもらったのか、ちょっと聞かせてもらいたいなと思いました。

富野 今みたいに言われるとほんとにびっくりするんですが、もっとシナリオの段階では躍らせる予定がありましたけれども、実際の制作プロセスのことを考えると躍らせている暇がなくなっちゃったので、殆ど踊りをカットしてます。カットしたからこそアイキャッチャーで使って、何とかそういうイメージを見せたかったんですよっていうサインにしています。何故踊りのことをそういう風に想定していたかと言いますと、人類が一度全滅しそうになるくらいまであって、歴史をまた積み重ねてきた人々というのはきっと人間の身体のあり方ってのをとても大事にする人々だろうと思ってる。身体でものを表現するって踊りですよね。というものをすごく日常の中に取り入れていたんじゃないのかな。つまりご挨拶ひとつにしても身体を動かしてみせる。っていうことで、ちょっとしたステップを踏む、みたいなことで、ありがとう。ちょっとしたステップを踏むことで、手前ぇ殺すぞ、っていうそういう様なものを日常の中に取り入れてたんじゃないのかな、という風に思った。その事が身体性、つまり身体というものは、僕アニメの作品で今一番嫌なのは動かないアニメがとても嫌なんです。つまり動物でないからです。動くものでなくって、喋るだけのアニメというのはとても疑問を感じています。だからです、アニメの中で本当に身体性、つまり身体を動かすということの持っている意味というものをもっと大事に考えてほしい。さっきハグの話をしました。ハグするということは、これアクションでしょ? きちんと立ってるだけではハグなんかできないのに、何で立って喋りっぱなし、座って喋りっぱなしのガンダムの作品が何で多いんだろうか! っていう様なところにも実を言うと繋がってくるんです(小形Pを見つつ)。
小形 (笑)。すいません、すいません(会場笑)。
富野 だからアニメであっても人間の身体性ってのは大事にしていきたい、っていう事はほんとにアピールしたかったんですけども、だから今仰られた様なことはとてもびっくりすることで。ほんとは劇中でもっと常時いっぱい皆に躍らせたかったんですよね、ってのがあって。つまり、手前ぇ〜って言ってる時にもステップ踏んでるっていうG-レコの時代の人々がいたんじゃないのかな、っていう。本当はそれをやりたかったんですけども、それを本気でやると何が起こるかって言うと毎日毎日コンテを描く度に振付師ここに置いておいて、お前この振付考えろ、ってやらなくちゃいけない。これを今度はアニメーターに渡した時に、手前ぇこれ1カットで150枚かかるんだけど書け、って。明日の朝までに作画するんですか、ってそんなことできる訳がない。というので諦めましたというのがほんとのところです。

ガンプラ

小形 良い質問だったんでここで質問タイムは終わらせていただいて行きたいと思います。
富野 すいません。
小形 この辺りで1回ガンプラのやつをチラッと見ましょうか。こないだガンプラ選手権やって、石井君もなんか作ってもらって。
石井 何か(笑)。そうなんですけどね。ほんとはもっと色々やってみたかったんですけどね。
参考:http://bandai-hobby.net/g-reco/special.html
小形 これ監督選んだやつ。監督の意見聞かないと。
富野 だってこれが監督賞で、他に監督賞考えられなかった。これ他を見れば分かります。これが一番ユニークだったからです。
小形 次、安田さん賞見てみましょうかね。かっこいいG-セルフ
富野 だってかっこいいだけでしょ(会場笑)?
小形 めっちゃちゃんと作ってますよ。じゃあ形部さんの方行きましょう。これ監督。
富野 え、かっこいいだけでしょ(会場笑)。
小形 そう言うなと思ってたんですよね。
富野 面白くないもん。
小形 山根さんの作品行きましょうかね。
富野 ね、かっこいいだけでしょ。
小形 これでも結構鮮やかだと思うんですけど。
石井 トリッキーパック作ったんですね。
小形 じゃああとスタジオ賞。これ僕が選んだ奴ですね。
富野 これちょっと変でしょ。
小形 そうですね。僕は変なの担当だったんですけど。これとかグリモアハンバーガーになったちゃったって奴。面白かったんで選ばせてもらったのと、これは結構綺麗な。綺麗ですよね。
石井 綺麗ですね。
小形 バンダイさんが選んだ賞ってのが、こんなの選んだんだ。ルシファーが自然の。これどうですか監督的に。
石井 お花みたい。
富野 これは僕は2番手か3番手に予定してました。
小形 これ結構自然の中で映えますね。次。これはかっこいいだけになりますね。
富野 かっこいいだけ。
小形 じゃあ最後のバンダイ賞は。これは。
石井 すごい。
小形 すごそうですよね。
富野 だからこれはバンダイ的に言うと色んなもの買わせるっていう魂胆ね(会場笑)。
小形 原価がかかってるからこれは良いと。なるほど。それでバンダイ賞ということで。じゃあこれを見た後で石井君の作品を見てましょうか。
富野 かっこいいだけでしょ。
石井 素晴らしいですよ。
富野 これ?
小形 これクリアーバージョンを作った。
富野 組んだだけでしょ(会場笑)。
小形 言っちゃった。
石井 墨入れちょっとしてるんですよ。ちょっとだけ出来る部分。
小形 写真はバンダイさんが撮ったんですよね。
石井 そうなんですよ。ただG-セルフは作りたいなと思ってたんですけど、折角ならクリアーパーツのもの作ろうかなと思って。
小形 作った。
石井 作ったんです。元々はほんとはもっと。
小形 やりたかったんだけど時間がなかった。
石井 そうなんですよ。
小形 結構ギリギリで頼んじゃったんで。売れっ子ですから。お忙しい身ですから。
石井 いやいやいや。
富野 ふと思い出しました。石井君の年齢の時に自分も組むだけだったよね(笑)。
小形 じゃあ大丈夫。他の方にも作ってもらってるんで監督にちょっと。アイーダの嶋村さん。嶋村さんが作ってくれた、何故かアルケインじゃなくてグリモア
富野 いや、ほんとにそうなの?
小形 そうですよ。
富野 へぇ〜。
小形 良いですか?
富野 ちょっと良いとは言い難いんだけれども(会場笑)。
小形 良いって言いましょうよ。
富野 こういう風に作れるっていうのはすごい。
小形 嶋村さんに作っていただいて。
富野 へぇ〜。良いじゃない。
小形 可愛いですよね。嶋村さん、良いじゃんいただきましたよー。次じゃあかぬかさん。アダムスミスのかぬかさん。
石井 これジャハナムと。
富野 やっぱり映画的なセンスがあるのね。年齢が見える。つまり映像を作るという。視点を持ってて。
小形 声優さんより演出に向いてたかもしれないですね。かぬかさん見てますか。映像的なセンスが監督から中々。
富野 だって今までガンプラコンテスト全般見てて、こういう写真ってあった?
小形 いや、なかったですね。二体使うのも中々。
富野 映像でものを考えるとか演出をするってセンスをお持ちだって。
小形 かぬかさん、今度絵コンテ描いてみませんか。
石井 伝えときまーす。
小形 じゃあ次ギゼラ役の佐竹さん。上手いんですよ。
富野 だから、えぇ?
小形 監督より上手いんじゃないですか?
富野 上手い上手い上手い。
石井 監督より。
小形 監督より上手いですよね。
富野 この塗り分けなんか。
小形 センスありますよね。
富野 すごいと思う。あの顔で!?
小形 いやいやいや、そうですよ。あんな女性なのに。
富野 だから。
小形 そうなんですよ。こういうのが。
富野 すごいね。
小形 次が、杉浦さん行きましょうか。
石井 チッカラ。
小形 チッカラの杉浦さんもこれ作りました。ジャスティマ。すごい頑張ってます。
富野 へぇ〜。
石井 これ何で塗ってるんでしょうね。
小形 すごい質感が。どうやってるのか全く分からない。
富野 僕もう分からなくなってきた。女の人が何でこんなことやるの?
小形 いやー、分からないです。良いことなんじゃないですか。
富野 これ偏見なんだよね。
小形 今女性もガンプラ作る時代ですから。最後がハセガワダイスケさん。「Gの閃光」歌ってる。
石井 え(会場笑)?
富野 線香だ(笑)。
小形 これタイトルがGの線香なんですけど、線香が光の方じゃなくて線香花火の線香ってタイトルになってますね。
富野 だから皆すごいねぇ。
小形 皆頑張っていただいて。
富野 その上で、こういう風に見せられて分かるんだけども、やっぱり僕が一番偉いのね。とても変じゃないですか。
小形 監督賞を最後に見てみましょうか。
富野 ね。
小形 これはすごいですね。
富野 これはこれですごいのよ。
小形 すごいセンスを感じますけどね。オタサー姫とかそういうタイトルだったような。
石井 そうなんですか?
小形 アルケインが真ん中。
石井 ほんとだアルケインだ。
小形 G-セルフに囲まれて。マックナイフのパーツと。
石井 脚マックナイフだ。
小形 はい、こんな感じで皆さんも色々G-レコのプラモデル買っていただいて遊んでいただければと思います。
石井 パーフェクトバックパックも出るんですよね。
小形 出た感じです。
石井 買わなきゃ。
小形 石井君買って、是非Twitterとか上げてください。一応昨日最終巻が発売されて安田さんのBOXが付いてますんで。
石井 初めて見ました、僕今。
小形 バンダイビジュアルさんががっちり安田さんに張り付いて、何とか上げさせたBOXのイラストです。
石井 これバックパックが全部載ってるんですね。
小形 もっと初めの予定では、安田さんにこんなこと言うと怒られるかもしれないですけど、もっとバーッと揃う様な感じだったんですけど、ちょっと時間がもうヤバいってことで、ロングの方に色んなバックパックがいるんですけど、ちゃんと入ってます。監督どうです? ご覧になって。
富野 僕も実を言うと初めて見て、えー、うん。ほんとのことは言えません(笑)。
石井 気になるなー。
小形 だそうです、安田さん、すいません。
富野 いや、ほんとにご苦労様でした。って言うのは手間を掛けてるから。
小形 そうです、非常に。
富野 ただ、ほんとのことを言うと、手間を掛け過ぎてちょっと問題がある、っていう感じはあります。つまりちょっと重っ苦しい感じになっちゃったな。安田的な軽みがないかもしれない、っていうのが手間を掛け過ぎたという感じがあります。
小形 ということです、安田さん。一応キャラも描いてもらったんですよ。ベルリとアイーダ。では時間になりましたんで名残惜しいんですけど時間になってしまいました。一言ずつメッセージをいただいて皆さんに対して。終わろうかと思うんですけど。まず石井さん。
石井 僕からで。まず本日お越しくださった皆さんほんとにありがとうございます。急遽来ちゃったので。
小形 ほんとにありがとうございました。助かりました。
石井 昨日最終巻発売されて、実は僕自身も何回も最終回観てて。今でも覚えているのがベルリ君の最後の台詞なんですけど、僕はこれで世界一周するぞ、って台詞をどうしても最終回の収録の時に言えなくてというか言いたくなかったんですよね。でもその後に色々考えて、ベルリ君を送り出さなきゃいけないなと思ってやったらそれでOKが出たので。再びG-レコを観ていくと本当に色んなキャラクターがいて、色んな描写があって、生活感が溢れてて。何だろうな、富野監督が仰る通り、アニメなんだけど現実味があるっていう作品なので、今ずーっとBlu-ray観ている方ももう一度1話から、ね、是非観直してまた新たな発見をしていただけるともっと楽しめるんじゃないかなと思うので、今後ともG-レコを宜しくお願いいたします。本日はありがとうございました(会場拍手)。
小形 では監督。
富野 今日こんなに話す予定がなかったので、ちょっと自分でもびっくりしてるし、本当にごめんなさい、皆さんの時間をとってしまって。ただ、さっきまで喋った様なことも喋る気になったのは、実を言うと皆さん方のお顔を拝見したからです。G-レコスタートの時点でのイベント上映会の時から、実を言うと2、3ヶ月はガックリしてた時があるのは、旧ガンダムファンの年齢を引っ張りすぎてて、世代が変わらないんじゃないのかという恐怖感に、本当に囚われてたんです。今日ここに来るのも実を言うとかなり嫌だったのは、そういう僕が知ってる人だけが来るんじゃないだろうか、っていう落ち込みがあったのは、さっき言った様な話をする気にさせてしまったんです。殆どの方が初めての方で間違いなく年齢・世代が下がってて。先程のお話でも分かる様にほんとに皆さん方がお父さんお母さんになったときに、今度はお子達に見てもらえる様な作品にしておきたかった、っていう部分がありますし、そういう継承する作業が皆さん方がいるお陰でできるかもしれないと思わせてくれたことがほんとに嬉しい。そういう意味では本当、小形からも言われてるんですが、歳のことはあんまり言うなと言うんですが、やっぱりこの歳になると継承してくれるかもしれない方の顔を見ることができるということがどんなに嬉しいことかというのは、分かってくれとは言いません。歳をとらないと分かりません。本当にそういう意味でとても嬉しくさせてしまってる部分がありますので、多少リアリズムでヤバい話もしちゃいましたけれども、某国会議員の様に誤植だったとか、誤謬だったとか、そういう様に言った覚えがなかったとか、そういうストラクチャーを使ってなかったとか、言い方しません。そういう覚悟も持てる様になったのもやっぱりこういう皆さん方の顔を見させていただいたからです。本当にそういう意味では今日いらしていただいてありがとうございます、ありがとございます、本当にありがとうございます(会場拍手)。
小形 監督ありがとうございました。一応このG-レコ研究会、BDが出ている間は何とかやっていこうということなんで、一旦これで区切りにはなるんですけど、監督もまた金融編とかやりたいとかそういう感じになるし。
石井 金融編?
小形 今日本当は吉田さん色々言われるところだったのがなかったりするので。また我々は来月9月12日にイベントありますんで、毎月G-レコのイベントがありますので、不定期開催になるんですけど、ここでまたお集まりいただければと思ってますんで。またその時に色々良い話もできればと思っておりますので。まぁ全然、まだ何にも言えないんですけど。監督も色々頑張っておりますので。
富野 そうなんだよね。G-レコにひとつ大問題があるのは、AKB的にならなかったってのは大問題でね(会場笑)。
小形 そうですね。100万枚ですね。
富野 100万枚とかないとお祭りできないからそっちが問題なんだよねぇ。
小形 ま、30年かけて100万枚売ってく様に頑張りましょう(会場笑)。
石井 ゆっくり頑張りましょう。
小形 監督も30年経って100歳のなんか貰えますよ色々。
富野 やだやだやだやだ(会場笑)。それは嫌だ。
小形 以上な感じで本日は本当にありがとうございました。
富野 ありがとうございました。
石井 ありがとうございました(会場拍手)。

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