読売新聞夕刊10年02月06日号「予定通りの人生、まずない」

【斧谷稔】大富野教信者の会part123【井荻麟】

大学で映画を学んだ富野さんが、アニメ業界に進んだのは偶然が重なった結果でした。
「新聞の求人広告で、漫画家の手塚治さんが設立した虫プロダクションの募集を母が見つけてきてくれました。小5で少年誌の定期講読を始め、初回に「鉄腕アトム」の連載がスタートして読んでいたんです。面接試験を受けたら、運良く入社できた。たまたまです、本人の予定通りにいく人生なんて、まずない」
鉄腕アトム」のテレビ放送2年目に入社し、3年をすごします。制作進行などの仕事をした後、演出を担当。脚本を基に、作品の流れのすべてを決める役割です。
「アニメの演出はお芝居と同じ。漫画と違って前に戻れないから、一度見るだけでわかるようにしなくちゃいけない。30分番組の1話を作り上げるのには3ヶ月ぐらいかかり、常に4本ぐらい平行して作っていました。毎週放送するのは過酷な作業です」
1979年に放送開始の「機動戦士ガンダム」はパイロットが人型ロボットに乗り込んで地球や宇宙で戦う物語です。
「巨大ロボットがいても普通に見られるドラマを作りたかった。ロボットは下等と思われるのが嫌でね。ドラマがあって、リアリティーをもたせるために戦争ものにしたんです」
もともと宇宙旅行に興味があり、SF作家のアーサー・C・クラークさんの短編が、描写のうえで参考になりました。
「物語世界をリアルに描くための表現のあり方を学びました。感覚ではなく、論理性が必要なんです。一つの台詞を普遍的な言葉として定着させるため、導き出すのに3、4日かかったこともあります。たえず社会を観察し、考えるくせをつけなければ、みんなが見たいものは作れません」
続編の「機動戦士Ζガンダム」を85年に放映。17歳の主人公が最後に精神崩壊する話でした。それから20年を経て、映画の3部作を製作します。
「当時の力量で全力投球しましたが、放映が終了してから批判されました。少年が戦闘服をずっと着ていたら、おかしくもなる。映画版で見やすく作り替え、スタッフも頑張ってくれました。映画は見ても損はさせません」
ガンダムはテレビ放送開始から30年がたち、世代を越えてファンがいます。
「30年。年をとったなあ。ガンダムしか作り出せなかった悔しさ、無念もある。でもアニメにかかわってきて一番嬉しいのは、30周年を迎えられたことです」

503 :通常の名無しさんの3倍:2010/02/06(土) 21:45:26 ID:???
中高生が富野にインタビューして文章を作ったんやって

誤字・変換のおかしいところを微修正。