天地創造インタビューメモ

富野由悠季

  • ロカルノ映画祭に来ていた朝日新聞の記者が書いた「アニメ新世紀宣言」についての記事は、TVアニメとともに育った世代がアニメブームを担い、そしてブームのあとにアニメがどうなったかをコンパクトにまとめたものだった。その取材を受けたことで、僕自身が30周年の全体像を改めて思い出すことができて、ありがたい記事になった。(当時、ガンダムという作品が新しい時代の扉を開けた、という自覚はあったか? という問いに対して)全くない。よく仕掛けてよくファンが集まってくれた、という気持ちと、もうちょっとスマートなイベントにしてほしかったなという気持ちだけ。今にして思えば、時代を作るということは、当事者が意識して仕掛けられることなどではないってことです。
  • お台場のガンダム像の来場者数は、僕も関係者も結果の半分以下の人数を想定していた。この成果を前に思うのは、アニメとかガンダムの実力が400万人を集めた、というふうに間違ってはいけないということ。「新世紀宣言」の当時を振り返って足りなかったと思うのは。僕や関係会社のスタッフの意識なんです。そこが30年経った今の反省点です。
  • 当時商品化されたガンダムの腕時計がおもちゃっぽい意匠だったことに、ファンはもう子供じゃないって分かっているのに一流の時計メーカーとコラボしてちゃんとした腕時計をださなかったのかと怒った。30周年を経て、今ようやくお店に並んでいるようなグッズが、本当は当時に欲しかった。それが時代の半歩先を行くことだと思っている。
  • ユニクロの柳井社長のような人がいれば必ずそう(上記腕時計の件)しただろうに、そういうプロデュース能力のなさが結果的にZのようなものしか作れなかった、ということに繋がっている。
  • (パート2にあたるZを作るということは、やはり無念なことだったのか? という問いについて)作品は絶えず新作であるべきだと思っているので、徹底的にそれはありました。だからZでは、なんとか新作風にしようと、タイトルにZをつけず、主人公たちも入れかえて物語を作ろうとした。それでいうと、逆シャアというのは、もっと雑なわけですよ。しかし興行というのは常にヒットを続けなくてはいけないという脅迫観念があるから、どうしてもそこに行こうとする。これもまた、ガンダムとの30周年で教えられたこと。
  • (そういう意味で言うと、ガンダムという存在が嫌になったことがあるのか?)…まずZが始まる前。それから次がVが始まるとき。このときは、フィルムを作ったことのない人物までが作品に口を出してくるという絶望的な状況があって、その一方で「50歳を過ぎて今更自分のプロダクションを持つなんてできない」という気持ちもあった。だから本当に惨敗感しかなかった。
  • (Vにはそういう諦念がベースにあるように感じられるという指摘に対し)そう、諦念ですね。ただ当時気を付けたことがあって、Zの時はそういう関係者への怨念をぶつけるという部分があった。でもVのときはそんなふうに怒り続けながら1年間のシリーズを作ったら、本当に頭がおかしくなってしまうと警戒した。それで1話ごとには、できるだけすっとひっかかりなく観られるドラマを創ろうと心がけた。実際、TV局のPから、面白いって何度か言ってもらえるまとめ方が出来たエピソードを手に入れた。まぁ、最終回前の数話はそうもいかなかったけれど、それでもなんとか正気を失わずに1年間のシリーズを終えられた。そうしたら半年もしないうちに鬱がきてしまった。
  • 鬱から脱出してきたときに、比ゆ的な意味で「病室から出る」にはどうするべきか考えながら作ったのが∀。だから反省点としては自己治療のために作っている側面があるということ。でも逆に言うとアニメや映画という公の媒体はこうあらねばならないという、最低限の姿勢を示すことができた作品であるとも思う。ちょうどガンダム20周年で、当時の働き盛りが皆どこか浮かれていて、それを自覚しないまま働いている人が多いと思ったし、メディアを通じて病気を撒き散らしている人もいた。だからこそ、そうではない「ガンダム」として∀を作ることで、ガンダムなありアニメを底支えできるようにしたいと思った。そしてそれなりの底支えの足場は作ったという自負もある。
  • (RoGが∀の企画時タイトルと同じことについて、想いが反映されているのか?)全然違います。∀以降の10年間の僕を舐めてもらっては困ります(笑)。∀のときに僕は僕の持っている言葉を使い切ったという感触があった。でも去年(09年)からアーレントの本を読み始めて、新しいシリーズを作るだけの心棒を手に入れたと感じている。それまで自分がもやもやとしていた政治論・時代論が彼女の言葉で非常にクリアになった。そして、アーレントの思想というのは、アニメという記号の持つ倍体力でドラマを作っていくメディアでこそ、効果的に描けるだろうとも思っているので∀とはバージョンが違う。僕が想定するRoGの舞台装置やドラマのポイントは皆アーレントに関係する仕掛けになっている。ビューティー・メモリーは千の顔を持っている設定は、それにもちゃんと意味がある。…なんて、こういうことを話すことができるのも、実はガンダムを作ってきたからだ、というのはある。
  • (上記について)ガンダムを作るということが僕のトレーニングだった、ということ。好きなものだけ作っていたら、こうはならなかった。むしろありもしない「作家性」に絡め取られてダメになっていただろう。ガンダムを作らざるを得ないから、色々なことを勉強して、自分の技術を磨こうとしているから、アーレントの言っていることも飲み込めるようになった。そういう意味で、「ガンダム」というのは。自分の人生を支えてくれたものだと思っていますし、朝日新聞の記事でも言ったが、この30年こそが新世紀へ向けての助走だったんだと、今、感じている。

安彦良和

  • (今後のガンダムについて思うこと)昔は富野由悠季が作るものだけがガンダムたり得ると思っていたが、最近ではいろんなガンダムがあってもいいなと思えるようになった。しかし、そのなかでも「ファースト」だけは別格であってほしい。それは今でも強く思っている。正直言えば、他の作品と並列に語られることが我慢ならないほど。源流にこの作品があるということを、若いガンダムファンにも知ってもらいたい。

大河原邦男

  • (意図的にリアルな要素を取り入れようとした部分はあるか?)それはない。私の場合、監督が求めるものを生み出す職人技を身につけたいと思っていたから。それができれば、あらゆる世代の監督の要望にも応えられる。それは何歳になってもこの仕事ができることを意味している。その訓練が一番大事だと思う。我々アニメーション作りの世界は完全にチームプレイなので、一つのセクションだけ優れていても、また天才だけ集めても上手くいくとは限らない。根本的には監督が求めているものを各セクションが忠実にできるかが勝負になってくる。監督ごとに考えも異なるし、明確なデザインが提示されるわけじゃないから、それを自分の頭の中で構築して形にする、その訓練は怠ってはいけないとこですよね。よく誤解されるが「こんなメカを作ったから作品にだそう」ではなく、作品に合わせてメカを作るんです。そのためには。結局スキルを積み重ねる以外にない。色々なジャンルの作品に参加したり、コンセプトワークをやったりすることが重要になる。たぶんガンダムの仕事だけを続けていたら、3本くらいで何もアイデアが出なくなったと思う。でもガンダムのような格好いい作品をやりたいという人は、ギャグものをやりたがらず、下に見る傾向があるんですよね。それはデザイナーとしてマイナス要素。もう少し悟った方が良いと思う。
  • ガンダムとは)ひとつの勲章です。それまでメカデザインはひとつの役割でしかなかったが、ガンダムで職業として認識され始めた。最初にメカデザイナーというクレジットを頂いた身としては、絶対に職業として成立させたいという気持ちがあったので。なにがなんでも60歳まで現役でいようと思いました、SEEDシリーズで達成したので、あとはもう好きなことをしようと思っています(笑)。
  • (今後のガンダムに期待すること)もうお嫁にだした…という気持ちです。ファーストでマーチャンの重圧を解放して大成功した時点である程度完結している。それにガンダムというのは自分からやりたい、という作品ではない。サンライズ作品に合うデザイナーを選べばいいし、監督が好きなデザイナーに発注すればいい。もちろん、私のメカがいいということなら、全力でやるスタンスでいます。

明貴美加

  • ZZの初登場まで、監督に会わせてもらえなかった。初めてお会いしたときには「ずっと会いたかったんだよ! オマエに!」と抱きしめられた。これは嬉しかった。その後クイン・マンサのデザインで呼び出されて2時間説教された(笑)。最初、最終回ということで自由なイメージでオーラバトラー系というか、怪獣、生物系のラフを描いた。そしたら、デザインの善し悪しではなく、最終回だから何をやっても良いと考えるのは間違いだ、と。それで、俺がラフを作るから、その通りに描けということなって、共同作業で仕上げた。
  • ZZは個人的に1/144での変形合体が目標だった。ガンプラ世代なので、立体ありき、プラモありき。Zのプラモは変形機構の完全再現が出来なかったので、非常に残念だなとおもっていた。
  • (今後見たいガンダムについて)自分の考えもつかないものが見たい。自分が若い世代のときに受けた驚きと同じような、想像も付かないガンダム。そういう意味では00は衝撃だった。

重田敦司

  • 富野監督の中でも、MSのエフェクトに関しては、「逆襲のシャア」で完成されている部分があるんじゃないかと思う。「∀ガンダム」の時でも、エフェクトの描き方などは「逆襲のシャア」のバリエーション的な指示だった。
  • 胸に白い十字架のある∀ガンダムのイラストが「シド・ミードの代表的∀ガンダム」として大きく取りあげられているが、実はあとから色々と追加したもの。十字架は「胸がさびしい」というリクエストに答えて、のイラストのためだけに追加したもの。頭が顔に比べて大きいのは、頭が壊れて中に本物の顔があるというアイデアを加えたもの。本当のミードガンダムと呼べるのは、三面図のバランスに比べて顔が小さくて、胸に十字架がないもの。
  • ∀ガンダムは普通のMSとは違って難しい部分がある。例えば本編でも「いかり肩」にする人が多かったのでレイアウトチェックでよく修正していた。自惚れるわけではないが、今でも∀ガンダムをちゃんと描けている人はいないと思う。

福田己津央

  • (SEEDのオファーを受けた時の気持ち)ガンダムと言っても、特に深い思い入れはなかった。あくまでアニメーションの1ジャンルとして捉えていたので。ただ、ムーヴメントを作っている点が、他の作品との決定的な違い。レンタル店から人知れず消える作品と違い、ガンダムはどのシリーズも消えない。つまり失敗したら未来永劫、恥さらしになる。そうなったらしばらく仕事はないだろうと覚悟はしていた。
  • (SEEDのスタンス)ガンダムって、いわばブランドなので、粗いものや、ただエンブレムを付けただけの安物をだしたら、ブランドを汚し、寿命を縮めることになる。兎に角、ブランドの精神性は守らないといけないと思った。
  • とはいえガンダムのブランドを大事にしつつも、そのままでは古い部分がある。そこは昔の作品を今風に直すのではなく、今の子供たちに合わせた条件をガンダムに当てはめる。ファーストから20年が経って、今の子供たちの価値観は大きく変わっている。WWIIのテイストを出してもピンと来ない。「このガンダムって僕たちの話だよね」と言える作品にしなきゃいけない。要するに、子供たちが共感できるドラマであることが重要なんです。それには当時の子供たちがおかれている状況、見てきたもの、悩んでることや考えを理解しなければならない。仮に今、野球漫画を始めたとしても「巨人の星」では今の子供たちは共感できない。時代に応じてキャラクターやドラマが変わっていく必要がある。
  • (SEEDがその後のアニメに大きく影響を与えたことについて)でも、最近「ガンダムが安売りされていないか?」と思うことはある。そこはSEED、DESTINYの悪影響で、逆にブランドを落としてしまったのでは、という気持ちがある。数が売れなければならない、売れればいい、という流れを作ったんじゃないかという反省点はある。DESTINYの時は色々なプレッシャーを感じた。そんな周囲の空気が違う状況だと、作品が周囲の目論見からどんどん離れて、本質を見失ってしまう。例えば、ストーリーを複雑にして、派手な戦闘シーンを用意してガンダムをかっこよく描くことだけでは作品は面白くならない。
  • (作品の本質とは)作品は視聴者に「感動」を送るもの。そのためには人間を描く以外に無い。戦争を描くなどというのは正直無理で、アニメはドキュメンタリーじゃない。大切なのはキャラクターの思いを届けること。そのためにストーリーをドラマにしなければならない。最近ではドラマとストーリーの意味を履き違えている作品が多い気がする、実に嘆かわしい。根本的に違うということが分からなくなっているのかも。そういう点にも、DESTINYが悪い影響を与えてしまったのではないかと思うことがある。
  • DESTINYでは、ブランドが守り続けるべき軸がブレてしまった。主題歌の歌手は誰にしようかとか、メカは何対だそうかとか、それらが先に立ってしまい、妥協してしまった。当時のことはもう、仕方が無いとしか言いようが無い。
  • (今後のガンダムに期待すること)何を引き継いで、何を変えていくかが重要。SEEDは今の子供たちにには共感できる物語ではないので、時代ごとに子供たちに合わせたガンダムを作り続けていくことが必要だと思う。ファンと一緒に年齢が上がっていったのでは、次の40、50周年を迎えるのは難しくなってしまいますよね。僕もそういう点に注意して、これからも携わっていきたいと思います。

アベユーイチ×近藤信宏

  • アベ氏の中では、ネオトピアの設定などがちゃんとガンダムの正史に入るように考えられている(近藤)。過去に巨大ロボットや人間そっくりのロボットが存在した時代があった。しかしそれは不幸な戦争を生むしかないという結論に至り、ネオトピアができ、結果としてSDガンダムにたどり着いた(アベ)。
  • ネオトピアのツインタワーは人間とロボットの共存をイメージしている。塔の近くには封じた過去が眠っているという設定で、機会があればそこに封じられたものを持ち出す話もやろうと思っていた(アベ)。
  • ガンダム史上、稀に見るSF(近藤)。かなりハードなSFだと思いますし、どこを突っ込まれても答えられますね(アベ)。
  • ザコザコアワーは本編では触れられない部分を補完するためのコーナー。実はスタッフの自虐ネタで、内容は身の回りで起こっていることで、ザコの性格・口調もスタッフそのまま。元になったスタッフがちゃんといるので、ドキュメンターとも言える(アベ)。
  • アメリカでは前半26話までしか放送されなかったのが悔しい。CNNでも取りあげられて、かなり人気があったのに。後半こそ見て欲しかった(アベ)。
  • 実は52話以降の展開もあった。52話までの1年間は助走のつもりで、本当はタイムパトロール編でいろんな世界に冒険するのが本編。ダークアクシズ要塞とか、ソウルドライヴとか、いろいろ謎を残してしまった。機会はないだろうけど、また作りたい(アベ)。

近藤氏は学生時代、新潟に住んでいたらしい。そこの件はうなずくばかり。
他の方は後日。


郷里大輔氏のご冥福をお祈りいたします。