サンライズフェスティバル2010冬銀河 富野トークショー博多初回

富野:こんなバカな企画にこれだけ集まって、みんなでバカだぞ、って言い方もあるし。そして、一つは今日皆さんのお顔を拝見してからでないと、話す事が決められないという事があったんで。ほんとに決めないで来ました。そして現にもうひとつだけ言える事があるのは、こういう風に見せられて(ガンダムヒストリーのこと)、つくづく自分が年取ったって思うでしょう(笑)。僕はこの30年間、サンライズさんとの付き合いがありますんで、毎年というのは嘘ですけど、まぁ、2年に1回は嫌でもこれを見せられるんです、オープニング集というのを(風の噂ではサンライズ忘年会のことらしい)。それで来ると、うわ〜…10年単位でうわ〜うわ〜っていうのを、3回やりましたから。そりゃ、かなり地獄です。そして、こういう所にこうやって集まってるのは既に嫌だな…(笑)。
尾崎:でも今日のこのオープニング集って、こういうイベントでしか観られませんから。たぶん皆さん初めて? 監督はまぁ…。
富野:あの…(笑)。この人は営業ですから、外部の人に向かってこうして平気でこういう事言う訳。だけど作り手側からするとね、こんな事でお茶濁してね、人を集めるな! っていうね(会場笑)。
尾崎:最初に本番はトークショーだって言ったじゃないですか。
富野:俺…あ、「俺」って言っちゃいけないのね。僕ね、「トークショー」って言葉自体が大っ嫌いなの。トークがさ、何でショーになるの? これも営業の連中の造りだした言葉で、この20年来トークショーという言葉は使われてるんだけれども、ほんとこれ嘘なのよね。ショーでもなんでもないよ。ショーっていうのはね、って…(会場笑)。何人かご婦人がいるから迂闊に言えないんだけれども…(会場笑)。
尾崎:これはまだ早いね。
富野:この年代が思ってるショーっていうのはね…(会場笑)っていう事ですよ! これ以上言うと、どっかその辺にカメラがあるんで、またどっかに流れるってことがあるんで、これ以上の事は慎みて自己規制をしておかないと、とんでもないことにあちこちにペッペッペッと飛ぶんで。今日は内内に油断しないで、一応公共に向けて発言する努力をします(会場笑)。
尾崎:はい、よろしくお願いします。とりあえず座りましょう。
富野:ここ座りにくいから嫌(会場笑)。
尾崎:いやいやどうぞ。ちゃんと足載せるところもありますから。
富野:こういう事も何も考えてないんだよね。短足がこの椅子に座ったらどういう事になるかってね、何にも考えてない!
尾崎:足かけるとこありますよ。
富野:だから、違うの。ますます短足が見えるっていうのがこの椅子の構造なんだって事がほんとに分かってないのね。みんなにはマジな話してんのよ。演出的なセンス、営業マンってのは兎に角持ってない!
尾崎:1件ちょっと自己弁護というか。今日きっと、監督は(服装が)黒だなと思ったから白で(会場笑)。どうです。
富野:こんな感じで(笑)。そして現場の人間というのは、営業マンの言う事を一切聞かなくちゃいけない立場なので、これ以後は借りてきた猫の様にお話しますので。
尾崎:はい、ちなみに皆さんUstreamの配信を先日やらして頂いたんですけど、それご覧になられた方って? あっ、こんだけご覧頂いてますよ。
富野:いや、だから公共に向けて発言するという、気をつけて欲しいと言ったじゃない。
尾崎:でも今回博多ということで、東京でのお喋りとか海外でのお喋りとまた違った雰囲気じゃないですか? 密度の偏差的な…ちょっとリラックスした感じで喋れそうな。
富野:(笑)。僕の場合なんかこわいなぁ…。ですから今日は完全に予防線を張ります。こちらからは喋りません。まだ本人がいるんで、元気な内に訊きたい事があったら言ってって、そういうところにしたいなぁ。
尾崎:あー、なるほどなるほど。じゃあ質問コーナー後で設けてますので…。
富野:えー、今からやろう(会場笑)!
尾崎:考える時間をもたせて頂かないと…。
富野:ここにいる面子見てて思うけど、素人じゃないよ(会場笑)。
尾崎:確かに…。
富野:一般婦女子相手にとかっていうのと関係ないもんね。
尾崎:じゃあ1個だけ質問考える時間。博多の印象どうですか?
富野:分かる訳ねぇじゃねぇか、バカ!
尾崎:そうですよね。
富野:来てまだ1時間も経ってない(会場笑)。何ですかって、そういう時「博多って、いやぁ皆さんの心暖まる歓待を受けまして感動してます」なんて、何がそう言える。
尾崎:確かにそうですね。いや、これは皆さんに質問を考えて頂く時間を作る為にあえて。
富野:いや、もう結構です。
尾崎:では、いきなり質問コーナー行って良いですか。
富野:行ってみてそれでズーンと皆で沈むような事があったら、前言を変更していやらしいとこに行きますんで。行こう。

質問1:イデオンについてお伺いしたいんですけど(会場笑)。テーマとかそういう話はしませんので。劇中に出てきたガンドロワについて質問したいんですけど、あのデザインを最終的にまとめ上げられたのはどなたなんでしょうか(会場笑)。

富野:やっぱりいきなりこういうとこ来る(会場笑)。
尾崎:素人じゃなかったですね。
富野:今日はガンダムトークショーじゃないんだよね?
尾崎:幅広く何でもありですよ。
富野:イデオンで答えなくちゃいけないんだけれども、今凄い困ってます(会場笑)。そんな30年前の事、誰が覚えてる(会場笑)。っていうのがほんとの所です。ただ一つだけ、重機動メカというもののデザインを発注する時の事はしっかり覚えてます。ああいう基本的な二本足歩行を前の作品のガンダムで出来なかった。僕の小学校の6年生くらいから中2くらいまでの記憶の中にある、人型の兵器の形ってのがあったんです。あのくらい長い足の二本足歩行っていう絵を、どこでどう見てるのかほんとよく覚えてないんだけれども、それに憧れてた時期があって。それを復刻したいって事であのデザインを発注した覚えがあります。だから、ひょっとしたらラフは僕が書いたかもしれないんだけれども、最終的にまとめたのは誰がやったのか良く覚えていない。樋口君かなぁ…っていう気配はある。気配しかない。どうしてそんな言い方をするかって言うと、樋口君というデザイナーが何なんだろう、言ってしまえば大河原さんほど個性を持った形にまとめる事がちょっと出来なくて。絵を描く、仕上げる方が得意な人なんですよ。ですから、その辺でああいう風な形にまとまったんじゃないのかな、という気がしてますが、あの形が樋口デザインでない事も分かっていますんで。そうするとどうもね、原型はトミノの匂いがちょっとあるな、っていう嫌悪感が今でもあります(会場笑)。僕レベルになると、自分の絵が描けなくってデザインが出来ない為に、完全にメカの形としてフィニッシュになっている線を、自分が描けないっていう嫌悪感があるんです。その部分を他人にクリンナップしてもらってる筈なんだけれど、僕の線の癖が残ってるっていう事が見えてしまうという事が往々にしてあります。そういう意味で、それが残ってる重機動メカに。全体的に残ってる。それが凄く嫌だっていう部分があります。これはもの凄く分かり難い話なんですが、想像して下さい。作り手っていうのはそういう感度を持ってます。ガンダムもそれで一つ言える事があるんです。ドムのキャラクターの三面図は僕が描きました。オリジナルを。そしてところがテレビ版の仕事の時には大河原さんがクリンナップしてくれたんだけど、僕の線が残ってたんです。テレビ版時代は。映画版の作画をした時に、もう一度クリンナップしてもらった時に、僕の線が完全に消えました。今プラモデルレベルで流通しているデザインを見た時に、僕の線が完璧になくなってる。あれで商品になったっていう事ですし、それがプロの仕事なんだ、っていう部分がありますんで。そういう経緯を考えるとガンドロワは何とか出来なくて、重機動メカがフィニッシュしきれていない部分がある。そういう感覚を持ちます。それがクリエイターの立場です。
尾崎:そういう意味では監督ご自身が線が一番残ってるなぁっていうMS・ロボットたち。
富野:MSに関してはもうこれだけ色々プラモデル化していく作業の中で、各パートで全部アレンジしてくれたんで、MAザグレロも実を言うと僕が原型書いているんですが。
尾崎:ザクレロ
富野:僕の線が完璧になくなりました、10年くらい前になくなりました。それまでは僕の線が残ってたんで、嫌だなと思います。このね、線が残ってるというのはね、ほんとにこれは説明できません。あのね、何なんだろ…カーブのとり方だとか、線の始めと終わり、みたいな止め方が、ただコピーをしてると上手な人がやっても残るんです。それを残さない様に描いてくプロの作業っていうのがあります。はじめのガンダムっていうのはテレビアニメを作って皆が訳分からないでやってましたんで、今言った様な事がもの凄くもろに残ってる仕事をしてましたけれども、ガンダムに関して言うと、7、8年して、完全にプロの線になってる。それが今流通しているものになってる、その事で実を言うと、商品化されてもの凄く見やすくなっているけれども、逆に言うと、それに起こっているまた別の問題もあるのが現在のアニメの全体的なデザインに出ているというのがあります。プロになって皆がひたすら向上しているかって言うと、向上しなくなる瞬間がある。今アニメはそういう時期に陥ってるな、っていう事です。これ以上の説明はしません。また時間が掛かるんで。

質問2:今日鹿児島から来ました。監督と奥さんにお土産を…(会場笑)。質問は富野監督の様な文章を書ける様になる為に努力して色んな本を読んでいるんですけど、富野監督の「閃光のハサウェイ」を今読んでいるんですけれども、濁点(たぶん句読点の事)の留め方とか、他の方と何か違うなぁって思ってるんです。それで富野節を覚えたいんですけど(会場笑)、どうすればいいですか? これお願いなんですけど、僕は生まれた時から父親がいないんですよ。で、富野監督の作品とサンライズの作品が、自分にとって父親がわりだったんで、サイン下さい(会場笑)。

富野:本当にそう言って下さってありがとうございますという事と同時に、富野節を例えば真似をしたいという風に思っても、絶対に真似が出来ません。それは富野節が、それこそ富野節と言われているものだから、僕の体質が出ているものなんです。その事は何が言いたいかと言うと、とても大事な事がありまして、人の個性とか癖っていうのは、癖を出さないで書こうとか作ろうと思っても、ものを作っている作品というのは必ずしもアニメだけではなくって、工芸品でもそうなんです。彫刻でも油絵でもそうですけど、あ、最近面白い例を聞きました。ガンダムエースの対談で、御神輿を作っている制作会社に行った時に、そこで彫り物をやっている人の話を聞いて、やはりその方が言っているのは、とても優しい獅子頭しか彫れない。客の注文でこういうものを彫ってくれって言われても、絶対にそれが彫れないんですって。真似しようと思ってやっても、その人の彫師の顔になっちゃう。つまり個性というのは、ほんとに悔しい事なんだけれども、自分があなたが私がです。手を通した瞬間にそこから抜ける事は出来ません。富野節というのは何も僕がああいう風な書き方とか口調が好きで書いてる訳じゃないんです。もっと上手に書きたいんですよ。上手に書けないから富野節になっちゃうんだよ。トミノが考えて劇的に書こうと思った時にああいう風にしか書けないんです! あれがベストだなんて思ってません。だから何を考えているかというと、どうしてもこの癖が出てしまって、一生懸命考えてもこういう風にしか書けないから、しょうがないからなんです。例えば、僕の場合には巨大ロボットものを素材にしていっても巨大ロボットだけでないメッセージみたいなものを伝えようと別の要素を入れてるとか、なんとか広く認めてもらう作品にしたい。できたら今日こういう様な事があった時にも、こうやって男ばっかりじゃなくてね、もう少しご婦人方にも来て貰える様なものを作りたいってずっと思ってんのよ(会場笑)! ずっと思ってんだよ! ずっと思ってこれだもんね(会場笑)! そのくらい自分実を言うと今日この年まで出来ちゃってると、それはね、絶対にだませないんです。そこから離れられません。だから重要なのは、やっぱり真似をする事じゃないんです。自分がこういう風にしか出来ない、出来ない自分がいて、その上で出来ない自分だけでは世に出て行く事は出来ない。自分の能力だけではヒット作は作れない。だったらどうするかという事で、別のものを入れていって、それを自分なりに加工して出してくという事を死にもの狂いでやるしかないんです。ほんとそれぐらいしかない。
あともう一つ。今修行中であるという立場で言えば、一つだけ、修行中に気をつけなくちゃいけない事が言えます。ノベルスを書く、お話を作るという事が手法であれば、どんなつまらない小さなエピソードでもお話でも良いから、一度書き始めたら嘘でもEDマークまで行くまで書く。それが400字詰原稿用紙5枚か10枚のストーリーであっても、むしろ短編であればあるほどなんです。EDまで書け。EDまで書く作業をやらなければ、あっちから書いてみよう、あっちから書いてみようとやっている限り、20本30本書いても、実を言うと書き手になる事は出来ません。どうしてかと言うと、お話というのは一つだけ徹底的に大事な事があります。起承転結の結が見えない限り書いたことにはならないです。結まで書く事を、そうですね、5回か10回かくらい、これはあなたのレベルの問題もあるので本数の事は言えませんが、10本くらい書けば自分のスタイルってのが嫌でも見えてくる。かもしれない。それをやらない限り、ためし書きみたいな所でポンと終わってる様な、イントロだけで終わっちゃって「西暦2855年から」みたいな事だけで飽きちゃってると、10年やっても20年やっても30年やっても作品は作れない。小説だけじゃありません。さっき言った工芸品もそうです。一応完成した、この仕事がフィニッシュになるっていう所までの習作を積み重ねていくっていう事だけは死にもの狂いでやって下さい。そうやると、なんていうのかな、自分のやるべき方向性みたいなものが見えてくるんじゃないのかな。それから自分の欠点も見えてくる。欠点も見えたときにもう一つだけ重要な事があります。あ、やっぱり自分に才能がない、運がない、めぐり合わせが悪いから、じゃあこういう事を目指す事を止めて、何かもっと一般的に出来る仕事を探そうというとこに落ちます。なるべく早くそういうとこに切り替える事です。つまり撤退をするっていう事も人生の上でとても大事な事なので。あなたの才能があったらこう行けるよって話は絶対に乗らないで、自分が確実に行けると思わない限り、撤退作戦をなるべく早めにやって下さい。僕の場合、32歳の時に撤退できなかったんです。8時間立つ様な職業、つまりコンビニ店員なんか出来ない。体力が落ちてるのが分かっちゃったんです。アニメの仕事でずっと机に向かって仕事やってる為にもう普通の仕事が出来ないと分かった時に、アニメから離れられないという事で、逆にこういう風になってしまった、というのがあります。ですからこの道が必ずしも良い道だとも思えません。選ぶのは最終的にご本人ですよ、っていうそれだけはお伝えしておきます。

質問3:長編映像作品の予定と言うか、地下にMSじゃなくて絵コンテ隠してあるよくらい言って欲しいなと(会場笑)。

富野:そう言ってもらえるのは本当にありがたいと思ってますし、フリーランスであれば毎年1本ずつ作品を作らないといけないんじゃないのかという意識だけは持ってはいます。が、現実問題として皆さん方がご存知の通り、その様に出来ません。埋蔵している様なシナリオとかコンテがあるんじゃないかっていう黒歴史も僕の中には申し訳ありませんがございません。一つには映像作品というのは個人が作るものではなくてプロダクションワークで作るものだと思っています。そういう意味でのプロダクションワークをする為のパートナー、プロデューサーとコンビを組むことが出来なかったっていう僕の欠点もあって。できなかったんじゃないのかな、というのがあります。それはジブリ鈴木敏夫プロデューサーと宮崎駿監督のコンビを見て、お二方共20年以上前から付き合いがあるから分かる事なんですけれども、鈴木プロデューサーと宮崎監督にしても、なんです。二人が別々に居たらジブリは絶対に立ち上がらなかったって事、ほんとに分かるんです。それぞれ他の作業をしていったからこそ、ああいう風に出来たっていう事を目の当たりにして、目の当たりにしている姿を10年以上見ている訳です。見ているから、当然あれをやらければいけないと思いながら「鈴木敏夫宮崎駿のやってるから、俺はやりたくない、別の道を行きたい」というライバル心なんてのはほんとにありません。「やっぱりそうなんだよね」というのがプロダクションワークの根底にあります。ですけど、ほんとに僕の場合にこういうキャラクターでもあったお陰でプロデューサーが手に入らなかった、そういう人と出会えなかったという事があるので、こういう結果になったという事があります。この20年くらいはっきりと今言った様なアニメ感とか映像作品に対する感覚を持っていますので、個人で出来るような映像作品を作りたいとかって事を企画的に思いつくことが出来なかったっていうのが自分のキャリアの中にあります。ほんとに申し訳ないと思うと同時に期待があればあるほど、応えてみたいという欲がありながら、20年間それが出来なかったっていう自分の作家的なセンスを持っていない、っていう事がありました。作家的なセンスのなかったという事を言えば、映画監督の場合原作を見つけてきて、やるという方法がある。全部オリジナルで作る必要はないんじゃないのか、という事も当然考え方としてあります。十数年前にそういう意味で原作を探すという事もやってもみましたけれども、なまじガンダムがあるお陰で障害になっている部分もありました。それは自分でも自覚します。原作があるものを演出するのは、嫌だな。という、自分のエゴが働くんです。どうしてもそれに乗れなかったという気分もあって。やはり自分はテレビの様な発の仕事で、なおかつある条件が与えられていて、基本的にアニメに近いとこの企画ものしか演出が出来ない人間だ、っていう覚悟をつけたのがこの10年ぐらいです。実を言うと、毎年毎年この20年、悔しい思いをしています。つまり「今年のベスト10の映画」とかって特集を年末になってやったりする訳ですけど、そういう所に自分のタイトルの作品がないっていう事が、どれほど悔しいかというのは、これはアマチュアでないから他人事でなく悔しいという風に思っています。やはりそれを乗り越えられない自分というのは単純に能力がなかったからと思います。そういう経過をとりましたので、この1、2年まだ死ぬまでの時間にもう最低1本は仕事をしたい。そういう風な仕事をしたいとは思ってはいますし、そういう企画を全く考えてはいない訳ではありません。考えてはいない訳ではないんだけれども、今言ったような考え方に乗っ取った上で、次をどう作っていくかという事では、やはりガンダムを忘れる事は出来ない、というのが自分の立場の中にあります。ですから、次の「ガンダムの様な作品」を作る事が出来るのか、という事をこの3年間考えました。そうすると「ガンダムの様なもの」は作れません。これだけ作られていて、70になろうかという年寄りが今の若い人達を超える様なガンダムが創れる訳がないじゃないですか。その事実を認めなくちゃいけない。その上で、何をするかっていう事まで考えるんです。出来るかどうか分からないし、スタジオワークを成立させるためにはやはりスポンサーが付かなければいけない。だから冗談めかして32億くれと言ってるんですけど、冗談めかしている様なんですけど、実際に僕が作る場合にそうなるだろう。ボリューム的にどう考えてもそうなる。それは皆さんが、今現在公開されている某なんたらかんたらの実写版が20億です。あれはおそらく直接制作費の20億だと思いますので、ひょっとしたらもうちょっと行ってるんじゃないのか、という風に思えると、そのくらいのスケールを予定しないとと、2、3年前から勘だけではなくてありましたから。その為の制作費を集める為にどのくらいの動員だという事も教えられました。そういう事を知ると到底出来るものではない、という事も分かりますので、あと20年くらい先、CGがもっと安く作れる様になるのを待つしかない。そうなったら、そりゃこっちが死んでるんだから勘弁してくれ、っていうのが現在です。ただ、お答えした通りですが、皆無ではないけれども黒歴史程便利に埋蔵金が埋まってる訳はないので、来年とか再来年に作れるという風には言えない、という事であります。だからほんとにご期待頂いているのはありがたいと思いますし、ただ、そのご期待を頂いてる事を冥土の土産にして俺だけ先に死んで楽にさせてもらうぞ、という気もまだありませんので、もうちょっとだけジタバタさせて頂きたいなと思ってます(会場拍手)。
尾崎:ちなみに予算32億っていうのは実写じゃないですよね?
富野:今の話は聞いていません(会場笑)。
尾崎:参考までに伺いたいなと思ったんですけど。今の質問って劇場にフォーカスされた質問だったんですけど、伺いたいと思ったのは監督にとっての表現媒体として、劇場、TV、OVA…こないだリーンの翼されましたけど、それぞれどういった立ち位置なんですか?
富野:さっき個性とか絶対に拭い去る事が出来ないのと同じ事で、僕はテレビまんが・映画という仕事で現在まで来ましたから、基本的にTVのオンエアってのはなければいけない、っていうのは前提条件であります。それはやはり映画だけでやってしまった作り手の、作品と観客との関係性みたいなところを見てると、やっぱりちょっと映画というのはつまらないな、っていうのと、一過性すぎる。TVってのはこわいよ。例え2クール、1クールでもいいんです。3ヶ月毎週毎週出してかなきゃいけない。毎週毎週嫌でも観客の声が聞こえてくるんですよ。それに対して「ン、ン」と思いながら、それでももう作っちゃってる、次の週も次の週も次の週も、っていう作業をしなくちゃいけない。それは実を言うと作品を鍛える上でとってもありがたいシステムなんです。僕はそれで育ってしまった人間なんで、「映画が上等」っていう所にスポンとそりゃ行きたいです。行きたいけども、この10年ぐらいほんとに、ひとつは歳のせいもあります、映画の作品で時々危険だなと思うのは、関係者だけが気に入って作ってるらしい。客の顔を見てない。っていう、そういう映画をかなり意識する様になった時に、やはりそれは駄目だぞ。僕の場合TVを通して観客のフィードバックを得る事によって、おそらく世界中で僕だけです、TV版をこれだけ映画サイズにダイジェストにした仕事の量をさせてもらった人間っていうのは世界中にそんなにいません。そのフィードバックっせてもらった事によって映画版というものを作っているものがあって。必ずしも自分の好き勝手にダイジェスト版作ってないんですよ。そういうピックアップをしてもらって、こういう風にまとめてくって作業は、おそらく世界中でやってる人ってのはまず僕しかいません。そういうフィードバックをした事によって、僕が生きてる時代「こういう様な映像作家がいたんだよ」って事を歴史的に思い出して評価される時期があと2、30年したら来るという風に思ってます。その時に映像作品というのは、CGがこんなに簡単に出来る様になって、一アニメーター、一演出家、一シナリオライター、プロデューサーの好みで、こんな風にカッコイイんだよね! っていう様な自分勝手な作品が映像作品で良いなんて僕思いません! ですから実を言うと僕Youtubeを殆ど認めてません。やはり何十人か何百人かの意志の統合としての作品をまとめてく、ってのが映像作品と思ってる。とっても素敵なところだと思ってます。ですから、そういう様な映像作品を創っていく、っていう事も自分の中で枷としてあるんで、さっき言った様な「ガンダムの様なもの」だけどガンダムではないもの。だけどそれはどういう事? 「次のもの」。じゃあ「次のもの」は一体どういう事か。次のもの、分かる訳ないよ! ましてや「次のもの」っていうのは、年寄りが作って、今の10代の人に20年30年後に観てもらえるものが作れる訳がない。という構造をやってみせたい! とかっていうのを一人だけでものを考えたって出来る訳ないんですよ。そういう意味でやはりこの2、3年付き合ってもらってる若い人たちの意見も聞きながら、もし出来たらバカにしていきたい(?違うかも。ちょっとわかりません)。そういう作業をしてきた為に、アニメという媒体が、そういう意味で良い性能を持っているという事もこの2、3年、ほんとに勉強させてもらいました。出来る出来ないではなくて今やってる作業というのは、かなり年寄り仕事ではなくて心楽しい仕事にもなってきてますので、出来ることならTVを通して発表させて頂けたら素敵だなと思ってますので。どちらにしても32億要りますんで(会場笑)。スポンサーがいて下さったら嬉しいなーと。

質問4:監督の中でクロスボーンガンダムが映像化されて無いのが、僕としてはどうしてないのだろうなというのがあって。これだけ世の中「ONE PIECE」とか大海賊時代なのに(富野・会場爆笑)。

富野:あぁー、言われてみればそうですね(会場笑)。実は僕、この1年ぐらい、好きだからと言ってそんなには観ていません。この歳になりましたんで、アニメを観る事ってあんまりないんですが、実を言うと、「ONE PIECE」かなり好きなんですよ(会場笑)。その好きな理由ってのは自分でもよく分からないんだけれども、こうまで多彩なキャラクターをなおかつ、なんて言えばいいかな、アニメ的とは違います。やっぱり映像的にキャラクターがもの凄く前にどーんと出てきて、あれだけ破天荒なストーリーをとか破天荒な設定をとか、とても外交辞令的なんで言いますけれど、そういう風には言いたくなくて。あれだけいい加減な設定とあれだけ都合良い事を勝手にやっていながらもってる。映像的にもってる。TV観ててももってる。二十何分もたせる。何なんだろうコレ、っていう意味でかなり好きなんですよ(笑)。っていう話を聞いてクロスボーンガンダムってなるほどねぇ(笑)。今言われるまで繋がらなかった。言われてみたら、うん。それはそれで「ONE PIECE」が好きだったらクロスボーンでやってみたら? って言われたら「ふん」って。あまり嫌いではないです、ご指摘は。ただ、ほんと余命幾許もない立場から言いますと、それ今やってる暇ないんで(笑)。出来たら今こちらで本線引きたいと思ってるんで、そっちが終わったら考えても良いかも知れないと思ってます(笑)。

質問5:大作を作るのに32億という話があったんですけども、監督の昔の仕事であるTVのゲストで単発でコンテを切って、コンテ100本切りをやるっていう意識はないんですか?

富野:ひとつだけ、質問者の言葉で訂正させていただきます。100本切りではなく1000本切りです(会場笑)。
質問者:「ママは小学4年生」のOPで絵コンテを切られてて、そういえばあれ観た時心に引っかかるものがあった記憶があって。深夜のサンライズなら「舞-Hime」みたいな女の子がバァーッと出てくる様なアニメのOPのクレジット見たら「斧谷稔」という様な事があったら面白いなぁって思うんですが。
富野:本当にそういう風に言っていただけるのは本人は嬉しいけど、そういうレベルは仕事ではないと思ってますので、お手伝い程度の仕事だったらやっぱりやらない方が良いと思ってます。
ただ、コンテ1000本切りの時代の事で言いますと、もうちょっとスタンスが違います。どういう風にスタンスが違うかと言うと、ひとつに生活をする為に本数を重ねなくちゃいけないっていう現実の世界があってやってたので、必ずしもそれが目標値ではない。とても重要な事がありまして、色んなプロダクションのコンテを書き散らしていた頃の記憶というか意識していた事があるのは、プロであるならば不得意なジャンルを作ってはいけない。そしてどんなタイプの作品が来ても演出してみせる。っていう事を、ギャラを貰いながら訓練出来るんだから、ということでなるべくジャンルをとらずに仕事を引き受けるっていう努力をしました。その為に、本当にプロダクションに言葉だけの問題じゃなくて、土下座してまで仕事を受けてもらうって事をした時期もございます。本当にそういう事をやったおかげで、自分がいざ総監督になった時に、ストーリー的にとか構成的に困る様な事があっても、色んな事をやっていたおかげで自分の中で持ち駒が増えた。こういう時にはこういうやり方をする、という事がかなり出来たのではないかなという風に思っています。それは今日現在、死ぬまで続けていかなくちゃいけない事と思っていますが、先程お話した癖の話です。内面の癖の話です。30年ガンダムがあっての自分というのを確定してしまった時に、それから脱出したいと思っても脱出出来ない自分というものもこの30年間自覚しています。それは幅を拡げるという事が、自分の中で出来なくなってしまっているという事が僕の能力の限界です。ですから、今その限界にもこの10年以上付き合っていますので、もう色々な仕事は出来ないんじゃないのかな、という風に思っています。その後もう一つ、自分の中にあるのは、やっぱりエゴなんです。ガンダム以後も、つまり請負仕事で単発のコンテを切る仕事とか演出の仕事をやってみたいんですが…50過ぎるとね、そういう仕事を素直に出来なくなる自分がいるんですよ。自分では偉ぶってるつもりはない。単発の仕事もやらなくちゃいけない事も理屈では分かっている。…「ガンダムの富野」にそれが出来るかって言った時に、もの凄く悔しいよ! 悔しいというのを消す事が出来るかって言うと、なまじ当たっちゃったものがあっただけ地獄なんです。本当に謙虚にならない自分ってのがある。それで、この作品を仕切っている総監督が誰それってのが、みんな後輩になる訳です。コイツの言う事が聞けるかっていう時に、自分ってのを見つめなくちゃいけない時に、これはかなり苦痛。ですからこの20年自分がありがたいと思っているのは、実を言うと全く逃げる姿勢なんです。そういう仕事をしないで喰えてる自分は幸せだ、これは堕落です。だけど、歳をとるとこういう心境にもなる。そういうものとも戦わなくっちゃいけない事もあるんで、コンテ1000本切りをやった時、やってられる自分というのはまだ若くて。素敵だったなと思います。そういう自分に70になって申し訳ないけど出来ないって言うしかない。それはこの20年経験してますから、悔しいけどもそれは出来ません。どういう風に虚心坦懐になれるかって事は、やはり自分の中で絶えずテーマとして持っていなくちゃいけないし。だからさっきから言ってる様に32億くれって言うのはかなり傲慢なんですよ。額の問題ではなくてそういうステイタスみたいなものを自分の中でどっかで求めてるというのが、やはり堕落なんだろうなと思う。だから実を言うと3200万で作ってみせるという所にいかなくちゃいけない。だけれども、本当にそれが出来るのかという事に関して言うと、今の僕は出来るという自信がない。それが人としての一番辛いところでもあるし。ひょっとしたらやっぱりその堕落なんだろうなぁ、自惚れなんだよね、っていう風に思える部分でもあるというのはやはり自覚してます。…ごめん、ちょっと深刻な話になりましたけれど、ここにいらっしゃるのが子どもじゃないから、こういう話をせざるを得ません。

質問6:子供の頃、ガンダムのラストシーンはもの凄く綺麗に纏まっていて、最初から計算されていたんだろうなと思っていたら、実はサイド3戦までやる予定だったというのを随分あとに聞いて。ガンダムに限らず、今実写でやってる某戦艦の映画も最初のアニメは打ち切りだった訳ですが、各々の監督がアニメの業界でも最後まで出来なかったり、自分の思うように出来なかったりというのは当然あると思うんですけど、それでも強い作品というのが残ってる訳ですが、自分の思ったように出来なかったけど受けてしまった作品というか、狙い通りではないけど当たってしまった作品に対する複雑な感じ、という様なものはあるのでしょうか?

富野:仰ってる事とても良く分かりますし、それについてはかなりキチンとお答え出来ます。
質問者:それを踏まえた上で、監督自身がクリエイターに絶対必要なものって何でしょうか。今までも勿論語られてたと思うんですけど、今の心境でどんな風に思われてるか訊いてみたい。
富野:ファーストガンダムの打ち切りの時からの心境と、現在の心境も同じです。先程からプロとアマチュアの違いって話もしたつもりでいますが、クリエイターというよりも、要するに社会人。もうひとつに人です。我々人というのは、無条件の所でものを作ったり、無条件の中で十分に生きていくことが出来るかというと、おそらくそんな才能は持っていないと思います。むしろ条件があって、それこそ打ち切りだという条件があって、エェーッ、何とかしなくちゃいけないっていう事での瞬発力とか反射神経っていうのがあるから、むしろ仕事が出来るし、良い結果にも行くという事があります。ですからファーストガンダムの事で言いますと、打ち切りになってしょうがない、どういう風に収めるか、と言う事で、43話の構成になってしまったんですが、それをやってる時に悔しいと思ってました。何となく予定があったから。だけど、実を言うとテレビが終わった瞬間に、もうはっきり自分の中にあったのは、本当打ち切りで良かったと思いました! 自分の思った通りの構成論で行った時に、どうも後が、1クール分のニュータイプ戦争の話に陥った時に、全部がパンクするかもしれないな、っていう予感があったのを止めてくれた、っていうのがファーストガンダムの時の打ち切りの感想。それは、イデオンの時はちょっと違うんですけど、やはり実を言うと似た様な部分がありました。こういう事です。謙遜の様に聞こえてるかもしれないけれども、僕程度の人間にとってそんなに作家的な才能はある訳ないんですよ。だから1年分ピターッと立派に物語を構築するだけの能力があるとは思えなかった。人というのは、むしろです、条件がある中で仕事をする。条件がある中で暮らしていく。それで、ここでしか暮らしてないから、ここでしか暮らしてないわけでしょ? じゃここでしか暮らしてないから、じゃ私が俺がダメなのか? 絶対的に? そんな事絶対ない訳です。むしろ、ここでしか出来ないからこうする、私はこれしか出来ない、俺はこれしか出来ないからこうしてる、って所で何とかしのぐって事をやってるから、しのぎが生まれるんですよ。その結果として良い仕事が残ったりする訳で。無条件の中で何かをやれって言って、何かが出来る人がいたら、まずいないと思う。我々業界の中とか、作家の世界で言える事があります。締め切りがなかったら小説なんて書けないよね(会場薄笑い)。締め切りがあるから、なんとかかんとかしのげるんですよ! そして、しょうがなくて迂闊に連載を引き受けてしまった。月々原稿週ペースで嫌でもまとめなくちゃいけないから、一年経ってハッと気が付いたら、おぉーっ単行本三冊かよ。一年前に、単行本三冊の原稿「先生、御好きに書いて下さい」って書ける奴がいたらね、連れてきて欲しい。それをやるのは、新人賞を獲るまでの、まだプロになっていない青雲の志? どーんと持っていたり、僕で言えばコンテ1000本切りを信じてベーッとやってる時だけ! そんなので10年は続かない。むしろその条件があるからこそ、過酷な条件を設定されるからこそです。それを突破する為にどうするか。何とかその条件を乗り越えていく為にどうするかっていう事を我々は考える力とか、対応する能力を持ってるんですよ! 人っていうのは。そういう自分の力とか、今ここで今日まで生きていられる自分っていうのは絶対に間違ってなかったんだっていう風に思う事の方が僕はとても大事な事なんじゃないのかなと思っています。ですからこれは仕事に対しても生き方に対してもそうです。僕自身がそうですけども、テレビまんがなんか好きで入りませんもん。テレビまんがの、つまり虫プロダクションに就職させてくれたから、やってみて。やってみたら、これしか出来ないんだったらこれでやるしかないという事で、まさにその条件の中でやったからなんです。その上で、今にして思えば、あの時になまじ成績が良くって実写の世界の会社にスパッと入れたら、どうなっていたかと思ったら、僕はきっと50まで生きられなかったかもしれない。むしろアニメの世界のお陰で、こういう風に生き延びさせてくれてるという意味では、やはり時代の問題があるんで、その時の、何て言うのかな、確定というのが、つまり人間の想像力なんてたかが知れてるというのが本当に思います。だからなんです。やはり目の前に与えられた条件があったら、その条件を満たしていく、その条件を乗り越えていく。という自分の力と言うのはあると思う。それから、無ければ、それに立ち向かっていくとこう言う風になるんだよという結果が見えてくるという事です。だから、僕は本当に、ガンダムの様な作品を作ろうだなんて思ってませんでしたもん。こういう風なものが作れる、つまり演出家になれると思ってなかった。だけど、アニメでしか暮らしていけなかったとか、まして巨大ロボットものの専従者に身を落としてしまったから。本当は世界名作ものの監督の方がやりたいんです、僕は。そちらの方が社会的に評価が高いから(会場笑)。そっちの方が大人として気持ち良いんですもん。だから、言ってしまえばこの5、6年ですよ。「ガンダムの富野」って認められてるの。それまでロボットものの監督って何さ? 全部切り捨てられてたのよ。僕はそのキャリアを20年持ってる人間です。つまりロボットものなんて、アニメの中でも最低ランク作品だったの! こういう風になってきて漸く、ああ、大人としても認められてきたなってのが、僕にしてみれば30年かよォ…それはちょっと辛いですよ。辛いけども今、この年でこういう事やってるのは凄く気持ちが良いから、こういう所でも平気で話をしてますので、やっぱりその、自惚れた発言しちゃいけないと思いながら、ついつい32億くれと言っちゃうのは、困ったもんだなぁと自分でも思ってしまいます。

質問7:監督の作品の中に登場するキャラクターが色々あると思うんですけど、僕は女性のキャラクターがトゲがあり過ぎて、あんまり好きになれないんですけども(会場笑)、男性女性に限らず、キャラクターのモデルとかありますか? あと、理想の女性だけ(会場笑)。理想の女性像があったら教えてもらいたいなと。

富野:理想の…(会場笑)。あのーまず。トゲのある女性しか描けないんじゃないのかっていう事に対して言うと、これもの凄く意識してます。世の中自分が好きな男とか女が居たら、それは見せて欲しい。いるわきゃねぇよ。大半は、みんながみんな自分と違うんだから。気に入る人なんかいませんよ。だからアニメでもああいうキャラクターを平気で作るんです。作るというよりも、ああいうのしかいないから(会場笑)。女ってさ、男の言う事なんか聞いてくれないよ(会場笑)。現実じゃない、しょうがないよ。アニメなんだから、アニメで画を描く女の子くらいは、僕の好きな子を描いてくれっていうのは、他の作品でやってる訳だから、そっちで任せてたら僕のやる事は…ああなるんじゃない(会場笑)。今、アニメで男どもは皆好きな女の子はもう決まってる訳だから、今更そんなとこに入って行って、混ざったら、それこそ富野節? 聞けなくなるから、嫌なの(会場笑)。それから富野さんの理想のキャラクター? こういう人だったら言っても良いと思う。キシリアかハルル(会場拍手)。どうしてかと言うと、あの位強い女だったら、殴ろうが蹴ろうが何をしようが絶対に刃向かってくるし、こちらに非難する事はなくて向こうが殴りかかってくる様な人だから。凄く変な言い方するよ。凄く穏当に人間関係がね、収まるんじゃないのかと思ってる。ただ厳しい事はあるよ。絶対にね、言う事は聞かないから(会場笑)、しょっちゅう喧嘩していると思うけども。僕はそういう人の方が好きです。本当に冗談じゃなくって、そうですね。だからです、アニメキャラクターみたいな下位語系(?)を含めても否定なんかしてません。絵空事ですから、それで良いと思ってます。重要な事があります。今日まで出ている結果で、かなり色んなキャラクターがいるとか、完璧なキャラクターがいる。具体的に一つだけ穏当な名前を挙げておきます。初音ミクみたいなキャラクターがちゃんといる訳です。それと似たコンビを作ってさ、どうする? 絶対勝つ訳ないんだもん、初音ミクには。その脇の所で(勝負すると)僕の場合にはハルルさんになっちゃうのね。ああー怖い(会場笑)! 少なくとも初音ミクとは一緒にならないから、まぁ良いか、っていう…(笑いを堪える)そう、富野節ですね、になる訳です。

ラスト

尾崎:非常に名残惜しいですが時間となってしまいました。富野監督の方から、今日集まって下さった富野監督トークショーではなく、富野監督トークに集まってくれた方々に、最後メッセージをお願いします。
富野:本当にあの、僕程度の事で集まって頂いてありがとうございます。と同時に、僕の方からも得る事がありました。どういう事かと言いますと、この距離でみなさんの御顔が拝見出来る所で御世辞でなくこちらを見て下さって、こういう方がこういう場所にもいるって事は、年をとった立場としては、あと2、3年生きていてもいいのかなと思わせてくれるんで、ありがたくおもいました。先程からお話した特に人の力ってのは信じて良い。それから今日まで生きてこられたってのは間違いなく実証論として皆さん方が獲得している事実なんだから、めげる事はなくて、むしろこれから5年10年どの様にやっていくかってところを自分で見つけ出して構築していくしかないと思います。ですからそういう意識さえ持っていればもう少しなんとかなると思うんで。だけど、僕はなんとかなる事が大事なことではなくて、やはり人生を全うしていくってことが一番大事なことだと、本当に思うようになりました。ですから僕が今こういう形で皆さんとお話する事が出来て、心楽しくなれたし、一年は頑張れる気持ちになっています。同じ様な気持ちで皆さん方も明日からの毎日の暮らし、決して楽しい事ばかりではないでしょう。だけどもそれを積み重ねていく事での10年後の私・自分っていうのを描くようにしていきたい。という様な努力を、悔しいけど日々の努力をするしかないんですよ。だからその努力を積み重ねていくって事をやっていけば、やっぱり10年後にも元気に街を歩いていられるんじゃないかなと思いますので、その様な心持を持って頂きたい。僕もそういう気持ちを皆さん方から頂いたので、本当に心から感謝致します。本当にどうも今日はありがとうございました(会場拍手)。

まだ残ってます。大阪は行けませんでしたが友人から内容を教えてもらいましたので以後まとめます。宿題が増えていく…。