NT 10年8月号 冲方×富野 第2回 「天地明察」の尊さ

ビジュアル社会の文芸が生み出した次のステップ

富野 先月は「天地明察」は冲方丁のやり返しだというところで話が終わりましたが、それはこの作品で初めて、冲方丁という名前を知った人にはわからないでしょう。逆にライトノベル冲方丁が好きな人は「天地明察」は、何であんなところに行っちゃったの? わかんねぇなぁ、っていうのが彼らの感想だと思います。そもそも、ライトノベルから文芸の世界に入った人間が、よくこんな素材を見つけましたね。
冲方 実は主人公の渋川春海は、高校時代に心ひかれた人物で、いつか書きたいと思ってたんです。ノンフィクションとして書くかフィクションで書くかは迷ったんですけど、どうせノンフィクションにしても自分のカラーは出るだろうし、何より、彼を知ったときに抱いた僕の感動を形にしたかったというのが執筆の動機ですから、小説として描いたほうが生きるなと思って、それでこういう形になりました。
富野 若いころにひかれた人物だとしたら、それこそライトノベルにして若者たちに向かって書けばよかったのに、そうしなかったのはなぜ?
冲方 僕自身がライトノベルという枠組でやっていくのがだんだんつらくなってきたんですね。その枠から自分が押し出されている感覚が強くなっていた。だったら一度そこから出て、こういう出口もあるよということを見せよう。もうそれくらいしかライトノベルに対して貢献できないと思ったんですよ。
富野 押し出されるように感じたというのはどういうこと? 単に仕事が来なくなったわけじゃないでしょ。
冲方 本当にライトであることを追及する読者に向けての小説が、僕にはもう書けないんですよ。それは技術の問題もあるでしょうし、感性の問題もあるでしょう。なぜ書けなくなったのかは僕にもわからないんですけど、書けないという事実は厳然とあるわけです。
富野 それは一見年齢の問題のように思えるけどそうではない。多分、一生ライトのままでいける人もいる。
冲方 いるでしょうね。
富野 冲方さんは、やり返すというところにいかないと自分が収まらない人間なんですよ。僕は、10年同じ状態で満足している人は、人としてかなりひどいと思います。これはアニメやマンガの仕事に限ってのことではなく、実社会にリアルに対応している政治家や経済人を含めてのことです。例えば、鳩山由紀夫さんのことばづかいなんかライトノベル以下じゃないですか。ああいうふうに無駄に堕落していく大人の姿を見たときに、こうはならないぞと踏ん張る大人の姿を見せていかなければいけないのが大人です。僕にとって「天地明察」は、ライトノベルというアニメやマンガと同じ地平から始まった文芸が、ここから次があるんだぞという方向性を示してくれたという意味で、とてもありがたい作品だったんですね。ここ25年でものすごい勢いで発展していったマンガ発、アニメ発、ゲーム発という文化、もっと広い言い方をするとビジュアル化してきた社会の中で、ようやく次のステップとなる作品が登場した。これは時代が生み出したひとつの成果でもあって、僕は冲方丁という作家が生まれたことがとってもうれしいんです。
冲方 富野監督にそんなにほめられたら、汗が出ます。

事象をつくるということをわかりやすく読み解いた

富野 そういうライトノベルからのやり返しに対して、ああ、こういう反応をするんだというわかりやすい例がありました。「AREA」に載った書評です。
冲方 ああ……(苦笑)。
富野 ライトノベル発の冲方丁という作家がこんな小説を書いた。さて……と大御所時代小説家の名前を2人くらい挙げて、彼らのファンはこの小説をどう読むだろうかって結んでいる。こんなの書評じゃないよね。要するに時代小説を読んでいる人たちからしたら、ライトノベルなんてクソ以下なんですよ。端から偏見があって、そんな奴に時代小説なんか書けるわけがないと思っているわけ。彼らの中には、時代小説というのはこういうものだという概念が先にあって、それをもってくれば「天地明察」はいくらでも批判できるんですよ。あの時代にこういう男女のあり方はないとか、春海は碁打ちなのにその修行論が一切出てこないとか、時代考証をきちんと詰めてないとか、そんなことは書こうと思えばいくらでも書ける。でも、それは「天地明察」という作品の本質には何ら関係がないんですよ。
冲方 富野監督に初めてお会いしたときに、様式というのはカチカチの形式のことではないんだというお話をしていただきましたが、その書評を読んだときにそれを思い出して、勇気づけられたんです。それこそ、やり返されたことに対して、けしからんってう評価は当然あると思うんですが、それを真に受けてしまったらこっちが殺されちゃうので、あまり気にしないようにはしています。
富野 もし自分がわからないモノを書評しなくちゃならなくなったら、それはもうわからないと言うしかなくて、それ以上のことは言っちゃいけない。僕は、こういう形で冲方さんと出会わせていただいて、本当にいい勉強をさせてもらってます。
冲方 またさらに汗が……(笑)。
富野 (笑)。時代に対して作品を提供していくのが作家の仕事であるのだとしたら、「天地明察」ほど立派な仕事をしている作品はないだろうと思う。和算なんてマイナーな世界を描こうとすると、うかつに誰も読まない専門書のような書き方になりがちなんだけど、冲方さんは本当に上手に、当時(江戸中期)の日本人が数学と天文学と時代性のあり方をどう咀嚼していったのかを描いている。「天地明察」を読めば、その概論がわかる。碁打ちの世界がアカデミックに絡み合ってなくて、どこか安っぽいんだよねという論評はできるでしょう。でも、科学とか技術とか、ましてや暦のような日常と密接にかかわるものを、今まで日本時はこういうふうにわかりやすく読み解いてはこなかった。わかりやすく読み解くべきものを、初めてわかりやすく読み解いたという一点で、「天地明察」という作品は尊いんです。この冲方丁の手法というのは、今の日本人がめざすものの考え方の方向性を、まさに明察しているんですよ。鳩山さんや小沢一郎さんのような人は、ものを考えるときにこういう目線をもっていないでしょ。全部が全部、専門のマニュアル論でしかものを考えてなくて、それはこの物語に出てくる頭ガチガチの幕府の官僚よりもタチが悪いかもしれない。そういう意味で「天地明察」は、冲方さんが取り上げた新しい暦をつくるという物語の素材が、今の時代に対してものすごく適切だったなと思うんです。暦をつくるということはどういうことなのか。それには数学も天文学も政治も、何よりさまざまな人間関係が必要で、それは輪切りにできるものではない。ある事象をつくり上げるということはこういうことなんじゃないのかということを、ものすごくはっきりとわかりやすく見せてくれた。それがスゴいんです。ただ、傑作とは言わないけどね。
冲方 そんなふうにおっしゃっていただいて、本当にうれしいです。こういう書き方でいいのかって悩みに悩んで……本が出たあとも悩んでいましたから。
富野 ただ心配なのは……このまま老成していくとお前ヤバいよ。
冲方 あははは。肝に銘じます(笑)。

初音ミクのリアルとミッキーマウスのリアル

富野 若者をあまりほめすぎるとよくないので、話題を変えます。これは次回の対談テーマにしようと思っていることなので問題提起にとどめるけど、冲方さんは初音ミクのシステムはご存じですよね?
冲方 この間初めて知りました。みんなでつくるアイドルですよね。なんじゃこりゃって驚きました。
富野 BSフジのビジュアル化社会の表現の仕方というテーマのシンポジウムで、初音ミクが話題になったんですね。それに関係する人もいて、彼は絶対にいけるって言うんですよ。みんなでつくっているから初音ミクは100年生き残れるって。で、僕はそれを全否定したんです。
冲方 あははは。
富野 みんなで寄ってたかってやってるから、飽きるんだって。
冲方 多分、そうでしょうね。
富野 キャラクター自体はすごく巧妙につくられているから、そこそこもつとは思うけど、調べていくとやっぱり著作権でもめている。みんなでやってるから育つんじゃなくて、みんなでやってるからつぶし合いが始まるんです。つまり、ミッキーマウスのような時代を超えて生き残るキャラクターは、総意ではつくれないんです。初音ミクの総意でつくられたキレイさはみごとだけど、それゆえにキャラクターが喪失する。初音ミクミッキーマウス絵空事のキャラクターという点では同じです。リアルという意味では初音ミクの方がよほどリアルです。でも、皮肉なことにリアルを追求すればするほどキャラクターのリアリズムは失われてしまうんです。
冲方 キャラクターのリアリティというのは現実感ではなく、実在感ですもんね。
富野 問題は、徹底したビジュアル化社会で暮らす日本人は、リアルの意味を勘違いしているんじゃないかということなんです。ミッキーマウスの手触り感ではなく、初音ミクの精巧さこそがリアルだと思っている。麻生太郎さんという日本の元首相がマンガやアニメが好きで、政治家仲間に「お前ら『犬夜叉』知ってるか」と言った瞬間に言えることなの。あの世代がそういうものに感情移入しているという現実が、はたして本当のリアリズムなのか。今、われわれはリアルということばを曖昧にしか感じていなくて、きちんとした皮膚感のようなものをもっていないんじゃないのか。そして、日本で進化していったビジュアル文化は、今やアジアから欧米まで広がっている。オタクレベルでとどまるべき現象が首相にまで行き着いた日本の事例は、10年後15年後世界的に起こってくるわけです。これが今の、アニメやマンガの社会化によって生み出されたビジュアル社会が発信している問題で、さあどうするという話は、次回じっくりとやりましょう。
冲方 わかりました。勉強してきます。