超時空七夕ソニック パンフレット「ハーモニーに“夢”をはらませて……」∀ガンダム原作・監督 富野 由悠季

彼女が困るのは、仕事にかこつけて好きな楽曲をつくってくることだ。それは作曲家として当然のことでしょう、と思う人は、甘い。彼女はそれほど甘くない。


劇伴の仕事をしているときに、別のメロディを思いつくと、二、三曲といわず好きな楽曲を好きなだけつくってきてしまうのだ。音痴のぼくには、そういった曲は番組に関係ないものに聞こえてしまうから、評価する以前に腹を立ててしまう。
それでも、しょうがない、と思えるのは、どうしてもこうなってしまう彼女の仕事ぶりによるものであるし、実際本人の困っている顔を浮かんでくるものだから、それについてクレームを出すことはしない。


それがぼくにとっての菅野よう子という天才なのである。天才のやることは、凡人には解らない。だから文句はいわず、それらをBGM集なるアルバムに収録することも見逃す。十年たって聞けば、悪い曲ではないと思うからである。


彼女の楽曲を初めて聴いたのは、番組のための作曲家候補として彼女の名が挙がり、彼女が作曲したCM曲の数々をとりまとめたサンプル盤だった。が、聞いてみて、これが一人の女性の仕事なのか? とキョトンとした。彼女なりの幅はあるのだが、おのおのの曲はバラエティに溢れていて、それはとても一人の仕事とは思えなかった。
たいていの作曲家には、その人の色合いというものがあるのだが、彼女にはそれがないのだ。ぼくが音楽をあまり聞かずセンスがないにしても、それにしても、なんだ? と不思議だった。


後年、彼女が創作の最初は勘か? 技巧か? とぼくに聞いてきたことがある。
そのときぼくは、思い付きがなければなにも始まらないわけだから、
「勘が先だ」
と応えたのだが、その瞬間に
「そうだよね」
と言っては姿を消した彼女に、“もう一言いいたいのに……”
と思い、しかしそれを言えなかったという記憶がある。
“言いたかったもう一言”とは、作りこみの段階で思い付き、ある時間を聞かせる物語を組み立てなければならない、と言いたかったのだが、しかしそれについては、彼女にはことさら言う必要はないだろうと思いもした。
なぜならすでに、∀の仕事で十分知っているつもりだったし、天才はそんなことは考えないでもやっているのだ。それは、今日のコンサートでの演奏を聴けば分かることでもある。


彼女が紡ぎ出すオーケストレーションというかハーモニーには、独特の色合いがあって、音色の組み合わせそのものに“夢的”な、なにかもうひとつの感覚が間違いなく存在しているように思う。聞こえてくる以上のふくらみ(音楽になった物語性という艶)がそこにはあるのだ。だから、彼女の思い付きから創り込んでいくという作曲のプロセス自体が、生理そのものの中から表出しているもの、と理解できる。


彼女のことを考える上で嫉妬心を抱いてしまうのは、彼女が特別な勉強をすることなく、独自の作曲技術を身につけていったというところにあるのだが、これはもはや天性の才能そのものであり、そういう人には何を言っても、やるようにやってきてしまうのだから、それを押し頂いて、ありがとうございます、というしかない。それが悔しい。注文などつけようがない。


それがぼくにとって∀ガンダムで出会った天才のことだ。


「わたしだって間違うことあるよ。管楽器のこと知らなくて、息継ぎ時間を考えてないテンポで曲を書いてしまって、(演奏者に)怒られたことある」というような告白を聞けば、それは嬉しくなる。
それでも、そういうとんでもない手法が入ってくるから、彼女のオーケストレーションには、妙に夢があるのだろう。

後輩が行ったので買ってきてもらった。